プリムスの伝承歌

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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第1曲 黎明の伝承歌

「クラルス。みんな、無事だよね……」
「えぇ。リア様。早く陛下と騎士団長様の元へ参りましょう」

 長い回廊を走っていく。城のいたるところから悲鳴や剣戟(けんげき)が 聞こえてきた。これほど大勢の兵士はどうやって侵 入したのだろうか。
 僕たちは階段を駆けあがり、二階の廊下へと足を踏み入れた。そこにはたくさんの遺体が転がっている悲惨な光景。
 むせ返るような血の臭いが充満していて、思わず手の甲で鼻をおおった。

 どうして。なぜ。と、目の前にいない首謀者へ疑問をぶつける。
 すくんでしまいそうな足を前へ動かした。

「みんな無事でいて!」

――――。

 優しい風が僕のひとつに結った長い銀髪を揺らした。
 木漏れ日が差し込む回廊を歩き、母上のいる書斎へと向かう。先日の出来事で足取りは重い。

「リア様。ご気分がすぐれませんか?」
「ううん。大丈夫だよ。クラルス」

 僕の気持ちを察したのか、専属護衛のクラルスが声をかけてくれた。彼とは五年の月日をともにしている。うまく気持ちを隠そうとし てもクラルスには通用しない。
 それでも自分に言い聞かせるように大丈夫と言葉を紡いだ。

「リア!」

 ぱたぱたと軽快な足音とともに双子の妹のセラが走ってくる。その後ろから彼女の専属護衛ルシオラが小走りで追いかけていた。
 セラに勢いよく抱きつかれる。彼女の深紅の長髪がふわりと揺れた。

「こんなところで会えるなんて思わなかったわ! 今日はクラルスと手合わせはないの?」
「今、母上に呼ばれているんだ」
「また視察?」
「わからないけど、そうかもね」

 セラは眉間にしわを寄せて口をとがらせている。先日、初めての公務である視察を拝命された。遠方の街だったので僕は一週間以上城 にいなかった。そのためセラは寂しかったようだ。
 生まれてから今までずっと一緒だったので離れるのが嫌なのだろう。

「またリアがしばらく城からいなくなっちゃうの寂しいわ」
「僕もセラと離れるのは寂しいよ。でも大切な公務だからね」

 彼女の髪をなでると菜の花色の目を細めた。僕たちのやりとりを見ていたルシオラは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。

「セラ様。そろそろ帝王学のお時間なので、ご準備をしましょう」

 セラは次期女王なので毎日勉学に忙しい。食事や同じ教科の座学以外で会うことはないので、たまに回廊で会うと全身でよろこびをあ らわしていた。

 ルナーエ国は女王君主制のため、男子に王位継承権はない。その代わり、父上の地位である騎士団長を引き継ぐことになっていた。
 父上のような立派な騎士団長になるため、幼いころから勉学の他に武術を習っている。そして毎日クラルスや他の星 永(せいえい)騎士たちと鍛錬に励んでいた。

「わかっているわ。リアまた夕食のときに会いましょう」
「セラ。勉強頑張ってね」

 セラとルシオラは急ぎ足で自室へと向かう。彼女たちの後ろ姿を見送っていると、クラルスからくすりと笑い声がもれた。

「セラ様は本当、リア様のことお好きでいらっしゃいますね」
「僕もセラのこと好きだよ」

 双子であるゆえ、セラは好きというより特別な存在だ。
 ふと、評議会室のほうから話し声が聞こえてきた。
 会議が終わり、貴族が立ち話でもしているのだろう。
 いつもは気にもとめないのだが、今日に限って話の内容が耳に入ってきた。

「女王陛下は王子殿下を視察に向かわせたそうだ」
「まだ子どもであろう。政にかかわらせて、いったい何を考えているのか。お遊びではないのだぞ」

 僕に王位継承権がないため軽んじている貴族が多い。僕の悪言を話しているのはたびたび目撃していた。なかにはわざと聞こえるよう に話す貴族もいる。
 クラルスを見ると眉をつり上げて、貴族たちをにらみつけていた。
 出ていく機会を失ってしまい、僕たちは彼らが去るまで待つことにする。

「将来、王子殿下に発言力を持たれては面倒ですな」
「どうせ諸外国に出されるのだから、(まつりごと)に かかわってもルナーエ国には利益がありません」
「王都から出さずに飼い殺しにしておけばいいものを……」
「容姿は女王陛下譲りですからね。剣術の鍛錬をしている暇があるのなら、女性をよろこばせることを習ったほうが将来のためだな」

 耳をつんざくような笑い声が回廊に響き渡る。僕はそのうち政略結婚の道具にされるのは重々承知だ。
 貴族たちは将来利益になる外交を作るため、有力国の王女と早く結婚をしてもらいたい。そのため王子としての居場所をなくしてしま おうと、嫌がらせをしてくる。
 彼らが話していることは幼いころから聞いており、諦観(ていかん)し ていた。
 不意にクラルスの手が耳に触れる。

「しばらく触れることをお許しください」

 貴族たちの会話が遮断された。クラルスなりの配慮なのだろう。彼の気づかいには本当に感謝している。
 クラルスは貴族たちの前に出て糾弾(きゅうだん)し ようとはしない。僕の立場が悪くなると思い、そういう行為は控えて いる。
 しばらくすると貴族が立ち去ったのかクラルスの手が離れた。
 彼のほうを向き、ほほ笑む。

「ありがとう。クラルス」
「いえ……。あの者たちの話などお気になさらないでください」
「もうなれているよ」

 心配をかけないように精一杯の笑顔をクラルスに見せる。僕の護衛ではなく、星永騎士として実績を積んだほうが彼のためになるので はないのか。クラルスに嫌な思いをさせるたびにそう思ってしまう。

「リア様。陛下がお待ちです。参りましょうか」
「うん。そうだね」

 僕たちは足早に母上が待っている書斎へと歩みを進めた。
 扉前まで辿り着き、ひと呼吸をおいて言葉を紡ぐ。

「陛下。ウィンクリア参りました」

 絢爛(けんらん)な扉が 左右へ開く。僕とクラルスは一礼をして書斎へと足を踏み入れた。
 母上は窓際にたたずんでおり、僕と同じ月白(げっぱく)色 の長髪が太陽の日差しできらきらと輝いていた。視線が交わ ると目を細めて柔らかくほほ笑む。

「リア、クラルス。そんなにかしこまらなくていいのですよ」
「いえ……。僕はもう十四ですし、公私の分別をしなければいけません」
「……よい心がけですね」

 母上は少し寂しそうな表情をした。
 自分の母だが謁見室と書斎では神聖な雰囲気がある。そのため自然と素行に注意を払ってしまう。
 母上は中央にある机の前まで静かに歩き、僕たちを見据えた。

「リア。あなたに一週間後、ミステイルの国王に親書を届ける役目をしてもらいたいのです」
「かしこまりました」

 ミステイル王国はルナーエ国の東にある隣国だ。十年前に同盟を結び、交友関係を築いている。
 昔、交友会で一度だけミステイルの国王と二人の王子に会ったことを覚えている。しかし、当時はまだ七歳だったため記憶が曖昧だ。
 親書を届ける役目を仕官に頼まないということは重要な内容なのだろう。そして僕が行くことに意味がある。

