プリムスの伝承歌

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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第2曲 邂逅の伝承歌


 窓のそばに立ち、外をなが める。遠くに見える大河は月明かりを反射していた。(とき)は もう真夜中だろう。
 母上とミステイル国王の話が気になり、寝つけなかった。
 いまだに寝間着へ着替えることなく、ただ静かな夜の風景をながめている。

 月石の宿っている左手の爪は、月の光で白藍(しらあい)色 になっていた。他の宝石は宿すと爪の色が赤や緑に変化す る。月石は昼間が無色透明で 月が出ているときのみ、薄く色が浮かびあがっていた。

 いくら寝つけなくても身体を休めなくてはいけない。寝台に腰を下ろし、着替えようと服の留め具に手をかける。
 ふと、遠くから騒がしい声が聞こえてきた。露店市場がまだ盛況しているのだろうか。
 不思議に思っていると自室の扉が勢いよく開かれた。
 クラルスが血相を変えて部屋へ飛び込んでくる。彼の表情を見て深刻な事態だということが伝わり、全身に緊張が走る。

「ど……どうしたのクラルス! 何かあった?」
「リア様! 起きていらしたのですね! 敵襲です! ミステイル王国の兵が城に攻めて来ています!」
「えっ! どうしてミステイル王国が!」
「とにかく陛下と騎士団長様に合流しましょう!」

 考える暇もなく、部屋に立てかけてある短剣と長剣を持ち、自室から飛び出した。
 城のいたるところから悲鳴や剣戟(けんげき)が 聞こえてくる。僕たちは急いで母上たちの寝室へ向かった。
 回廊を走っていると、曲がり角から剣をたずさえたミステイル王国兵が三人現れる。

「王子を見つけたぞ! 始末しろ!」

 クラルスは抜剣をして襲ってくる王国兵を斬り伏せる。あたりに血しぶきが飛び散り、彼の剣を赤く染めた。
 王国兵の叫び声と怒声が響き渡る。

「リア様! 下がっていてください!」
「クラルス……!」

 剣を抜き加勢しようとしたとき、後ろからの気配に気がついて振り返る。
 ひとりの王国兵が剣を振りあげ、襲いかかってきた。
 突然の出来事に頭では何も考えられず、本能で身体を突き動かす。

 長剣で相手の剣を弾き飛ばし、短剣を首めがけて振りおろした。
 短い叫び声のあとに、王国兵は首を押さえながら床へ転がる。倒れた王国兵の首からどくどくと血があふれ出していた。
 浅い呼吸を繰り返しながら、短剣についている血を見つめる。

 僕は――――人を殺してしまった。

「リア様! ご無事ですか!」

 クラルスは剣を収めて駆け寄ってくる。
 握っていた長剣が手から滑り落ち、乾いた音を立てた。襲ってきた王国兵はクラルスの手によってすでに息絶えている。

「クラルス……僕……人を殺めて……」

 初めて自らの手で人を殺めた。肉を切る感触、耳にこびりついた叫び声、流れ出る血。すべてが自分の手で引き起こされたものだと考 えると、吐き気がこみあげてくる。

 毎日、武術の鍛錬という名の人を殺す術を身につけていた。ただそれが今、実行されただけのことだと自分にいい聞かせる。

 戦争になれば剣を振るい人の命を奪わなければならないことは、わかっていた。それでも唐突に訪れた現実に思考がついていけない。

「やらなければやられます! 敵に情けをかけている場合ではないですよ!」

 クラルスは動揺している僕に毅然(きぜん)と した態度で言い聞かせた。
 彼の肩越しに殺めた王国兵が見える。
 首からあふれた血の海に浸り、光を失った目は夜空を見ていた。その姿を目にしてあとずさる。
 死というものを間近で感じて気が狂いそうだった。

「……あぁ……っ……!」
「リア様! しっかりしてください!」

 クラルスに両肩を掴まれて、彼の白銀(はくぎん)色 の瞳と目が合う。

「……クラルス……」
「リア様。もし剣を振るわなければ、あそこで倒れているのはリア様だったかもしれません。相手は私たちを殺すことはいとわないで しょう。リア様も少なからず次期騎士団長として、人に剣を振るうお覚悟はあったはずです」

 クラルスの言葉に目を伏せる。
 ルナーエ国は平穏そのもので、何年も戦争とは無縁な国。僕が戦場に出て人を殺めるのは、ずっと先のことだと思っていた。

 騒がしい足音が聞こえると王国兵が五人現れ、僕とクラルスを囲んだ。彼は剣を構え、僕を庇うように壁へ追いやる。

「ミステイル王国のために死んでもらう!」

 僕も戦わなければふたりとも殺されてしまう。頭ではわかっているが身体が石のように硬直して動かない。
 王国兵がじりじりと距離を詰めてくる。

 そのとき、夜気を割く音が聞こえた。少し遅れてひとりの王国兵が突然倒れる。後頭部には一矢が突き刺さっていた。

 王国兵が動揺している間にも、矢が次々と襲いかかる。クラルスはその隙をついて、王国兵へ斬りかかった。
 すべての王国兵が床に伏したあと、暗闇からひとつの足音が聞こえてくる。

「殿下! ご無事ですか!」
「ろ……ロゼ! 無事だったんだね!」

 彼女の檸檬(れもん)色 の髪は乱れ、外衣には血がついている。ロゼが怪我をしている様子はないので返り血だろう。
 先ほどの矢は彼女のものだった。弓の名手であるロゼが放った矢は、寸分の狂いもなく王国兵の急所に刺さっている。

「ロゼ様。加勢感謝いたします」
「クラルス。殿下をよく守りましたね。急いで陛下たちと合流して指示を仰ぎましょう」
「陛下たちの居場所をご存じで?」
「先ほど王国兵が謁見室にいると騒いでいました。騎士団長様もご一緒でしょう」

 母上と父上は謁見室にいるようだ。セラは無事なのだろうか。

「ロゼ! セラは!」
「王女様の元にはクルグ殿が向かいました。きっと王女様を無事、お連れします」

 彼女は安心させるように力強い言葉をくれた。それでもセラに会うまでは不安だ。焦る気持ちを抱きながら、謁見室を目指す。

 回廊を走っていると先導していたロゼが止まり、僕たちを柱の陰へ誘導する。
 二階へと繋がる階段の前には王国兵が十人ほどうろついていた。彼らに見つからず通り抜けるのは難しいだろう。
 三人で挑めば勝てるかもしれない。しかし、先ほど自身が殺めた王国兵が脳裏をよぎる。
 震える手を押さえながら、腰に下げている短剣の(つか)を 握った。
 覚悟を決めなければいけない。

「クラルス。私が王国兵を引きつけるので殿下と一緒に謁見室へ行きなさい」
「ロゼ様……! それでは……!」
「あえて言いますけど、どんなことがあっても殿下のそばを離れてはいけませんよ。あなたは専属護衛なのですから。……意味はわかり ますね」

 ふだんの彼女から想像もつかないような真面目な顔、そして騎士の顔をしている。
 ロゼはクラルスの目をまっすぐ見つめて語りかけた。彼は一度目を伏せてからロゼへ言葉を紡いだ。

「はい……。ロゼ様、ご武運を……」

 ロゼが何をしようとしているのか、すぐにわかった。彼女は囮になり安全に僕たちを謁見室へ向かわせようとしている。ひとりで十人 を相手にするのは無謀だ。
 彼女が飛び出そうとしたので、ロゼの外衣を強く掴んだ。

「で……殿下!?」
「だめ! だめだよロゼ! 僕も戦うから三人でいこう!」

 彼女はほほ笑むと、外衣を掴んでいる僕の手を優しく握った。

「殿下……。ご心配無用です。私は星永(せいえい)騎 士ですよ」

 首を横に振る。ロゼを囮にしたくない。たとえ自分が傷つこうとも彼女を犠牲にしたくない。

「だめだよ……ロゼ。お願い……いかないで」

 必死に訴えると、ロゼはひざまついてまっすぐ見つめた。

「殿下。私たち星永騎士の役目は王家の方々を守ることです。私の役目を果たさせてください」
「ロゼ……」

 彼女は優しい笑顔を向ける。

「殿下、またお会いしましょう。殿下に女神アイテイル様のご加護がありますように……」

 ロゼはゆっくりと手を離した。彼女の瞳には覚悟の光が宿っている。

「……殿下。私を気づかってくれて、ありがとうございます。殿下の優しさは忘れません」

 彼女は弓をたずさえて、王国兵の前に走っていく。

「……ロゼ!」

 彼女を引き留めようとしたがクラルスに阻まれて、彼に引き寄せられる。

「リア様……! いけません!」
「クラルス離して! ロゼが……! ロゼが!」
「私もロゼ様を止められるのでしたら止めています! リア様、どうか……ロゼ様の行動を無下にしないでください」

