プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-
第9曲 迷宮の伝承歌
ラザレースに行く前日。僕
たちはいつものように、拠点の裏にある川のほとりで鍛錬に励んでいた。
今はシンとクラルスが手合わせをしている最中。僕は見学をしながら付与 魔法の練習をしている。
「シン。攻めるのもいいですけど……」
下段からクラルスの剣がシンを襲う。シンは慌てて避けると体勢が崩れた。クラルスは攻めようとはせずに、シンが体勢を整えるのを
待っている。
「状況を見て引くことも大切ですよ」
「くっ……。もう一回だ!」
シンは相変わらずの負けず嫌いで、クラルスと何度も再戦をしていた。
おもむろに付与している短剣を見つめる。月石の魔法である付与 と治癒はできているが、書物に書かれてい た防御の魔法は一度も試し
たことがなかった。
「リア、何やってんだ?」
いつのまにかふたりは手合わせを終えていた。シンとクラルスが汗を拭いながら怪訝な顔を向けている。
「月石は防御魔法を使えるらしいけど、どういうものか想像できなくて……」
「それでしたらルフトさんにお伺いしてはいかがですか?」
魔法の基礎を教えてくれたルフトさんなら防御魔法について助言をしてもらえるかもしれない。さっそく、僕たちはルフトさんを探し
に拠点へ戻る。
ルフトさんはすぐに見つかった。公会堂の階段に座っており、資料を眺めている。
「ルフトさん。今、お時間大丈夫ですか?」
「何だ? 珍しいな」
「魔法について聞きたいのですけど……」
ルフトさんは辺りを見回すと、資料を本に挟んで立ち上がる。
「場所を移動しよう」
彼は月石に関してのことだと悟ってくれたようだ。気を使って場所を変えてくれた。公会堂の裏手に回り、誰もいないことを確認して
ルフトさんは言葉を紡ぐ。
「王子。聞きたいことって何だ?」
「月石は防御魔法が使えるらしいのですけど、防御魔法を実際に見たことがないので想像し辛いです」
「俺の魔法は攻撃特化だからな。それに宝石の階級も欠片 で
応用できる種類も少ないんだ」
ルフトさんの宝石の階級を初めて知った。確かにルフトさんはあまり魔法に頼っている様子はない。
「へぇ。ルフトの宝石の階級は欠片 だっ
たのか。そんな感じしないけどな」
「基礎をしっかりしないと欠片 で
はやっていけないからな。ところでおまえ、魔力の出力は的確にできているのか?」
ルフトさんに問われシンはばつが悪そうな顔をする。
「……いや……まだ」
「原石欠片を宿している奴は貴重なんだ。阿呆みたいに魔力垂れ流して戦争で使い物にならないと困る」
「わかってるよ! 魔法も練習する!」
シンは未だに魔力の調整が苦手らしく、手合わせに逃げることがしばしばあった。今度シンの魔法の練習にたくさん付き合ってあげよ
う。
「俺だと力になれない。だが、リュエなら何か教えてくれるかもしれない」
「リュエールさんですか?」
リュエールさんもルフトさんと同じシトリンを宿しているはずだ。攻撃特化のシトリンの魔法で防御魔法ができるのだろうか。
「リュエは魔法の応用に長けているからな。今なら自室にいるぞ」
「わかりました。ありがとうございます」
確かにリュエールさんは、いろいろな場面で魔法の応用をしていた。彼女なら何か防御魔法に関する手がかりを教えてくれるかもしれ
ない。
僕たちはルフトさんに会釈をしてリュエールさんの個室へと向かった。
扉を叩くとリュエールさんの「どうぞ」と小さな返事が聞こえる。開けると彼女は机に向かって資料を読んでいる最中だった。
「あら。リアたちどうしたの?」
「お忙しいところすみません。魔法のことを教えていただけませんか」
「私が? どういう内容かしら?」
「月石の防御魔法を使いたいのですけど、どのような練習をすればいいですか?」
リュエールさんは頷きながら話を聞くと、椅子から立ち上がる。
「今日は特別に私が講師するわね。クラルスとシンも覚えておいたほうが今後いいかもしれないわ」
「えぇ。よろしくお願いします」
彼女は壁に立てかけてあった剣を抜くと剣へ付与 を
した。剣身が雷を帯びて刃が金色に輝く。
「無意識かもしれないけど、魔法は頭で思い描いて顕現させているの。付与 は見ているし、基礎だからわかりやすいと思うわ」
「そうですね。魔法を使ったことのない僕でも付与 は
想像はできました」
「魔法の参考書は想像しやすくするために存在しているのよ」
リュエールさんは魔法のことについて、わかりやすく教えてくれる。独学で学んだのだろうか。
彼女は言葉を続けた。
「それで、想像しにくかったり、想像はできても魔法技量がなかったりすると発動ができないわ。難しい条件をつけると顕現が難しくな
るの」
「難しい条件ですか?」
リュエールさんは扉を開けると、廊下と部屋の境目に手をかざす。てのひらから雷が走り、入る者を拒むような雷の壁が生成された。
「おぉ! リュエさん、すごいな!」
「私がたまに使う罠の魔法なんだけど、”雷を持続してこの場に留める”という条件をつけているの。これに触れたら私が関知できるよ
うにする条件をつけると魔力の消費量が上がるわ」
「なるほど。条件が多ければ多いほど便利ですが、魔法を発動することが難しいのですね」
「一概にはいえないけどね。単一の条件でも規模や量が大きかったり、難しいものだと発動すらできないわ」
リュエールさんは付与 と
雷の壁を消すと、扉を閉めて僕たちに向き直る。
「リアの防御魔法は盾みたいな感じかしら?」
「そうですね。物理や魔法攻撃から、みんなを守れればいいなと思っています」
「まずは目の前に魔法の盾を生成することから始めてみるといいかもしれないわね。そこから少しずつ条件を付け加えていけば理想の魔
法が使えるようになるわ」
ただ漠然とした想像しかしていなかった。リュエールさんのおかげで何をするべきなのか明確になる。
いきなり難しい魔法を発動しようとするのではなく、基本の形を作り、そこから想像を膨らませていけばいい。
以前、炎の攻撃を防ごうと防御魔法を使おうとした。魔法の想像ができていなかったので発動しなかった可能性が高い。クラルスが代
わりに防いでくれなかったら直撃していた。
「じゃあ、リュエさん。氷の刃を生成して飛ばすってこともできる?」
