プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-
第10曲 迷宮の伝承歌
ラザレースに行く前日。僕たちはいつものように、拠点の裏にある川のほとりで鍛錬に励んでいた。今はシンとクラルスが手合わせをしている最中。僕は見学をしながら
「シン。攻めるのもいいですけど……」
下段からクラルスの剣がシンを襲う。シンは慌てて避けると体勢が崩れた。クラルスは攻めようとはせずに、シンが体勢を整えるのを待ってい る。
「状況を見て引くことも大切ですよ」
「くっ……。もう一回だ!」
シンは相変わらずの負けず嫌いで、クラルスと何度も再戦をしていた。
おもむろに
僕は
「リア、何やってんだ?」
いつのまにか二人は手合わせを終えていた。シンとクラルスが汗を拭いながら
「月石は防御魔法を使えるらしいけど、どういうものか想像できなくて……」
「それでしたらルフトさんにお伺いしてはいかがですか?」
魔法を教えてくれたルフトさんなら防御魔法について助言をしてもらえるかもしれない。さっそく、僕たちはルフトさんを探しに拠点へ戻る。
ルフトさんはすぐに見つかった。公会堂の階段に座っており、資料を眺めている。
「ルフトさん。今、お時間大丈夫ですか?」
「何だ? 珍しいな」
「魔法について聞きたいのですけど……」
ルフトさんは辺りを見回すと、資料を本に挟んで立ち上がる。
「場所を移動しよう」
彼は月石に関してのことだと悟ってくれたようだ。気を使って場所を変えてくれた。公会堂の裏手に回り、誰もいないことを確認してルフトさん は言葉を紡ぐ。
「王子。聞きたいことって何だ?」
「月石は防御魔法が使えるらしいのですけど、防御魔法を実際に見たことがないので想像し辛いです」
「俺の魔法は攻撃特化だからな。それに宝石の階級も
ルフトさんの宝石の階級を初めて知った。確かにルフトさんはあまり魔法に頼っている様子はない。
「へぇ。ルフトの宝石の階級は
「基礎をしっかりしないと
ルフトさんに問われシンはばつが悪そうな顔をする。
「……いや……まだ」
「
「わかってるよ! 魔法も練習する!」
シンは未だに魔力の出力が苦手らしく、手合わせに逃げることがしばしばあった。今度シンの魔法の練習にたくさん付き合ってあげよう。
「俺だと力になれない。だが、リュエなら教えてくれるかもしれないな」
「リュエールさんですか?」
リュエールさんもルフトさんと同じシトリンを宿しているはずだ。攻撃特化のシトリンの魔法で防御魔法ができるのだろうか。
「リュエは魔法の応用に
「わかりました。ありがとうございます」
確かにリュエールさんは、いろいろな場面で魔法の応用をしていた。彼女なら何か防御魔法に関する手がかりを教えてくれるかもしれない。
僕たちはルフトさんに会釈をしてリュエールさんの個室へと向かった。
扉を叩くとリュエールさんの「どうぞ」と小さな返事が聞こえる。開けると彼女は机に向かって資料を読んでいる最中だった。
「あら。リアたちどうしたの?」
「お忙しいところすみません。魔法のことを教えていただけませんか」
「私が? どういう内容かしら?」
「月石の防御魔法を使いたいのですけど、どのような練習すればいいですか?」
リュエールさんは頷きながら僕の話を聞くと、椅子から立ち上がる。
「今日は特別に私が講師するわね。クラルスとシンも覚えておいたほうが今後いいかもしれないわ」
「えぇ。よろしくお願いします」
彼女は壁に立てかけてあった剣を抜くと剣へ
「無意識かもしれないけど、魔法は頭で思い描いて
「そうですね。魔法を使ったことのない僕でも
「魔法の参考書は想像しやすくするために存在しているのよ」
リュエールさんは魔法のことについて、わかりやすく教えてくれる。独学で学んだのだろうか。
彼女は言葉を続けた。
「それで、想像しにくかったり、想像はできても魔法技量がなかったりすると発動ができないわ。難しい条件をつけたりすると顕現が難しくなる の」
「難しい条件ですか?」
リュエールさんは扉を開けると、廊下と部屋の境目に手をかざす。てのひらから雷が走り、入る者を拒むような雷の壁が生成された。
「おぉ! リュエさん、すごいな!」
「私がたまに使う罠の魔法なんだけど、”雷を持続してこの場に留める”という条件をつけているの。これに触れたら私が関知できるようにする条 件をつけると魔力の消費量が上がるわ」
「なるほど。条件が多ければ多いほど便利ですが、魔法を発動することが難しいのですね」
「一概にはいえないけどね。単一の条件でも規模や量が大きかったり、難しいものだと発動すらできないわ」
リュエールさんは
「リアの防御魔法は盾みたいな感じかしら?」
「そうですね。物理や魔法攻撃から、みんなを守れればいいなと思っています」
「まずは目の前に魔法の盾を生成することから始めてみるといいかもしれないわね。そこから少しずつ条件を付け加えていけば理想の魔法が使える ようになるわ」
ただ漠然とした想像しかしていなかった。リュエールさんのおかげで何をするべきなのか明確になる。
いきなり難しい魔法を発動しようとするのではなく、基本の形を作り、そこから想像を膨らませていけばいい。
以前、炎の攻撃を防ごうと防御魔法を使おうとした。魔法の想像ができていなかったので発動しなかった可能性が高い。クラルスが代わりに防い でくれなかったら直撃していた。
「じゃあ、リュエさん。氷の刃を生成して飛ばすってこともできる?」
「できないことはないと思うけど、シンはその前に魔力の調節をどうにかしなさい」
リュエールさんはシンのおでこを人差し指で突いた。
「練習するのもいいけど、明日からラザレースに行くからほどほどにしてね」
「わかりました。リュエールさん教えてくださってありがとうございます」
僕たち三人はリュエールさんに会釈をして部屋を後にする。魔法の練習をしたいところだが明日のために今日は身体を休めることにした。
朝日がのぼるとともに野営地から出発をした。ラザレースに着とすでに昼近くだ。僕とクラルスは
ラザレースの街はランシリカの街と似ており、綺麗に並ぶ石畳が印象的な街だ。西の奥に大きな屋敷と騎士団の兵舎が見えた。
カルムはリュエールさんの肩から飛び立つと、近くの雑木林へ消えてく。
「さて行きましょうか。訪問することは伝えてあるわ」
リュエールさんはどうやらこの街を統治している貴族と知り合いらしく、先に話をしてくれていたようだ。街の入り口から見えた大きな屋敷の前 まで歩いて行く。庭には綺麗に
「綺麗な庭ですね」
「ここの当主は薔薇が好きなのよ」
「クラーク家に何かご用でしょうか?」
「本日、当主のチェルシ-と面会予定の
「……お話はお伺いしております。どうぞお上がりください」
侍女に玄関の広間へと通される。綺麗な赤い
侍女は中央の大きな部屋の扉へ入ると、すぐさま女性が姿を現した。紺碧色の長髪に珊瑚色の瞳が印象的な女性だ。
「久しぶりねリュエール。星影団の話は聞いているわよ」
「チェルシーは変わらないわね。当主はもうなれた?」
「もう当主になって三年よ。さすがになれたわ」
リュエールさんは仲睦まじく話をしている。彼女は僕とクラルスは外套を脱ぐように指示されたので従う。僕の姿を見たチェルシーさんは目を見 開いた。
「……リュエール。少し確認したいことがあるのだけど」
「何かしら?」
チェルシーさんは手を叩くと、両隣の部屋から数十名の騎士たちが僕たちを囲むようになだれ込んできた。僕は思わず身構えるとクラルスが庇う ように僕の前に出た。騎士の人たちは剣に手をかけておりいつでも抜剣できる体勢だ。
リュエールさんを見やると彼女は毅然とした態度でチェルシーさんを見つめている。
「えぇ!? 何だよ! 俺たち何かしたか!?」
シンは慌てて僕と背中合わせになる。僕たちを捕まえて王都に連れて行くつもりなのだろうか。静寂が僕たちを包み込み空気が張りつめている。
「……意地悪ね。こんなことしなくてもいいでしょう」
「あら、リュエールはお見通しなのね。でも当主の立場として確認したかったの」
チェルシーさんが警戒を解くように指示すると、騎士たちは剣から手を離し姿勢を正した。クラルスも警戒を解き、一礼をして僕の後ろへと下が る。
「……さすが王子殿下の専属護衛ですね。ご理解が早くて助かります。みなさま、こちらへどうぞ」
僕たちは玄関前の大きな部屋に案内をされた。普段は会議に使うような部屋なのだろう。長机に椅子が規則正しく並べられている。
リュエールさんと僕は椅子に着席して、クラルスとシンは僕たちの椅子の後ろに立つ。
手際よく侍女が紅茶を用意している。僕たちの前に紅茶が行き渡ると、チェルシーさんが口を開いた。
「王子殿下。さきほどのご無礼をお許しください」
「いえ。お気になさらないでください。何を確認したかったのですか?」
「王子殿下やリュエールが逃げだそうとしたら捕縛するつもりでした。逃げるということはやましいことがあるのですからね」