 クラルスは僕を強く抱きしめた。大勢の乱れた足音と怒声が回廊に響く。

「まだ生き残りがいるぞ! 追え!」

 次第に足音は遠くなり、静寂が訪れる。彼はゆっくり腕を解くと僕を見つめた。

「リア様。……謁見室へ参りましょう」

 唇を噛み締めて、階段へと向かう。ロゼの無事を心の中で祈りながら、謁見室へ足を動かした。

「クラルス。皆、無事だよね」
「えぇ。リア様。早く陛下と騎士団長様の元へ参りましょう」

 僕たちは階段を駆けあがり、二階の廊下へと足を踏み入れた。そこにはたくさんの遺体が転がっており、戦場のような光景。むせ返る ような血の臭いが充満していて、思わず手の甲で鼻をおおった。

「酷い……」
「これは……異常です……。とにかく急ぎましょう」

 ミステイル王国の目的は何なのだろうか。

 騎士たちの遺体を避けながら廊下を走ると、ようやく謁見室が見えてくる。
 扉は開いており、かすかに話し声が聞こえた。
 僕たちが飛び込むとそこには信じ難い光景が広がっていた。

 ミステイル王国兵に囲まれている父上と星永騎士数名。皆、血まみれになっている。
 母上は星永騎士たちに守られていた。

「は……母上! 父上!」

 声を上げると、ミステイルの兵士たちが振り返る。それと同時に父上と星永騎士が王国兵に斬りかかり、乱闘になった。
 僕たちに襲ってきた王国兵はクラルスが応戦をして、息の根を止めていく。
 ミステイルの兵士が皆、床に倒れたところを見計らい、母上と父上の元へ駆け寄った。

「父上、母上! 無事でよかった……」
「リア! どうしてここへ! 伝令と会わなかったのか?」
「う……うん。会ってないよ」

 どうやら父上は伝令の者を送ったようだ。ここへ来るまでに会わなかったので、すれ違いをしてしまったのか王国兵に手をかけられた かもしれない。

「急いで城から脱出するんだ。セラにも伝令を送った」
「えっ……!? どこへいけば……」
「一番近い街でかまわない。不安なら少し遠いが原石神殿へ行くといい」

 城から逃げろということは異常事態だ。在住している騎士たちだけではどうにもできないのだろう。

「父上と母上はどうするの!?」

 母上は強い口調で答えた。

「私たちはこの国の女王と騎士団長。騎士や民を置いて逃げるわけにはいきません」
「で……でも……」

 僕の言葉をさえぎるように父上はクラルスへ言葉を投げかける。

「クラルス。ここまで息子をよく守ってくれた。そして命令だ。今すぐリアを連れて逃げろ」
「騎士団長様っ……」

 そのとき、乱れた足音が謁見室へ近づいてきた。暗闇から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「ちょうどいい。手間が省けました」

 謁見室に兵士を連れてやってきたのは、ミステイル王国の第二王子ガルツ。
 彼が城を襲った首謀者に間違いないだろう。父上と星永騎士は僕と母上を守るように前に出た。

「アエスタス女王陛下。太陽石と月石を渡してください。素直に渡せば命だけは取らないであげましょう」
「夜襲を仕掛けていまさら私たちの命の保証をするなど虫のいい話です」

 母上の言葉にガルツは含み笑いをしている。

「……素直に渡されてもつまらないところでしたよ。では、大切なご子息とご息女の命の保証を提案すれば考えは変わりますか?」

 彼の狙いは太陽石と月石のようだ。まさか同盟国が宝石を奪いに襲ってくるとは思っていなかった。
 城を襲い、戦争の発端になりかねない状況を作ってまで、ガルツは宝石を奪おうとしている。
 母上は無言で彼をにらみつけていた。ガルツは僕たちとの距離を少し縮める。

「あなたたち王族は国内にいる反乱分子の夜襲に遭い命を落とします。騒ぎを聞きつけたミステイル王国軍が駆けつけて掃討しますが時 すでに遅し。管理下を失ったふたつの原石(プリムス)は ミステイル王国が管理する。という俺が作り上げた物語の駒に今から なってもらいます」

 ガルツは初めから取引をするつもりはなかった。彼は言葉を続ける。

「自らの命を差し出して、民が傷つかずに済むのでしたら王族として本望でしょう。ご安心ください。ルナーエの国民はミステイル王国 が統治します」

 張りつめた空気で喉が押し潰されそうだ。不意に母上が左手を握った。

「リア。お願いです。どんなに辛くても生きてください。可能性を捨てないで。よき母親ではなかったですが、あなたのことは愛してい ました」
「……母上」

 母上は目に慈愛と悲しみの色を浮かべながらほほ笑む。

 今、ガルツに月石を宿していると告げれば母上たちの命を守れるかもしれない。
 僕一人の命で皆が助かるのなら、月石とともに命を捧げてもかまわない。
 しかし、やすやすと宝石を渡していいのだろうか。母上や歴代の女王が血を流して守ってきた思いを無下にしてしまう。

 逃げるべきなのか、ガルツに捕まるべきなのか。考えあぐねいているとガルツが声をあげる。

「女王陛下。何か悪あがきでもするつもりですか?」

 母上は星永騎士へ目配せをした。母上に声をかけようとしたとき、クラルスが手を強く握る。
 彼は父上の(めい)ど おり逃げるつもりだ。言葉が出ない変わりに左右に首を振った。母上と父上、皆を置いて逃 げたくはない。

「ミステイル王国に宝石は渡しません!」
「その選択を後悔するといいでしょう」

 不敵に笑うガルツが右手を掲げる。それと同時にクラルスは僕の手を引いて、勢いよく走り出した。
 向かっている先は謁見室に隣接されている露台。

 少し遅れて無数の弓矢が僕たちを襲った。星永騎士たちは身を挺して僕とクラルスを守り、散っていく。

 振り返ると父上は母上を守るように全身で矢の雨を受けた。倒れた父上に母上が寄り添った瞬間、一矢が母上の胸をつらぬく。
 大切な人が失われる。深い絶望が全身を駆け巡った。

「母上っ! 父上っ!」

 今すぐふたりの元へ駆け寄りたい。しかし、クラルスはそうさせないように僕の手を強く引いた。
 「王子を追え」とガルツの声が聞こえる。
 露台まで出るが、剣をたずさえた王国兵に囲まれた。

「リア様! しっかり掴まっていてください!」

 クラルスに抱き寄せられると身体が宙を舞う。僕は涙とともに暗闇へと落ちていった。

 勢いよく木の枝を折る音と衝撃が全身に走る。クラルスは僕を抱えて露台から地上へ飛び降りた。幸い彼に守られて無傷だ。
 クラルスは起き上がると急いで僕を起こし、手を引いて走り出す。
 露台からは僕たちが逃げたと騒ぎになっている。追いかけてくるのも時間の問題だろう。

「リア様。近場の森へ逃げましょう。夜でしたらむやみにミステイルの兵も捜索はしないはずです」

 頭では何も考えられず、彼に返事をできなかった。ただクラルスに手を引かれ、足を動かす。
 冷たい夜風が肌に刺さった。振り返ると自分が過ごしてきた城が遠のいていく。うつろな心で流れる風景を見ていた。

 しばらく走ると森が見え、僕たちは姿を隠すように逃げ入る。おくへおくへと進み、木々の間から外が見えなくなった。
 僕とクラルスは地面へと座り込み、荒い息を整える。

「リア様。原石神殿へ参りましょう。神殿内では争いごとが禁止されています。ミステイルの兵も追って来られません。包囲網ができる 前に向かいましょう」

 立ちあがろうとした彼は顔を歪め、大量の汗をかいていた。ふらついているクラルスに駆け寄ると左足を庇っている。

「クラルス!? 怪我をしたの!?」

 無理やり彼を座らせて左の靴を脱がすと、足首が異常なほど腫れあがっていた。露台から落ちたときに怪我をしたのだろう。
 足を冷やさなければと思い、川か泉が近くにないか辺りを見回す。しかし、深い森の中には鬱蒼(うっ そう)と生い茂っ ている木々と雑草しかな かった。