「できないことはないと思うけど、シンはその前に魔力の調節をどうにかしなさい」
リュエールさんはシンのおでこを人差し指で突いた。
「練習するのもいいけど、明日からラザレースに行くからほどほどにしてね」
「わかりました。リュエールさん教えてくださってありがとうございます」
僕たち三人はリュエールさんに会釈をして部屋を後にする。魔法の練習をしたいところだが明日のために今日は身体を休めることにし
た。
頭を出したばかりの太陽の光が僕たちを照らしている。ラザレースに向かうため荷造りをしているとルフトさんが見送りに来た。
「リュエ。気をつけろよ。何かあったらカルムをよこしてくれ」
「ルフトは心配性ね。頼もしい騎士が三人いるから大丈夫よ」
三人とは僕たちのことだろう。いつも守られている立場だけれど、リュエールさんは僕を守ってくれる人の人数に入れてくれた。彼女
に頼られていることに思わず顔がほころんだ。
シンはリュエールさんの言葉を聞いて自信満々に胸を張る。
「そうそう! ルフト心配すんなよ! 俺たちがきっちりリュエさんを守る!」
ルフトさんは不安そうに顔を歪める。ルフトさんはシンを無視してクラルスの前まで歩いていった。
「すまない護衛。リュエを頼む」
「えぇ。お任せください」
一連のやりとりを見ていたクラルスは苦笑していた。
荷物を馬にくくりつけて、ラザレースを目指し出発をする。ラザレースはトラシアンより少し南にある街だ。馬を使って四日ほどかか
るらしい。
リュエールさんの肩に止まっていたカルムは元気よく大空へ羽ばたいていった。
野営をしているとき、シンはリュエールさんに魔力の調節を厳しく指導してもらっていた。頑張って練習している甲斐もあり、少しず
つ改善されている。
僕とクラルスもリュエールさんに指導を受けながら魔法の練習をしていた。
「はぁ……リュエさんの指導厳しい……」
「三人とも、すごくよくなっているわよ」
リュエールさんは満足そうにほほ笑んでいる。彼女の指導は的確で僕自身も成長している実感があった。以前より円滑に付
与
ができるようになっている。
「リア。防御魔法はどう?」
「生成できるようになりましたけど、強度がないですね」
「焦らずゆっくりやりましょう。基本ができれば、あとは練習あるのみよ」
リュエールさんに指導され、薄い白藍 色
で、円状の盾が生成できるようになった。大きさはまだ身長の三分 の一程度で、小石が当たっただけでも砕けてしまうほどもろい。
「はい。頑張ります」
「明日にはラザレースに着くから今日はしっかり休みましょう。クラルスとシンは見張りをしなくていいわよ」
リュエールさんは剣先で僕たちの野営している周りを円状に囲むと、円に沿うように雷が走る。
雷にカルムが驚いて、僕の肩へ飛んできた。落ち着かせるように背中をなでる。
「この円に近づくと雷撃が出るようになっているから、野獣や魔獣に襲われてもすぐにわかるわ」
「へぇ、リュエさんの魔法便利だな」
「けっこう魔力使うから、あまりこの魔法は使わないけどね。今日は特別よ」
彼女は交代で夜に見張りをしているクラルスとシンに気をつかってくれたようだ。僕も何か役に立ちたいと思いリュエールさんに申し
出る。
「リュエールさん。魔力譲渡してもいいですか?」
「ありがとう、リア。お言葉に甘えちゃおうかな」
彼女の左手が差し出されたので両手で包み込む。リュエールさんの手は夜風で少し冷たくなっていた。集中をして彼女に魔力譲渡を始
める。
僕とリュエールさんのてのひらから金色と白藍色の光が溢れた。
「……リア……これ……」
「えっ……?」
彼女は神妙な面持ちで見つめていた。
「月石だからかしら……魔力の譲渡率がすごくいいのよ」
「譲渡率ですか?」
以前クラルスが倒れたとき、ルフトさんが魔力の譲渡率のことを話していた。確か同じ宝石同士の場合は譲渡率がいいらしい。
「同じ宝石の魔力譲渡率を一〇〇とすると、違う宝石や対立属性の宝石同士だと譲渡率が悪くなるのよ。魔力を譲渡する側が一〇〇送っ
たとしても、属性が違うと受け取る側が八〇や悪いと二〇しか受け取れないの」
特に元素の属性から外れているダイヤモンドやアメジストは他の属性からの譲渡率が悪い。月石の魔力譲渡は一〇〇送った場合、宿し
ている宝石に関係なく、すべて相手の魔力に変換されるようだ。
「それにすごく気持ちいいわね。魔力の質がいいのかしら? シンが欲しがるのもわかるわ」
「そうなんだよリュエさん。リアの魔力すごく気持ちいいよな」
シンは魔法の練習をしているとき、魔力が足りなくなったら僕にずっとせがんでいた。それをリュエールさんは不思議に思っていたそ
うだ。
彼女にそっと手を握られる。
「リアありがとう。これ以上もらったら癖になっちゃうかも」
「僕はこのくらいしかできないので、いつでも言ってください」
リュエールさんはほほ笑むと優しく頭をなでてくれた。たまに彼女の手と母上の手のぬくもりが重なるときがある。温かい気持ちにな
り、思わず目を細めた。
「さて、そろそろ寝ましょうか」
リュエールさんの言葉に僕たちは横になる。カルムはリュエールさんのふところに座ると目を瞑った。
「カルム重いわよ。まったく私を寝台代わりにするんだから……」
「それだけ懐いているんですね」
「カルム。俺のところで寝ていいぞ」
シンがカルムへ手を伸ばすと、突然目を開けてシンの指を突いた。
「いてぇ! まだなれないのかよ!」
「そのうち仲良くなるよ」
戦いが終わったあと、セラにカルムを紹介したい。動物が好きなのできっとすぐに仲良くなれると思う。そんなことを思いながら眠り
についた。
朝日がのぼるとともに野営地から出発をした。ラザレースに着くと、すでに昼近くだ。僕とクラルスは外套 を被り街に足を踏み入れ る。
ラザレースの街はランシリカの街と似ており、きれいに並ぶ石畳が印象的だ。西の奥に大きな屋敷と騎士団の兵舎が見えた。
カルムはリュエールさんの肩から飛び立つと、近くの雑木林へ消えていく。
「さて行きましょうか。訪問することは伝えてあるわ」
リュエールさんは先に話をしてくれていたようだ。街の入り口から見えた大きな屋敷の前まで歩いて行く。庭にはきれいに剪
定 された薔薇園が広がっていた。
「きれいな庭ですね」
「ここの当主は薔薇が好きなのよ」
「クラーク家に何かご用でしょうか?」