どうやらチェルシーさんは僕たちが掲示板通りの行いをしているのなら、騎士を見たら逃げ出すと思っていたらしい。騎士に突然囲まれて驚いた ものの、僕は何か理由があると思っていた。
「申し遅れました。私、ラザレースを統治しているチェルシー・クラークです」
「ウィンクリア・ルナーエです。お忙しい中お会いしてくださって、ありがとうございます」
若い彼女がこの街を統治していることに驚いた。よほどの手腕なのだろう。チェルシーさんは僕と視線を合わせると柔らかくほほ笑んだ。
「……王子殿下とお会いすることは始めてですが、女王陛下の血を色濃く引いていらっしゃいますね。髪を解いたら陛下と瓜二つではないでしょう か」
リュエールさんと会ったときも、似たようなことを言われた。僕は自分の思っている以上に母上に似ているようだ。
「チェルシーさんはお若いのに街の統治を任されているのですね」
「代々クラーク家が世襲でこの街を統治しています。しきたりで二十歳になると同時に当主を引き継ぐことになっているのですよ」
チェルシーさんの両親は地学者らしく彼女に当主を任せたあとは、研究に没頭しているらしい。一年前からオリヴェート国に地質調査へ行ってい ると教えてくれた。
チェルシーさんは眉を下げて言葉を続ける。
「若輩の小娘が街の統治をしていることが気に入らないようで、あの手この手で他の貴族が地位から引きずり下ろそうと必死なのです」
「それでチェルシーから星影団に相談があったのよね」
そんな経緯で星影団との繋がりがあるとは思わなかった。そして、母上や父上の統治する難しさが伝わってくる。末端の貴族まで目が行き届かな い、もどかしさもあっただろう。
「話がそれてしまいました。リュエール。ラザレースが星影団に戦力として協力をして欲しいのね」
「今はコーネット卿とランシリカの騎士が参加してくれているのだけれど、それだけでは戦力が全然足りないわ」
チェルシーさんは僕たちを見据えると言葉を紡いだ。
「せっかくお越し頂いたところ申しわけないのですが、星影団に協力することはできかねます。……正確には余裕がない……でしょうか」
「どういうこと?」
チェルシーさんの話によると、三ヶ月前からラザレースの街で次々に若い女性が忽然と消える怪事件が起きているそうだ。
今は警備にほとんどの騎士を派遣しているため星影団に協力できる余力はないらしい。
僕はチェルシーさんの言動に疑問を持った。リュエールさんと伝令のやりとりをしていたのなら、街の現状を説明して協力できないと伝えればい い。
僕たちを呼んだことは他の意図があるのだろう。
「……チェルシーさん。何か僕たちにしてもらいたいことがあるのですね」
「はい。この怪事件を解決していただければラザレースは星影団に協力することをお約束します」
チェルシーさんの言葉にリュエールさんは呆れた表情をしていた。
「こっちは探偵じゃないのだけど……。それが条件なら仕方ないわね」
「街でこのような事件が起きているのは放っておけません。犯人を捕まえましょう」
「リュエール、王子殿下。感謝申し上げます。こちらにいる間、身の回りのことはリリアナに申しつけください」
チェルシーさんに名前を呼ばれると、さき程の侍女がチェルシーさんの側まで歩いてきた。僕たちを見据えると深々と頭を下げる。
「チェルシー様にお仕えしています侍女のリリアナです。何なりとお申しつけください」
彼女は柔らかい笑顔を僕たちにくれた。
チェルシーさんは当主の仕事があるので、リリアナさんが屋敷内を案内をしてくれるそうだ。
「だらだらと犯人捜しはやっていられないわね。事件の記録ってあるのかしら?」
「はい。資料室へご案内いたします」
リリアナさんの案内で僕たち四人は資料室へと向かう。シンは気怠そうに背伸びをした。
「まさか事件の犯人捜しをやるなんてなぁ。リュエさんの知り合いだから交渉はさっくり終わるかと思った」
「申しわけございません。チェルシー様はこの事件に大変お困りなのです」
あまりにも申しわけなさそうな声色でリリアナさんが謝罪したのでシンは押し黙る。彼女は資料室に行くまでに簡単に事件を説明してくれた。
三ヶ月前から若い女性が消える事件。主に十代後半くらいの顔立ちが綺麗な女性が狙われるそうだ。
夜はむやみに外出しないよう進言をして、夜中には騎士たちに見回りをしてもらっているらしい。
それでも怪事件が収まることはなかったそうだ。
「最近起きた怪事件はいつかしら?」
「一週間ほど前になります」
「まだ続いているのですね」
リリアナさんは廊下の途中にある扉を開けて僕たちを入るようにうながした。どうやらここが資料室のようだ。
室内は本棚が隙間無く壁沿いに並んでいる。中央には小さな机と二つの椅子が置かれていた。
「右奥の二つの本棚が事件記録の原本になります」
リリアナさんは手際よく冊子を三冊ほど取り出すと机の上に置いた。
「こちらが三ヶ月分の事件記録です。ただいまお飲み物の準備をいたします」
彼女は一礼をすると資料室を後にした。リュエールさんは椅子に座ると一冊の冊子を手に取る。僕も置かれている冊子を手に取り頁をめくった。
冊子には事件の起きた日時や状況などが細かく記載されている。他の事件のことも記載されていた。
怪事件の
「夜中の見回りをしているにもかかわらず、犯人や被害者の方が誰にも姿を見られないのも不思議ですね」
「そうね。抜け道を知っている街の人の犯行かもしれないわ」
クラルスの言うとおり、事件記録には犯行の目撃の瞬間を見た人は皆無だ。街のことに詳しい人が犯人の可能性が高い。
「あとは最初の犯行が衝動的か計画的かでも違ってくるわね」
「リュエさんその違いで何かあるの?」
「最初の犯行が衝動的なら何かしらか抜けがあったりするのよね。声を聞いた。姿を見た。何か落ちていた。……とかね。それで一度やったら犯罪 を止められなくなって、計画的犯行に移るのよ」
リュエールさんはまるで探偵みたいだ。以前、星影団の依頼で事件解決があったのだろうか。僕も何か少しでも役に立てるようにしたい。
「はじめから計画的犯行だった場合。何度も下見をしているはずだわ。頻繁に被害者付近に現れた人を探れば犯人に辿り着くかもしれないわね」
部屋の扉の叩く音が聞こえると、少し遅れてリリアナさんが台車を押して入室した。台車の上には紅茶と焼き菓子が置いてある。
「裏庭で取れました茶葉のフラワリーオレンジペコーのみを使用したものです。お口に合えばいいのですが……」
机に置かれた紅茶からは芳醇な匂いがする。一口頂くと爽やかな味が口の中に広がった。
「すごくおいしいです。ありがとうございます」
彼女にほほ笑むと金色の瞳を細めた。焼き菓子も上品な味でシンは「うまい」と言いながらたくさん頬張っている。
「リリアナ。あなた一年前はここにいなかったわよね」
「はい。半年ほど前に職を失って放浪していた私をチェルシー様が拾ってくださいました。チェルシー様には本当に感謝しております」
リリアナさんは別の街の屋敷で働いていたのだが、難癖をつけられて追い出されてしまったそうだ。半年前にラザレースにやってきて、 チェルシーさんの屋敷で働かせて欲しいと懇願したらしい。
「この事件でチェルシー様は大変心を痛めております。私も独自でチェルシー様から資料を借りて調べているのですが、未だに手がかりすら見つか りません」
リリアナさんは今にも泣きそうな表情をしてた。星影団に協力してもらうためではなくて、街の人たちのために怪事件を解決に導いてあげたい。
「微力ながら僕も犯人を捜すお手伝いができればと思います。リリアナさん一緒に頑張りましょう」
「はい。王子殿下、ありがとうございます」
僕たちは夕方まで資料の整理とお互い気がついたことなど意見の交換をした。ラザレースにいる間はチェルシーさんの屋敷でお世話になることに なる。
夕食をいただいたあと、リリアナさんから貴賓室へと案内をされた。
「チェルシー様からこちらの二部屋をお好きにご利用くださいとのことです」
「ありがとう。助かるわ」
部屋割りはリュエールさんで一部屋。シンとクラルスと僕で一部屋使用する。リュエールさんは寝るまでは僕たちの部屋で事件の資料整理をする そうだ。
「なぁリュエさん。明日も資料見るのか?」
「明日からは実際被害に遭った家族へ聴取しに行くわ」
「聴取した記録があるのに?」
「落ち着いたころに聞いたり、時間が経つと思い出すこともあるわよ。すぐ聴取しても被害にあった家族は混乱しているでしょう」
今日から二日間ほどは被害にあった家族に事件のことを聞きに行くそうだ。そのあと街の散策をするらしい。クラルスが不安そうな声色でリュ エールさんに質問をする。
「リュエールさん。事件が解決するまでラザレースに滞在するのですか?」
「滞在できても一週間かしら……。長く拠点を空けるわけにもいかないわ」
一週間という短い期間。事件解決までいかなくても何か手がかりになるものを見つけたい。
「この怪事件の犯人は、何の目的で人をさらっているのでしょうか?」
「そうねぇ。若い女性を狙っているのなら人身売買が有力かしら。そのほうが、わかりやすくていいのだけどね」
「他にも何か心当たりがあるのですか?」
