プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-
第3曲 誓いの伝承歌
入団して数日。
身体をうごかしていないと、嫌なことばかり考えてしまいそうだ。
彼女から地下倉庫の整理と掃除をしてほしいと頼まれた。
ふだんお店が忙しいのか、整理しきれていない葡萄 酒
や酒瓶が乱雑に置かれている。
中にはずいぶん触れられていないのか、ほこりをかぶっているものまであった。
「助かるわ。何か足りないものがあったら団員に聞いてちょうだい」
「わかりました。ありがとうございます」
リュエールさんは他の団員に呼ばれ、足早に倉庫を出ていく。
さっそくクラルスとともに掃除と整理をはじめた。
「すごい数の葡萄酒だね。一日で終わらないかも」
「そうですね。しかし……リア様にこんな雑用をさせるとは……」
クラルスは不服そうな顔をしていた。逆に僕はリュエールさんが特別扱いせずに接してくれることがうれしかった。
「僕から言い出したことだから。それに誰かのために掃除や整理をするのは初めてでうれしいよ」
王族なので使用人が雑用をしてくれることがほとんどだ。最低限、自室の机まわりは自分で整理していたが、誰かのためにしたことは
ない。
新しい生活に不安もあるが、城で経験したことがないものに触れる機会が多くなった。
それが好奇心をくすぐり、自分の世界観が広がっていく感覚がある。
「リア様が糧にしてくださるのでしたら、私はそれでいいですよ」
彼は困った顔をして苦笑していた。
布で酒瓶を拭くと、元の姿を取り戻す。品名を見ると父上がよく飲んでいた葡萄酒だ。父上の出身国のもので、成人した日にお酒を酌
み交わそうと約束していたことを思い出した。
もうそれは叶わないこと。そう思うと寂しさが胸にあふれてきた。
ふと、別の部屋から話し声が聞こえてくる。壁が薄いのか内容が聞き取れてしまう。
「あの王子と護衛どう思う?」
「俺たちをだまして戦争をしようとしているんじゃないのか」
「でも団長が決めたことだからなぁ」
「助言してみるか? 団長、話は聞いてくれるだろう」
団員の人たちは僕たちのことを疑っているようだ。それは仕方のないことだと思う。
掲示板に書かれていることが嘘でもセラ直筆の署名がしてある。それだけで効力は十分だろう。
クラルスは心配そうに眉を下げて僕を見ていた。
その時、倉庫の扉が勢いよく開かれる。
「ようリア、クラルス! 手伝いしているって聞いたぞ!」
最近、スレウドさんとリュエールさんは愛称の”リア”で呼んでくれる。あまり名前では呼ばれないので胸に淡い喜びがわき上がって
いた。
「僕にも星影団のために何かできないかと思いまして、リュエールさんに相談しました」
「そうか、感心だな! そうそう、ひとつ注意事項がある」
スレウドさんは壁をちらりと見ると声量を上げる。
「ここの壁は全部薄いんだ。聞かれたくない話をするなら小声でな!」
近くの部屋から騒がしく走り去る足音が聞こえた。先ほどの団員たちだろう。スレウドさんは小声で僕たちに語りかけた。
「ああいう奴らを気にするなっていうのも難しいが、仲間でも違う考えを持っている奴はいる。そこは勘弁してくれ」
彼は申しわけなさそうに眉を下げた。それは自分でもわかっている。城にいたとき貴族がさまざまな考えを持っていることを、嫌とい
うほど目の当たりにしてきた。
「気づかってくださってありがとうございます。僕は大丈夫ですよ」
スレウドさんにほほ笑むと、乱暴に頭をなでられた。それを見ていたクラルスが不服そうな顔をする。
「スレウドさん。リア様に乱暴なことをしないでください」
「クラルスはリアのこととなると怖いなぁ」
「リア様の護衛ですから当然です!」
スレウドさんはからからと笑いながら部屋を出ていった。彼なりに僕たちを気づかってくれてうれしく思う。
それから数日。地下倉庫の整理と掃除に勤しんだ。店主さんが気をつかって、僕たちに差し入れの果物や飲み物をもってきてくれた。
店主さんの優しさにふれて思わず顔がほころぶ。
今日で整理も大詰めというところでリュエールさんが地下倉庫に姿を現した。
「リア、クラルス。お疲れさま。だいぶ片付いたわね」
「はい。今日で終わると思います」