「肩を貸すから一緒に……」

 手を伸ばすとクラルスに優しく握られた。顔を歪めながら見つめている。

「……リア様。この森を東へ向かえば原石神殿に着きます。私はあとからいきますので、先に向かってください」
「だめだよ! クラルスを置いていけない! 一緒にいこう」

 彼は首を横に振った。言い聞かせるように真剣な眼差しを向ける。

「今の私はただの足手まといです。必ず追いつきますから、リア様は早く安全な場所へ身を隠してください」

 怪我をしているクラルスを見捨てられない。父上と母上を見捨て、ロゼを見捨て、クラルスまで見捨てなければいけないのか。
 彼の手を握り返す。

「……嫌だよ」
「リア様……。お願いします」
「僕を……一人にしないで……」

 胸が張り裂けそうだ。独りだと気がふれてしまうかもしれない。あふれそうな涙をこらえていると、彼の人差し指が目尻に触れて涙を すくい取る。

「少しの間、離れるだけです。ここでリア様が捕まってしまいましたら、陛下と騎士団長様に顔向けできません」
「……僕は……君を見捨てることなんて、できないよ」

 懇願するようにクラルスの手を両手で握る。不意に月石の刻印が目に入った。月石は治癒魔法が使えると書庫で見た冊子に書かれてい た。

 それが真実なら――――。

 魔法を使ったことはないので、どうすればいいのかわからない。それでも今は、目の前にいる彼を助けたい。

 クラルスの怪我をしている箇所へ左手をかざす。彼は怪訝(けげん)な 表情で僕の行動を見守っている。
 左手に集中をして、クラルスの怪我を治してほしいと心の中で懇願した。

 しばらくすると、左手が優しい暖かさに包まれる。てのひらから淡い青色の光が粒子となり彼の足へこぼれ落ちた。

「これは……魔法? それにその刻印は……」

 薄く浮かびあがる月石の刻印をクラルスは見つめていた。淡い光が止み、彼の足を見ると腫れがひいていた。どうやら魔法が使えたよ うだ。
 クラルスは何か言いたそうな表情をしている。
 彼はもう気がついていると思う。僕が月石を宿していることを。

「……足、大丈夫?」
「えぇ。リア様のおかげで……」

 クラルスは足を動かして痛みがないことを確認した。彼は靴を履き立ちあがる。その場で月石のことは問われなかった。気になってい るとは思うが今は逃げることが先決だ。
 クラルスを助けられたことに安堵したが、まだ身の安全が確保されたわけではない。
 僕たちは原石神殿のある東へと歩き出した。

 森を抜けて、ようやく原石神殿へ辿り着く。東の空はすでに青みがかっている。
 念のため神殿の裏から敷地内に足を踏み入れた。相変わらずひと気がなく、しんと静まりかえっている。
 まだミステイルの兵士はここには来ていないようだ。

 原石神殿には旅人や冒険者のために、小さな宿泊施設が併設されている。そこへ足を運び、入り口の扉を開く。
 明け方だが受付には姿勢を崩して読書をしている女性が座っていた。
 彼女は僕たちを見ると読んでいた(ページ)に しおりをはさみ、姿勢を正す。

「ようこそ。……わけありかしら?」

 僕たちの顔を見て女性は眉にしわを寄せている。身なりがどう見ても旅人や冒険者ではないので、彼女はそう投げかけたのだろう。

「すみません。一晩でもいいので宿泊できますか?」
「ここは罪人、凶悪犯でも受け入れ可能な施設です。ただし三日間のみとなっております」

 原石神殿では争いごとが禁止されている。ミステイルの兵士も例外ではないのでむやみに僕へ危害を加えられないだろう。三日間だけ だが、安全が確保されているだけありがたい。

 手際よく女性は施設内の規則を説明すると、宿帳を差し出した。出身国と氏名を記入しないと泊められないそうだ。
 クラルスが記入したあとに名前を書き始めると彼女は目を見開いた。

「……ルナーエ国の王子……殿下? どうされたのです? ……というのは規則なので聞けませんね。お部屋へご案内します」

 女性は理由を聞かずに一番奥の部屋へ案内をしてくれた。
 他の部屋に誰も宿泊していないのか人の気配がしない。
 彼女は会釈をして受付へと戻っていった。室内には小さな机と椅子、清潔感のある二台の寝台が置いてある。
 近場の寝台へ腰を下ろし、ひと息つく。クラルスは周りにひと気がないかを確認して扉を閉めた。

「さすがに神殿内までは追って来られないでしょう」

 張りつめていた気が緩んだのか涙が頬を伝う。袖で拭っても次から次へとあふれ出し、止めることができなかった。
 安堵、悔しさ、悲しさ、さまざまな感情が混ざり合い涙となって流れる。

「……リア様」

 クラルスの前でかまわず涙を流し続けた。
 城の出来事がよみがえる。あのとき、もし治癒魔法が使えていたのなら母上と父上を助けられたかもしれない。
 素直にガルツへ月石を渡していれば、母上と父上は死なずに済んだかもしれない。
 後悔だけが残り、今となってはどうすることもできない過去になってしまった。

「何で僕が生きているの……。僕はこの国に必要ないのに、生きている意味なんてなかったのに……どうして……」

 今まで思っていても家族が悲しむからと口にはしなかったことを吐き出す。
 生まれてから僕に価値も意味もなかった。いらない王子と言われ、(さ げす)まれ、軽んじられていても、母上と父 上が居場所を与えてくれ た。だから前を向いていられた。
 大きな手で頭をなでてくれた父上。優しく抱きしめてくれた母上。ふたりの笑顔が浮かんで消えていく。

 今の僕に生きている意味はあるのだろうか。
 クラルスは静かに隣へ座ると、何も言わずに僕を優しく抱きしめる。彼の胸にしがみついて涙が枯れるまで泣き続けた。



 窓から差し込む太陽の光で目が覚める。泣き疲れて、いつのまにか眠ってしまったようだ。隣の寝台を見ると、クラルスから規則正し い寝息が聞こえてくる。
 太陽の位置から推測すると、もう昼過ぎだろう。彼を起こさないように、部屋をあとにした。

 廊下に出てすぐの壁に施設の案内板が掲げてある。風呂や小さな食堂があるようだ。
 昨日、森の中を散々走り回ったので汗でべたついており、不快だった。
 受付の女性へ断りを入れて、風呂へ足を運ぶ。

 脱衣所に入ると、誰もおらず貸し切りだ。服を脱いで湯船へ向かう。
 湯船のお湯に浮かぶ自分の顔を見て苦笑する。
 赤子のように泣き散らしたので、目の周りが腫れていた。

「……酷い顔だね」

 身体にお湯をかけると、ぴりぴりとした痛みが走る。葉や枝で切った小さな傷が腕や足に刻まれていた。
 そして昨日の出来事は現実であるということを思い知らされる。

 昨晩、姿を確認できなかったセラはどこにいるのだろうか。無事に城を脱出していれば、近隣の街にかくまってもらっているはずだ。

 きっとセラは僕のことを探している。いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。
 頭からお湯をかぶる。無理やり負の感情を振り払うように頭を左右に振った。

 セラを探すために、まず情報を集めなければ。セラがどこかの街にいるのなら、城の出来事が騒ぎになっているはずだ。
 あとでクラルスに相談してみよう。

 風呂から出て長い髪を乱暴に拭き、解いたまま脱衣所を出る。
 クラルスが起きる前に部屋へ戻らないと心配をかけてしまう。

 足早に部屋へ戻ろうとしたとき、神殿の入り口のほうが騒がしい。何かあったのだろうか。
 柱の陰からのぞくと、数名のミステイル王国兵が神官と話をしていた。
 会話を聞き取ろうとしたが、距離があったため話の内容はわからない。

 僕を探しに来たのだろうか。全身に緊張が走る。王国兵は神官へ紙を一枚渡すと、去っていった。
 施設内には入ってこないようで安堵の息をもらす。神官がこちらに歩いてくるので訪ねてみた。