「当主のチェルシーと面会予定の星影団団長リュエールです」
「……お話はお伺いしております。どうぞお上がりください」
侍女に玄関の広間へと通される。きれいな赤い絨毯 が
敷き詰められており、屋敷の造りが寸分の狂いもなく 左右対称で美しさを感じた。
侍女は中央の大きな部屋の扉へ入ると、すぐさま女性が姿を現した。紺碧 色の長髪に珊瑚色の瞳が印象的な 女性だ。
「久しぶりねリュエール。星影 団
の話は聞いているわよ」
「チェルシーは変わらないわね。当主はもうなれた?」
「もう当主になって三年よ。さすがになれたわ」
リュエールさんは仲睦まじく話をしている。彼女は僕とクラルスに外套を脱ぐよう指示をしたので従う。僕の姿を見たチェルシーさん
は目を見開いた。
「……リュエール。少し確認したいことがあるのだけど」
「何かしら?」
チェルシーさんは手を叩くと、両隣の部屋から数十名の騎士たちが僕たちを囲むようになだれ込んできた。思わず身構えるとクラルス
が庇うように僕の前に出た。騎士たちは剣に手をかけておりいつでも抜剣できる体勢だ。
リュエールさんを見やると彼女は毅然とした態度でチェルシーさんを見つめている。
「えぇ!? 何だよ! 俺たち何かしたか!?」
シンは慌てて僕と背中合わせになる。僕たちを捕まえて王都へ連れて行くつもりなのだろうか。静寂が僕たちを包み込み空気が張りつ
めている。
リュエールさんは短いため息をついた。
「……意地悪ね。こんなことしなくてもいいでしょう」
「あら、リュエールはお見通しなのね。でも当主の立場として確認したかったの」
チェルシーさんが警戒を解くように指示をすると、騎士たちは剣から手を離し姿勢を正した。クラルスも警戒を解き、一礼をして僕の
後ろへと下がる。
「……さすが王子殿下の専属護衛ですね。ご理解が早くて助かります。みなさま、こちらへどうぞ」
僕たちは玄関前の大きな部屋に案内をされた。ふだんは会議に使うような部屋なのだろう。長机に椅子が規則正しく並べられている。
リュエールさんと僕は椅子に着席して、クラルスとシンは椅子の後ろに立つ。
手際よく侍女が紅茶を用意している。僕たちの前に紅茶が行き渡ると、チェルシーさんが口を開いた。
「王子殿下。さきほどのご無礼をお許しください」
「いえ。お気になさらないでください。何を確認したかったのですか?」
「騎士を見て王子殿下とリュエールが逃げだそうとしましたら捕縛するつもりでした。逃げるということはやましいことがあるのですか
らね」
どうやらチェルシーさんは僕たちが掲示板通りの行いをしているのなら、騎士を見て逃げ出すと思っていたらしい。騎士に突然囲まれ
て驚いたものの、何か理由があると思っていた。
「申し遅れました。私、ラザレースを統治しているチェルシー・クラークと申します。以後お見知りおきください」
「ルナーエ国第一王子、ウィンクリア・ルナーエです。お忙しい中お会いしてくださって、ありがとうございます」
若い彼女がこの街を統治していることに驚いた。よほどの手腕なのだろう。チェルシーさんは僕と視線を合わせると柔らかくほほ笑ん
だ。
「……王子殿下とお会いすることは初めてですが、女王陛下の血を色濃く引いていらっしゃいますね。髪を解きましたら陛下と瓜ふたつ
ではないでしょうか」
リュエールさんと初めて会ったときも、似たようなことを言われた。自分の思っている以上に母上に似ているようだ。
「チェルシーさんはお若いのに街の統治を任されているのですね」
「代々クラーク家が世襲でこの街を統治しています。しきたりで二十歳になると同時に当主を引き継ぐことになっているのですよ」
チェルシーさんの両親は地学者らしく彼女に当主を任せたあとは、研究に没頭しているらしい。一年前からオリヴェート国に地質調査
へ行っていると教えてくれた。
チェルシーさんは眉を下げて言葉を続ける。
「若輩の小娘が街の統治をしていることが気に入らないようで、あの手この手で他の貴族が地位から引きずり下ろそうと必死なのです」
「それでチェルシーから星影団に相談があったのよね」
そんな経緯で星影団との繋がりがあるとは思わなかった。そして、母上や父上の統治する難しさが伝わってくる。末端の貴族まで目が
行き届かない、もどかしさもあっただろう。
「話がそれてしまいました。リュエール。ラザレースが星影団に戦力として協力をして欲しいのね」
「今はコーネット卿とランシリカの騎士が協力してくれているのだけれど、それだけでは戦力が全然足りないわ」
チェルシーさんは僕たちを見据えると言葉を紡いだ。
「せっかくお越し頂いたところ申しわけないのですが、星影団に協力することはできかねます。……正確には余裕がない……でしょう
か」
「どういうこと?」
チェルシーさんの話によると、三ヶ月前からラザレースの街で次々に若い女性が忽然と消える怪事件が起きているそうだ。
今は警備にほとんどの騎士を派遣しているため星影団に協力できる余力はないらしい。
チェルシーさんの言動に疑問を持った。リュエールさんと伝令のやりとりをしていたのなら、街の現状を説明して協力できないと伝え
ればいい。
僕たちを呼んだことは他の意図があるのだろう。
「……チェルシーさん。何か僕たちにしてもらいたいことがあるのですね」
「はい。この怪事件を解決していただければラザレースは星影団に協力することをお約束します」
チェルシーさんの言葉にリュエールさんは呆れた表情をしていた。
「こっちは探偵じゃないのだけど……。それが条件なら仕方ないわね」
「街でこのような事件が起きているのは放っておけません。犯人を捕まえましょう」
「リュエール、王子殿下。感謝申し上げます。こちらにいる間、身の回りのことはリリアナに申しつけください」
名前を呼ばれると、さきほど玄関で案内をしてくれた侍女がチェルシーさんのそばまで歩いてきた。僕たちを見据えたあと深々と頭を
下げる。
「チェルシー様にお仕えしています侍女のリリアナです。何なりとお申しつけください」
彼女はやわらかい笑顔を僕たちにくれた。
チェルシーさんは当主の仕事があるので、リリアナさんが屋敷内の案内をしてくれるそうだ。
「だらだらと犯人捜しはやっていられないわね。事件の記録ってあるのかしら?」
「はい。資料室へご案内いたします」