倉庫の中はきれいに片付き、乱雑に積んであった木箱や葡萄酒は品名ごとに並べられている。これならすぐにお目当ての商品を探し出
せるだろう。
「ちょうどよかったわ。ちょっと話したいことがあるのだけど、終わってからでいいから奥の部屋へ来てくれるかしら?」
クラルスと顔を見合わせる。何か城で動きでもあったのだろうか。
「わかりました。終わりましたらすぐにいきますね」
僕たちは早めに倉庫整理を終わらせ、奥の大部屋へ足を運ぶ。室内にはルフトさんとリュエールさんが椅子に座っていた。机の上には
ルナーエ国の地図が広げられている。
「リア、クラルス。おつかれさま。急だけど明日から拠点を移すわ」
リュエールさんは広げてある地図の一ヶ所を指し示す。何もない場所だが荒野か森でも開拓をするのだろうか。
「ここには廃村があるの。整備して拠点にするわ。各街にいる団員も集結させるつもりよ」
セノパーズから、さらに南の位置に廃村があるそうだ。王都からだいぶ遠くなり、国境線から離れている。ミステイル王国軍に何らか
の動きがあれば、こちらが準備する期間は設けられるだろう。
しかし、一ヶ所に集まる動きをすればガルツに星影団の存在を知られてしまう可能性が高い。
「リュエールさん。こんなに派手な動きをして大丈夫ですか? ガルツは黙っていないと思います」
「そうでしょうね。でも既存の街を拠点にはできないわ。一般の人を巻き込まないためにも私たちは移動しなければならないの」
星影団の皆が集まれる駐屯地は必要。だが、挙兵しようとしている星影団が動けばガルツは必ず潰しにくる。
新拠点へ移動したあと、防衛戦をしなくてはならないだろう。
「リア。ガルツはどうでてくると思う?」
「そうですね。早期沈静化をしてくると思います。こちらの動きを察知して一週間以内には攻めてくるのではないでしょうか」
「王都の騎士を総動員されたら困るわね」
「大軍を動かすには女王陛下の許可が必要です。セラはまだ女王ではないので権限はありません。動かせても一〇〇〇程度だと思いま
す」
セラを女王の地位に就かせたいのなら、母上と父上の喪が明けたあとだ。
しかし、ガルツはセラの名を使いルナーエ国を自由に動かしている。何か理由をつけて騎士を動かすかもしれない。あまり僕の意見は
参考にならないだろう。
「ガルツはルナーエ国民から反感を買わないためにも、セラスフィーナ王女を早期に即位させないでしょう」
「あの王子は正面から攻めてこないで回りくどいことが好きだな」
ルフトさんは苦笑している。ルナーエ国を侵略したいのなら真っ向から戦争を仕掛けてくるはずだ。しかし、ミステイル王国はできな
いのだろう。
「同盟国が多いルナーエ国に正面から挑んでくるほど兵力はないわ」
同盟を堂々と破りルナーエ国に戦争を仕掛けると、近隣の同盟国が加勢するのは目に見えている。
リュエールさんはさらに言葉を続けた。
「宝石も奪いたいのでしょう。すぐ自国へ帰還しないから持ち帰ってはいなさそうね。原石 の怒りにでも触れ て焼け死んでくれないかし ら」
「原石 にはむ
やみに近づけないだろうな。アイテイル様直系の王女は宿す可能性もあるし、それの利用価値もあるだろう」
宝石の話を聞いて心臓が跳ねる。リュエールさんたちに月石を宿していることは黙っていた。他の人へ話すことはどうしてもためらっ
てしまう。
話題をそらそうとクラルスへ問いかける。
「ねぇクラルス。ここの村が廃村になった経緯を知ってる?」
「……いえ」
彼の顔には憂いの表情が浮かんでいる。知らないというより答えたくないように見えた。
この廃村と何か関係があるのだろうか。
僕の護衛に就く前のクラルスのことは一切知らない。彼とは五年もの年月をともにしている。しかし、クラルスについて知らないこと
が多いので複雑な気持ちだ。
「護衛はいいとして、王子のほうは置物以外に役に立つのか?」
ルフトさんにじろりとにらみつけられる。彼は僕たちの入団をこころよく思っていない。いつもとげとげしい言葉を投げつけられてい
た。
「リアは何か戦に関するもので得意なことある?」
「得意ではないですけど、武術と軍事学は習っていました」
次期騎士団長として武術の他に、戦争時に指揮が執れるように軍事学を習っていた。実戦はしたことがないので、役に立てるのかわか