「あの……さっきの兵の人は?」
「ルナーエ国の王都で謀反があったそうです。指名手配書を渡されました」

 朝になり、貴族の誰かが城の異変に気がついて動きでもあったのだろうか。
 しかし、神官の言葉に違和感を覚える。
 彼は王国兵から渡された紙を見せてくれた。

 アエスタス女王陛下、ウェル騎士団長殺害。首謀者、第一王子ウィンクリア・ルナーエ。共謀者、星永騎士クラルス。見つけ次第、速 やかに報告。可能なら捕縛すること。

 信じ難い内容に愕然(がくぜん)と する。こんなことを流布する人物はひとりだ。ガルツは逃げた僕とクラルスを両親殺 しとして濡れ衣を着せた。
 深い絶望という闇の中に突き落とされる感覚。力が抜け、その場に座り込んだ。
 神官が心配をして声をかけてくれたが耳に入らなかった。


 ふらふらとした足取りで部屋までの廊下を歩く。突然クラルスが勢いよく部屋から飛び出してきた。
 彼の慌てた様子に思わず目を丸くする。クラルスと視線が交わると安堵の表情を浮かばせた。

「リア様。どちらにいかれたかと……」
「ご……ごめん。お風呂にいっていたんだ。クラルスもいってきたら?」

 彼は自身の身なりを見て少し考えたあと、風呂へと向かっていった。
 部屋に戻り、寝台へ腰を下ろす。
 先ほどの書面にセラの名前がなかったことが救いだった。セラが生きていることがわかった今、ガルツより先にセラを見つけないと。
 しかし、彼女がどこにいるのかまったく見当がつかなかった。
 そんなことを考えていると半袖姿のクラルスが部屋に戻ってくる。

「早かったね」
「ゆっくり入っていられませんから」

 クラルスは苦笑して、扉を静かに閉める。
 彼は充分に髪を拭いていなかったのか、暗緑(あんりょく)色 の髪から雫が落ちた。クラルスは置かれている椅子へ座り小 さくため息をつく。

「……クラルス。昨日は取り乱してごめんね」
「お気になさらないでください。リア様の心中お察しします」

 クラルスは安心させるようにほほ笑んでくれた。彼は僕の左手に視線を落とし言葉を紡ぐ。

「リア様。いつから月石を宿しておられたのですか?」

 クラルスはやはり気がついていた。素直に母上から教えてもらったことを話す。
 彼も怪我の(あと)と 教えられていたので、疑いもしなかったそうだ。

「黙っていてごめん。君のことを信頼していないからとかじゃないんだ」
「えぇ。承知しておりますよ」
「それで、さっき知ったことなんだけど……」

 ガルツが僕たちに両親殺しの濡れ衣を着せていることを伝える。
 クラルスの表情は強張り、唇を噛み締めていた。

「彼らは宝石を奪取するために城を襲いました。いずれリア様に月石が宿っていることは悟られてしまうかもしれません」
「うん。母上が宿していないことはもう露見したと思うから……」

 それからセラについてクラルスへ相談する。彼もセラとルシオラは生きている可能性が高いと考えていた。

「セラ様はルシオラとともに、どこかの街へ身を隠していらっしゃるかもしれませんね」
「僕もそう信じているよ」
「ここから一番近い街はセノパーズです。半日歩けば着けるかと思います。そこで情報収集しましょう」

 原石神殿の南にはセノパーズという街がある。そこでセラの手がかりを見つけることができるだろうか。
 まだ滞在できる期間はあるが、明け方にここを発つことにした。



 僕たちは神殿の敷地にミス テイルの兵士がいないことを確認して施設内を歩く。
 外も薄暗くなっているので、遠くからでは僕たちのことを目視できないだろう。
 部屋でじっとしていると嫌でも城の出来事を思い出してしまう。少しでも気を紛らわせたかった。

 施設の端には長い回廊があり、神殿のほうへ繋がっているようだ。
 受付の女性に尋ねると神殿内は自由に歩いていいらしい。

 神殿内へ入ると、ひと気がなく静まりかえっている。白を基調とした外壁に大理石の床。ここが神聖な場所なのだということが伝わっ てくる。
 回廊には僕とクラルスの足音だけが響いていた。

原石(プリムス)が安置 されている場所なのに警備の人はいないんだね」
「えぇ。宝石室には結界が張られているのですよ。そして邪な心を持った者が近づくと原石(プ リムス)の怒りに触れるという伝承があります」

 その言葉を紡いだクラルスは憂いの表情を浮かべていた。
 原石(プリムス)の意志 で宿主は選ばれると言い伝えがある。宝石に意思があるということが不思議だった。
 しばらく歩いているとクラルスが言葉を紡ぐ。

「……リア様。暦上ダイヤモンドの原石(プリムス)は 流星の日かもしれません」
「本当? 本で読んだことあるけど、どういうものなのかな?」
「私も今回拝見することが初めてです」

 流星の日は原石(プリムス)原 石欠片(オプティア)欠 片(フラグメント)を生み出す期間。原 石(プリムス)によって流星の日の周期はさま ざま。長いものだと 五十年に一度の宝石もあ る。

原石欠片(オプティア)の 生み出される確率は千分の一と言われております。実際お目にかかれたら幸運ですね」

 原石(プリムス)から生 み出されるという光景はどういうものなのだろうか。まったく想像がつかない。
 最奥の部屋まで行くと扉が開かれていた。中を覗き込むと、部屋の中央にこぶし大くらいのダイヤモンドが宙に浮いている。
 どういう原理で浮いているのだろうか。とても不思議な光景。
 床にはさまざまな大きさのダイヤモンドが散りばめられていた。

「ダイヤモンドがたくさん……」
原石(プリムス)から生 み出されたものですね」

 金属同士が当たるような音がする。原石(プリムス)か ら小さなダイヤモンドが生まれ床に落ちた。
 神秘的な光景に目を奪われる。
 突然、左手がぴりぴりと痛み出した。見てみると、爪が白藍色の淡い光を放っている。月石が反応しているのだろうか。

「ここに導かれたのですね」

 透き通った声に惹かれ、振り返ると神聖な服装の女性が立っている。
 彼女はまったく足音も気配もなく僕たちの後ろに現れた。クラルスは驚いた様子で女性を見ている。

 彼女は僕の前まで歩いてくると、月石が宿っている左手を両手で包み込んだ。

「数奇な運命の中にいますね。乗り越えられるかはあなた次第です。気持ちを強く持ちなさい」
「あの……あなたは?」
「ここで斎主をしている者です。おふたりの名前を伺ってよろしいですか?」

 僕たちは顔を見合わせたあと、それぞれの名前を口にする。

「ウィンクリア・ルナーエです」
「クラルスです」

 斎主様は僕たちの名前を聞くと小さく頷いた。

「そうですか。あなたたちが……」

 彼女は自分のなかで何か納得したようにつぶやく。斎主様はひとつの小部屋へ僕たちを案内した。
 部屋の中心に小さな机と、対面に置かれているふたつの椅子があるだけの部屋だ。彼女は奥の部屋へと消えていく。

「……何かあるのかな?」
「そうですね。斎主様から直々ですから……」

 しばらくすると斎主様は箱と一冊の本を持って姿を現す。
 クラルスに椅子へ座るようにうながすと、彼女は持っていたふたつのものを机の上に置いた。
 箱の中をのぞくときれいなダイヤモンドが納められている。斎主様は椅子へ腰を落とすと、まっすぐクラルスを見つめた。

「クラルス。あなたにこちらの原石欠片(オプティア)を 宿したいのです」
「それは……斎主様の判断ですか?」
「いえ……。原石(プリムス)の 教えです」
「……皮肉なものですね」

 彼の表情をうかがうと、あまりよく思っていなさそうだ。
 希少価値の高い原石欠片(オプティア)を 無償で宿すというので警戒しているのかもしれない。
 箱に納められているダイヤモンドは角灯の光をきらきらと反射している。高品質のダイヤモンドだということは僕でもわかった。

原石(プリムス)が天運 を紡ぎし者の守護者として、クラルス……。あなたを選びました」
「その天運を紡ぎし者とは一体……」

 クラルスの質問へ答えるように斎主様は僕を見つめた。神秘的な澄んだ瞳に見つめられて息が詰まる。
 彼女ははっきり言葉で示そうとはしない。彼も斎主様の視線が僕へ注がれていることに気がついたようだ。クラルスは彼女が何が言い たいのか悟った様子。