「一番厄介なのが精神異常者が犯人の場合ね。心理的に読めないから見つかりにくいのよ」
リュエールさんは筆記の手を止めると資料をまとめ始めた。
「さて明日は朝から動くからもう寝なさい。夜更かしはだめよ」
「リュエさん寂しかったらいつでも添い寝するからな!」
シンは悪戯な笑みを浮かべている。リュエールさんはシンに近づくと鼻先を人差し指で突いた。
「それを言うのは三年早いわよ少年!」
相変わらずのかけ合いで僕とクラルスは顔を見合わせて苦笑した。
リュエールさんは念を押して早く寝るようにと言うと退室する。
もう少し資料を見たかったのだが、彼女に怒られたくないのでおとなしく寝台へ身体を横にした。
翌日、リュエールさんはチェルシーさんに聴取の相談をすると、一枚の書状をもらった。急に知らない人が聴取に来たら怪しまれるので、チェル シーさんからの依頼証明書だそうだ。
僕とクラルスは念のため衣類を隠すために外套を羽織り、被害に遭った家族の家へ向かう。今までの被害者は八人。チェルシーさんの屋敷から近 い順に回る。
ひと家族目の家の前に到着をした。リュエールさんが扉を叩くと一人の女性が姿を現す。被害に遭った家族の母親だろう。
「何かご用ですか?」
「突然の訪問で申しわけありません。チェルシー・クラークより誘拐事件の聴取を任されました。少しお時間よろしいでしょうか?」
リュエールさんはチェルシーさんが書いてくれた依頼証明を女性に見せる。書状を見て表情を曇らせたが、少しだけならと話に応じてくれた。
この家の少女が怪事件に巻き込まれる前から既に怪事件のことは街中に知れ渡っていたそうだ。
怪事件に遭う日の夜、少女はとても落ち着きがない様子だったらしい。両親が訪ねても「何でもない」の一点張りだったそうだ。そして少女は夜 中に忽然と姿を消してしまった。
「何か物音は聞いたりしたのですか?」
「寝ていたもので何も気がつくことができませんでした。それが本当に悔しくて仕方ありません。もう娘がいなくなって一ヶ月になります。どうか 無事でいてほしいです」
女性の声は震えており、目尻には涙が溜まっていた。彼女の気持ちは痛いほどわかる。家族が離れてしまった寂しさ。何もできなかったことの悔 しさがセラのことと重なった。
昨晩は何か手がかりでも見つかればと考えていた。被害に遭われた家族と直接会い、心に触れて絶対に事件を解決して少女を家族の元にへ返して あげたい。
「お話してくださって、ありがとうございました。些細なことでもいいので何か思い出しましたらクラーク家にお越しください」
「はい。お務めごくろうさまです」
僕たちは女性に会釈をして次の被害に遭った家族の元へ歩いて行く。
「……辛いな。被害に遭った家族を見るのは……」
「うん……。僕、事件を解決するために全力で頑張るよ。街の人たちの悲しい顔は見たくない」
「えぇ。そうですね」
そのあとも被害に遭った家族に聴取をしたが、これといって有力な手がかりを得ることはできなかった。僕たちは広場の端にある長椅子に腰を下 ろし、遅めの昼食をとる。
パンに野菜と豚肉の塩漬けが挟んである素朴なものだが、塩気が丁度よくおいしい。
「結局、手がかりなかったな」
シンはクラルスが聴取のときに書いていた紙を眺めながらパンを頬張っている。
「そんなことないわよ。聴取してわかったことがあるわ」
「何ですか?」
「夜の警備が強化されたあと発生した事件だけど、就寝中に襲われたのなら抵抗して物音くらいしてもいいじゃない? それが全くないということ は誘拐された少女自ら夜中に外へ出た可能性があるわ」
リュエールさんの仮説に思わず面食らってしまう。彼女の仮説が正しかった場合、なぜ危険を冒してまで少女たちは外に出ようとしたのだろう か。
クラルスはリュエールさんの言葉を理解できているのか納得した様子だった。
「……なるほど。少女たちは自ら外に出なければならなかった。と申し上げたほうが正しいですね」
「そうね。逆らえないような立場の人に呼び出されたのなら、危険とわかっていても出なければいけないでしょう」
そうなると当てはまる人物はかなり絞られる。
「リュエールさん。それでしたら証拠を押さえれば犯人を捕まえられるかもしれませんね」
「戻ってチェルシーに貴族や長のことを聞いてみましょうか」
僕たちは急いで昼食を済ませてチェルシーさんの屋敷へと戻った。玄関の扉を開けると広間でチェルシーさんとリリアナさんが資料を見ながら話 をしていた。
「リリアナ。明後日までに資料をまとめるの大丈夫かしら?」
「はい。明日の午前中までには仕上げられます」
「本当? 助かるわ」
チェルシーさんは僕たちに気がつくとほほ笑み、リリアナさんは一礼をする。
「リュエールたち、おかえりなさい。何かわかったことあったかしら?」
「おかえりなさいませ」
「チェルシー。少し聞きたいことあるのだけどいいかしら?」
チェルシーさんは僕たちを広間の前にある部屋へと案内する。
「リリアナ。私がお茶の準備をするから資料のほうをお願いね」
「かしこまりました」
リリアナさんは僕たちに会釈をすると足早に立ち去っていった。チェルシーさんは手際よく紅茶を作り僕たちの前に運んでくる。
「あのリリアナって侍女のこと、ずいぶん信頼しているのね」
「えぇ。侍女の仕事のほかに簡単な雑務までこなしてくれるの。本当、助かっているわ」
リリアナさんはチェルシーさんに拾ってくれた恩義があるので手伝っているのだろうか。主と侍女の関係だけではなく、お互い信頼していること がうかがえた。
「それで聞きたいことって何かしら?」
「犯人の候補が貴族や上流騎士だと思うのだけど何か調べたりしたことある?」
「私も貴族絡みではないのかと思って内密に見張りをつけたこともあったわ。それでも事件が起きてしまったのよ」
「星永騎士や将校の可能性は?」
チェルシーさんは資料を持ってきてくれるらしく席を立ち部屋から出て行く。戻ってきたチェルシーさんは数枚の紙を僕たちに見せてくれた。
「夜の見回り番の割り振り表よ。ごく一部にしか、この表は見せていないし複写は禁止しているの。見回りする騎士には当日伝えられるわ。この表 を覚えていないと犯行は難しいわね」
一ヶ月間の見回りに関して詳細な割り振りが決められている。時間も指定されているものや、任意の時間まであった。表に規則性は存在していな い。
「……この表借りていいかしら?」
「えぇ。何か役に立つなら……。また気になることがあったら聞いて。何でもするわ」
「ありがとうチェルシー」
リュエールさんは表を借りて僕たちは与えられた部屋へと戻った。
シンは寝台へ転がると大きなため息をつく。
「……俺の頭だと無理だ」
「まだ聴取の一日目よ。このくらいで疲れてどうするの」
「頭使うのは苦手なんだよ」
シンは枕をかかえて足をばたばたしている。僕もあまり力にはなれてないけど、それぞれの目線から事件を見ていけば何か手がかりを見つけられ るかもしれない。
「シンがんばろう。四人で考えれば何かわかるかもしれないよ」
シンを寝台から引きずり下ろして席に座らせた。今日は見回り表と事件の資料を見比べたが、特に手がかりとなるものは見つけられなかった。
明日は露店市場へ行き情報収集をするそうだ。
翌日。早速僕たちは露店市場へと向かう。露店市場は活気に溢れており、山菜や川魚が主に売られていた。リュエールさんは山菜を売っている女 性へ話しかける。
「すみません。街で起きている怪事件について聞きたいのですけど……」
「あなた雇われた探偵さん? 今まで何人も探偵が聴取しにきているけど、未だに犯人は捕まっていないねぇ」
「目撃者の話は聞かないのですか?」
「聞かないね。忽然と消えるから精霊に連れて行かれたって噂が出るくらいだ」
巷では街に隣接する泉の精霊に魅入られて連れて行かれたと噂が立っているそうだ。迷信だと思うが、手がかりのない怪事件なのでこのような噂 が立っても仕方ない。
「いつも事件の次の日にクラーク家の侍女がいろいろ聞き回っていたね。事件の解決をしたくて必死さが伝わって
「そうなのですね」
リリアナさんは独自に事件を調べていると話していた。チェルシーさんの役に立ちたくて露店市場で聞き込みをしていたのだろうか。
他の露店市場でも話を聞いてみたが精霊の仕業、人身売買など噂がはびこっていた。怪事件の恐怖で気がふれてしまったのか、泉の近くで命を 絶った人もいるらしい。
露店市場での聴取を終えて僕たちは外壁沿いに置かれている長椅子に腰を下ろした。
「精霊、精霊っているわけないよなぁ」
「僕もそう思うけど……。リュエールさん噂の泉に行ってみませんか?」
「そうね。念のため行ってみましょうか」
僕たちは精霊がいるという泉がある森へ向かう。チェルシーさんの屋敷に隣接するように森が広がっていた。薄暗い森ではなく、光の帯が揺れて いて幻想的で美しさを感じる。
しばらく歩くと家屋二棟分くらいの泉が、太陽の光を浴びて水面がきらきらと輝いていた。
「特に怪しいところはありませんね」
「うん。きれいな場所だよ」