らない。
ルフトさんは鼻先で笑うと、壁に立てかけてあった長剣を投げられた。
「本当に剣があつかえるのか俺が試す。まさか”お遊戯でやりました”じゃないだろう」
「ルフトやめて! そんなことしなくていいでしょう」
「……ルフトさんがそれで納得するのでしたらやります」
「リア様!」
星影団に入団したからには副団長である彼に認めてもらいたい。剣を握りルフトさんのあとを追った。
彼が入室した部屋は木箱が部屋の端に積んであるだけの簡素な空間だ。他に置いてあるものがない分、広く感じる。
リュエールさんとクラルスも僕たちのあとを追って部屋へ入室した。
「おまえから来いよ」
「わかりました」
遠慮なく彼に踏み込み、剣を振るう。ルフトさんは軽々と僕の斬撃を受け止めた。剣を握り直して果敢に攻めるが、いなされてしま
う。
「そんなものか……。まだお子様だな」
しばらく防戦をしていたルフトさんが攻撃姿勢に切り替えた。動きが素早く受け止めることで精一杯だ。
下がりながら彼の攻撃を防いでいると、かかとが壁に当たる感覚。
これ以上、下がれないところまで追い詰められた。彼の剣が空気を切り裂く。
「リア様!」
とっさに体勢を低くしてルフトさんの剣をかわす。彼の剣は勢い余って木箱へ突き刺さった。
それと同時にリュエールさんの悲鳴が響く。
「その木箱は食料が入っているの! もうだめ! 終わり!」
決着はついていないが、彼女が割って入ってきたので止めるしかない。
リュエールさんはルフトさんの頬に人差し指を立てて、これでもかと突いている。クラルスは小走りで僕のそばへ駆け寄ってきた。
「リア様。お怪我はありませんか」
「うん。大丈夫だよ」
彼の剣を間一髪でかわしたので僕自身に怪我はない。
リュエールさんはルフトさんの頬を引っ張りながら説教をしていた。
「リア。クラルス。明日の早朝に出発するから寝坊しないようにね」
「はい。おやすみなさい」
リュエールさんたちに会釈をして僕たちは与えられている部屋へ戻る。
軽く夕飯を済ませたあと、寝間着へと着替えた。寝台へ横になり、明日のために身体を休める。
「店主さんとは明日でお別れですね」
「うん。いろいろ気を使ってもらっちゃったね。それに、かくまってもらっていたからミステイル兵に見つからなくてよかったよ」
僕たちが倉庫整理をしているとき、一度だけミステイルの兵士が酒場へ来たことがあったそうだ。
ミステイルの兵士たちは僕たちがこの街に滞在していると思っているのだろう。
原石神殿に一番近い街なので警戒が特に強い。
「リア様。そろそろお休みになられたほうがいいですね」
「あっ……そうだね。明日早いから寝ようか」
クラルスと視線が交わると、彼は目を細める。僕たちは思い出話を切りあげて、明日のために眠りについた。
酒場を出ると朝の冷たい空気に包まれた。少し顔を出した太陽の光がまぶしく感じる。ずっと地下にいたからだろうか。
星影団の団員は地下拠点の荷物を街の入り口まで運び出している。
店主さんの他に数名の団員は諜報活動のため、街に残るそうだ。名残惜しいが店主さんへあいさつをする。
「早朝ですのにお見送りありがとうございます」
「王子殿下、クラルスくん。倉庫整理ありがとうございました。非常に助かりました」
「こちらこそ、いろいろお気づかいありがとうございました。店主さん、お身体に気をつけてください」
「お力になれて何よりです」
次に店主さんたちと、いつ会えるのかわからないので寂しさを感じる。
「リア。クラルス。そろそろいくわよ」
リュエールさんに呼ばれ僕たちは酒場をあとにする。店主さんたちは手を振って見送ってくれた。
まだ明け方なので街の外にいる人が少ない。ふだん通りの服装なので正体が露見しないか心配だ。
しかし、人々はお店の仕込みや日課に勤しんでおり、僕たちのことは気にしていない様子。
頭上から鳥の鳴き声がしたので空を見上げる。くるくると旋回しながら高い声で鳴いていた。
見たことのない動きをしていたので思わず見入ってしまう。
リュエールさんは鳴き声に気がつくと僕と同じく顔をあげた。
「そうそう! 頼れる団員を紹介するわ」
彼女は右腕を曲げると空へ呼びかけた。