リリアナさんの案内で僕たち四人は資料室へと向かう。シンは気怠そうに背伸びをした。
「まさか事件の犯人捜しをやるなんてなぁ。リュエさんの知り合いだから交渉はさっくり終わるかと思った」
「申しわけございません。チェルシー様はこの事件に大変お困りなのです」
あまりにも申しわけなさそうな声色でリリアナさんが謝罪したのでシンは押し黙る。彼女は資料室に行くまでに簡単に事件を説明して
くれた。
三ヶ月前から若い女性が消える事件。主に十代後半くらいの顔立ちがきれいな女性が狙われるそうだ。
街の人々には夜はむやみに外出しないよう進言をして、夜中には騎士たちに見回りをしてもらっているらしい。
それでも怪事件が収まることはなかったそうだ。
「最近起きた怪事件はいつかしら?」
「一週間ほど前になります」
「まだ続いているのですね」
リリアナさんは廊下の途中にある扉を開けて、入室するようにうながした。どうやらここが資料室のようだ。
室内は本棚が隙間無く壁沿いに並んでいる。中央には小さな机とふたつの椅子が置かれていた。
「右奥のふたつの本棚が事件記録の原本になります」
リリアナさんは手際よく冊子を三冊ほど取り出すと机の上に置いた。
「こちらが三ヶ月分の事件記録です。ただいまお飲み物の準備をいたします」
彼女は一礼をすると資料室を後にした。リュエールさんは椅子に座ると一冊の冊子を手に取る。僕も置かれている冊子を手に取り頁を
めくった。
冊子には事件の起きた日時や状況などが細かく記載されている。怪事件のことだけではなく、他の事件のことも記載されていた。
怪事件の頁の端がすべて小さく折り込まれている。わかりやすくするために、チェルシーさんが折ったのだろう。
「夜中の見回りをしているにもかかわらず、犯人や被害者の方が誰にも姿を見られないのも不思議ですね」
「そうね。抜け道や裏道を知っている街の人の犯行かもしれないわ」
クラルスの言うとおり、事件記録には犯行をしているところの目撃情報は皆無だ。街のことに詳しい人が犯人の可能性が高い。
「あとは最初の犯行が衝動的か計画的かでも違ってくるわね」
「リュエさん。その違いで何かあるの?」
「最初の犯行が衝動的なら何かしらか抜けがあったりするのよね。声を聞いた。姿を見た。何か落ちていた。……とかね。それで犯罪を
止められなくなって、計画的犯行に移るのよ」
リュエールさんはまるで探偵みたいだ。以前、星影団の依頼で事件解決があったのだろうか。僕も何か少しでも役に立てるようにした
い。
「はじめから計画的犯行だった場合。何度も下見をしているはずだわ。頻繁に被害者付近へ現れた人を探れば犯人に辿り着くかもしれな
いわね」
部屋の扉の叩く音が聞こえると、少し遅れてリリアナさんが台車を押して入室した。台車の上には紅茶と焼き菓子が置いてある。
「裏庭で取れました茶葉のフラワリーオレンジペコーのみを使用したものです。お口に合えばいいのですが……」
机に置かれた紅茶からは芳醇な匂いがする。ひとくちいただくと爽やかな味が口の中に広がった。
「すごくおいしいです。ありがとうございます」
彼女にほほ笑むと金色の瞳を細めた。焼き菓子も上品な味でシンは「うまい」と言いながらたくさん頬張っている。
「リリアナ。あなた一年前はここにいなかったわよね」
「はい。半年ほど前に職を失って放浪していた私をチェルシー様が拾ってくださいました。チェルシー様には本当に感謝しております」
リリアナさんは隣国の貴族の屋敷で働いていたのだが、難癖をつけられて追い出されてしまったそうだ。半年前にラザレースを訪れ
て、チェルシーさんの屋敷で働かせて欲しいと懇願したらしい。
「この事件でチェルシー様は大変心を痛めております。私も独自でチェルシー様から資料を借りて調べているのですが、未だに手がかり
すら見つかりません」
リリアナさんは今にも泣きそうな表情をしていた。星影団に協力してもらうためではなく、街の人たちのために怪事件を解決に導いて
あげたい。
「微力ながら僕も犯人を捜すお手伝いができればと思います。リリアナさん一緒に頑張りましょう」
「はい。王子殿下、ありがとうございます」
僕たちは夕方まで資料の整理とお互い気がついたことなど意見の交換をした。ラザレースにいる間はチェルシーさんの屋敷でお世話に
なることになる。
夕食をいただいたあと、リリアナさんから貴賓室へと案内をされた。
「チェルシー様からこちらの二部屋をお好きにご利用くださいとのことです」
「ありがとう。助かるわ」
部屋割りはリュエールさんで一部屋。シンとクラルスと僕で一部屋使用する。リュエールさんは寝るまでは僕たちの部屋で事件の資料
整理をするそうだ。
「なぁリュエさん。明日も資料見るのか?」
「明日からは実際被害に遭った家族へ聴取しに行くわ」
「聴取した記録があるのに?」
「落ち着いたころに聞いたり、時間が経つと思い出すこともあるわよ。すぐ聴取しても被害にあった家族は混乱しているでしょう」
明日は被害に遭った家族へ聞き込みをして、明後日は街の散策をするらしい。クラルスが不安そうな声色でリュエールさんに質問をす
る。
「リュエールさん。事件が解決するまでラザレースに滞在するのですか?」
「滞在できても一週間かしら……。長く拠点を空けるわけにもいかないわ」
一週間という短い期間。事件解決までいかなくても何か手がかりになるものを見つけたい。
「この怪事件の犯人は、何の目的で人をさらっているのでしょうか?」
「そうねぇ。若い女性を狙っているのなら人身売買が有力かしら。そのほうが、わかりやすくていいのだけどね」
「他にも何か心当たりがあるのですか?」
「一番厄介なのが精神異常者が犯人の場合ね。心理的に読めないから見つかりにくいのよ」
リュエールさんは筆記の手を止めると資料をまとめ始めた。
「さて明日は朝から動くからもう寝なさい。夜更かしはだめよ」
「リュエさん寂しかったらいつでも添い寝するからな!」
シンは悪戯な笑みを浮かべている。リュエールさんはシンに近づくと鼻先を人差し指で突いた。
「それを言うのは三年早いわよ少年!」
相変わらずのかけ合いで僕とクラルスは顔を見合わせて苦笑した。
リュエールさんは念を押して早く寝るようにと言うと退室する。
もう少し資料を見たかったのだが、彼女に怒られたくないのでおとなしく寝台へ身体を横にした。