「七年前、ミステイル王国との交友会を覚えていますか?」
「幼かったので記憶が曖昧ですが、交友会があったことは覚えています」
「近々ルナーエ国で再びミステイル王国と交友会を開催する予定です。親書はその案内状ですね。あなたに頼むのも、ミステイルの国王 に成長した姿をお見せするためです」

 ミステイル王国は僕を要人として迎え入れる。そのため、どうしても一泊しなくてはならない。
 初めての国外で不安だが、せっかく隣国を見る機会を与えてもらえた。ルナーエ国との文化の違いを見てこよう。

「リア。間違えや失敗をしてもいいので、経験をたくさん積みなさい」
「はい。機会を与えてくださり光栄です」
「クラルス。我が王子の護衛をお願いします」
「かしこまりました」

 母上はクラルスへ下がるように命じた。彼だけ退室させることは珍しい。クラルスは一礼をして書斎をあとにした。

 書斎は二人だけになり、しんと静まりかえる。母上は静かに僕のそばへ歩いてきた。
 酷く申しわけなさそうな表情をしているので首を傾げる。

「リア。先日の視察はあなたにとって辛かったですね。王族として人々から非難されることは、承知の上で行かせました」

 足取りが重かった理由。先日の視察のことだ。初公務で心を弾ませていたが、信じがたいものの数々を目にしてきた。
 貴族の悪政に困り果てた人々。王家を批難する声を一身に浴びてきた。本当は貴族の悪政を正さなければいけない立場なのだから人々 が批難するのはあたりまえだ。

「母上。街の現状は知らなかったの?」

 母上は眉を下げ、憂いの表情を浮かべる。

「……少し内情を話さなければいけませんね。近年、貴族の報告書に疑念があり、数年前から諜報(ちょ うほう)員を雇って いるのです」
「諜報員を?」
 
 街の内情を諜報員から聞いたのは最近だそうだ。それだけ貴族が狡猾(こ うかつ)に報告書を(い つわ)っていたのだろう。
 母上が明確な理由なく視察団を送れば諜報者がいるのではないかと疑われてしまう。
 僕を初公務という名目で視察へ行かせれば、難色は示すが疑われる可能性は低い。今回の視察は僕でなければいけなかったのだとかみ しめた。

 貴族の素行が悪いのは重々承知なのだが、証拠がなければ裁けない。無理に強行手段を取ることはできないそうだ。
 母上は国民と貴族の間に板挟みになっていた。今は、両者の不満や要望などを拮抗させることで精一杯らしい。

 「そして今回、あなたが公務として報告書をあげてくれました。ようやく表立って動くことができます。視察は期待以上でしたよ。よ く頑張りましたね」

 不意に母上の手が僕の頭に伸びた。優しくなでられて、こそばゆく感じる。

「……母上。あの……僕が親書を届ける役で本当に大丈夫なのかな?」

 貴族は僕の視察に難色を示していた。代々ルナーエ国の政に関わる王族は女王と騎士団長のみ。他の王族男子に発言力を持たれること が嫌なのだろう。
 僕が政に関わることで母上が貴族から批難されるのではないのか不安になる。

「……リア。自分が王子だからといって決められた道を進む必要などありません。あなたが自分でしたいと思ったことをやってみなさ い」
「ありがとう、母上」

 ふと、母上の左手に視線を落とす。中指の爪には宝石を宿した証である刻印が刻まれていた。

「母上の月石の刻印きれいだね」
「ありがとう。リア」

 母上は少し困った表情をしてほほ笑んだ。
 ルナーエ国は象徴の宝石があり、太陽石と月石のふたつ。そして、原石(プ リムス)という特別なものだ。
 原石(プリムス)は宝石 の元であり、世界で唯一無二のもの。宿主を選び、宿した者はその属性の最高の魔法が使えるよ うになる。
 僕たちがまだ幼いころ、母上は月石に選ばれたそうだ。女王が原石(プ リムス)を宿した代は大繁栄期になるという伝承があ る。約百年ぶりに女王 へ宿ったそうだ。

「セラも原石(プリムス)に 選ばれるのかな?」
「私たちは女神アイテイル様の子孫です。可能性は否定できませんね」

 女神アイテイル様は太陽石と月石を宿してルナーエ国を作ったという神話がある。僕たちはアイテイル様の直系にあたるそうだ。
 ひとりひとつしか宝石は宿せないので神話の真意はさだかではない。

 自分の左手を見ると爪に月石の刻印と酷似した(あざ)が ある。
 痣は、扉に指を挟んでできてしまったそうだ。当時のことは幼かったので覚えていない。
 月石は母上が宿している原石(プリムス)以 外存在していないが、セラには内緒で宝石を宿したのではないのかと頻繁に言わ れていた。
 
 不意にゆっくりと母上に手を引かれ、抱擁された。急なことで驚いて逃げてしまいそうになる。しかし、僕の名を呼ぶ声があまりにも 切なそうな声色だったので身を委ねることにした。

 母上との抱擁はいつぶりだ ろうか。甘えてはいけないと思い、親と子のふれあいを無意識に拒んでいた。
 少しの沈黙のあと母上が言葉を紡いだ。

「リア。のちほど大切な話があります。ゆっくり話したいので、時間ができましたら呼びますね」

 大切な話とは何なのだろうか。今は母上の都合で聞けないようだ。
 髪を()かれたあ と、「クラルスを待たせているから行きなさい」と呟いた。僕は一礼をして書斎をあとにす る。
 抱擁の余韻が残るなか、回廊に出ると柱の前でクラルスが待っていた。

「……リア様。うれしそうですが何かありました?」
「えっ……ううん。何でもない」

 表情に出ていたようだ。クラルスに気取られて恥ずかしくなり、急ぎ足で自室へと戻った。



 隣国へ旅立つ日、ミステイル王国へと向かう船に乗り込む。
 ミステイル王国の王都へは途中まで船で行き、馬車を使って半日で到着する。
 今回の付き添いは騎士が十数名と星永騎士が二名、同行することになった。

「王子殿下。またご同行できて光栄ですぞ!」
「クルグ、ロゼ。お世話になるね」
「殿下。お若いのに先日の視察のご報告、素晴らしかったです」
「ありがとう。これからも頑張るよ」

 クルグは前回の視察に引き続き今回も同行してくれる。槍術の達人であり、僕とクラルスの槍術と体術の先生だ。
 ロゼはルシオラの先輩騎士にあたる人で、弓の名手だ。武術の鍛錬のときに彼 女から弓術を習っている。

 二人ともクラルスと同じく星永騎士の地位だ。
 星永騎士は、騎士の中から選良され、戦闘に特化した者の称号。王族や貴族の視察同行や護衛任務、危険な野獣討伐などを行ってい る。

「クルグ様。ロゼ様。よろしくお願いします」

 ロゼはクラルスを見やると、いたずらな笑みを浮かべた。

「クラルス。最近、殿下とずっと鍛錬していてずるいわ。独り占めしないで」
「ロゼ様。人聞きの悪いことを言わないでください。リア様を独り占めしているわけではございません」