「カルム! おいで!」
空を飛んでいた鳥は急降下をしてリュエールさんの腕へ止まる。鳩よりひとまわり大きい、薄茶と黒のまだら模様の羽が印象的だ。降
りてくるときに羽音があまりしなかったことに驚いた。
「空の諜報員のカルムよ。仲良くしてね」
どうやら伝書鳥のようだ。カルムは僕のことをじっと見ていた。
「鳩……ではないですよね?」
「陛下から品種改良されたものを送られたのよ。世界に一羽しかいないわ」
カルムは母上との簡単なやりとりや、急報のためにリュエールさんへ与えられたそうだ。それだけ母上と父上は星影団に信頼を寄せて
いたのだと改めて感じる。
「カルム。はじめまして、ウィンクリアです。よろしくね」
言葉をわかっているのか、カルムは短く鳴いたと同時に僕の肩へ移ってきた。
その光景を見ていたリュエールさんは目を丸くする。
「スレウドとルフトにはなれるの時間かかったのに、リアとはもう仲良しなのね」
カルムは僕とリュエールさんの肩を行き来して遊んでいる。鳥を間近で見ることや触れることは初めてなので、愛らしく感じた。
街の入り口へ到着すると、星影団の団員が集まっている。リュエールさんは荷物の確認を始めた。
突然、街中から乱れた足音が聞こえ、振り返ると十人のミステイル王国兵がこちらに走ってきている。
クラルスは僕を庇うように前に出た。全身に緊張が走り、身体が強張る。
「あら、朝から元気ね」
リュエールさんを見やると焦りの様子はない。ミステイルの兵士は僕を見ると不敵に笑う。
「見張っていて正解だったな! 大人しくしていれば命だけは助けてやろう」
僕たちが酒場から出てくるのを待ち構えていたのだろう。リュエールさんは毅然とした態度で王国兵を見据えていた。
「まったく悪党が言う言葉ね。ふたりは渡さないわ」
「従わない場合、反乱分子と見なすぞ!」
ミステイル王国兵は叫びながら剣を抜く。リュエールさんを守ろうとルフトさんとスレウドさんが剣を構えた。
しかし、彼女はふたりを手で制して抜剣をする。
「華奢な女に何ができる!」
ひとりの兵士がリュエールさんへ襲いかかった。
彼女は素早い動きで相手の剣を弾く。足をかけて転ばせると、仰向けになった兵士の腹を思い切り踏みつけた。
リュエールさんの剣術の的確さに息をのむ。
「王都に戻ってガルツへ伝えなさい。あなたの悪事は必ず白日のもとにさらす……とね」
彼女に王国兵は完全に気圧されていた。倒れている王国兵が口を開く。
「誰がおまえの言うことを聞くか!」
「あら、別に伝えなくてもいいわよ。その代わりあなたたちの命はないけど」
リュエールさんは踏みつけている王国兵の首元へ剣を当てた。彼女を見ると威嚇ではなく返事次第では本当に兵士を殺してしまうだろ
う。
緊張の空気が僕たちを包み込んだ。
彼らにもリュエールさんが本気で殺そうとしていることが伝わったのか剣を手離した。
彼女は剣を収め、歩き出す。王国兵は恨めしそうにリュエールさんをにらみつけていた。
僕とクラルスも慌てて彼女のあとを追う。
「リュエ、あいつら口封じしたほうがいいだろう」
ルフトさんが彼女へ問いかける。彼らはすぐ王都へ戻り、ガルツへ報告するだろう。
僕が星影団に身を寄せていることが露見するのは時間の問題だ。
「遅かれ早かれ見つかるのは時間の問題だったわよ。言うこと聞いてくれたし余計な殺生はしない主義なの」
「おまえは変なところで甘いな」
「優しいって言ってくれる?」
そういうリュエールさんが団長だからこそ、皆がついてきているのではないだろうか。最低限の威圧だけで済んで安堵している。
「リアたちのことは露見するけど、反抗勢力がいるってわかればガルツへの圧力にもなるでしょう」
近々ガルツは新拠点へ攻めてくるだろう。その間に迎え撃つ準備をしなければならない。
星影団はセノパーズから出発をして新拠点の南を目指した。
夕日が山の向こうへ沈もうとしている。日が落ちる前に目的の廃村に到着することができた。
この村は地図にはもう載っていない。廃村になり十年以上、月日はたっているだろう。
石造りの建物は健在だが、木造の家屋は傷みが激しい。修繕や作り直しが必要だろう。
しばらくは安全な石造りの公会堂に寝泊まりすることになった。明日から、ガルツが動き出すまでは建物の修繕作業を行う。