翌日、リュエールさんはチェルシーさんに聴取の相談をすると、一枚の書状をもらった。急に知らない人が聴取に来たら怪しまれるの
で、チェルシーさんからの依頼証明書だそうだ。
僕とクラルスは念のため衣類を隠すために外套を羽織り、被害に遭った家族の家へ向かう。今までの被害者は八人。チェルシーさんの
屋敷から近い順に回る。
きれいな石畳の上を歩いていくと、ひと家族目の家の前に到着した。リュエールさんが扉を叩くとひとりの女性が姿を現す。被害に
遭っ た家族の母親だろう。
「何かご用ですか?」
「突然の訪問で申しわけありません。チェルシー・クラークより誘拐事件の聴取を任されました。少しお時間よろしいでしょうか?」
「……またですか……」
リュエールさんはチェルシーさんが書いてくれた依頼証明を女性に見せる。書状を見て表情を曇らせたが、少しだけならと話に応じて
くれた。
この家の少女が怪事件に巻き込まれる前から既に怪事件のことは街中に知れ渡っていたそうだ。
怪事件に遭う日の夜、少女はとても落ち着きがない様子だったらしい。両親が訪ねても「何でもない」の一点張りだったそうだ。そし
て少女は夜中にこつ然と姿を消してしまった。
「何か物音などは聞かなかったのですか?」
「寝ていたもので何も気がつくことができませんでした。それが本当に悔しくて仕方ありません。もう娘がいなくなって一ヶ月になりま
す。どうか無事でいてほしいです」
女性の声は震えており、目尻には涙が溜まっていた。彼女の気持ちは痛いほどわかる。家族と離れてしまった寂しさ。何もできなかっ
たことの悔しさがセラや母上、父上のことと重なった。
昨晩は何か手がかりでも見つかればと考えていた。被害に遭われた家族と直接会い、心に触れて絶対に事件を解決したい。そして、少
女を家族の元へ返してあげたい。
「お話してくださって、ありがとうございました。些細なことでもいいので、何か思い出しましたらクラーク家にお越しください」
「はい。お務めごくろうさまです」
僕たちは女性に会釈をして次の被害に遭った家族の元へ歩いて行く。
「……辛いな。被害に遭った家族を見るのは……」
「うん……。僕、事件を解決するために全力で頑張るよ。街の人たちの悲しい顔は見たくない」
「えぇ。そうですね」
そのあとも被害に遭った家族に聴取をしたが、これといって有力な手がかりを得ることはできなかった。僕たちは広場の端にある長椅
子に腰を下ろし、遅めの昼食をとる。
パンに野菜と豚肉の塩漬けが挟んである素朴なものだが、塩気が丁度よくおいしい。
「結局、手がかりはなかったな」
シンはクラルスが聴取のときに書いていた紙を眺めながらパンを頬張っている。
「そんなことないわよ。聴取してわかったことがあるわ」
「何ですか?」
「夜の警備が強化されたあと発生した事件だけど、就寝中に襲われたのなら抵抗して物音くらいしてもいいじゃない? それが全くない
ということは誘拐された少女自ら夜中に外へ出た可能性があるわ」
リュエールさんの仮説に思わず面食らってしまう。彼女の仮説が正しかった場合、なぜ危険を冒してまで少女たちは外に出ようとした
のだろうか。
クラルスはリュエールさんの言葉を理解できているのか納得した様子だった。
「……なるほど。少女たちは自ら外に出なければならなかった。と申し上げたほうが正しいですね」
「そうね。逆らえないような立場の人に呼び出されたのなら、危険とわかっていても出なければいけないでしょう」
そうなると当てはまる人物はかなり絞られる。長、貴族、星永 騎士、将校あたりだろう。
「リュエールさん。それでしたら証拠さえ押さえれば犯人を捕まえられるかもしれませんね」
「戻ってチェルシーに貴族や長のことを聞いてみましょうか」
僕たちは急いで昼食を済ませてチェルシーさんの屋敷へと戻った。玄関の扉を開けると広間でチェルシーさんとリリアナさんが資料を
見ながら話をしていた。
「リリアナ。明後日までに資料をまとめるの大丈夫かしら?」
「はい。明日の午前中までには仕上げられます」
「本当? 助かるわ」
チェルシーさんは僕たちに気がつくとほほ笑み、リリアナさんは一礼をする。
「皆様、おかえりなさいませ」
「リュエールたち、おかえりなさい。何かわかったことあったかしら?」
「チェルシー。少し聞きたいことあるのだけどいいかしら?」
チェルシーさんは僕たちを広間の前にある部屋へと案内する。
「リリアナ。私がお茶の準備をするから資料のほうをお願いね」
「かしこまりました」
リリアナさんは僕たちに会釈をすると足早に立ち去っていった。チェルシーさんは手際よく紅茶を淹れて僕たちの前に運んでくる。
「あのリリアナって侍女のこと、ずいぶん信頼しているのね」
「えぇ。侍女の仕事のほかに簡単な雑務までこなしてくれるの。要領がよくて本当助かっているわ」
リリアナさんはチェルシーさんに恩義があるので手伝っているのだろう。主と侍女の関係だけではなく、お互い信頼していることがう
かがえた。
「それで聞きたいことって何かしら?」
「犯人の候補が貴族や上流騎士だと思うのだけど何か調べたりしたことある?」
「私も貴族絡みではないのかと思って内密に見張りをつけたこともあったわ。それでも事件が起きてしまったのよ」
「星永騎士や将校の可能性は?」
チェルシーさんは資料を持ってきてくれるらしく、席を立ち部屋から出て行く。戻ってきた彼女は数枚の紙を僕たちに見せてくれた。
「夜の見回り番の割り振り表よ。ごく一部にしか、この表は見せていないし複写は禁止しているの。見回りする騎士には当日伝えられる
わ。この表を覚えていないと犯行は難しいわね」
一ヶ月間の見回りに関して詳細な割り振りが決められている。時間を指定されているものや、任意の時間まであった。時間に規則性は
存在していない。
「……この表、借りていいかしら?」
「えぇ。何か役に立つのなら……。また気になることがあったら聞いて。何でもするわ」
「ありがとうチェルシー」
リュエールさんは表を借りて僕たちは与えられた部屋へと戻った。
シンは寝台へ転がると大きなため息をつく。
「……俺の頭だと無理だ」
「まだ聴取の一日目よ。このくらいで疲れてどうするの」
「頭使うのは苦手なんだよ」