泉の周りを一周してみたが何か手がかりになるようなものは見つけられなかった。こんなに綺麗な場所でわざわざ命を絶つのも不思議だ。
日も西に傾いてきたので僕たちはチェルシーさんの屋敷へと戻る。玄関の広間でリリアナさんが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。今日はいかがでしたか?」
「なーんも手がかりなし」
リリアナさんは落胆しているシンを慰めている。
「リリアナ。あなたも事件を独自に調べているのよね? まとめた資料があれば見せて欲しいのだけど」
「……申しわけありません。お恥ずかしいのですが、資料作成をするほどの手がかりを見つけられていないので……」
リリアナさんは申しわけなさそうに眉を下げていた。彼女は侍女の仕事の合間に事件のことを調べているそうだ。
「そういえば、ずいぶん犯人捜しに熱心なのね。露店市場の人たちがあなたが聞き込みに回っていると教えてもらったわ」
「……実は以前、働いていた街で同じような事件がありまして……。仲良くしていた侍女がいなくなってしまったのです。私と同じような悲しい思 いになる人をこれ以上増やしたくありません」
「そんなことがあったのですね……」
リリアナさんの目尻には涙が浮かんでいる。彼女が一生懸命、事件を解決したいと行動していることに納得した。
「お見苦しいところをお見せしました。では私は仕事がありますので失礼します」
リリアナさんは涙を拭い、僕たちに一礼をして廊下の奥に歩いて行った。
彼女は二度も同じような事件に遭遇している。この事件を解決することはリリアナさんの心も救うことになるかもしれない。
「リリアナさんに辛い過去があったのですね」
「あぁ。犯人は同じかわからないけどリリアナのためにも解決しよう」
シンと顔を見合わせてうなづいた。
部屋に戻り寝るまでの間、事件の資料を見直す。
「それにしても手がかりが全くでてこないとは犯人は相当手練れですね」
「……そうなのよ。不自然なほどに目撃情報、手がかりが全く掴めない」
リュエールさんは僕に見回り表を差し出す。事件のあった日には薄く丸が書いてあった。リュエールさんが書き足したのだろう。
「事件があった日に印をつけたのだけど何か気がつくことある?」
三ヶ月分の見回り表を見たが規則性らしきものは見当たらなかった。
「えっと、規則性がないことくらいしかわからないです」
「そう……。見回り表の時間は無作為。それをかいくぐって犯行をしているということは、犯人はこの表の存在を認知している」
「それでしたら見ている方は限られてきますよね」
犯人の枠がだいぶ絞れたと思う。しかし、リュエールさんはため息をついてから言葉を紡いだ。
「犯人に辿り着けるかもしれないけど結局そこまでなの」
「……。言い逃れできない物的証拠が必要ですね。結局、問い詰めても証拠がなければ言いがかりになってしまいます」
母上や父上も罪を犯しても証拠がなければ罰せられないと話していたことを思い出す。あと数日でなんとか証拠を見つけたい。
「明日はどうしますか?」
「騎士団の兵舎に行こうと思うわ。リアとクラルスは顔が知られている可能性があるから私とシンで行って来るわね」
「わかりました」
チェルシーさん以外で見回り表を知っているのは、騎士団をまとめている将校や星永騎士だろう。僕とクラルスは資料室で街周辺の地形を調べる ことになった。
「騎士団内の誰かの犯行だったら複数犯の可能性が高いわね」
「もし騎士が犯人でしたら、同じ騎士としてあるまじき行為です」
クラルスは眉をつり上げている。
リュエールさんは犯罪の瞬間を取り押さえることができれば、一番手っ取り早いと話していた。
しかし、僕たちがこれだけ街中を散策しているので犯行に及ぶ可能性は低いと思う。
今日の話し合いも終わり、それぞれ寝台に横になり眠りにつく。少しずつ犯人へ近づいている実感があった。
ずっと怪事件のことを考えていて、なかなか寝つけない。
昼間、露店市場で聞いた泉の近くで命を絶った人がいるという話。僕のなかで引っかかっていた。どうしても気になってしまい事件記録を見に資 料室へ向かおうと決める。
起き上がり、寝台から這い出るとクラルスが目を覚ます。
「……リア様どちらへ?」
「少し気になることがあって資料室に資料取りにいってくるよ」
「今からですか? おともいたします」
「大丈夫。資料を取ってきたらすぐ部屋に戻るから」
クラルスが寝ているところを起こしてしまい申しわけない。資料だけ取って早く部屋に戻ろう。僕は足早に部屋を出て資料室へと向かった。
深夜なので廊下は人の気配もなく静まりかえっている。月明かりが廊下を照らし、僕の足音だけが響いていた。
資料室は貴賓室とは反対にある。玄関の広間を抜けて資料室の扉の前まで辿り着く。
扉を開けようと取っ手に手をかけたが回らず、侵入を拒んだ。鍵がかかっているようだ。夜は防犯のために各部屋は鍵をかけているのかもしれな い。
諦めて立ち去ろうとしたとき、足音と玄関広間のほうから小さな灯りが見えた。月明かりを頼りに目を凝らして見るとリリアナさんだ。
屋敷の見回りをしているのか角灯を持っている。彼女は僕に気がつくと足早に僕のもとへ駆け寄ってきた。
「王子殿下? どうなさいました?」
「少し眠れなくて……。気になったことがあったので資料を見ようかと思いました」
「あまり根詰めますとお体に障ります。朝一で資料室はお開けしますので、お休みなさったほうがよろしいかと」
「……そうですね」
リリアナさんに迷惑をかけるわけにもいかないので、大人しく自室に戻ったほうがいいだろう。
「……王子殿下。もし、よろしければ安眠効果のある紅茶を淹れますがいかがですか? 疲労回復の効果もあります」
「そう……ですか。では、一杯だけいただきますね」
彼女の優しさを無下にはせずに紅茶をいただくことにする。それに、リリアナさんが調べた怪事件のことを聞けていなかったので、聞いてみよう と思う。
彼女のあとをついていくと、資料室のすぐ近くにある部屋へと移動する。どうやらリリアナさんの私室のようだ。さすがに女性の部屋に入ること はためらってしまう。
「あの……リリアナさんの私室へ入るのは……」
「どうしても王子殿下に見せたいものがあるのです」
「見せたいもの……ですか?」
「少しだけお時間をください。お願いします」
彼女は深々と頭をさげた。遅くなるとクラルスが心配してしまう。しかし、あまりにもリリアナさんが懇願するので断ることが心苦しい。
「では……少しだけでしたら」
「ありがとうございます。すぐに紅茶のご用意をいたしますね」
彼女は僕を招き入れると急いで紅茶の準備をはじめた。
リリアナさんの私室はとても綺麗で一人部屋としては少々大きいくらいの広さだ。大きな窓からは裏庭が見える。
清潔感のある布が敷かれた円卓の椅子に腰を下ろし、部屋を見回す。
「綺麗なお部屋ですね」
「侍女として住み込みで働いているのは私だけなのです。チェルシー様のご厚意でこちらの部屋を与えてくださいました」
彼女は紅茶を淹れながら答える。寝台の奥は物置になっているのか厚い布で仕切られていた。あまり部屋の中を見るのは失礼かと思い、窓から見 える裏庭を眺める。さまざまな色の薔薇が植えられていた。
玄関前と同じく綺麗に剪定されている。
「チェルシーさんは薔薇が好きなのですね」
「えぇ。特に白い薔薇がお好きで、毎朝チェルシー様のお部屋に飾ることが日課になっております」
他愛もない話をしていると僕の前に紅茶が置かれた。いつも出されている薄茶色の紅茶ではなく少し赤みかかっている。
「変わった色の紅茶ですね」
「薔薇の花びらから抽出しました。安眠効果があります」
ひと口いただくと砂糖を入れていないのに、ほのかに甘く感じた。味わったことのない紅茶でおいしい。
「とてもおいしいですね」
「ありがとうございます。もしよろしければ明日の就寝前にお持ちいたしますね」
彼女は僕の反対側の椅子に腰を下ろすと、僕のことをじっとみていた。不思議に思い首を傾げると、リリアナさんは顔を少し赤らめて視線をそら す。
「申しわけありません。王子殿下のお顔を間近で拝見することが初めてなので……」
「いえ、気にしないでください」
僕は紅茶を半分ほどいただいたあと、彼女に怪事件のことを聞いてみた。
「リリアナさん。怪事件について調べているのですよね」
「はい。一般人の私がこのようなことをするのはおこがましいかもしれません」
「そんなことありません。ささいな情報から犯人を追い詰められるかもしれません。一緒に頑張りましょう」
「ありがとうございます。あの……王子殿下は何か怪事件について、わかったことはございますか?」
僕は未だに有力な手がかりが見つかっていないことと、明日の予定をリリアナさんへ伝えた。
「犯人像がだいぶ絞られているので、物的証拠さえ見つかれば追い詰められるかもしれません」
「本当ですか? 私はチェルシー様を陥れようとしている貴族が怪しいと思うのですが……」
僕は見回り表のことを説明するとリリアナさんは頷きながら真剣な表情で聞いていた。