夕食を済ませたころには日も落ちており、外は薄暗くなっている。
大人たちは盛大に晩酌を楽しんでいた。公会堂内にお酒の臭いが充満している。
お酒の臭いがあまり好きではないので、クラルスと一緒に外へ逃げ出した。
公会堂内の熱気とは正反対の夜気が心地よい。
夜空を見上げると星の宝石が散りばめられ、欠けた月が浮かんでいた。
「夜空を見るの久々だね」
「ずっと地下にいましたからね」
クラルスへ視線を移すと、寂しそうに白銀 色
の瞳が揺らいでいた。どうしたのかと思い、首を傾げる。
「どうしたのクラルス?」
「え……いえ……」
ここに着く少し前から、彼は憂いの表情を見せていた。クラルスはこの廃村に無関係とは思えない。
「ねぇクラルス。君とこの村、何か関係があるの?」
「……そう……ですね」
「クラルスが嫌ならこれ以上聞かない。でも、もしよかったら話してくれないかな。君のこと、もっと知りたいんだ」
「リア様……」
彼は僕から視線を外して夜空を見上げた。話そうか迷っているのだろうか。
クラルスは僕へ向き直ると弱々しくほほ笑み、言葉を紡いだ。
「一緒に来てくださいますか?」
「……もちろん」
彼に案内され、一軒の家屋へと足を踏み入れる。
食卓を囲む椅子や机は倒れており、歩く度に木材の軋む音がした。
月明かりだけが照らす薄暗い室内を彼は歩く。部屋の中央まで行くとクラルスは振り返った。
「ここは……十歳まで私が育った家です。両親と私で暮らしていました」
「えっ……。この村の出身だったの?」
クラルスは無言で頷く。なぜ村がこのようになってしまったのだろうか。廃村になるとは、よほどのことがあったのだと予想がつく。
「この村に何があったのか聞いてもいい?」
「えぇ。すべてお話しますよ」
彼は昔を懐かしむような表情で話を始めた。
十年前、ダイヤモンドの原石神殿が天災にみまわれてしまったそうだ。当時この村は原石神殿に一番近い村だった。そのため臨時にダ
イヤモンドの原石 を
安置することになったらしい。
そして、ダイヤモンドの原石 を
奪うために村は賊に襲われた。
クラルスは異変に気がつき村へ戻ると賊に虐殺されている村人たちを目撃。
彼は殺されそうになったところ間一髪で父上に助けられたそうだ。
「そのあと原石 は
奪われてしまったの?」
「いえ。賊は原石 の
怒りにふれて大半が結晶化して死んでいました」
そのあと、クラルスは王都の孤児院へ引き取られた。助けてくれた父上に恩返しをするため十二歳で少年騎士団へ入団したそうだ。
彼のことを知りたいとはいえ、辛い過去を思い出させてしまった。罪悪感が心にわいてくる。
「……ごめん。無理に聞いて」
「いえ。隠していたわけではありませんが、リア様のそのようなお顔が見たくなかったのです。リア様はお優しいので私のために心を痛
めますでしょう」
そんなに酷い顔をしていたのだろうか。思わず苦笑する。
ダイヤモンドの原石 が
この村に来なければ、クラルスは平穏に過ごしていただろう。
家を離れ、彼は森のほうへ歩き出した。どこへ行くのだろうと思いながらクラルスのあとをついて行く。
しばらく歩くと拓かれた場所に小さな泉が見えた。水面に月が映し出されている。
とても静かな場所で、自然の音だけが流れていた。僕も自然が好きで、セラと一緒に城近くの小川へよく足を運んでいたことを思い出
す。
「……綺麗なところだね」
「幼い頃のお気に入りの場所です。村が襲われた日、私はここにいて助かりました」
クラルスは水面に映る月を見ながら、悲しそうな表情を浮かべていた。星影団の新拠点になると聞いて複雑な気持ちだっただろう。
彼の心境を考えると胸が苦しい。このようなかたちで生まれた故郷へ帰りたくなかっただろう。
「……私の過去を聞いたこと後悔していますか?」
「……少し」
「確かにここは私の生まれた故郷ですが、その後十年は王都で暮らしました。今は王都が故郷みたいなものです」
クラルスは左手を見つめている。ダイヤモンドが宿っている証である銀の爪が淡い光を放っていた。
彼がダイヤモンドを宿す前にためらっていた理由を今ならわかる。村がなくなる原因となった宝石なので宿したくはなかったのだろ
う。