 彼女はからかうようにくすくす笑っていた。そのやりとりを見てクルグは豪快に笑う。

「ロゼ殿。あまりクラルスをからかわないほうがいいですぞ。こやつは真面目ですから真に受けます」
「クルグ殿。クラルスのことはよく知っていますし、わざと言ってますからお気になさらなくて結構ですよ」
「おぉ。そうでしたな!」

 クルグとロゼのやりとりを見てクラルスは眉を下げていた。先輩騎士の二人から玩具(お もちゃ)にされている彼は気の 毒だ。

「二人ともクラルスが困っているよ。そのくらいにしてあげて」

 助け船を出すとクラルスは安心した表情をしていた。

「クルグ殿のせいで殿下にお叱りを受けてしまったわ」
「……ロゼ殿はよく舌が回りますな」

 さすがのクルグも困り顔だ。ロゼの饒舌には誰もかなわないだろう。
 今回の遠征は賑やかになりそうだ。

「二人が一緒で心強いよ。長旅だけどよろしくね」

 よく見知っている二人の星永騎士が同行で安心して公務を行えそうだ。


 船旅を終えて半日の馬車の旅でようやくミステイル王国の王都へ到着する。商人たちが入り口を慌ただしく行き交っていた。商業の都 を(うた)っているので出入り が目まぐるしい。

 大通りが城へまっすぐ伸びており、僕は騎士に囲まれながら歩いていく。街の人々は道を空けるように左右へ広がり、物珍しそうに見 ていた。
 ルナーエ国の城下町よりも広く感じる。異国の街が珍しく、つい自分がよそ見をしていることに気がついて前を見据えた。
 大切な公務なのに浮かれている場合ではない。
 一連の行動を見ていたのか、隣にいたクルグがほほ笑んでいる。

「王子殿下。国外は初めてでしたな」
「ごめん。珍しくて少し浮かれていたよ」
「いいのですよ。王子殿下の年相応の姿を見ることはほほ笑ましいですな。しかし、城に着きましたらご公務ですぞ」
「うん。名代(みょうだい)で 来ているから、しっかりしないとね」

 僕の受け答えに彼は満足そうに頷いた。
 城門の前に到着すると、クルグは門番へ話かける。しばらくすると僕たちは控え室へと案内された。失礼がないように上手く話せるの か不安だ。
 クラルスからは”いつもどおりで大丈夫”と言われたが緊張してしまう。
 深呼吸を繰り返していると、ひとりの兵士が姿を現した。

「謁見の準備が整いました。ご案内いたします」

 僕たちは謁見室の前へと案内される。絢爛な扉が開くと、玉座に国王が鎮座していた。兵士たちが左右にいる赤い絨 毯(じゅうたん)の上を歩く。上段の手前で止 まり、国王に一礼をする。クラルスたち星永騎士は頭をさげたままひざまづいた。
 右手を胸に当てて言葉を紡ぐ。

「ルナーエ国第一王子ウィンクリア・ルナーエです。国王様お久しぶりでございます」
「時がたつのは早いな。そなたはもう礼節のある、あいさつができるようになったのか。我が王子はそなたくらいの歳だとまだ母に甘え ていたころだ」
「それは大げさですよ。父上」

 玉座の隣にたたずんでいる濡れ羽色の短髪に赤紅(あかべに)色 の目の青年。第二王子のガルツ・ラディー。僕より十以 上年上だった覚えがある。
 彼と目が合ったと同時に背中に冷たいものが走った。ガルツ王子の瞳には底知れないものを感じる。
 自然と彼から視線を外し、国王を見据えた。

「……お褒めいただき光栄です。陛下の拝命により親書をお持ちしました」

 僕の言葉でクルグが立ち上がり、側近の者へ親書を手渡す。

「ご苦労だった。ここまでの道のりは長く、疲れたであろう。部屋を用意してある。ゆっくり休むといい」
「ご配慮、感謝いたします」

 ガルツ王子をちらりと見ると、口元は笑っているが目は笑っておらず不気味だった。
 謁見は(とどこお)り なく終了し、胸をなでおろす。
 晩餐会まではまだ時間がある。ガルツ王子に断りを入れて僕たちは王都を見学することにした。
 城外へ出ると緊張の糸が緩んで、ため息がもれる。

「クルグ。僕、失礼なこと言ってなかった?」
「ご立派でしたよ王子殿下」

 クルグは満足した様子で口元に笑みを浮かべている。
 不意に後ろからすすり泣く声が聞こえた。振り向くとロゼが泣いている。何かあったのかと思い、不安になった。

「どうしたのロゼ? 何で泣いているの?」
「殿下の……ご成長を拝見して感極まりました」

 ロゼが想像と斜め上な理由で涙を流していて思わず目を丸くした。
 歳のせいかしら。と、ぼやいていたが彼女は気にするほどの歳ではない。クルグは呆れた顔でロゼを見ている。
 それほどロゼが僕のことを思っていてくれたのだとわかり、笑みがこぼれた。

 これから城下町の見学をする。騎士のみんなを連れて歩くと邪魔になってしまうので、クラルスとロゼのみ護衛として付き添い。クル グと他の騎士たちは城門近くで待機することになった。

 大通りの少し外れた広場が露店市場になっており、僕たちはそこへ足を運ぶ。
 ルナーエ国では見たことのない食べ物や小物、装飾品などがある。他国の人の出入りが多いので、いろいろな文化が入ってきているの かもしれない。

「こちらの小物可愛いですね。王女様へいかがですか?」
「可愛い……かな?」

 ロゼが手に持っていたものは、何かを融合させたような小さな置物だ。彼女は少し”可愛い”の感覚がずれている気がする。芸術品か もしれないけれど、僕にはそういう感性が疎いため良さがわからない。

 すっかりロゼが主導権を握り、あれやこれやと露店を回っている。彼女の檸檬(れ もん)色の髪が気分を表してるかの ように、上下にふわふわと揺れていた。
 僕も周りの露店を見ながら人混みを歩く。見たことのないモノや街並みに好奇心が弾んでいた。
 舞い上がるふうせんに気を取られて何かにぶつかってしまう。

「あっ……すみません。よそ見していまして」

 少し違和感を覚えた。あたった感触が人とは違うふわりと柔らかい感じだ。
 顔をあげると、兎がこちらを見ていた。その兎は人間の大人と同じ大きさで二足歩行。円柱の帽子をかぶり、紳士的な服装をしてい る。自分の見知っている兎とは違い、思わず目を丸くした。

「こちらこそ失礼いたしました。お嬢さん怪我はありませんか?」
「え……はい。大丈夫です」
「よかったです。では急いでいますので失礼」

 兎は会釈をすると足早に立ち去っていった。まるでおとぎ話の絵本から飛び出してきたみたいな兎。
 実際、亜種族を見るのは初めてだ。僕と同じくクラルスとロゼも驚いた表情で去っていく兎を見ていた。