「リュエールさんは騎士を怪しんでいるようです」
「まさか騎士であろう方が犯人とは……」
「まだ犯人とは限りませんが、見回り表の存在を認知している人物が犯人だと思います」
僕は残りの紅茶をすべて飲み干し、喉を潤す。彼女は夜空に浮かんでいる満月に視線を移した。
「警備や見回りが厳しくなっているのに、犯行を繰り返してることが不思議です。僕がもし犯人なら止めてしまいますね」
「……そうですね。私も今宵が最後だと思います。こんなに月明かりがまぶしいのですから」
「……今宵……?」
ゆっくりとリリアナさんが僕のほうを向いた。彼女の口は薄笑いを浮かべている。彼女の言動がおかしい。
なぜ”今宵”と断言したのだろう。
突然、視界が歪み身体の力が抜けてる。僕は椅子からずり落ち、床に転がった。
「……身体が……」
僕の頭上からリリアナさんの含み笑いが聞こえてくる。声を出そうとしたが掠れてうまく言葉が出ない。
彼女は僕を軽々と抱きかかえると寝台へ放り投げた。僕の解いてある髪が寝台へ散らばる。
「やっと手に入れた。最高のお人形」
「……リリアナさん。……どう……したのですか……」
「私は、綺麗な子を愛でるのが好きなの。これが私のみせたいものよ。見て、私の収集したお人形たち」
彼女は寝台近くの布を少し左へ引くと、大きな硝子の入れ物に人と同じ大きさの人形が飾られていた。
よく見ると人形ではない。綺麗な服を着せられた本物の人間だ。
「色々な国や街でお人形をたくさん作ってきたわ。それでね。この国の王都を訪れたとき王子と王女を見てお人形の素材に最高だと思ったわ。雪の ような美しい銀髪。太陽のような煌びやかな赤髪。二人をお人形にしたくて仕方なかった」
リリアナさんの顔は狂喜で塗りつぶされている。僕は彼女の言動で悟った。この事件の犯人はリリアナさんだ。
彼女は、引いた布を元に戻すとゆっくりと僕のもとへ歩いてきた。
「あなたが屋敷にきたときは興奮したわ。どうやって護衛から離そうかずっと考えていたのに、まさか一人であんなところにいるだなんて……運が いいわ。最高だわ」
リリアナさんの豹変に恐怖を感じた。リリアナさんは僕の散らばっている髪を弄ぶ。髪に口づけをしたあと、僕の上に覆い被さる。
「そんな心配そうな顔をしないで。しばらくは生き人形として一緒に旅をしましょうね」
彼女は僕の耳に顔を近づけると耳たぶを甘噛みした。生暖かい舌が首筋を這い、肌が粟立つ。
「や……めて……ください……」
リリアナさんを押し退けたくても身体に力が入らず、されるがままだ。嫌悪感がせり上がり、吐き気がする。
彼女は耳元でささやいた。
「あなた、この国で王子という立場でありながら忌み嫌われているそうじゃない。可哀想な子」
リリアナさんの言葉に心臓が跳ねる。チェルシーさんの侍女として働いている間に僕のことを聞いたのだろうか。
「王子でなかったら皆あなたのそばにいないでしょうね。必要なのは肩書きであってあなた自身ではないのよ。あの護衛も王子でなければ一緒にい なかったでしょう。本当はあなたは誰にも愛されていない」
心に痛みが走る。彼女の言葉を否定したかった。しかし、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。
この国の王子という立場だから同情して優しくしてくれるのでないのか。仕方なく一緒にいるのではないのか。不安を煽られ表情が歪む。
リリアナさんは僕の顔を見て口元を三日月に変える。彼女は続けて言葉を紡いだ。
「あなたは今夜すべてを投げ出してこの国から亡命したことにしておくわ。この先、私があなたを愛でてあげる。そして、私しか考えられないよう にしてあげるわ」
彼女は僕の首筋に思い切り噛みついた。あまりの痛さにおもわず身体が仰け反る。
「痛いっ……!」
身をよじることしかできず、痛みに耐えるしかない。彼女の歯がりぎりぎと僕の肌に食い込んだ。
リリアナさんの口が離れると噛まれた箇所がずきずきと痛む。彼女は恍惚の表情をしていた。あまりにも異常な行動に身体が強張る。
「さて、お人形は私が作った服に着替えましょうか」
リリアナさんが僕の服の留め具に手をかけた。
そのとき、扉を激しく叩く音が室内に響く。チェルシーさんが彼女の名前を必死に呼んでいた。リリアナさんは舌打ちをして扉へと向かってい く。
「チェルシー様。どうかなさいました?」
「遅くにごめんなさい。王子殿下どこかで見なかったかしら?」
彼女は部屋から出て行く。廊下からリュエールさん、シン、クラルスの声が微かに聞こえてくる。
「リア様が資料室に行くと仰っていたのです。あまりにも遅いので様子を見に行きましたら鍵がかかっていまして……。どちらに行かれたかご存じ ですか?」
「ここの他に資料室なんてないよな? リア、どこに行ったんだよ」
皆、僕を探してくれている。治癒魔法を使おうとしても酷い眩暈で集中できなかった。なんとか、この部屋にいることを知らせたい。
僕はあたりを見回す。窓際の机の上に置かれたままの紅茶の容器が目に入った。
あそこまで這っていき、机に敷いてある布を引けば容器を落として音を立てられる。皆に気がついてもらえるかもしれない。
思うように動かない身体を必死に動かす。身をよじってなんとか寝台から床に落下する。
「リュエールさん……シン……クラルス……」
声を出しても掠れて大声は出せない。早くしなければと思っていても身体は鉛のように重い。そうしている間にリリアナさんの声が聞こえた。
「王子殿下は……外へ行かれました。その……何か思い悩んだ様子で……。出て行ったことを内密にしてほしいと口止めされていました」
「えっ!? リアどうしたのかしら……」
そんな嘘に騙されないでほしい。僕は懸命に机まで這っていく。
円卓に敷いてある布に手をかけようとしたが、腕が上がらない。その間に眩暈は酷くなり意識が飛びそうになる。
「もしかしてお国のことで疲れてしまったのではないでしょうか……」
「俺らに何の相談もなしにか!? とにかくリアを追いかけよう。まだ近くにいるかもしれない!」
皆が行ってしまう。僕はここにいる。不意にリリアナさんの言葉を思い出す。
必要なのは肩書きであってあなた自身ではない。誰にも愛されていない。
本当は僕が皆の枷になっているのではないのか。邪魔ではないのか。いなくなってしばえばいいのではないのか。
布に伸ばしていた手を床に下ろす。意識が暗闇に沈もうとしていたとき、クラルスの声が聞こえた。
「リリアナさん。あなた嘘をついていますね」
「なっ……何を根拠に」
「リア様は私を置いていかないと約束しました。リア様は約束を違えるような方ではありません」
「そんなのわからないですよね。王子殿下の心中をあなたは知っているというのですか?」
「……私はリア様の護衛です。リア様を……信じています」
彼の言葉に応えたい。周りにいくら僕を否定されても、皆が僕にくれたすべての言葉や優しさ愛情を信じたい。
再び手を伸ばして震える手で布を掴み自分の体重で引きずり下ろした。
両脇に紅茶の容器が落ちて破片が飛び散る。大きな音が出たとともに乱暴に部屋の扉が開かれた。
「り……リア様!!」
クラルスが僕のそばへ駆け寄ってきてくれた。彼の顔を見て安心する。
「クラルス……」
「あああっ! 私のお人形が!! 触るな!!」
リリアナさんはこの世のものとは思えない形相をしていた。彼女は服の間から短剣を取り出しクラルスに襲いかかる。
彼は近くにあった椅子をリリアナさんに投げつた。彼女がひるんだ隙に僕を抱き上げて退避する。
「この変態女!」
シンは近くにあった盆を氷結させ彼女に投げつける。リリアナさんは腕で弾くと寝台の下から鞄を一つ取り出した。
「おまえらのせいでせっかくの人形が台無しだ! もうここには用はない!」
彼女は窓を開けると裏庭に飛び出した。またたく間に塀を跳び越えて近くの森に姿を消す。あまりにも急な出来事に皆、言葉を失っていた。
すぐにチェルシーさんは医者を呼び、解毒剤を調合してもらう。彼女は信頼していたリリアナさんに裏切られ酷く落ち込んでいた。
「リリアナ……どうして……」
「チェルシー……。今は休みましょう」
リュエールさんはチェルシーさんの肩を抱いて部屋から退室した。
リリアナさんの事件から三日後。いろいろなことが明らかになった。事件の被害者の少女たちは残念ながら全員亡くなっていた。彼女たちは家族 の元へ帰されたそうだ。
リリアナさんは複数の国で同じような犯罪をして、国を転々としている犯罪者らしい。”リリアナ”という名前も本名ではないそうだ。
また彼女は別の国や街で同じことを繰り返すのだろうか。止められなかったことを悔やんだ。
僕は紅茶に入っていた薬のせいで一日ほど声も出せず、動くこともできなかった。解毒剤のおかげで今は普通に動けるようになっている。
あのまま皆に気づかれなかったら、僕は彼女の人形として飾られていたのかもしれない。
身支度が終わったころ、リュエールさんが僕たちの部屋を訪れた。
「リア。体調は大丈夫かしら?」
「はい。おかげさまでよくなりました」