しかし、クラルスは自分の感情を抑えて宝石を受け入れてくれた。過酷な運命を背負うとわかっていながら、僕を守るために。
「君は父上の命を果たしたよ。僕は星影団と一緒に戦う。だから君はどこか安全なところにいてほしい。これ以上、迷惑をかけたくな
い。それに、クラルスが過酷な運命にさらされるのは嫌だよ」
クラルスに課せられた父上の命 は
僕と一緒に逃げること。それを果たした今、誰もクラルスへ僕を守れと命 ずる人はいない。
僕のためにこれ以上彼が傷つくのは見たくない。
クラルスを見やると悲しそうな表情をしていた。
「リア様。私を気づかってくださいまして、ありがとうございます。私はリア様、セラ様、ルシオラと四人でまた笑い合える日常を望ん
でいます」
「僕も……そうだよ」
「私はリア様の護衛です。自分の使命を果たせないのなら、あなたの隣にいる資格はありません」
クラルスの言葉に口をつぐむ。
彼は僕の護衛だが、それは父上が決めたこと。父上が亡き今、僕を守る必要はない。
「……リア様」
クラルスは優しい声色で名前を呼んだ。彼を見ると柔らかくほほ笑んでいる。
「最初は騎士団長様への恩返しで騎士団へ入団し、命 を
受けてあなたをお守りしていました。たくさんの時間をともにして、あなたの人
柄に惹かれ敬愛しています。今は私の意思でリア様のおそばにいます」
クラルスは前に立つと僕の左手を取り、ひざまづいた。
「私、クラルスはウィンクリア様への不滅の忠誠をここに誓います」
彼からの忠誠の言葉。本来なら僕が騎士団長に就任したとき、代表者から送られる。
クラルスが個人的にその言葉をくれて素直にうれしい。
誰の命 でもなく
彼の意思でくれた誓いの言葉が頼もしくて心強かった。
僕はひと呼吸おいてから言葉を紡ぐ。
「今ここに、クラルスの忠誠を受け入れ、その命尽きるまで我とともにあらんことを……」
正式な忠誠の言葉を言われたので僕も同じく返す。そして、彼と一緒に戦い抜こうと決意した。
クラルスは僕の左手を両手で包み込むと真剣な表情をする。
「私に過酷な運命が課せられようと、リア様を必ずお守りします。どうかおそばにいさせてください」
「ありがとう……。クラルス、改めてよろしくね」
彼に笑顔を向けると目を細め、柔らかい笑みを返してくれた。
クラルスと一緒なら困難に立ち向かえそうな気がする。そして、僕の日常を取り戻したい。
風が冷たくなってきたので、僕たちは公会堂へと帰る。
宴会はすでにお開きになっていた。星影団の皆は床に雑魚寝の状態だ。
僕とクラルスも積んである毛布をふたつ取り、公会堂の端に身を寄せて眠りについた。
翌日、クラルスは村の修繕作業の手伝いをすることになった。僕から離れることを嫌がっていたが、リュエールさんの命令なので仕方
ない。
公会堂の階段に腰をおろす。皆がそれぞれの作業を行っているのに僕だけ何もしないわけにもいかない。何か手伝うことはないかあた
りを見回す。女性ふたりが大量の野菜を持って川のほうへ向かっていく姿を見つけた。
様子を見にいくと、川の水で野菜についている泥を落としているようだ。あれなら僕にも手伝えると思い女性たちに声をかけた。
「おはようございます。お邪魔でなければ僕にもお手伝させてください」
女性たちは驚いた様子で振り返り、僕を見つめた。
「えぇ! 王子様!? そんないいのですよ!」
「三人でやったほうが早く終わりますよ」
彼女たちは顔を見合わせて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
僕も女性たちへ会釈をしてから作業を始める。袖をまくり、土をかぶっているにんじんを川の水へひたす。泥を落とすときれいな橙色
に なった。
空いているざるへ移して次の野菜を洗う。その繰り返しだ。手を動かしながら女性たちに声をかける。
「こんなにたくさんありますけど、お昼用ですか?」
「昼と夜用です。昼食に間に合わせないといけないので助かりました」
「お食事がお口に合うかわかりませんが……」
彼女たちは、申しわけなさそうに答えた。僕が王族なので気にしているのだろうか。
「昨晩の食事おいしかったです。ありがとうございました」
女性たちは神妙な顔をしていた。何か変なことを言ってしまったのだろうか。