シンは枕をかかえて足をばたばたしている。僕もあまり力にはなれてないけど、それぞれの目線から事件を見ていけば何か手がかりを
見つけられるかもしれない。
「シンがんばろう。四人で考えれば何かわかるかもしれないよ」
シンを寝台から引きずり下ろして席に座らせた。今日は見回り表と事件の資料を見比べたが、特に手がかりとなるものは見つけられな
かった。
明日は露店市場へ行き情報収集をするそうだ。
翌日。早速僕たちは露店市場へと向かう。露店市場は活気に溢れており、山菜や川魚が主に売られていた。リュエールさんは山菜を
売っている女性へ話しかける。
「すみません。街で起きている怪事件についてお伺いしたいのですけど……」
「あなた雇われた探偵さん? 今まで何人も探偵が聴取しにきているけど、未だに犯人は捕まっていないねぇ」
「目撃者の話は聞かないのですか?」
「聞かないね。こつ然と消えるから精霊に連れて行かれたって噂が出るくらいだ」
巷では街に隣接する森にある泉の精霊に魅入られて連れて行かれたと噂が立っているそうだ。迷信だと思うが、手がかりのない怪事件
なのでこのような噂が立っても仕方ない。
「いつも事件の次の日にクラーク家の侍女がいろいろ聞き回っていたね。事件の解決をしたくて必死さが伝わって労しいよ」
「そうなのですね」
リリアナさんは独自に事件を調べていると話していた。チェルシーさんの役に立ちたくて露店市場で聞き込みをしていたのだろうか。
他の露店市場でも話を聞いてみたが精霊の仕業、人身売買など噂がはびこっていた。怪事件の恐怖で気がふれてしまったのか、泉の近
くで命を絶った人もいるらしい。
露店市場での聴取を終えて僕たちは外壁沿いに置かれている長椅子に腰を下ろした。
「精霊、精霊っているわけないよなぁ」
「僕もそう思うけど……。リュエールさん噂の泉に行ってみませんか?」
「そうね。念のために行ってみましょうか」
僕たちは精霊がいるという泉がある森へ向かう。チェルシーさんの屋敷に隣接するように森が広がっていた。薄暗い森ではなく、光の
帯が揺れていて幻想的で美しさを感じる。
しばらく歩くと家屋二棟分くらいの泉が見えてきた。太陽の光を浴びて水面がきらきらと輝いている。
「特に怪しいところはありませんね」
「うん。きれいな場所だよ」
泉の周りを一周してみたが、何か手がかりになるようなものは見つけられなかった。こんなにきれいな場所でわざわざ命を絶つのも不
思 議だ。
日も西に傾いてきたので僕たちはチェルシーさんの屋敷へと戻る。玄関の広間でリリアナさんが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。今日はいかがでしたか?」
「なーんも手がかりなし」
リリアナさんは落胆しているシンを慰めている。
「リリアナ。あなたも事件を独自に調べているのよね? まとめた資料があれば見せて欲しいのだけど」
「……申しわけありません。お恥ずかしいのですが、資料作成をするほどの手がかりを見つけられていないので……」
リリアナさんは申しわけなさそうに眉を下げていた。彼女は侍女の仕事の合間に事件のことを調べているそうだ。
「そういえば、ずいぶん犯人捜しに熱心なのね。露店市場の人たちがあなたが聞き込みに回っていると教えてもらったわ」
「……実は以前、働いていた街で同じような事件がありまして……。仲良くしていた侍女がいなくなってしまったのです。私と同じよう
な悲しい思いをする人をこれ以上増やしたくありません」
「そんなことがあったのですね……」
リリアナさんの目尻には涙が浮かんでいる。彼女が一生懸命、事件を解決したいと行動していることに納得した。
「お見苦しいところをお見せしました。では私は仕事がありますので失礼します」
リリアナさんは涙を拭い、僕たちに一礼をして廊下の奥へ歩いて行った。
彼女は二度も同じような事件に遭遇している。この事件を解決することはリリアナさんの心も救うことになるかもしれない。
「リリアナさんに辛い過去があったのですね」
「あぁ。犯人は同じかわからないけどリリアナのためにも解決しよう」
シンと顔を見合わせてうなづいた。
部屋に戻り寝るまでの間、事件の資料を見直す。
「それにしても手がかりが全くでてこないとは犯人は相当手練れですね」
「……そうなのよ。不自然なほどに目撃情報、手がかりが全く掴めない」
リュエールさんは僕に見回り表を差し出す。事件のあった日には薄く丸が書いてあった。リュエールさんが書き足したのだろう。
「事件があった日に印をつけたのだけど何か気がつくことある?」
三ヶ月分の見回り表を見たが規則性らしきものは見当たらなかった。
「えっと、規則性がないことくらいしかわからないです」
「そう……。見回り表の時間は無作為。それをかいくぐって犯行をしているということは、犯人はこの表の存在を認知している」
「それでしたら見ている方は限られてきますよね」
犯人の枠がだいぶ絞れたと思う。しかし、リュエールさんはため息をついてから言葉を紡いだ。
「犯人に辿り着けるかもしれないけど結局そこまでなの」
「……。言い逃れできない物的証拠が必要ですね。結局、問い詰めても証拠がなければ言いがかりになってしまいます」
母上や父上も以前、罪を犯しても証拠がなければ罰せられないと話していたことを思い出す。あと数日でなんとか証拠を見つけたい。
「明日はどうしますか?」
「騎士団の兵舎に行こうと思うわ。リアとクラルスは顔が知られている可能性があるから私とシンで行って来るわね」
「わかりました」
チェルシーさん以外で見回り表を知っているのは、騎士団をまとめている将校や星永騎士だろう。僕とクラルスは資料室で街周辺の地
形を調べることになった。
「騎士団内の誰かの犯行だったら複数犯の可能性が高いわね」
「もし騎士が犯人でしたら、同じ騎士としてあるまじき行為です」
クラルスは眉をつり上げている。
リュエールさんは犯行の瞬間を取り押さえることができれば、一番手っ取り早いと話していた。
しかし、僕たちがこれだけ街中を散策しているので犯行に及ぶ可能性は低いと思う。
今日の話し合いも終わり、それぞれ寝台に横になり眠りにつく。少しずつ犯人へ近づいている実感があった。
ずっと怪事件のことを考えていて、なかなか寝つけない。