「ラピヌ族は初めて見ましたね」
「うん。僕も書物でしか知らなかったよ」

 亜種族は人間とは違った姿をしており、種類もさまざま。同種族で世界各国に小さな集落を形成している。
 先ほどの兎はラピヌ族といい、ルナーエ国の山岳地帯に住んでいた。閉鎖的に暮らしていたが近年、街へ姿を現すようになり友好な関 係になりつつある。

「あれ? 殿下、先ほど”お嬢さん”って言われていませんでした?」
「う……うん。気にしていないよ」
「殿下のご容姿は中性的ですから間違えられますね」

 もう少し男子らしくならないかと悩むときがある。武術を習っているが、筋肉がつきにくいらしく細身のままだ。顔は母上譲りなので あきらめている。

 大きい露店市場のため、ひとまわりするのにだいぶ時間がかかってしまった。
 太陽が西に傾きつつある。
 これ以上クルグたちを待たせてしまうのも悪いので、名残惜しいが城門へ向かった。

「おかえりなさいませ王子殿下。見学はいかがでしたか?」
「すごく勉強になったよ。ありがとう。長い間待たせてごめんね」
「お気になさることはありませんぞ。晩餐会のお時間が迫っております。城内へ参りましょう」


 城へ戻ると侍女たちが慌ただしく動き回っていた。
 自国でも他国の要人が来訪したときは、豪華な晩餐をしてもてなしている。僕とセラは勉強のため、いつも同席をしていた。
 しかし他国へ(おもむ)き、 もてなされる立場になるのは初めてなので緊張してしまう。

 日も落ちてきたころ、与えられた部屋で待っていると侍女に呼ばれた。美術品や絢爛な装飾品が飾ってある部屋に案内をされる。卓上 には温かい料理が食べきれないほど並んでいた。
 護衛のためクルグ、ロゼ、クラルスが壁沿いに並ぶ。
 晩餐の席には国王とガルツ王子、数名の貴族が談笑をしていた。ガルツ王子と目が合うと彼は立ちあがる。

「ウィンクリア王子。お待たせしました。どうぞおかけください」
「ありがとうございます」

 晩餐会が始まった。食事をしながらの他愛もない会話が室内に響く。難しい政の話もされたが、無難に受け答えができ安堵する。
 一年前から謁見に同席していたため、国内外の政は大まかではあるが把握していた。
 お酒も入り、上機嫌になっている国王に話しかけられる。

「アエスタス女王の体調はどうですかな?」
「体調ですか?」

 母上は特に大きな病を患っているわけではない。なぜこのような質問をするのだろうか。

「アエスタス女王は月石を宿されて年月がたっておる。噂によると体調の変化があると耳に入れたので心配でしてね」
「お気づかいありがとうございます。風邪で少し体調を崩すときもありましたが、大きな病はありません」

 母上が月石を宿していることは国外に隠しているわけではない。ほとんどの国主や要人は認知している。
 他に北の大国フィンエンド国のティグリス元帥が原石を宿していると公言していた。

「父上。ルナーエ国の象徴である宝石ですので、あまり触れることはよろしくないですよ。ウィンクリア王子、お気を悪くされましたら 申しわけありません」
「いえ。お気になさらないでください」

 ガルツ王子は相変わらずの笑顔を見せる。
 原石(プリムス)を宿し ている人は世界でも少ないため、各国から注目されてしまうのは仕方ない。
 大半のお皿が空いたころ、晩餐会はお開きになる。おいしい料理だったが、緊張していてあまり楽しむことができなかった。

 ガルツ王子から城に隣接されている迎賓館へ案内された。今晩は貴賓室に寝泊まりをする。
 クラルスたちは隣の部屋を案内された。

「リア様。明朝お迎えにあがります」
「うん。みんなゆっくり休んでね」

 彼らと別れ、ガルツ王子と貴賓室へ入室した。
 室内は広々としていて僕ひとりで使うには大きすぎる。ガルツ王子は室内の物品の説明を丁寧にしてくれた。

「何かございましたら扉前の衛兵にお申しつけください」
「はい。ご配慮、感謝します」

 彼は一礼をすると部屋から退室した。用意されている寝間着に着替えて、さっそく寝台へ横たわる。
 ふわふわとした寝具に体が沈み込んだ。やっと一息つけて安堵の吐息がもれる。
 明日に疲れを残してはいけない。今日は早めに寝ようと毛布を頭からかぶった。

 しかし、なれない部屋や寝具のせいで寝つけない。しばらく寝台の上で寝返りをしていたが、眠気はなかなか訪れなかった。
 無理やり寝ることを諦めて、気分転換に外の空気を吸おうと寝台から這い出る。
 部屋を出ると衛兵に声をかけられた。

「どうなさいました?」
「少し風にあたってきます」
「護衛の方をお呼びしますか?」
「いえ結構です。お気づかい、ありがとうございます」

 さすがにクラルスたちを起こすわけにもいかない。衛兵に会釈をして広い廊下を歩いていく。深夜なのでひと気もなく城内は静まりか えっている。
 見張りをしている衛兵たちは、微動だにせず不気味だった。

 城と迎賓館をつなぐ回廊へ辿り着く。解いてある銀髪が夜風でふわりと揺れた。
 回廊の中央には夜空を見上げたガルツ王子がたたずんでいる。彼の濡れ羽色の短髪が闇にとけているように見えた。
 僕に気がつき、赤紅色の瞳と視線が交わる。初対面のときから彼の雰囲気が苦手だ。
 ここまで来て引き返すわけにもいかない。ゆっくりとガルツ王子の元へ歩み寄る。

「こんばんは。ガルツ王子」
「ウィンクリア王子。眠れませんか?」
「えぇ……。少し外の空気に当たろうかと思いまして」

 ガルツ王子は身長がかなり高いので見上げてしまう。彼は僕の銀髪を少しすくうと口づけをした。

「あ……あの……」
「失礼しました。あまりにも美しい銀髪でしたので」
「……ありがとうございます」

 ガルツ王子の手が左耳へと伸びる。僕は左耳にだけ三日月の耳飾りをしている。彼はそれにそっと触れた。
 あまり他人に触れられたことがないので、どういう反応をしていいのか戸惑ってしまう。

「あなたはこの耳飾りと同じ月のようですね。幻想的で美しい印象です」
「それでしたら妹のセラは太陽ですね。いつも僕に笑顔をくれます」
「兄妹で対極な関係とは、まるでルナーエ国を象徴する太陽石と月石のようです」

 彼の手が耳飾りから離れる。赤紅色の瞳は僕のことをじっと見ていた。彼に見つめられると不安な感情がわいてくる。ガルツ王子から 視線をそらして、空に浮かんでいる月を見上げた。

「……城下町はいかがでしたか?」
「ルナーエ国とは違った文化で、とても勉強になりました。国民のみなさんも活気があり、いい国ですね」
「お褒めいただけて光栄です」

 少しの沈黙のあと、ガルツ王子が言葉を紡ぐ。

「ウィンクリア王子。民の平和を維持するために必要なものは何だと思いますか?」
「……そうですね。国民あっての国ですので皆の意見を聞いて、よりよい政策をとっていくべきでしょうか」