「しかし……。宝石を宿すことと何の因果がおありなのですか?」
「私は原石(プリムス)の 教えを伝えるだけです。ただ、教えにより宝石を宿すことは力を授かること。その対価としてあなたは過酷な運命を背負う こととなるでしょう」

 彼女の言葉にクラルスは押し黙る。”原石(プリムス)の 教え”とは神託みたいなものなのだろうか。
 そして僕のせいで彼が傷つくかもしれない。斎主様の言葉をそう解釈した。

「……クラルス……。僕……!」
「斎主様。宝石をお願いします」

 僕の言葉をさえぎるように彼は言葉を紡いだ。

「クラルス! どうして……!」

 クラルスの顔を見やると決意の眼差しで斎主様を見つめていた。彼の表情を見て、これ以上かける言葉が見つからない。
 斎主様は目を伏せて語りかけた。

「ウィンクリア。あなたは天運の道へ進むことに選択の余地はありません。しかし、クラルスには選択肢があり、己の意思で選びまし た。尊重してあげなさい」
「……はい」

 斎主様の言葉に弱々しく返事をするしかなかった。
 クラルスに視線を送ると、僕を安心させるかのように柔らかい笑みをくれる。

「クラルス。左手をこちらへ……」

 彼は左手をゆっくり差し出すと、手の甲にダイヤモンドが置かれる。
 斎主様が手をかざすと溶け込むようにクラルスの体内へ入っていった。
 それと同時に彼の中指の爪に刻印が現れ、爪の色が淡い白銀色へと変化する。
 幻想的な光景で思わず息をのんだ。

 これで彼はダイヤモンドが司る属性の魔法が使えるようになる。

「ダイヤモンドは付与(エンチャント)の 魔法に長けています。刃を強靭(きょうじん)に し、物の結晶化ができます。魔法に関しての書物が ありますので、のちほどご覧なさい」
「宝石を宿すことは初めてなのですが、私に使いこなせるのでしょうか?」
「血と同じように魔力も体内に流れています。感じ取り、思いにするのです」

 斎主様は立ちあがると僕たちを見つめた。

「遙か昔から宝石には司る言葉があります。ダイヤモンドは永遠の絆。そして月石は……未来への希望です。宿しているあなたたちに宝 石の加護がありますように」
「斎主様! 天運を紡ぎし者とは何なのですか! 教えてください!」

 彼女は何も語らなかった。僕たちを小部屋に残し、奥の部屋へと去っていく。

「不思議な……お方でしたね」
「うん……。でもクラルス本当に宝石を宿してよかったの? 君のことが心配だよ」
「ご心配無用です。これは私の意思ですので、リア様がお気になさることはありません」

 クラルスは机の上に残された本を手に取り開く。彼の横からのぞくと、ダイヤモンドの魔法のことが記載されている。
 僕たちは本を部屋に持ち帰り、読むことにした。

「セラの手がかりを早く探したいけど、今夜はまだ出発しないほうがいいよね。クラルスがあるていど魔法を使えるようになったほうが いいと思うんだ」
「そうですね。敵兵と遭いましたら、二人で切り抜けなければいけません。なるべく早く会得します」

 僕も魔法に関して知恵をつけなければと思い、クラルスと一緒に本を読む。
 斎主様が話していた付与(エンチャント)に ついてのこと、物質を結晶化させる魔法のことが書かれていた。応用なものが多 く、基本的な魔法の発動の仕方などは書かれていないようだ。
 書物に図はほとんどない。文字ばかりなので睡魔に襲われる。うとうとしているとクラルスのくすりと笑う声が聞こえた。

「リア様。ご無理なさらないでください」
「う……うん。先に寝るよ」
「えぇ。おやすみなさいませ」

 まどろむなか、斎主様の言葉が頭に浮かぶ。
 天運を紡ぎし者。
 僕は大きな運命の渦のなかに閉じ込められているのだろうか。


 冷たい風が室内に入り込み目を覚ます。外を見ると霧がかかっており、肌寒さを感じる。
 隣の寝台を見るとクラルスの姿が見当たらない。どこへいってしまったのだろう。
 彼を探しに部屋から出る。受付まで歩いていくと、僕たちが訪ねてきたときと同じ女性がまた本を読んでいた。
 彼女は僕の視線に気がついてほほ笑む。

「おはようございます。お早いですね王子殿下。よく眠れましたか?」
「はい。おかげさまで。あの……」

 そこまで言うと女性は神殿へ繋がる扉に視線を移す。

「お連れの方でしたら神殿のほうへ向かわれましたよ」
「ありがとうございます」

 彼女に会釈をして、神殿へ繋がる回廊へ出る。建物の裏手にクラルスを見つけた。
 彼は一枚の葉を持って目を瞑っている。何をしているのだろうと声をかけずに見守った。
 クラルスの持っていた葉が持ち手部分から結晶化する。ダイヤモンドの魔法だ。
 思わず彼へ足早に駆け寄った。

「おはよう、クラルス。もう魔法が使えるの?」
「リア様、おはようございます。何度か試してようやくですよ」

 クラルスの足下には結晶化した葉が何枚も落ちていた。
 結晶化した葉を触らせてもらう。少しひんやりとした感触があり、まるで葉が氷に閉じ込められているようだ。
 これがダイヤモンドの付与魔法。

「きれいな魔法だね」
「まだ基本のものしかできません。応用するには時間がかかりそうです」

 クラルスはまだ魔法の練習をするそうだ。少し離れたところへ座り、彼の魔法をながめる。
 不意に自分の左手の刻印が目に入った。誰かに刻印を見られて僕に月石が宿っていることが露見しないだろうか。

「クラルス。刻印を隠すように手袋をしたほうがいいかな?」
「……いえ。そのままでいいと思います。幸い月石は爪の色が変化せず、あまり目立ちません。それにリア様はふだん手袋をしていませ んから、逆に怪しまれてしまいます」

 彼も爪の色があまり目立たない淡い白銀色なので、隠したりしないそうだ。

「おっ! やっと見つけたぜ!」

 突然の男性の声に思わず立ちあがる。振り返ると、乱れた赤褐(せっ かっ)色の髪に、栗色の瞳の男性がこちらに近づい てきていた。
 反射的に僕とクラルスは剣に手をかける。

「何者です!」
「おっと! ウィンクリア王子と護衛のクラルスだろう? 別に捕まえに来たわけじゃない。話したいことがある」

 男性は敵意がないことを示すように両手を挙げている。クラルスは僕を庇うように前に出た。彼は今にも剣を抜こうとしている。

「何用ですか」
「おいおい、剣なんて抜いたらすぐ追い出されるぞ。ここの規則を知らないわけじゃないだろう?」

 原石神殿では争いごとは禁止されている。剣を抜けば強制的に追い出されてしまう。そのことは部屋を借りるときに説明を受けてい た。
 クラルスは警戒を解こうとはせず、男性をにらみつけている。

「お前たち部屋を借りているな? そこで話す」
「リア様。いかがなさいますか?」

 彼の服装を見るかぎりミステイルの兵士ではなさそうだ。僕に接触をしてきたのなら、セラの居場所を知っているかもしれない。

「話を聞いてみよう」

 彼は僕たちに何の用なのだろうか。疑問を抱きながら宿泊している部屋へ案内する。
 男性は部屋へ入ると椅子へ勢いよく座った。僕は寝台へ腰を下ろし、クラルスは僕の近くの壁に寄りかかる。

「自己紹介がまだだったな。俺はスレウド。星影(せいえい)団っ て聞いたことあるだろう。あそこの団員だ」

 彼の”星影団”という言葉にクラルスは顔をしかめた。

「星影団。悪名高い賊ですね」
「自警団って言ってくれ」

 星影団の名は僕も聞いたことがあった。貴族の間では有名な賊。
 税金の保管庫を襲い、貴族から金目のものを奪う。そう噂を聞いていた。

「貴族を襲っているのは事実だが、俺たちが狙っている貴族は悪事を働いている奴ばかりだ。というか街の人からの依頼がほとんどなん だよ」
「そう……だったのですね」

 言われてみれば、被害に遭っているのは悪い噂がある貴族ばかり。どうやら星影団は義賊のようだ。

「それで、スレウドさん。話とは何ですか?」
「単刀直入に言う。ウィンクリア王子、クラルス。俺たちの仲間になってくれ」
「えっ……!」

 予期せぬ彼の発言に面食らってしまった。
 スレウドさんの話によると現在、城はミステイル王国兵に占拠されているらしい。女王を失った今、このままではルナーエ国がミステ イル王国の属国になってしまう。