リュエールさんは安堵の表情を見せる。寝台に寝転んでいたシンは
「しかし、リリアナが犯人だったとはな。全然気がつかなかった」
「まさかあんなことになるとは思わなかったよ。助けてくれてありがとう」
鏡を見やると、首筋に彼女から噛まれた痕がまだうっすらと残っている。
「事件をまとめた資料がないって言った時点で、少し怪しいと思っていたけどね」
「えぇ! リュエさん、わかっていたの?」
リュエールさんは、証拠となるものが掴めなかったとき、チェルシーさんに進言して帰る予定だったらしい。
「手がかりがなくても情報を整理するために聞いたこととか書き留めておくでしょう? それがまったくないというのは怪しすぎるわ。彼女がして いた聞き込みは自分で何か痕跡を残していないか聞いていたのでしょう」
「そして、何か見たり聞いた人は”精霊の呪い”ということにして消していたのですね」
「正解!」
それだけリリアナさんが犯罪に対して手練れだったのだろう。
シンは伸びをしながらリュエールさんへ問いかけた。
「なぁリュエさん。被害者の人たちってさ、どうやって呼び出されたんだ?」
「憶測だけど、チェルシーの名を使ったのでしょう。さすがに貴族の呼び出しは断れないわよね」
「騎士が見回りをしていない時間を指定して呼び出したってこと?」
「正解! 見回り表はチェルシーの部屋から盗み見でもしたのでしょう。本人が白状していない今、真相は闇の中ね」
リュエールさんは肩をすくめた。
綺麗な人を殺してまでも飾っておきたい。彼女の気持ちは僕には理解できないことだった。
「さて、チェルシーもだいぶ心の整理がついたみたい。今日は話を進めましょうか」
リュエールさんに玄関前の大きな部屋へ案内された。チェルシーさんはすでに席で待っている。
僕たちを見ると椅子から立ち上がり一礼をした。
「王子殿下お身体の具合はいかがですか?」
「もう大丈夫です。お気づかいありがとうございます」
「どうぞ、おかけください」
チェルシーさんを見ると少しやつれている気がした。リリアナさんのことは相当、堪えたのだろう。
「チェルシー。大丈夫?」
「えぇ。いつまでも落ち込んでいられないわ。私はこの街を統治する貴族ですから」
彼女は柔らかくほほ笑む。無理はしないで欲しい。しかし立場上、気丈に振る舞わなければならないときもある。彼女の気持ちは痛いほどわかっ た。
「この度は事件を解決してくださり、ありがとうございました。ラザレースにも平和が戻るでしょう。お約束通りラザレースの騎士は星影団のお力 になることを約束します」
「ありがとうチェルシー。心強いわ」
「チェルシーさん。ありがとうございます」
ラザレースの騎士が協力してくれることになり胸をなでおろす。リュエールさんも安堵の表情を見せた。少しずつではあるけれど確実に前進して いる。
いつか僕の伸ばした手がセラに届く日も来るはず。
「騎士の出動要請することになったら連絡するわ。それと王都からの騎士招集があったら連絡ちょうだい。対策を考えるわ」
「えぇ。そのときは、また相談するわ」
突然、玄関のほうから侍女の慌ただしい声が聞こえてきた。
遅れて乱暴に扉を開けて一人の青年が部屋に入ってくる。
「あれ? もしかして遅かったかな? 参ったなぁ王子さんに怒られそう」
「あ……あなた何者ですか!? ご退室願います!」
チェルシーさんが慌てて立ち上がる。どうやら招かれざる客のようだ。
「当主様に急用なんだよ! 王都に騎士を送ってくれないかな?」
「えっ……それは……」
「これ、セラちゃん……。じゃなかった。セラスフィーナ王女殿下からの正式な要請書だよ」
青年は一枚の用紙を取り出すと机の上に投げた。彼は王都からの使者のようだ。またセラの名を使ってこのようなことをしているガルツに怒りを 覚える。警戒をして僕とリュエールさんは席から立つと、青年と目が合った。
「もしかしてリアくん? セラちゃんとあまり似てないねぇ。でも女の子みたいで可愛いな」
喋りながら彼は僕に近づいてくる。クラルスは青年を阻むように前へ出て剣を抜いた。剣先は青年の喉すれすれで止まっている。
「これ以上、リア様に近寄るな」
彼は表情を崩すことなくクラルスを見ている。緊張が走り空気が張り詰めた。
「どうして専属護衛って皆、乱暴なのかなぁ。この前も殴ってきたし」
青年の言葉でルシオラがまだ生きているということがわかった。セラが王都で一人ではないことに安堵する。
「あの……あなたは?」
「まだ名前を言ってなかったね。俺はエルヴィス。ミステイル王国ガルツ王子殿下の護衛なんだけど今はお使い中」
「ガルツの護衛?」
「あぁ。心配しないで、王子さんにはもう一人頼れる護衛がいるから」
僕はそういう意味で言葉を発したわけではない。
お使いとはラザレースの騎士を引き入れるために交渉することだろう。
この状況はよくない。僕たちがいる状況でチェルシーさんが拒否すれば反逆したとみなされる。ラザレースの街は攻撃を受ける可能性があった。
「リアくんさぁ。もう止めなよ戦争。端から見たら両親を殺して妹を殺そうとしている兄だよ? リアくんが反抗すればするほどみんな苦しむのわ からないかな?」
「真実を歪めようとしないでください。たとえ辛くてもセラを救うため、ルナーエ国の未来のために僕は戦います」
彼は呆れた表情をしてチェルシーさんを見やる。
「で……当主様はどうするの? 協力するの? それとも反逆する?」
チェルシーさんは口を閉ざしている。
彼女の判断でラザレースの立ち位置が変わってしまう。街の人たちの安全を考えると王都の要請に応じるしかない。
リュエールさんは彼女に判断を委ねるように無言を貫いている。
チェルシーさんは彼を見据えて言葉を紡いだ。
「王女殿下の……いえ、ガルツ王子の要請は受け入れられません。私は星影団と王子殿下を信じます」
「え……本気? この街見せしめに壊しちゃうよ?」
「そんなことさせないわ! ラザレースは私たちが守るわ!」
そのとき、クラルスが隙を突いてエルヴィスに剣を振るう。彼はクラルスの剣をかわすと距離を置いた。
「危ない危ない。不意打ちなんて卑怯だなぁ。この場でやってもいいけどお楽しみはとっておくね。リアくん今度は戦場で会おう」
彼はひらひらと手を振りながら部屋から出て行った。軽く言っていたがラザレースに攻撃を仕掛けてくるつもりだ。
緊張の糸が解けて、チェルシーさんはその場に座り込む。
「チェルシー! どうして……」
リュエールさんは彼女のそばに駆け寄り肩を抱いた。なぜ彼女は街を危険にさらしてまで星影団に協力してくれたのだろう。
「どこかの街が声を上げなければ変わらないでしょう! リュエール、王子殿下。前に進んでください!」
「チェルシーさん……」
チェルシーさんの後押しに勇気づけられた。
そして、これから来るであろうエルヴィスが率いてくる軍からラザレースを防衛しなければいけない。
「とにかく応援を呼ばないといけないわね。すぐにカルムを飛ばすわ」
「私は騎士を説得してくるわ。今すぐできることをしましょう」
チェルシーさんは立ち上がり急いで部屋を出て行った。リュエールさんはため息を吐いて近くの椅子へ座る。
「まったくあの男。戦場であったら容赦しないわ」
「リュエさん。エルヴィスはあんな感じだけど注意したほうがいい。以前、戦争で一中隊を一人で壊滅させているんだ」
シンの話によると、エルヴィスの強さは異常なものだそうだ。クラルスの剣をかわしたとき、戦闘になれている人だと感じていた。
彼の戦争での強さを買われ数年前にガルツの護衛に抜擢されたらしい。
「わかったわ。穏やかに帰りたかったのだけどね。これから大変よ……」
これからラザレースを防衛するために動くことになる。星影団からの応援が間に合うかわからないが、街を守るために僕にできることはすべてし よう。
****
”隣国の国境線で不穏な動きあり”と通達され、俺たち少年兵は国境線近くの森付近で警備をしていた。いつまで軍にいるのかと自問する。
母親が病で亡くなったのは十五歳のときだ。薬代を稼ぐために軍に入ったのだが、母親が亡き今、ここにいる必要はない。しかし、辞めたところ で特にやりたいことはなかった。今更自分の街へ戻っても誰もいない家が待っているだけだ。父親と同じように国のために働いて生涯を終えようと 思っていた。
少年兵の仲間の輪から少し離れて星空を眺める。
「シン。どうした? いつも仲間と馬鹿みたいに騒いでいるのに」
彼は小麦色の髪を揺らして隣に座った。俺たち小隊の隊長だ。俺より一つ上の十八歳で隊長を任されている。今回の警備は五つの隊が派遣され、 司令官は他にいる。つまり隊長はごちゃごちゃしている俺たちのまとめ役みたいなものだ。
「なんでもねぇよ」
「相変わらずの口調だな。司令官の前では慎めよ」
隊長は苦笑いをしていた。彼は俺を何かと気にかけてくれている。初めは天涯孤独になった俺への同情だと思っていた。わざと避けていたが、そ れでも熱心に面倒をみてくれている。いつしか反抗心は消えて、俺の中では兄のような存在になっていた。
「シン。最近の噂知っているか?」