 彼は薄笑いを浮かべていたので思わず眉を寄せる。何かおかしなことでも言ってしまったのだろうか。

「私は”力”だと思います。この地に強大な国を作り、ひとつの権力でまとめる。それが争いを起こさず平和を維持できると思いません か?」
「そうかもしれませんが……。そのために他国へ侵略するのですか?」
「それ以外、何があるのですか?」

 ガルツ王子があまりにも冷たい目をしており、身体が強張る。

「戦争は人々に負担がかかります。侵略せずとも同盟を組めばいいと思います」
「同盟なんて書面上の約束事。その国のさじ加減でいつでも破れるのですよ」

 彼と考えはまったく違うものだった。ガルツ王子のあまりにも過激な内容になかなか言葉が出てこない。

「……僕にはガルツ王子の考えはわかりかねます」
「……まだお若いですね」

 僕が政にかかわったのは、つい最近のことだ。時がたつにつれてガルツ王子と同じ考えをするようになるのだろうか。
 僕は人々を戦火に陥れるようなことはしたくない。今はそう思っている。

「……夜風が冷たくなってきました。あまり長居しますとお身体に障りますよ」
「そうですね。そろそろ戻ります。お話のお付き合いありがとうございました」
「あなたとお話できてよかったです。おやすみなさい」

 ガルツ王子は回廊の闇へとけこんでいった。僕も与えられた部屋に戻り、寝台へ横になる。
 人々の平和を維持することの意見はガルツ王子と違っていた。僕の考えは間違っているのだろうか。そう思ってしまう。考えを巡らせ ながら眠りについた。

 翌日の朝。朝食を済ませ、迎賓館をあとにする。ガルツ王子と貴族数名が城門までお見送りをしてくれた。

「ウィンクリア王子。交友会の日を楽しみにしていますね」
「えぇ、お待ちしております。お世話になりました。お見送り感謝いたします」

 僕たちは一礼をして城をあとにする。緊張した空間から解放されて、ため息がもれてしまった。

「王子殿下、お疲れ様でした。なれないことばかりで気疲れしましたな」
「リア様。お務めお疲れ様です」

 クルグとクラルスに気取られて恥ずかしい。

「ごめん。見苦しかったね。国に戻るまで気を抜かないようにするよ」
「いいのですよ殿下! 私たちの前ではいつもの殿下でいてください」
「ありがとう、ロゼ」

 初めての国外でなれないことだらけだった。それでも僕なりに勤めを果たせたと思う。
 振り返り、青空を背にしているミステイルの城を見上げる。昨晩のガルツ王子との会話がずっと心の隅に引っかかっていた。


 ミステイル王国から帰城した日の夜。めずらしく母上が僕の部屋を訪ねてきた。

「リア。遠征ごくろうさまでした。疲れているところごめんなさい」
「ううん。大丈夫だよ、母上」

 母上のやわらかい笑みを見て心が安らぐ。
 ゆっくり僕の前に歩いてくると頭を優しくなでてくれた。その手つきがいつも以上に優しく感じる。
 そのあと、母上はひどく神妙な顔つきになった。
 どうしたのかと首を傾げると、母上は言葉を紡いだ。

「リア。以前、大切な話があると伝えたことは覚えていますか?」

 ミステイル王国へ行く前に母上から”大切な話がある”と話されていたことを思い出す。僕は応えるように頷いた。

「一度しか言いません。そして今から話すことは他言無用でお願いします」
「うん。……わかったよ」

 母上はひと呼吸おいてから言葉を紡いだ。

「この国の象徴である宝石は知っていますね」
「太陽石と月石だよね。今、母上が月石を宿している」

 母上は月石が宿っている左手を見せてくれた。中指の爪にきれいな刻印が浮かび上がっている。

「刻印、きれいだね」

 母上は右手で刻印のある爪を擦り、再び僕の前に差し出す。そこにあるはずの月石の刻印が消えた。
 どうして刻印が消えるのか、自在に消せるのかとおかしなことまで考える。
 母上を見やると真剣な表情を僕に向けていた。

「私に月石は宿っていません。宿っているのは……リア、あなたです」
「えっ……」

 告げられた母上の言葉に僕の(とき)が 止まる。
 心臓の鼓動が早くなるのを感じた。おそるおそる左手を確認する。月の光を反射している爪と中指の刻印が目に入った。
 母上から怪我をしたときの痣と言われていたものは月石の刻印。

 代々女王が宿してきた宝石。なぜ男子である僕に宿ったのだろう。
 一体いつ、どこで宿ったのか記憶を辿っても思い出せない。
 困惑していると、母上は左手を優しく握ってくれた。

「リア。落ち着いて聞いてください」
「母上。僕、覚えていなくて……。どうして僕に……」

 母上は申しわけなさそうな表情をして、僕に宿った経緯を話してくれた。
 僕とセラが五歳のとき、宝石の加護という宝石の前で祈る儀式があったそうだ。その最中、僕に宿ってしまったらしい。
 さいわいその場にいたのは、僕たち家族と宝石師の五人だけだそうだ。
 セラは当時のことは覚えていないらしい。

 王位継承権のない男子に宿ったとわかれば、貴族たちが僕を殺せと言い出す可能性がある。そのため母上は自分に月石が宿ったと国民 に流布したそうだ。

「そろそろ真実を伝えなければと思い話しました。今まで黙っていてごめんなさい」
「ううん……。母上は今まで僕を守っていてくれたんだよね。ありがとう」
「私は生涯をかけて嘘をつき通す覚悟です」

 母上は原石を外す方法を探しているが、まだ見つからないそうだ。
 母上と父上は国の象徴である宝石を宿している僕を外に出したくはなかっただろう。非情な親だったら一生涯人目のつかないところに 幽閉するはず。僕を特別扱いせず育ててくれた母上と父上には感謝したい。

「僕は月石のことをよく知らないから、自分で調べてみるね」
「何か体調に変化があればすぐ相談しなさい」
「わかったよ。話してくれてありがとう」

 母上に優しく抱きしめられる。小さく紡がれた言葉は震えていた。

「あなたには辛い思いをさせてばかりで……。リアとセラが私の子でなければ、どんなに幸せだったか……」
「母上……。そんな悲しいこと言わないで」

 母上は僕が貴族から軽んじられていることは知っている。しかし、母上の前で僕の悪言をいうわけではない。貴族に対して何も言えな いことを、もどかしく思っている母上を知っていた。

 セラは生まれたときから女王という道が用意されている。好きなことをさせてあげられなくて心苦しいのだろう。
 母上と父上が僕たちを大切にしてくれていることは、そばにいるのでよくわかっている。

「……情けないですね。あなたに弱音をはいてしまって」
「大丈夫。気にしないで……僕もセラも母上たちのことはわかっているから」

 精一杯の笑顔を向けると、母上はほほ笑んだ。最後に「ごめんなさい」と小さく呟くと母上は部屋をあとにした。
 再び左手に視線を落とす。これからどうすればいいのだろうか。月石というものをまったく知らない。