「団長がおまえたちのことを必要なんだってさ」
「そ……そんなこと急に言われましても……」

 星影団は王子が味方にいるということで、大義名分を得るつもりなのだろうか。それなら次期女王であるセラを優先的に勧誘するはず だ。
 それに星影団は僕たちが両親を殺していないと確信でもあるのだろうか。

「スレウドさん。僕たちは国中に両親殺しとして流布されています。疑っていないのですか?」
「城での真偽は知らんが、こんなお子様が女王殺しとは思えないけどな」
「僕たちは母上と父上を手にかけていません。すべてガルツが仕組んだことです」
「へぇ。ミステイル王国の第二王子か。で、お前たちは命からがら逃げ出したと……」

 彼は僕を疑っている様子はない。疑うの問題以前、真偽にあまり興味がないように見えた。

「スレウドさん。セラ……妹がどこにいるのか知っていますか? 国を取り戻すのでしたら次期女王であるセラを直接誘いますよね?」
「俺は王子を連れて来いって言われたから王女は知らんな」

 結局セラの所在は掴めず肩を落とす。僕に接触してきたので、セラを保護してくれているのかと少し期待をしていた。

 星影団に入れと言われても素性のわからない組織に入るつもりはない。今はセラと合流することが最優先だ。

「わざわざ来ていただいたところ、すみません。僕は妹を探さないといけませんので、お断りします」
「ふぅん……」

 スレウドさんは一枚の紙切れを差し出す。広げてみると簡易的な地図のようだ。

「隣街の拠点の地図だ。気が変わったら来いよ。歓迎するぜ」

 彼は気怠(けだる)そう に椅子から立ち上がると退室をした。足音が去っていくのを確認して、クラルスと目を合わせ る。

「こんな勧誘が来るなんて思わなかったよ……」
「またリア様に接触する輩が来たら面倒ですね。明け方に出発しましょうか」
「うん。とにかくセラの情報が欲しいよ」

 受付の女性に明け方に発つことを伝えると、全身を隠すための外套(が いとう)を二人分くれた。僕たちの状況を説明 していないのだが、察してくれたようだ。
 彼女にお礼を言い、セノパーズの街に向けての準備を始めた。



 朝と夜が混じり合う時間。東の空が銀色を帯びている。
 僕たちは身支度を整えて原石神殿をあとにした。
 人目につかないように近場の森へ向かう。
 そのとき、森の中から十数名のミステイル王国兵が姿を現した。どうやら待ち伏せをされていたようだ。

「大罪人ウィンクリアを捕縛しろ!」
「リア様。こちらへ!」

 ミステイルの兵士たちが一斉に僕たちのほうへ走ってくる。クラルスは僕の手を引いて、回り込むように森へと入った。
 剣をたずさえた王国兵が追いかけてくる。

 クラルスは剣を抜くと剣身が白銀色の光を帯びた。彼は振り返り、近場の大木を何本か斬り倒す。
 ミステイルの兵士たちと僕たちの間に木が倒れ、彼らのゆく手を阻む。クラルスにうながされ、急いでこの場から立ち去った。
 普通の剣で木は斬れない。ダイヤモンドの魔法を使ったのだろう。

「クラルス。さっき大木を斬れたのは剣に付与魔法をしたから?」
「えぇ。剣の強度と鋭利さが増す付与(エンチャント)魔 法です。まだ長時間はできませんが、威圧だけでしたら十分でしょ う」

 振り返ると王国兵の姿はない。どうやら振り切れたようだ。
 僕たちは木の陰に隠れて息を整える。

「もう追ってこないね」
「予想はしていましたが待ち伏せされていましたね。街の入り口を見張られる前に参りましょう」

 なるべく木々に隠れるように歩き、森を抜ける。青空を背にした街が遠くのほうに見えた。
 太陽は高く昇り、街の周辺には人々がゆき交っている。


 セノパーズへ辿り着くと街は活気に満ちあふれていた。
 僕たちは外套を深くかぶり街を歩く。一カ所に人だかりができているのを見つけた。気になってしまい、そこまで足を運ぶ。
 近寄ってみると皆、掲示板を食い入るように見ていた。ふと、人々からの声が耳に入ってくる。

「王子様が謀反だなんて怖いわ。王位継承権がない腹いせかしら?」
「何でも謀反を治めたのが、隣国のガルツ王子らしいぞ。騒ぎを聞きつけて船を戻したと聞いた」
「陛下と騎士団長様はおかわいそうに」
「あの王子は親を何だと思っているんだ! 邪魔な存在のくせに育ててくれた恩はないのか!」

 僕を罵倒する声とセラを心配する声が交互に聞こえてくる。
 なぜ人々はこんなにも僕が母上と父上を手にかけたということを信じているのだろう。

 人の間を縫って掲示板へと近づく。張り紙には昨日知った情報の他に”王子の部屋から謀反の計画書が見つかった”と虚偽が記載され ていた。
 そして、書面にはセラ直筆の署名が書かれている。
 それを見てすぐに理解した。セラはガルツに囚われてしまい、今もまだ王都にいる。

 憶測だが、次期女王でまだ成人していないセラだけ生かし、(まつり ごと)傀儡(かいらい)に しようとしているのかもしれない。
 署名は無理やりガルツに書かされたのだろう。
 皆、ガルツがルナーエ国に滞在しているのは、セラを献身的に支えていると解釈しているようだ。
 セノパーズだけではなく国中にこのことは流布されているだろう。

 今の僕は無力だ。セラを助け出す術が思いつかない。
 やるせない気持ちになっているとミステイル王国兵が三人、掲示板へと向かっていった。
 隣にいるクラルスが耳打ちをする。

「リア様。移動しましょう。見つかると厄介です」

 移動しようと振り返ったとき、遅れて来たミステイルの兵士と肩がぶつかってしまった。
 急いで立ち去ろうとすると、大声で呼び止められる。

「おい! おまえ、怪しいな。外套を脱げ!」

 人々の視線が注がれる。ここで正体を露見するわけにはいかない。しかし、逃げると追いかけてくるに決まっている。
 クラルスを見やると抜剣しようと剣に手をかけていた。こんな人が多いところで乱闘を起こすと怪我人が出てしまう。
 この状況を切り抜ける打開策が思いうかばない。
 無情にも兵士の手が僕の外套に伸びた。目を瞑ったとき、後ろから突然肩を抱かれる。

「おぉ、弟! よく来たな! 会えて嬉しいぞ! 兵士さんウチの愚弟が何かしましたかね?」

 聞き覚えのある声。顔を確認すると正体はスレウドさんだった。思わぬ人物の登場に目を丸くする。
 彼は耳元で「黙ってうつむいていろ」とささやいた。スレウドさんに言われたとおり顔を伏せる。
 彼は一芝居をして、この場をしのごうとしてくれていた。

「弟でも何でもいい! とにかくそいつの顔を確認させろ」
「兵士さん考えてもみろよ。そこに書かれているお尋ね者がこんな人混みにいるか? そいつは相当、間抜けだぜ?」
「ん……まぁ。しかし……」
「弟は遠いところから来て疲れているんだ。勘弁してくだせぇな」

 スレウドさんは王国兵の制止を振りきって、強引に僕を連れ出してくれた。
 後ろを振り返るとクラルスも頃合いを見計らい、僕たちのあとを追いかけてくる。
 建物の裏手まで来るとスレウドさんは腕を解いた。
 遅れてクラルスが合流すると、僕の手を引いて彼から引き離す。

「スレウドさん。助けてくださって、ありがとうございます」
「……間抜けですみませんね」

 クラルスがちくりと言うと、スレウドさんは苦笑した。なぜ僕たちを助けたのだろうか。
 あの場で正体が露見してしまったら、彼も仲間だと疑われてしまう。
 クラルスは呆れた顔でスレウドさんを見ていた。

「私たちを助けたということは何かあるのでしょう?」
「おぉクラルス。察しがよくて助かるぜ。うちの団長に会ってみないか?」
「……そんなことだろうと思いましたよ」

 クラルスはため息をつく。スレウドさんはたまたま通りすがって僕たちを助けたのではない。恩を着せて団長との面会を断れないよう にするためだ。
 さすがにこの状況で断ることはできない。彼らは強引に星影団へ引き入れるつもりではないだろう。