昼間、露店市場で聞いた泉の近くで命を絶った人がいるという話。僕のなかで引っかかっていた。どうしても気になってしまい事件記
録を見に資料室へ向かおうと決める。
起き上がり、寝台から這い出るとクラルスが目を覚ます。
「……リア様。どちらへ?」
「少し気になることがあって資料室に資料を取りにいってくるよ」
「今からですか? おともいたします」
「大丈夫。資料を取ってきたらすぐ部屋に戻るから」
クラルスが寝ているところを起こしてしまい申しわけない。資料だけ取って早く部屋に戻ろう。僕は足早に部屋を出て資料室へと向
かった。
深夜なので廊下は人の気配もなく静まりかえっている。月明かりが廊下を照らし、僕の足音だけが響いていた。
資料室は貴賓室とは反対にある。玄関の広間を抜けて資料室の扉の前まで辿り着く。
扉を開けようと取っ手に手をかけたが回らず、侵入を拒んだ。鍵がかかっているようだ。夜は防犯のために各部屋は鍵をかけているの
かもしれない。
諦めて立ち去ろうとしたとき、足音と玄関広間のほうから小さな灯りが見えた。月明かりを頼りに目を凝らして見るとリリアナさん
だ。
屋敷の見回りをしているのか角灯を持っている。彼女は僕に気がつくと足早に駆け寄ってきた。
「王子殿下? どうなさいました?」
「少し眠れなくて……。気になったことがあったので資料を見ようかと思いました」
「あまり根詰めますとお体に障ります。朝一で資料室はお開けしますので、お休みなさったほうがよろしいかと」
「……そうですね」
リリアナさんに迷惑をかけるわけにもいかないので、大人しく自室に戻ったほうがいいだろう。
「……王子殿下。もし、よろしければ安眠効果のある紅茶を淹れますがいかがですか? 疲労回復の効果もあります」
「そう……ですか。では、一杯だけいただきますね」
彼女の優しさを無下にはせずに紅茶をいただくことにする。それに、リリアナさんが調べた怪事件のことを聞けていなかったので、聞
いてみようと思う。
彼女のあとをついていくと、資料室のすぐ近くにある部屋へと移動する。どうやらリリアナさんの私室のようだ。さすがに女性の部屋
へ入ることはためらってしまう。
「あの……リリアナさんの私室へ入るのは……」
「どうしても王子殿下に見せたいものがあるのです」
「見せたいもの……ですか?」
「少しだけお時間をください。お願いします」
彼女は深々と頭をさげた。遅くなるとクラルスが心配してしまう。しかし、あまりにもリリアナさんが懇願するので断ることが心苦し
い。
「では……少しだけでしたら」
「ありがとうございます。すぐに紅茶のご用意をいたしますね」
彼女は僕を招き入れると急いで紅茶の準備をはじめた。
リリアナさんの私室はとても綺麗でひとり部屋としては少々大きいくらいの広さだ。大きな窓からは裏庭が見える。
清潔感のある布が敷かれた円卓の近くの椅子に腰を下ろし、部屋を見回す。
「きれいなお部屋ですね」
「侍女として住み込みで働いているのは私だけなのです。チェルシー様のご厚意でこちらの部屋を与えてくださいました」
彼女は紅茶を淹れながら答える。寝台の奥は物置になっているのか厚い布で仕切られていた。あまり部屋の中を見るのは失礼なので、
窓から見える裏庭を眺める。さまざまな色の薔薇が月明かりを受けて静かに色彩を主張していた。
玄関前と同じくきれいに剪定されている。
「チェルシーさんは薔薇が好きなのですね」
「えぇ。特に白い薔薇がお好きで、毎朝チェルシー様のお部屋に飾ることが日課になっております」
他愛もない話をしていると僕の前に紅茶が置かれた。いつも出されている薄茶色の紅茶ではなく少し赤みかかっている。
「変わった色の紅茶ですね」
「薔薇の花びらから抽出しました。安眠効果があります」
ひと口いただくと砂糖を入れていないのに、ほのかに甘く感じた。味わったことのない紅茶でおいしい。
「とてもおいしいですね」
「ありがとうございます。もしよろしければ明日の就寝前にお持ちいたしますね」
彼女は反対側の椅子に腰を下ろすと、僕のことをじっとみていた。不思議に思い首を傾げると、リリアナさんは顔を少し赤らめて視線
をそらす。
「申しわけありません。王子殿下のお顔を間近で拝見することが初めてなので……」
「いえ、気にしないでください」
紅茶を半分ほどいただいたあと、彼女に怪事件のことを聞いてみた。
「リリアナさん。怪事件について調べているのですよね」
「はい。一般人の私がこのようなことをするのは、おこがましいかもしれません」
「そんなことありませんよ。ささいな情報から犯人を追い詰められるかもしれません。一緒に頑張りましょう」
「ありがとうございます。あの……王子殿下は何か怪事件について、わかったことはございますか?」
僕は未だに有力な手がかりが見つかっていないことと、明日の予定をリリアナさんへ伝えた。
「犯人像がだいぶ絞られているので、物的証拠さえ見つかれば追い詰められるかもしれません」
「本当ですか? 私はチェルシー様を陥れようとしている貴族が怪しいと思うのですが……」
見回り表のことを説明するとリリアナさんは頷きながら真剣な表情で聞いていた。
「リュエールさんは騎士を怪しんでいるようです」
「まさか騎士であろう方が犯人とは……」
「まだ犯人とは限りませんが、見回り表の存在を認知している人物が犯人だと思います」
残りの紅茶をすべて飲み干し、喉を潤す。彼女は夜空に浮かんでいる満月に視線を移した。
「警備や見回りが厳しくなっているのに、犯行を繰り返してることが不思議です。僕がもし犯人なら止めてしまいますね」
「……そうですね。私も今宵が最後だと思います。こんなに月明かりがまぶしいのですから」
「……今宵……?」
ゆっくりとリリアナさんがこちらを向いた。口には薄笑いを浮かべている。
彼女の言動がおかしい。なぜ”今宵”と断言したのだろう。
突然、視界が歪み身体の力が抜ける。僕は椅子からずり落ち、床へ転がった。
「……身体が……」
頭上からリリアナさんの含み笑いが聞こえてくる。声を出そうとしたが掠れてうまく言葉が出ない。
彼女は僕を軽々と抱きかかえると寝台へ放り投げた。僕の解いてある髪が寝台へ散らばる。
「やっと手に入れた。最高のお人形」
「……リリアナさん。……どう……したのですか……」
「私は、きれいな子を愛でるのが好きなの。これが私のみせたいものよ。見て、私の収集したお人形たち」