「あの……失礼ながら王族の方は難しい人だと思っていまして」
「貴族を見ていると……ねぇ……」
貴族に関して僕たち王族が悪く言われるのは仕方ない。本当は貴族の悪事を正していかなくてはいけない立場なのだから。
「貴族に関してみなさんが苦しんでいることは承知しています。近年は悪事も狡猾 になっていまして陛下も苦
悩していました。そこで星影団に協力を仰いだのだと思います」
「星影団も少しは力になれていたのかしら?」
「少しずつですが変わっていけると思いました」
ひとりの女性は気の毒そうな顔で僕を見やる。
「それですのに女王陛下と騎士団長様は……。あっ……申しわけありません」
「いえ、気にしないでください」
女性は深々と頭を何度も下げた。それより彼女たちは僕のことを疑っていないのかと不思議に思う。
地下倉庫で聞いた男性の話を聞いていたので、ほとんどの団員たちが彼らのような考えかと思っていた。
「あの……僕のことは疑ってないのですか? 世間では僕は両親を手にかけたと流布されています」
「リュエールさんが決めたことだからね。彼女が信じるなら信じます。それに万が一、掲示板の内容が正しければリュエールさんは断罪
すると言っていたわ」
「またあなた余計なことを……」
彼女は慌てて再度頭を下げた。リュエールさんは協力することを考えていたが本当に僕が両親殺しだった場合は、断罪するつもりだっ
たのだろう。両方の可能性も考えて僕を探していたのだと思う。
「リュエールさんが僕と接触してくれなかったら、今ごろ無実の罪で殺されていたかもしれません。感謝しています」
話がひと段落ついたころ、すべての野菜が洗い終わった。綺麗になった野菜についている雫が太陽の光を受けてきらきらと輝いてい
る。
「王子様。ありがとうございました」
「また僕にできそうなことがありましたらお手伝いしますね」
調理場まで彼女たちと一緒に野菜を運ぶ。そのとき、騒がしい足音が聞こえてきた。振り返ると、クラルスが慌てて僕の元へ走ってく
る。
「リア様! お姿が見えなかったのでどちらに行かれたかと……」
「野菜を洗うのを手伝っていたんだ。クラルスは休憩?」
「えぇ。ひと段落つきましたので」
相変わらずの心配性だなと苦笑した。いつも一緒にいることが当たり前だったので離れてしまうと不安なのかもしれない。クラルスを
見やると額には汗が滲んでいた。
「修繕作業、大変みたいだね」
「こういった作業は初めてなので戸惑ってしまいますね」
彼はずっと騎士としての訓練をしていたので不慣れなのは当たり前だ。午後は修繕作業のほうも手伝えないか見に行こう。
昼の休憩を終えて、団員の人たちは修繕作業へ戻る。クラルスは家屋の前で作業を開始した。
僕は邪魔にならないように修繕作業をしているところを見回す。皆、なれた手つきで屋根にあがり、作業をしていた。
星影団はこういう作業もできるのかと感心する。不意に屋根の上から男性の声が聞こえてきた。
「誰か。釘持ってきてくれないか!」
「釘ですか?」
声をかけると男性は驚いた表情をした。
「あ……いや! 殿下に言ったわけでは……!」
「手が空いているので持ってきますよ。どこにありますか?」
男性は最初口籠もっていたが、釘の場所を教えてくれた。足早に釘を箱の中に詰めて男性の元へ戻る。
「これで足りますか?」
「すみません。殿下に頼んでしまうなんて……」
「いえ、僕も何かお手伝いしたいので。気軽に呼んでください」
男性に会釈をして立ち去る。しばらく歩いていると、休憩をしている男性を見つけた。村の中央に置いてある水が入った水筒のひとつ
を男性に持って行く。
「お水飲みますか?」
「王子殿下! これはすみません。ありがとうございます」
男性は水筒を受け取り、豪快に水を飲んでいる。
「いやぁ王子殿下からもらった水は格別にうまいな!」
「作業お疲れ様ですね」
「こんなのルフトさんの剣術訓練に比べたら楽なほうさ」
修繕作業より辛い剣術訓練とはどのようなものなのか。ルフトさんは容赦ないのだろう。
皆の様子を見ていると僕に対して嫌悪した態度や視線を送る人は少ない。無実なことを信じてくれているのだろう。リュエールさんが
声をあげてくれたおかげだ。