「……様……リア様」

 クラルスの呼びかけに気がついて顔を上げる。彼は心配そうな表情を向けていた。

「まだ遠征のお疲れが残っていらっしゃるかもしれませんね」

 月石のことが気になり、手合わせに集中できなかった。失敗ばかり繰り返していて情けない。

「ごめんねクラルス。今日はあまり上手くできなくて……」
「そういう日もありますよ。今日は少し早いですが終わりにしましょうか」

 クラルスは優しくほほ笑んでくれた。手合わせのあとは何も予定は入っていない。自室で休むべきなのだが、月石に関することを調べ ようと思う。

「クラルス。このあと、書庫に行ってもいいかな?」
「何かお調べものですか?」
「うん。ちょっとね……」

 城の書庫には宝石関連の書物が置いてある。何か月石のことがわかるかもしれない。
 僕たちはすぐに着替えて足早に書庫へ向かった。

 城の外れにある書庫は昼間でも薄暗い。中へ入ると一人の先客がいた。

「おお。リアとクラルスか珍しいな」
「父上。何かお探しですか?」

 鮮やかな紅色の髪の父上はセラと同じ金色の目を細める。

「地方の書物を探しにな。リアたちはどうした?」
「……宝石のことを調べようかと思いまして」

 ”宝石”と聞いて父上の表情が変わった。昨日、母上から僕に月石のことを伝えたのは知っているのだろう。

「そうか。リアは勉強熱心だな。宝石類の本棚は一番奥だ」
「ありがとうございます」

 父上に会釈をして横を通り過ぎるとき、「いつもどおりりにしていなさい」と小声で呟かれた。
 そんなことを言われても、原石(プリムス)が 宿っていると思うと落ち着いてはいられない。
 父上はお目当ての書物を見つけたようで、僕たちに声をかけてから書庫をあとにした。
 一番奥の本棚には宝石関連の書物が隙間なく置いてある。すべて目を通すのには時間がかかりそうだ。

「リア様。お手伝いいたしますか?」
「大丈夫。クラルスは自由にしていて」
「かしこまりました。ご用命でしたら、すぐお呼びください」

 クラルスは他の本棚へ向かい、本を手に取って読み始めた。
 上段の棚の端にある書物を手に取り、広げる。読み進めるが各宝石の歴史書だった。他の書物も手にとってみる。専門用語たっぷりの 論文、魔法原理についての書物。求めているものは、なかなか見つけられない。
 月石のことが書かれている書物を見つけたが、(おおやけ)に 知れていることしか載っていなかった。

 どのくらいの時間を費やしたのだろうか。一番下段の最後の書物に目を通したが、これといって有益な情報は得られなかった。
 諦めかけていたとき、ふと上を向くと本棚の上に一冊の古い冊子があることに気がつく。
 手に取ってみると表紙には埃がかぶっていた。しばらく誰かに触れられた様子はない。
 埃を払い、表題を確認したが書かれていなかった。めくってみると求めていた太陽石と月石に関することが記載されている。

 太陽石、高い攻撃性のある魔法。女王陛下は五万の敵国兵を焼き払った。通常の防御魔法で抑えることは難しいだろう。
 他国への抑止力になったことは間違いない。女王陛下は一五七歳で太陽石が宿っている左手を自ら切り落とし、自害した。

 月石、防御魔法と治癒魔法に優れている。一万の弓矢の雨をしのぎ、通常の魔法では防御壁を越えられないだろう。騎士たちの傷つい た身体に癒やしを与えた。
 ただ、これは古い書物に記載されていたことであり、実際の力は不明。

 太陽石と月石は意思を持ち、宿主を選ぶ。その力に今後の女王陛下が翻弄されないことを祈るばかりだ。

 これ以降の(ページ)は 空白だった。記載した年月は表記されていないので、いつ書かれたものかわからない。
 冊子に書かれている女王の年齢を見て思い出した。原石(プリムス)を 宿した人は老いて死ぬことはない。
 原石(プリムス)を宿し た女王は大切な人の死を何度も見て、気がふれてしまったのだろうか。そして、僕も月日がたつ につれて、そうなってしまうのかもしれない。

 思いを巡らせていると肩に手が置かれた。驚いて振り向くとクラルスが心配した表情を向けている。

「リア様、大丈夫ですか? 先ほどからお呼びしていますのに」
「ごめん……。夢中になっていたよ」
「そろそろ日も暮れてきました。まだお探しでしたら灯りを点けましょうか?」
「大丈夫。長い間待たせてごめんね。そろそろ出ようか」

 先ほど見つけた冊子は本棚の奥へ押しやり、書庫をあとにした。
 宝石を宿しているということは魔法が使える。しかし、興味本位で使う気にはなれない。
 もし魔法を使っているところを見られてしまったら、月石が宿っていると露見してしまう。
 今まで母上がしてきたことを無下にしたくない。父上に言われたとおり、気にしないように過ごしたほうがいいだろう。

 今日は少しだけ月石のことを知ることができた。また時間を作って調べてみよう。



 ある日、母上の書斎へ呼び出される。クラルスとの手合わせの最中に伝言を受けたので、着替えがあり遅くなってしまった。
 書斎の前まで来るとルシオラが少し離れたところで待機している。セラも呼ばれているようだ。
 兄妹で呼び出されることは珍しい。

「陛下。ウィンクリア参りました」

 そう告げると騎士が扉を開ける。室内では母上とセラがすでに待っていた。足早にセラの隣へと並ぶ。

「お待たせしてしまい、すみません」
「リア顔が赤いね。手合わせでもしていたの?」
「うん。よくわかったね」

 よくセラは僕を観察していると感心する。僕たちが揃ったところで母上が話を始めた。

「リア、セラ。一週間後にミステイル王国との交友会があります。あなたたちにも出席してもらいますので、よろしくお願いしますね」

 以前、親書を届けるとき、近いうちに交友会があることを話していた。ガルツ王子とまた会うのは少し憂鬱だ。

 日程は国王とガルツ王子、貴族数名が昼過ぎに到着。謁見室でお出迎えと簡単なあいさつをして意見交換会。そのあと、夜会になる。
 僕たちはお出迎えと夜会へ出席。諸外国の人とはあまり交流がないのでいい機会だ。
 しかし同年代は皆無なので楽しいものではないだろう。

「大人たちの中にいることは窮屈(きゅうくつ)だ と思いますが、これも王族の務めです」
「母様。私たちは夜会で何をすればいいの?」
「要人や貴族たちがあいさつに来ますので、その対応です。セラは他国の要人と話すことは初めてですし、いい経験になるでしょう。リ アは補佐してくださいね」
「はい。かしこまりました」

 前回の交友会は幼かったため、母上のそばにいてあいさつをするだけだった。僕もセラも周りからすればまだ幼いが王族であるゆえ、 相応の対応を求められる。
 セラは次期女王として注目をされることになるので負担は大きいだろう。少しでも安心できるように僕がしっかり補佐をしてあげた い。

「話は以上です。何かわからないことがあればすぐ聞いてくださいね」
「はい。失礼します」

 話が終わり、僕たちは一礼をして書斎を退室した。
 回廊で待っていたクラルスとルシオラの手には分厚い資料がある。
 確認をしてみると交友会当日の日程と出席する貴族や要人の一覧表だ。交友会までにすべて覚えなければならない。