「もしかして特別指令の話?」
「あぁ。特別指令を受けて帰ってきた少年兵はいない。おかしいと思わないか?」
「そりゃそうだけど……」
数年前から少年兵に向けて特別指令となるものが年に数回ある。試験がありそれに合格した者の中から十数人、特別指令を受けるらしい。極秘任 務らしく、給金が今の三倍まで跳ね上がるそうだ。
しかし、特別指令を受けた少年兵は誰一人帰って来なかった。任期中だと思っていたが、初めて指令を受けた人たちは四年経っている。入れ替わ り制ではないらしい。そのため一部の少年兵の間では悪い噂が立っていた。
「シン。軍にいる必要がないなら近いうちに辞めたほうがいい」
「はぁ? 辞めるって……。そこまでか? 辞めるとき面倒なの隊長知っているだろう」
ミステイル王国はガルツ王子が軍政に関わるようになってから、軍事力を強めるようになっていた。そのため戦力外の奴以外は軍を辞めるのに面 倒くさい書類を何枚も書かされ審査期間もある。
「……悪い。お前の人生に口を挟むことじゃないな」
「気にするな。それにあんたを置いて辞めるだなんて俺にできると思うか?」
俺の言葉を聞いた隊長は嬉しそうに俺の頭を乱暴になでる。隊長は少年兵といえども地位を与えられているので簡単には辞められないだろう。そ れに噂の特別指令は試験を受けなければならない。無作為に試験を受ける人を選んでいるらしく、俺は未だに当たったことはなかった。
ある日、王都の兵舎へ久々に帰ってきた俺たちの隊は会議室に集められた。しばらくすると司令官と数人の兵士が現れた。兵士の一人は丸い穴の 空いた木箱を抱えている。
「今から特別指令の試験を行う。この中に手を入れて中のものを掴み、感じたことを正直に話せ」
噂の試験が行われるようだ。危険なものでも入っていて、度胸試しでもするのだろうか。最初に呼ばれた奴は、おそるおそる手を入れた。そのあ と、何事もなかったようで安心した表情で手を抜く。どうやら危ないものが入っているわけではなさそうだ。
終わった奴から会議室を追い出されていく。俺は近くにいた隊長に話しかけた。
「隊長。あの中身なんだろうな」
「さぁな。でも何か嫌な予感がする……」
隊長は顔をしかめていた。俺の番になり木箱の中に手を入れる。何かひんやりとしたものが手に触れた。ごつごつした岩のような感じがする。
そのとき、掌がぞわりとした。何かになでられるような感覚があり思わず木箱から手を出す。
「何だ? どうした」
「いや……。何か変な感じがした」
木箱の隣にいる兵士は何かを記録しているようだ。そのあと、もう一度触れろとはいわれずに会議室の外へ出された。
全員の試験が終わり、隊長が皆に聞いたところ十二人中、俺と隊長を含めて四人が中のものに触れて何かを感じ取ったようだ。
試験があった一週間後、兵舎の掲示板に特別指令が張り出された。その中に俺と隊長の名前が書いてある。全員で十六名のようだ。試験のときに 何かを感じ取った人が選ばれたのだろう。
選ばれた奴は給金が上がるとよろこんでいる。俺は独り身なので給金が上がるのは特によろこばしいことではなかった。
その日にすぐ司令官に呼び出され、特別指令を受けた奴は馬車に詰められる。これからある場所へ移動するそうだ。何をするのか説明も不十分。 よほど情報を漏らされたくないのだろう。
二日ほどで目的の場所へ着いた。広大な敷地が高い塀に囲まれている三階建ての建物だ。周りは森でミステイルのどの場所にいるのか、わからな い。
俺たちを一つの部屋に押し込めると、また一人ずつ呼び出される。皆、どんな特別な任務なのだろうと希望に満ちあふれていた。その中で隊長だ けは浮かない顔をしている。
「隊長。給金上がるからよかったな。俺はあまり関係ないけど」
「あ……あぁ。上手く言えないがここはあまりよくない場所だと思う。虫の知らせっていうやつかな」
「あんな塀に囲まれているから不安だよな。今からの任務は機密なんだろう」
「……俺の杞憂だといいな」
隊長が呼ばれ皆がいる部屋から消えた。
俺の番になり、個室へと押し込まれる。突然口を布で覆われ、目の前にある机に二人がかりで上半身を押しつけられる。なぜこんなことをされる のかわからず、思考が追いつかない。
「いいぞ。やれ」
左手の甲に紫色の石が置かれると、一人の男が手をかざした。全身を針で刺されたような痛みが走る。口に布が当てられていなかったら俺の絶叫 が響いていただろう。
「うぅっ! ぐっ!」
酷い眩暈がして気持ち悪い。浅い呼吸を繰り返していると二人の兵士が乱暴に俺の両脇をかかえて引きずっていく。
地下に連れて行かれるとひとつの部屋に押し込まれた。部屋というより牢屋のほうが表現的にあっているだろう。牢屋の中には二つの簡易的な寝 台があるだけだ。立ち上がれずに床に這いつくばっていると隊長が駆け寄ってきた。隊長は先に牢屋に入れられていたようだ。
「シン! 大丈夫か?」
「……これが大丈夫に見えるか?」
まだ眩暈のする頭を押さえながら立ち上がる。隊長に支えられて寝台へと座らされた。不意に隊長と自分の左手の変化に気がついた。中指に見慣 れない刻印と葡萄色に染まった爪。宝石を宿した証だ。
「俺たち宝石を宿されたのか?」
「あぁ。これはアメジストが宿った証だ」
「宝石宿すって言えばいいのに乱暴だな」
「シン。アメジストのこと知らないのか?」
アメジストの魔法は相手の精神や肉体の支配。ダイヤモンドと同様、適合者が少ないと有名な宝石らしい。
「へぇ。それでこんなもの宿して魔法を使わせるってこと?」
「俺の憶測だが試験のとき、箱に入っていたのはおそらくアメジストだろう。少しでも適合の可能性がある奴が特別指令としてここに連れてこられ たのだと思う」
適合者が少ないと聞いて今の状況に不安を抱いた。もし適合者なら丁重に扱われるはずだ。牢屋に押し込まれている奴らを見ると連れてこられた 全員不適合だったのだろう。いくら馬鹿な俺でもそのくらい察することができた。
「……。隊長。俺たちどうなるんだ?」
「このまま侵食症に侵されて死ぬまで被検体にされるんじゃないのか……」
不意に別の牢屋から泣きわめく声が聞こえてきた。
「嫌だ! 家に帰して! 死にたくない! 死にたくない!」
「落ち着け! 泣いたところでここから出られるわけじゃない!」
隊長は慌てて他の牢屋にいる少年兵たちを慰めた。多分隊長の言ったことはあっているだろう。外すつもりなら不適合とわかった時点で外せばい い。そうしなかったということは他に目的があるからだ。
焦るより脱出方法を考えよう。寝台に寝転び岩の天井を眺めた。
隙を見て脱出しようと思ったが甘かった。不適合者はわけのわからない薬を投与され、魔法を使わせる。それの繰り返しだった。指示に従わない 奴は暴行をされるので言うことを聞くしかない。俺は薬の副作用が酷くて魔法を使っている場合じゃなかった。
薬の投与ばかりされ、気持ち悪くて食事もできない日々が続く。皆、体力が落ちて廃人みたいになっている奴もいた。
ある日、別の牢屋から悲鳴が聞こえる。俺たちの見張りをしている兵士たちが駆けつけ、一人の少年兵を引きずり出した。
身体の左半分が紫色の結晶で覆われており、目は見開かれたままだ。それを見た少年兵たちは動揺して、叫びはじめた。
「うるさい! 黙れクソガキども! 殺されたいのか!」
見張りの兵士が抜剣をして牢屋の柵に剣を叩きつける。それを見た皆は口を閉ざし、すすり泣く声が聞こえた。
俺は眩暈と吐き気で泣きわめく気力さえない。隊長が心配そうな顔をして俺のそばまで来ると前髪をなでた。
「シン。大丈夫か?」
「なんとか……。あいつは死んだのか?」
「あぁ。結晶が心臓か肺にでも到達したんだろう」
隊長が一緒でなければ今ごろあいつらと同じで気が狂っていたかもしれない。
侵食症の進行は個人差があるようで、俺はまだ結晶化していなかった。隊長の左手を見ると手首まで既に結晶化している。
「シンはまだ結晶化始まっていないんだな」
「でも左手は痛いし、吐き気が辛い」
「吐き気は薬の副作用だろうな。水くらい飲め」
水の入った容器を口元に当てられたので少し飲む。眩暈がして意識が飛びそうになった。
意識がもうろうとしている中、隊長の顔を見ると彼の瞳には何かの決意の光が宿っている。
「……俺が……シンを助ける」
俺を助けてどうする。動けるなら一人で脱出しろ。俺は言葉にできず意識を手放した。
隊長はことあるごとに俺の代わりに実験へ向かった。止めろといっても聞かず、何度も代わりに連れて行かれる。その間にも少年兵の死者は増え て今は八人しかいない。
俺の体力はあるていど回復したが、代わりに隊長の体力は奪われ痩せ細っていく。
その日、実験から帰ってきた隊長は酷く衰弱していた。牢屋につく直前で足がもつれて倒れる。
「しっかり歩け!」
「……すみません」
牢屋に押し込まれ、倒れている隊長のそばへ駆け寄る。肩を貸して、寝台へと運んだ。あまりにも衰弱しているので不安になる。
「……隊長。水飲むか?」
「あぁ。ありがとう」
弱っている隊長に水を与え、そのままゆっくりと寝かした。隊長は苦しそうに呼吸を繰り返している。