「あの……。リュエールさんってどんな人ですか?」
「皆をまとめて引っ張る力があって決断力も素晴らしいよ。おまけに美人だろう。それに皆、貴族に困っていたからな。悪政を変えた
いって思っているのさ」
皆、リュエールさんのことは口をそろえて絶賛をしている。指導力が優れていることは少し一緒にいただけでも感じていた。
スクラミンの視察にいくまで人々の声を聞いたことはなかった。母上や父上だけが悪政と戦っていたわけではなく、人々も悪政と戦っ
ている。皆、それぞれの立場からルナーエ国を良くしようと行動を起こしていた。
「でもまさかこんなことになっちまうなんてなぁ。早く王女殿下をお救いしましょう! ルナーエ国を支配されてたまるものか!」
「はい。僕も微力ながら頑張ります」
ふと、クラルスが休憩している姿が見えたので男性に会釈して立ち去る。水筒を持ち、彼のそばへ駆け寄った。
「クラルス、お疲れ様。お水持ってきたよ」
「リア様。ありがとうございます」
クラルスに水筒を渡して隣に座る。彼の隣にいるときが一番安心すると改めて感じる。
クラルスを見ると柔らかくほほ笑む。どうしたのかと思い首を傾げた。
「リア様はいろいろお手伝いされているのですか?」
「うん。クラルスみたく重いもの持ったり高いところに上がれないけど、雑用くらいならできるよ。少しでもいいから何か役に立ちた
い」
「やはりリア様は騎士団長様のご子息ですね。騎士団長様もいろいろ率先して行動していらっしゃいました」
父上が「立場が上の人がお手本を見せないといけない」と口にしていたことを思い出す。
雑用から掃除、剣術の特訓など騎士たちの手本になるように動いていた。そんな父上の背中を見て育ったので自然と身体が動いてしま
うのかもしれない。
そのとき、男性の短い悲鳴が聞こえた。どうしたのかと思い声の聞こえたほうへ駆けつける。一人の男性がうずくまって、うなり声
をあげていた。周りでは団員たちが心配そうな顔をして見ている。
「どうかしましたか?」
「あぁ、殿下。金槌で自分の手を打ったそうです」
「それはすぐに冷やさないと」
村の中央に置いてある布に水筒の水を含めて、急いで男性の元へ戻る。
「大丈夫ですか? これで患部を冷やしてください。痛みが引かないようでしたら医者へ行ったほうがいいですよ」
「で……殿下。かたじけない」
「無理なさらないでくださいね」
応急処置は戦場以外でも役に立つので習っていてよかった。彼らに会釈をしてクラルスの元へ戻る。
「クラルスも怪我に気をつけてね」
「リア様の護衛の私が怪我をするわけにいきませんね。十分注意します」
クラルスが作業に戻ったので僕も皆の手伝いをしようと走り回った。
またたく間に時間が過ぎ行き一日が終わる。
王都からの動きがなく一週間が過ぎた。
毎日、皆の手伝いをして走り回っている。初めのころは僕に頼ることを遠慮していた。今は気軽に頼みごとをしてくれるようになり、
団員たちとふれあう機会が増えている。
「王子様。おはようございます。今日もご一緒していただけますか?」
「はい。もちろんです。朝食終わりましたら行きますね」
公会堂の階段で朝食を食べていると、いろいろな人に声をかけてもらえるようになった。
「殿下おはようございます! 今日もお世話になりますぜ」
「はい。午後からお願いします。お怪我はもう大丈夫ですか?」
「骨は折れてなかったようでこの通りですよ!」
そんな僕をクラルスは穏やかな表情で見ていた。不意に肩を誰かに優しく叩かれる。
振り向くとリュエールさんが満面の笑みを浮かべていた。
「リア。すっかり馴染んできたわね星影団に! 皆の手伝いをしてくれてありがとう」
「リュエールさん。おはようございます。簡単なことしかできませんが僕なりにやっています」
彼女は真面目な表情になり、言葉を紡ぐ。
「……でもねリア。戦争になったら……覚悟してね」
リュエールさんの言葉に心臓が跳ねる。”覚悟”の言葉が重くのしかかった。戦争が始まれば今日まで一緒に笑っていた人が明日には
いなくなってしまうかもしれない。
拳を握り、リュエールさんを見つめる。
「はい……。わかりました」
彼女は寂しそうな笑顔を見せると公会堂の中へ歩いて行った。
2020/12/27 Revision