「交友会はたくさん人が来るんだね」
「覚えられるけど、緊張して当日抜けてしまわないか不安だわ」
「セラ。僕が補佐をするから安心して」
「うん! リア、頼りにしてるね!」

 相変わらずのセラの笑顔につられて顔がほころぶ。クラルスとルシオラはそんなやりとりをしている僕たちを見てほほ笑んでいた。兄 妹仲睦まじいと思っているのだろう。ふたりの表情が物語っていた。
 セラはふだんの勉強の他にこの資料を読み込まなければならない。安心してもらうために、しっかり覚えようと心がけた。

 交友会当日、王都はいつもより賑わっていた。城の中も外もミステイル王国の要人を歓迎する準備で忙しい。城下町の露店市場も飾り つけが賑やかになっていた。
 セラは窓から着飾っている街を見てはしゃいでいる。

「リア! みてみて! 街がおもちゃ箱をひっくり返したみたい!」
「すごい賑やかだね」

 セラと並んで窓から城下町を見下ろした。王都を着飾ることは年に数回なので、こういう街並みを見ると晴れやかな気持ちになる。
 空も青の絵の具で塗ったような快晴で、穏やかな風が吹いていた。
 あと半刻もすれば、ミステイル王国の船は到着するだろう。

「セラ。そろそろ謁見室に行こうか」
「うん。緊張するわ」
「僕も同じだよ」

 急ぎ足で僕たちは謁見室へ向かう。
 父上と僕は謁見室前、母上とセラは室内でお出迎えのため待機をする。しばらくするとミステイル王国の船が船着き場へ到着したと知 らせが入った。
 大々的にお出迎えをすることは初めてなので緊張してしまう。
 不意に隣にいる父上が肩に手を置いた。

「リア。緊張しているのか?」
「はい。前の交友会のことは幼くてあまり覚えていませんので……」
「要人が来る行事に出席させるのも、リアとセラが成長している証拠だ。失敗してもかまわないから経験を積みなさい」

 父上はセラと同じく白い歯を見せて太陽のような笑顔を向けた。僕も自然と口元がほころぶ。深呼吸をして心を落ち着かせていると、 大勢の足音が聞こえてきた。

 階段から自国の兵士に囲まれたミステイルの国王とガルツ王子が現れる。僕と父上は一礼をして母上たちが待っている謁見室へと通 す。
 遅れて僕と父上が入り、玉座の隣へと並ぶと母上はあいさつを始めた。セラを見ると緊張しているのか顔が強張っている。

「ルナーエ国第一王女、セラスフィーナ・ルナーエです。本日はお越しいただきありがとうございます」

 間違えずに言えた、という安堵感が表情に現れていて思わず笑ってしまいそうになる。
 あいさつを終えると、大人たちは意見交換会をするために会議室へと向かっていった。
 僕たちは夜会まで予定はない。
 クラルス、ルシオラと合流をして、お茶をしようと中庭までの回廊を歩く。
 緊張の糸が緩んだのか、セラは思いきり息を吐き出した。

「すごく緊張したわ。リア、私大丈夫だった?」
「うん。立派だったよ」
「セラ様。本番は夜会ですよ」
「わ、わかっているわよ! ルシオラ!」

 ルシオラに夜会のことを突かれて、セラの表情が引きつる。

「リア様。資料の最終確認をなさいますか?」
「そうだね。時間もあるからしようかな」
「じゃあお茶をしながら一緒に確認しましょう!」

 僕たちは資料を持ち合って、夜会までの時間を名簿の確認に費やした。



 日も暮れて、夜会が始まる。星永騎士とミステイル王国の兵士が壁沿いに並び、母上とセラは上段の椅子に座っていた。
 父上は母上の隣、僕はセラの隣に立ち、要人や貴族のあいさつに対応をする。
 セラは緊張の表情を見せないように自然な笑顔で対応をしていた。少し戸惑う素振りを見せたら、僕が話を繋げる。

 ふたりで協力をして、なんとかあいさつの嵐を抜けることができた。人の足も途絶え、僕たちは一息つく。

「リア、セラ。ごくろうさまでした。終わりまで自由にしていていいですよ」
「わかったわ」

 セラは短く息をついて、席を立った。
 夜会の会場は自国の貴族とミステイル王国の要人が入り乱れている。それぞれ意見を交換するために立食を楽しみながら談笑してい た。
 気は乗らないがセラを誘ってミステイルの国王とガルツ王子の元へ向かう。
 彼らは用意された東の上段の席に座って談笑をしていた。ガルツ王子は僕たちに気がつくと席を立つ。

「これはセラスフィーナ王女、ウィンクリア王子。わざわざ席までお越しくださって、ありがとうございます」
「こんばんは。先日はお世話になりました。またお会いできてうれしいです」
「夜会楽しんでくださいね」

 セラがほほ笑むと、ガルツ王子はあの笑顔をセラに向ける。貼りつけたような彼の笑顔を見ると不安に駆られた。
 社交的なあいさつを交わし、他愛もない話をしているとミステイルの国王は途中で離席する。
 向かった先は母上のところだった。

「ではガルツ王子。僕たちはこれで失礼します」
「えぇ。お互いよい夜会にしましょう」

 僕たちが離れると待っていたかのように貴族の女性たちはガルツ王子を囲む。
 まだ彼は独身だ。歳の近い女性は妃の座を狙うため、気を引こうと必死になっていた。

 僕とセラも、たまにどこの国の王女が王子がと貴族が薦めてくる。特に僕を有力国と取り結ぶ道具にしたいので、貴族が懸命に掛け 合っているらしい。
 有力国の王女も母上譲りの外見の僕をそばに置きたいらしく、たまに言い寄られる。
 国のことを考えると早く結婚したほうがいい。しかし、自分の存在意義は何なのだろうかと自問してしまう。
 このまま自分の意志で何もできなく、国の操り人形として生涯を終えるのだろうか。

「……リア。大丈夫?」
「えっ……」

 顔に出てしまっていたようだ。セラが心配そうな表情をして覗き込んでいた。

「大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだよ」

 これ以上心配をかけないように笑顔を見せる。
 セラは乗り気ではないが、これから貴族や要人たちに話をしにいかなければならない。
 夜会前、母上に自ら話しかけるように言われていた。セラは粗相をしないか不安がっている。

「セラ。僕が一緒にいるから大丈夫だよ」
「うん。リア、がんばろう!」

 セラとふたりで要人や貴族に話しかけて、政や街のこと、他愛もない話を積極的にした。
 年配貴族と会話をすると、相変わらず僕を軽んじる人が多い。気にせずいつもどおり笑顔で受け流し、適当に受け答えをする。