「俺、明日から隊長の代わりに行く。もう十分だ」
彼は俺を見ると首を横に振った。いくら行くと言っても明日は絶対に行かせない。
「シン……。手握ってくれないか?」
「……あぁ」
隊長の冷たい右手を両手で包み込む。隊長は満足そうに弱々しくほほ笑んだ。
「シン。こんなこと言うとお前は怒るかもしれないけど、シンと俺の死んだ弟はよく似ているんだ。生意気なところとか優しいところとか……」
隊長に弟がいたことは知っていた。幼いころ弟は病で亡くしたらしい。隊長の弟と俺が似ていたから俺の面倒をよくみていたのだなと納得する。
「……俺は弟の代わりじゃない」
「分かっている。最初はそういう感情で接していたんだ。でも……今は、シンのこと本当の弟と思っている」
「……何言っているんだ……」
わざと隊長に悪態をつく。口には出さなかったが俺は隊長のことを本当の兄のように接していた。
なぜ隊長はわざわざそんなことを口にするのか考えたくない。
「……シン。一度だけ、俺のこと兄と呼んでくれないか?」
隊長に懇願するような目を向けられた。まるで最後の言葉のようだ。
「……馬鹿野郎。誰が呼ぶか。そんなことより、ここから脱出する方法を考えろ」
隊長が右手を握り返す。俺は薄々気がついていた。隊長は侵食症がかなり進行していて、わずかな時間しか一緒にいられない。それでも俺は認め たくなかった。
「……シン。頼む」
いつのまにか俺の目からは涙が溢れていた。悔しさ、悲しさ、やるせない気持ち。言葉が出ない代わりに涙が流れる。くすんだ灰色の敷布に染み を作った。
「……兄さん……」
無理やり笑顔を作って言葉を紡ぐ。隊長は満足そうにほほ笑むと俺の頬に伝っている涙を拭った。
「ありがとうシン。今日はよく眠れそうだ」
「……いいからとっとと寝ろよ」
袖で涙を乱暴に拭う。隊長を見ると真剣な表情で俺を見ていた。
「もし無事にここから脱出して、結晶化が始まっても諦めるな。生きてくれ……シン」
隊長はその言葉を言うと気絶するように眠った。脱出するにも出口までの経路が分からない。そして隊長を抱えて脱出することを考えないといけ ない。俺は明日から脱出する方法を模索することにした。
次の日、隊長を実験に連れて行くため、兵士二人がやってきた。
「出ろ。時間だ」
隊長が出て行こうとしたので俺は手を掴んで制止した。「俺が代わりに行く」言葉が出かけた瞬間、勢いよく隊長に突き飛ばされた。足が寝台に ぶつかりそのまま派手に床へ倒れる。
「……ありがとう。シン」
「た……隊長!!」
そのまま隊長は兵士に両脇を抱えられ連れて行かれる。届かないのはわかっているが鉄格子の間から手を伸ばした。
「隊長!! 何でだよ!」
隊長は歩きながら振り向くと口元が動いた。声には出していないがゆっくり動く。俺はかろうじで隊長が何を伝えたかったのか理解した。
隊長が実験から帰ってきたら説教をしてやろう。あの意味は何だと問い詰める。
しかし、いくら待っても隊長が戻ってくることはなかった。俺の牢屋へ夕食が運ばれたのは一人分だけ。それで理解した。隊長は死んでしまった のだと。
彼と一緒に脱出して、ミステイル国から亡命も覚悟していた。隊長と二人だったらどんな国へ行っても生きていける。ここから脱出したら改めて 「兄」と言いたかった。
寝台に横になり隣の空いている寝台を見つめる。食事も取らずに悲しみに打ちひしがれていたとき、不意に隊長が最後に伝えたことを思い出す。
まくらのした――――。
隊長が寝ていた枕の下に手をいれると何かがある。二つに折ってある紙だ。持ち上げると同時に紙の間からするりと何かが布団の上に落ちた。
それは一本の鍵。
慌てて鍵を拾い上げ自分の服の中に収める。紙を見ると血らしきもので簡易的な図が書かれていた。そして一カ所に丸が書いてある。
これを見てすぐに理解した。出口までの経路だ。紙の間から落ちた鍵は牢屋の鍵ではない。出口で使うのだろう。
隊長が俺の代わりに何度も行っていたのは、俺の体力を回復させるのと経路を覚えるためだ。鍵も隙を見て兵士から盗んだのだろう。すべて俺を 逃がすために。
「……馬鹿野郎」
いない相手に言葉を吐く。隊長がしてくれたことを無駄にはしない。俺はここから脱出を決意する。
見回りの兵士が二人歩いてきた。俺は寝台の上で苦しみもだえる。
「うぅ……痛い……痛い」
異常な苦しみかたをしたので、兵士が牢屋の鍵を開けて入ってきた。
「な……何だどうした!?」
「こいつ研究員に見せたほうがいいんじゃ……」
俺を引っ張り出そうと手を伸ばした瞬間、俺は勢いよく起き上がる。一人のみぞおちを殴りつけ、もう一人の首を強打する。膝をついた二人に追 い打ちでこめかみに蹴りを入れると気絶した。
「見張りばかりで身体が鈍っているんじゃねぇのか?」
倒れている兵士二人を布で縛り上げていると、別の牢屋から狂ったような叫び声が聞こえてきた。
「シンてめぇ! 一人で逃げる気か!」
「ふざけんじゃねぇぞ!」
鉄格子を壊す勢いで暴れている。生き残っていた少年兵たちは俺をにらみつけていた。目が血走っていて正気ではない。長い間、被検体にされて 心が壊れかけているのだろう。
俺は倒れている兵士から鍵束を取り、一人の牢屋へ投げ入れた。
「逃げるなら好きにしろ。ただ俺は自分のことで精一杯だ」
「鍵さえあればいいんだよ! みんな脱出するぞ!」
鍵を渡した少年は次々に牢屋を開けて皆を引き連れて出て行った。出たいのはわかるが、少し考えれば無策で出て行けば捕まるか殺される。そこ まで思考力が落ちている奴を俺は助けられない。
倒れている兵士から帽子と服を剥ぎ取り、剣を奪った。そうしている間に上から騒がしい声が聞こえてくる。逃げ出した奴らが見つかったのだろ う。
俺は急いで兵士になりすますために服の上から兵士の服を羽織り上の階へと向かった。兵士たちが慌ただしく走り回っている。混乱に乗じて出口 までの道を迷うことなく走った。
兵士は脱走した奴らを探すのに夢中で変装した俺には目もくれない。
「おい! お前!」
もう少しで出口というところで呼び止められる。声を掛けてきたのは司令官。奴は俺の顔を知っているので見られたら終わりだ。なるべく俯いて 顔を見せないようにする。
「はっ……はい。何でしょうか」
「被検体のクソガキどもが逃げた! 見なかったか!」
「いえ……まだ探していまして」
「くそ! こんなことガルツ様に知れたら……」
ぶつぶつと一人で愚痴をこぼしている。早くこの場から立ち去りたいが、疑われないためにも黙っていた。もし正体が露見したら持っている剣で 殺すしかない。緊張と焦りで鼓動が早くなる。
「見つけたら殺しても構わん! 逃がすことだけはするな!」
「かしこまりました」
司令官は足早に走り去った。俺はため息をついて、出口までの扉へ向かう。幸い見張りの兵士はいなかった。鍵を取り出して震える手を押さえな がら鍵穴へ差し込む。
小さな鍵の外れた音。取っ手に手をかけて回すと扉がゆっくりと開いた。
何ヶ月ぶりの外の世界だろうか。冷たい夜風が髪を揺らした。
あたりを見回すとどうやら建物の裏手のようだ。塀の近くに木があり、伝っていけば外へ出られるだろう。
周りに兵士がいないことを確認して木を登り始めた。もう少しで脱出だ。
「お……おい! お前! 何しているんだ!」
開けっぱなしにしていた扉から兵士が慌てて出てきた。兵士は脱走だと大騒ぎを始める。急いで登り塀を越えて近くの森へ逃げ込んだ。
心臓が破れるのではないかというくらい全力で森の奥へ逃げる。追われる恐怖を振り払いながら森の中を走った。
生い茂っている草むらに身を隠して息を整える。幸い追手の足音は聞こえてこない。
「……隊長。あんたが望んだ通り逃げ出したぞ」
頬を涙が伝う。一人で逃げてどうなる。なぜ俺は誰も助けられない。母親も隊長も大切な人を助けられなかった。むしろ守られてばかりだ。自分 の弱さと無力さが悔しかった。
ひとしきり泣いたあと、木々の間から見えた月を見つめる。
もう母親と隊長に何かをしてあげることはできない。その代わり大切な人ができたら今度こそ自分の手で守る。
突然、左手が痛み出し、腕を押さえた。手を見ると指先に紫色の結晶がまとわりついている。とうとう俺の結晶化が始まった。
「……。どれだけ耐えられるかわからないけど足掻いてやるよ」
――――。
「シン……」
目を開けると長い銀髪の少年が心配そうな表情で俺を見ていた。いつのまにか寝ていたようだ。少年の手が伸びてきて俺の頬を伝っていた涙をす くい取る。
「大丈夫? 嫌な夢でも見ていたの?」
夢を見ていたがぼんやりとしか思い出せない。彼を心配させないように笑う。
「夢見てたけど……忘れた」
「シンらしいね。そろそろ夕飯だよ。一緒に行こう。クラルスも待ってるよ」
少年は柔らかい笑顔を向け、俺の前に手が差し伸べられた。手を引かれて立ち上がり、彼の頭を乱暴になでる。
「わっ! 何!?」
「何でもない! 行こうぜリア!」
リアの手を引いて走り出す。彼の手を離さないように少しだけ強く握った。
2020/07/07 up