「わかりました。助けてくださった恩もありますし、お話だけでしたらお伺いします」
「リア様……」

 クラルスの心配そうな表情とは裏腹に、スレウドさんは満足そうに白い歯を見せた。
 僕たちは彼に案内され星影団の拠点へと足を運んだ。


 スレウドさんは一軒の酒場の前で足を止めた。星影団の拠点は表向きには酒場のようだ。
 扉には”準備中”と木の板がかけられている。
 彼は構わず入店をしたので僕とクラルスもあとに続いた。
 酒場には誰もおらず、スレウドさんはそのまま店の奥へ歩いていく。彼はひとつの酒瓶棚の前に行くと棚を右へ移動させた。
 棚の後ろから地下へ繋がる階段が姿を現す。湿った空気が足下から這い上がり肌寒さを感じる。

 階段を降りると、隔壁で区切られた部屋がいくつもあった。地下にいる人たちは僕を見るとひそひそと何かを話している。

 一番奥の部屋は少し広めになっており簡易的な机と椅子が置いてあった。そこに若い男性と女性の姿。
 亜麻色の長髪に菖蒲(あやめ)色 の瞳の女性はにこりとほほ笑む。胡桃(くるみ)色 の短髪に青藍(せいらん)色の瞳 の男性は鋭い眼光を僕へ 向けていた。
 この男性が星影団の団長なのだろうか。椅子に座っていた女性が、いきおいよく立ち上がる。

「ウィンクリア王子と護衛のクラルスね。私は星影団団長のリュエールよ。隣にいる彼は副団長のルフト。よろしくね」

 女性の自己紹介に目を丸くする。手荒いことをしているのでスレウドさんのような屈強(くっ きょう)な男性が団長だと思 い込んでいた。

「どうぞ椅子にかけて。立ち話するようなものでもないでしょう」

 彼女にうながされ、長椅子へ腰を下ろす。古い椅子なのか、体重が乗ると軋む音が聞こえた。
 クラルスは椅子に腰を下ろさず、僕の後ろへ立って警戒をしているようだ。
 リュエールさんは悲しそうな目を僕へ向ける。

「本当、陛下と瓜ふたつね。陛下と騎士団長様は残念だったわ……」

 何と答えればいいのかわからず言葉に詰まる。沈黙をしていると彼女は言葉を続けた。

「さっそく本題に入りましょうか。ウィンクリア王子とクラルスにはぜひ、星影団に入ってほしいのよ」

 言われると思っていたがやはりそうだ。正直、星影団に入るつもりはない。

「スレウドさんに助けていただいて申しわけないのですが、お誘いはお断りします。僕自身まだ混乱していて……」

 母上と父上の死。僕とクラルスが濡れ衣を着せられたこと。セラが城に幽閉されていること。星影団からの誘い。
 短い期間で自分の周りが目まぐるしく変わっている。一度、心の整理がしたかった。

「ウィンクリア王子。スレウドから説明聞いた?」
「何の説明ですか?」

 彼女はスレウドさんをじろりとにらみつける。彼はばつが悪そうに顔を歪めた。

「スレウド! きちんと説明してって言ったでしょう!」
「そんなの長くて覚えていられるかよ。リュエールから話したほうが説得力あるだろう」
「もう……。ごめんなさい。説明もないと断るのは当たり前よね」

 リュエールさんは申しわけなさそうに眉をさげている。

「それよりもまず、二人には休息が必要だわ。部屋を貸すからゆっくり休んで」
「い……いえ。ご迷惑かかりますし……」

 さきほどのスレウドさんの件で警戒をしていた。かくまう代わりに入団しろと迫られないだろうか。

「失礼ですが、またリア様に恩を着せて断れない状況にするのではないですか?」

 クラルスも同じことを思っていたようだ。リュエールさんはスレウドさんを再度にらみつける。

「スレウドは強引なんだから……。私たちの話を聞いて判断してもらって構わないわ」
「リュエ。こいつらかくまってもいいのか? 見つかったら俺らも危険だ」

 副団長のルフトさんは僕たちをあまり快く思っていないようだ。ずっと彼に鋭い眼光を向けられている。

「私がいいと言ったらいいの! ともかく今、外に出るのは危険だわ」

 クラルスと顔を見合わせた。少なくとも彼女は無理やり星影団へ引き入れるつもりはないようだ。

「リア様。いかがなさいますか?」
「少しだけお世話になろうか……」
「よかった。部屋に案内するわね」

 リュエールさんに一番奥の個室へ案内される。二台の寝台と小さな机が置いてあるだけの部屋だ。

「この部屋は好きに使っていいわ。きれいなところでなくて申し訳ないけど」
「いえ。十分です。ありがとうございます」

 彼女はほほ笑むと、部屋をあとにした。ため息をついて僕たちは近くの寝台へ腰を下ろす。
 リュエールさんたちがかくまうと聞いて心のどこかでは安堵していた。
 ずっと気を張りつめていたので、ゆっくり心と身体を休めたい。

「リア様。セラ様は城に幽閉されてしまっているようですね」
「うん。ガルツの手の届くところにセラがいると思うと心配だよ」

 セラはまだ生かされている。しかし、何かの拍子にガルツの気が変わり、セラを不要と判断すれば殺されてしまうかもしれない。
 早く王都へいってセラを助けたい。そう思っていても、今の僕にセラを助け出す力も術もなかった。
 もし、僕の命と引き換えにセラが解放されるのなら、よろこんで命を差し出すつもりだ。

「僕……ガルツに掴まったほうがいいのかな」
「それはいけません。陛下と騎士団長様が命をかけてリア様を逃がしてくださいました。無下にしないでください」
「でも……セラが」

 それにセラ以外の安否がわからない。ロゼ、クルグ、ルシオラ。みんな生きているのだろうか。

「そうそう。クラルスの言うとおりよ」

 部屋の扉が開かれると、リュエールさんが盆に飲み物を三つ乗せていた。そのひとつを差し出されたので受け取る。
 彼女は盆を机の上に置くと僕の隣へと座った。クラルスは受け取った飲み物をじっと見ている。

「ただの紅茶よ。変なものなんて入っていないから安心して」

 受け取った飲み物をひとくち飲む。優しい紅茶の味が口の中に広がった。からからに乾いた喉が潤されほっとする。
 彼女もひとくち飲むと、言葉を紡いだ。

「ウィンクリア王子。あなたが死んでしまったら、セラスフィーナ王女はひとりになってしまうのよ」
「それでも、セラが死んでしまうよりかはいいです」
「……よく考えて。自分の命を簡単に投げ出しちゃだめよ」

 真剣な表情でリュエールさんは訴える。彼女は僕のことを両親殺しだと疑っていないようだ。

「リュエールさん。僕のこと疑っていないのですか?」
「陛下と騎士団長様から愛情を注がれて育ったのでしょう。そんなあなたが陛下たちを手にかけたなんて思えなくて……」

 リュエールさんの口振りが初対面ではないような気がした。どこかで彼女と会ったことがあるのだろうか。

「リュエールさん。僕たちどこかで会いましたか?」
「面と向かってではないけれどね。城の回廊を歩いているところを何度か見かけたことがあるわ」
「城に出入りしていたのですか?」

 クラルスと顔を見合わせた。貴族と星影団は対立関係にある。団長の彼女はなぜ城に出入りをしていたのだろうか。
 疑問符だらけになっていると、クラルスは何か合点がいったような顔をする。

「もしかして、あなたたちは陛下が数年前に雇った噂の諜報(ちょうほう)員 ですか?」
「正解。定期的に陛下へ国の内情を報告するために出入りしていたのよ。もちろん内密にだけどね」

 以前、母上が諜報員を雇っていると話をしていた。彼女たち星影団がその諜報員らしい。裏で母上と星影団 が繋がっていたとは思いに もよらなかった。

「そうだったのですね。正直、驚きました」

 母上と父上は彼女たちを信頼して諜報を頼んでいた。星影団は得体のしれない集まりかと思っていたので少し安心する。

「リュエールさん聞かせてください。なぜ僕が必要なのですか?」
「ミステイル王国はセラスフィーナ王女以外、殺すつもりだったと思うわ。でも、ウィンクリア王子は逃げた。あなたたちが逃げてミス テイル王国が一番恐れていることは何だと思う?」
「……リア様が真実を語り、セラ様をお救いするために挙兵すること……ですね」