 ひととおり話し終えると、セラは露台のほうへ歩いていった。

セラのあとを追い、露台へ出る。室内の空気とは違い、ひんやりとして気持ちがいい。夜空を見上げると、満天の星と満月が僕たちを見 下ろしていた。

「セラ。お疲れ様、何か飲む?」
「ううん。大丈夫……」

 少しセラの機嫌が悪い。何か気に障ることがあったのだろうか。

「セラ? どうしたの?」

 問いかけると、セラは振り向いた。頬を膨らませて眉をつりあげている。

「リア、どうして笑っていられるの? さっきの貴族の人たちリアを……」

 どうやら僕が軽んじられることを言われたので怒っているようだ。いつものことなので気にしていない。

「気にしなくていいよセラ。いつものことだから」
「わからないよ。何で貴族はリアにいつも意地悪するの……」

 昔、ルナーエ国が絶対女王制だったころ。女王は自分の息子を、王位が継げない役立たずと(し いた)げていた。そ れが貴族や国民にまで浸透 してしまい、王子軽視は長年続いている。
 時がたつに連れて王子軽視は薄れていた。しかし、一部の者にはいまだ根強く残っている。

「それに父様のことも悪く言っているのを聞いたことあるわ」

 父上は元々ルナーエ国出身ではない貴族。母上と父上の婚姻は政略結婚ではなかったそうだ。
 そのため自分の息子を婿にできなかった貴族からは、よく思われていない。父上がどんなに偉業を成しても認めようとはしなかった。

「……私、決めたわ。母様以上の女王になる。貴族が文句を言えないくらい立派になって、体制を変えるわ」

 セラの瞳には決意の光が宿っていた。そんな彼女を心強く感じる。
 不意にセラは僕の手を引いて強く握った。

「……リア。私のそばにいてね。だって次期騎士団長でしょ?」
「……もちろん。セラを守るよ」

 菜の花色の瞳と視線が交わり、自然とほほ笑む。お互いずっと一緒にいられないことはわかっている。
 それでも僕たちは必ず破られる約束をした。

 ふと一階へ視線を落とすと、回廊に人影が見える。目を凝らすと母上とミステイルの国王だ。
 向かっている先は母上の書斎。なぜ二人は夜会を抜け出しているのだろう。心に引っかかりを覚える。
 セラと壁沿いにいるクラルスに適当な理由をつけて、母上たちのあとを追った。


 回廊は誰もおらず静まりかえっていた。自分の規則正しい足音だけが響いている。
 いつもなら見張りの騎士が必ずいるはずだ。母上が下げたのだろうか。
 書斎の前までたどり着く。扉前で番をする騎士もいなかった。室内から、かすかに話し声が聞こえてくる。
 扉まで近づいて、会話に耳を傾けた。

「アエスタス女王。我が国に太陽石を貸していただけないですかな」
「もうその話は済んでいるはずです」
「近隣国の動きが怪しくてね。抑止力のためにほんの数ヶ月でいいのですよ」
「国内でも原石(プリムス)は 不用意に動かせません。戦争の道具でもありません。ご理解ください」

 どうやらミステイルの国王は太陽石を貸してもらいたいそうだ。太陽石はルナーエ国の象徴。おいそれと他国に貸せるものではない。
 僕たち王族や高名な宝石師でさえ、不用意に宝石室へ近づくことを禁止されている。そのくらい原石(プ リムス)への管 理は厳しい。
 少しの沈黙のあと、ミステイル国王の声が聞こえてくる。

「まさか、原石(プリムス)を 恐れているのですか? 原石(プリムス)を 宿しているあなたが……」
「何を仰られましてもお貸しすることはできかねます」
「……そうですか。交友会の日に話すものではなかったですな。後ほどミステイルの礼節をもって改めてお話に参ります」

 扉のほうへ歩いてくる足音が聞こえてきた。急いでひと気のない回廊へ移動する。柱の陰から書斎前を見ると、ミステイルの国王が立 ち去る姿が見えた。
 呼吸を整えて柱へ寄りかかる。

 まさか太陽石の貸借の話があるとは知らなかった。そして最後のミステイル国王の言葉に不安な気持ちがわきあがる。

「ウィンクリア王子。こんなところで何をしているのですか?」

 突然声をかけられ、振り向くとガルツ王子が回廊の暗闇から現れる。思いもよらない人物の登場に言葉を詰まらせた。

「……夜風にあたっていただけです。そろそろ戻りますね」

 この場から離れたく適当なことをいいガルツ王子の横を抜ける。
 唐突に彼は僕の左手を掴んで壁に押しつけた。さらに逃がさないように右肩を掴まれる。
 赤紅色の瞳がまっすぐ見ていた。縫いつけられたように身体は動かない。

「……本当は何をしていたのですか?」

 答えずにいると、彼は手に力を入れた。ガルツ王子の指が肌に食い込み、痛みが走る。
 手を振り払おうとしたが、まったく抵抗することができなかった。
 彼は表情を変えずに見ており、恐怖を感じる。

「リア様!」

 聞きなれた声が回廊に響く。声の聞こえたほうを向くと、クラルスが慌てた様子で僕たちを見ていた。
 ガルツ王子がクラルスの存在に気がつくと、彼の手がゆっくり離れる。掴まれていた箇所がずきずき痛み、思わず顔が歪んだ。
 クラルスは足早に僕のそばへ歩いてきた。

「リア様。陛下がお呼びです」
「……今いく」

 僕たちはガルツ王子を残し、その場から離れた。
 クラルスが来てくれてほっとする。いまだに痛む右肩を手で抑えると彼は心配そうな表情を見せた。

「お怪我はありませんか?」
「大丈夫だよ。ありがとうクラルス。母上が呼んでいるんだよね?」

 クラルスは苦笑して眉をさげる。

「……リア様を連れ出す口実ですよ。城内でも外部の者が来ているときは、護衛をつけましょう」
「……そうだね。ごめんねクラルス」

 まさかあんなことになるとは思っていなかった。彼が来てくれなかったらどうなってしまったのだろうか。
 嫌な考えを振り払うように頭を左右に振った。

 夜会の会場へ戻ると、ちょうどお開きの流れになっている。セラは僕の姿を見ると、「どこへ行っていた」と頬を膨らませていた。

 母上の簡単なあいさつのあと、要人と貴族を見送る。
 ミステイルの国王とガルツ王子は母上、父上と談笑をしていた。
 不意にガルツ王子と目が合う。先ほどの気まずさがあり、反射的に目をそらした。
 彼は何事もなかったような振る舞いだ。

 僕たち家族はミステイルの国王とガルツ王子を船着き場までお見送りをする。

「セラスフィーナ王女、ウィンクリア王子。我が国に来たときは城下町をご案内しますね」
「……えぇ。そのときはお願いします」
「楽しみにしていますね」

 社交辞令な会話を交わしたあと彼らは船に乗り込み、母国へと帰っていった。
 長い夜会が終わり、胸をなでおろす。母上と父上は僕とセラにほほ笑んだ。

「リア、セラ。遅くまでご苦労だったな」
「王族としての務めを立派に果たしましたね。今日はゆっくり休みなさい」

 母上たちの言葉にセラは顔をほころばせている。僕もセラにならってふたりにほほ笑んだ。
 夜空を見上げると星々が競い合うように瞬いている。僕たちはきれいな星空を眺めながら自室へと戻った。

2020/12/27 Revision
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