 クラルスの回答にリュエールさんは満足そうに頷いた。

「正解。だから迅速にあなたたちと接触して、ウィンクリア王子を陣頭に挙兵する必要があったの」
「でも、今の僕は両親殺しとして疑われています」
「嘘を流布してまで阻止したい。それだけあなたの存在を危険視しているということよ。今ごろ血まなこで探しているでしょうね」

 リュエールさんは紅茶をひとくち飲むと、さらに言葉を続けた。

「そしてガルツは罪を着せたあなたを捕まえて国民の前で処刑。同盟国の王子がここまでしてくれたと、ルナーエの国民はさぞ賞賛する でしょう。そのあと、ルナーエを属国にするのはたやすいと思うわ」

 彼女の言葉に息が詰まりそうだ。太陽石も月石も奪われ、ルナーエ国がミステイル王国の属国になってしまう。
 それでも星影団に協力する気持ちがわかなかった。

「今からでも遅くはないわ。疑っている国民や貴族もいると思うの。遅くなってしまうほど嘘が真実に塗り替えられてしまう」

 リュエールさんの話しは理解している。しかし、挙兵をして一度の戦いで終わるはずがない。僕のひと言がルナーエ国とミステイル王 国を巻き込む戦争の引き金になる。

「確かにそうかもしれません。でもそれは戦争を始めることになりますよね。セラを救いたい気持ちだけで人々を戦火に巻き込むことは できないです」

 戦争は人々の負担になることはわかっていた。安易に返事はできない。
 ミステイル王国がルナーエの国民の命とセラの命を保証すると約束するならそれでいい。
 僕ひとりの命で皆の平和が保たれるのなら、それでも構わない。

「気持ちはわかるわ。でもミステイルの属国になればルナーエの国民を積極的に徴兵するわよ? もし国民と王女の命を保障するという 約束を提示してきたら、それを信じられる? 同盟を破った国の約束を……」

 彼女の言葉が脳内に響く。目を伏せて言葉を紡いだ。

「……リュエールさん。すみません。一晩、考えさせてください。必ず明日にはお返事します」

 この場で決断することはできなかった。リュエールさんは眉をさげて立ちあがる。

「……無理強いはしないわ。判断はあなたに任せる」

 彼女はそのまま退室した。部屋には僕とクラルスだけになり、静寂が訪れる。
 なりふり構わずセラを助けたいと思っていたのなら、リュエールさんの手を取っただろう。彼女と出会わなければ、両親殺しの汚名を 受け入れて命を差し出していた。

 今置かれている状況すべてが判断を鈍らせる。どうすれば、何が正しいのか、その言葉だけが脳内を支配していた。

 持っていた紅茶の容器を机の上に置く。クラルスの容器はきれいなままで、ひとくちも飲んでいないようだ。
 再び寝台へ腰をおろし、ため息をついた。

「迷ってごめん。……何が正しい選択なのか、わからなくて」
「リア様の出した答えに正しいものはありません。リア様が信じた答えが正しいことだと思います」
「クラルスは難しいことを言うね」

 僕が考えて選び取った答えなら、彼は反対しないだろう。どんなことであろうと。

「もし、僕がセラも国も地位も捨ててどこかへ逃げたいって言ったら君は幻滅するでしょう?」
「……リア様が考え抜いた末のお答えでしたら、私は国外へ行こうともおともいたしますよ」
「君を置いていくって言ったら?」
「それはリア様の(めい)で も聞き入れられません」

 お互い顔を見合わせて苦笑する。クラルスはたとえ僕が一人で逃げ出しても探しに来るだろう。

「リア様はそのようなお答えは出さないでしょう。五年の月日をご一緒しておりますのでわかりますよ」
「クラルスには敵わないな」

 今の僕は答えを導き出せそうになかった。しかし、明日までに返事をすると伝えてしまったので、どうするのか決めなければならな い。

「リア様。明け方から動いてお疲れでしょう。少しお休みになられてはいかがですか?」
「……うん。そうするよ」

 疲れきっている心と身体では、まともな判断をできそうにない。寝台へ横になりゆっくりと目を閉じた。

 目覚めると、石畳の天井が目に入った。少し肌寒さを感じる。隣の寝台を見るとクラルスは剣の手入れをしていた。
 僕の視線に気がつくとほほ笑む。

「お目覚めになられましたか?」
「うん。クラルスありがとう。よく眠れたよ」

 天井から足音や声がかすかに聞こえてくる。酒場が開店している時間なので夜なのだろう。
 机の上には野菜の煮込みとパンが置かれていた。

「リュエールさんがリア様のお食事を用意してくださいました。怪しいものは入っていませんので大丈夫ですよ」
「クラルスは用心深いね」
「リア様の護衛ですから」

 後で彼女にお礼を言わなくてはと思い、食事に手をつける。朝から何も食べていなかったので格別においしく感じた。

 まだ会ってまもない僕たちにここまでしてくれている。
 きっと母上たちとリュエールさんの間には特別な信頼関係があったのだと思う。
 そうでなければ僕に接触を試みることや挙兵をしようとはしないはずだ。

 お腹が満たされ、ひと息つく。クラルスは剣の手入れを再開した。

「手入れの道具を借りたの?」
「えぇ。リュエールさんが貸してくださいました」

 彼はきれいに磨いた剣身を見て満足そうに(さや)へ 納める。クラルスは僕の短剣も手入れしてくれるそうで、彼 に渡した。
 剣の手入れを見ながら、自分がこれからどうするべきなのか考える。

 本心ではセラを一刻も早く助け出したい。しかし、僕とクラルスだけでの救出は不可能だ。
 セラの命としてガルツは国を操っているので貴族の協力には期待できない。
 やはり星影団と手を組むしかないのだろうか。今日会ったばかりの彼女たちを信用していいのだろうか。

「クラルス。リュエールさんたちをどう思う?」
「信頼するには早急すぎますが、ミステイル王国の息はかかってはいないでしょう」
「どうしてそう思うの?」
「スレウドさんと接触したとき、ミステイルの手先でしたら”セラ様を保護している”と仰るでしょう。そうすればリア様を原石神殿か ら早く引きずり出せます。しかし彼は”知らない”と仰りましたので、そこで判断いたしました」

 クラルスの言葉に頷く。星影団はガルツとつながりのある組織とは思えない。

「信用は積みあげていくものです。彼女もそれはわかっていると思います」
「うん。でも……星影団に協力をすれば戦争が起きてしまう」
「それは避けられないでしょう」

 話し合いで解決ということは叶わないだろう。それでも僕の手で人々の平和を壊すことはしたくない。

「陛下と騎士団長様はルナーエ国の未来を守るために、剣を取り戦火に身を投げたご経験があります。決断をするとき、リア様と同じく 考えあぐねいたと思いますよ」
「母上と父上も……」

 ルナーエ国が何年も平和でいられたのは歴代の女王や母上、父上が戦って勝ち取ってきたものだ。
 ここで命を差し出してしまったらどうなるのだろうか。
 戦争は起きずに僕の命だけで平穏が保たれる。しかし、それは一時的なものだ。

 ミステイル王国は領地を広げるために隣国へ戦争を仕掛けるだろう。そして、属国になったルナーエ国民は積極的に徴兵される。
 僕が望んでいる平和は一時的なものではない。人々が戦争に怯えることなく、笑顔で平穏に暮らせることだ。

 目先の平和だけに囚われてしまってはいけない。もっと未来を見据えて選択をしないと。
 たとえそれが今、辛い選択だったとしても。

 寝台の敷布を強く握りしめる。

「クラルス。ルナーエ国のもっと未来のことを考えて、セラのことも考えたんだ。辛くても選択しないといけないことがある」

 僕の言葉を聞いたクラルスは目を細めた。

「リア様。ご決心がつきましたね」
「うん。僕、星影団に入るよ。セラとこの先のルナーエ国の平和のためにも」
「かしこまりました。私はリア様の護衛ですからおともいたします」

 次の日、リュエールさんへ思いを伝えた。
 これからセラやルナーエ国の未来を賭けた戦いが始まる。僕は絶対に立ち止まらない。最後まで戦い抜くことを心の中で誓った。

2020/12/27 revision
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