彼女は寝台近くの布を少し左へ引く。大きな硝子 の
入れ物に人と同じ大きさの人形が何体も飾られていた。
よく見ると人形ではない。きれいな服を着せられた本物の人間だ。
「色々な国や街でお人形をたくさん作ってきたわ。それでね。この国の王都に来たとき王子と王女を見てお人形の素材に最高だと思った
わ。雪のような美しい銀髪。太陽のような煌びやかな赤髪。ふたりをお人形にしたくて仕方なかった」
「人形……?」
「私の手で美しい外見のまま時を止めるのよ。老いて美しさが損なわれる前にね。あなたも……今からそうしてあげるわ」
リリアナさんの顔は狂喜で塗りつぶされている。彼女の言動で悟った。この事件の犯人はリリアナさんだ。
彼女は、引いた布を元に戻すとゆっくりと僕のもとへ歩いてきた。
「あなたが屋敷にきたときは興奮したわ。どうやって護衛から離そうかずっと考えていたのに、まさかひとりであんなところにいるだな
んて……運がいいわ。最高だわ」
リリアナさんの豹変に恐怖を感じた。リリアナさんは僕の散らばっている髪を弄ぶ。髪に口づけをしたあと、僕の上に覆い被さった。
「そんな心配そうな顔をしないで。しばらくは生き人形として一緒に旅をしましょう」
彼女は僕の耳に顔を近づけると耳たぶを甘噛みをした。生暖かい舌が首筋を這い、肌が粟立つ。
嫌悪感がせり上がり、吐き気がした。
「や……めて……ください……」
リリアナさんを押し退けたくても身体に力が入らず、されるがままだ。
彼女が淹れた紅茶に薬が入っていたのだろう。まさか自分がリリアナさんの標的にされるとは思っていなかった。
彼女がぼそりと耳元でささやく。
「あなた、この国で王子という立場でありながら、忌み嫌われているそうじゃない。可哀想な子」
リリアナさんの言葉に心臓が跳ねる。チェルシーさんの侍女として働いている間に僕の噂を聞いたのだろうか。
「王子でなかったら皆あなたのそばにいないでしょうね。必要なのは肩書きであってあなた自身ではないのよ。あの護衛も王子でなけれ
ば一緒にいなかったでしょう。本当は誰にも愛されていない」
心に痛みが走る。彼女の言葉を否定したかった。しかし、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。
この国の王子という立場だから同情して優しくしてくれるのではないのか。仕方なく一緒にいるのではないのか。不安を煽られ表情が
歪む。
リリアナさんは口元を三日月に変えた。彼女は続けて言葉を紡ぐ。
「あなたは今夜すべてを投げ出してこの国から亡命したことにしておくわ。この先、私があなたを愛でてあげる。そして、私しか考えら
れないようにしてあげるわ」
彼女は僕の首筋に思い切り噛みついた。あまりの痛さにおもわず身体が仰け反る。
「痛いっ……!」
身をよじることしかできず、痛みに耐えるしかない。彼女の歯がりぎりぎと肌に食い込んだ。
リリアナさんの口が離れると噛まれた箇所がずきずきと痛む。彼女は恍惚 の表情をしていた。あまりにも異 常な行動に身体が強張る。
「さて、お人形は私が作った服に着替えましょうか」
リリアナさんが服の留め具に手をかけた。
そのとき、扉を激しく叩く音が室内に響く。チェルシーさんが彼女の名前を必死に呼んでいた。リリアナさんは舌打ちをして扉へと向
かっていく。
「……チェルシー様。どうかなさいました?」
「遅くにごめんなさい。見回りの最中に王子殿下を見なかったかしら?」
彼女は部屋から出て行く。廊下からリュエールさん、シン、クラルスの声が微かに聞こえてきた。
「リア様が資料室へ行くと仰っていたのです。あまりにも遅いので様子を見に行きましたら鍵がかかっていまして……。どちらに行かれ
たかご存じですか?」
「ここの他に資料室なんてないよな? リア、どこに行ったんだよ」
皆、僕を探してくれている。治癒魔法を使おうとしても酷い眩暈で集中できなかった。なんとか、この部屋にいることを知らせたい。
必死にあたりを見回す。机の上に置かれたままの紅茶の容器が目に入った。
あそこまで這っていき、机に敷いてある布を引けば容器を落として音を立てられる。皆に気がついてもらえるかもしれない。
思うように動かない身体を無理やり動かす。身をよじってなんとか寝台から床に落下した。
「リュエールさん……シン……クラルス……」
声を出しても掠れて大声が出せない。早くしなければと思っていても身体は鉛のように重く、思うように手足を動かせなかった。そう
している間にリリアナさんの声が聞こえてくる。
「王子殿下は……外へ行かれました。その……何か思い悩んだ様子で……。出て行ったことを内密にしてほしいと口止めされていまし
た」
「えっ!? リアどうしたのかしら……」
そんな嘘に騙されないでほしい。懸命に机まで這っていく。
円卓に敷いてある布に手をかけようとしたが、腕が上がらない。その間に眩暈は酷くなり意識が飛びそうになる。
「もしかしてお国のことで疲れてしまったのではないでしょうか……」
「俺らに何の相談もなしにか!? とにかくリアを追いかけよう。まだ近くにいるかもしれない!」
皆が行ってしまう。僕はここにいる。
不意に先ほどのリリアナさんの言葉が脳裏をよぎった。
”必要なのは肩書きであってあなた自身ではない。誰にも愛されていない。”
本当は僕が皆の枷になっているのではないのか。邪魔ではないのか。いなくなってしばえばいいのではないのか。
布に伸ばしていた手を床に下ろす。意識が暗闇に沈もうとしていたとき、クラルスの声が聞こえた。
「リリアナさん。あなた嘘をついていますね」
「なっ……何を根拠に」
「リア様は私を置いていかないと約束しました。リア様は約束を違えるような方ではありません」
「そんなのわからないですよね。王子殿下の心中をあなたは知っているというのですか?」
「……私はリア様の護衛です。リア様を……信じています」
彼は僕を信じてくれている。クラルスの言葉に応えたい。
周りにいくら否定されても、皆が僕にくれたすべての言葉、優しさ、愛情を信じたい。
再び手を伸ばして、震える手で布を掴む。無理やり布を体重で引きずり下ろした。
両脇に紅茶の容器が落ちて破片が飛び散る。大きな音が部屋中に響き渡った。少し遅れて乱暴に部屋の扉が開かれる。
「り……リア様!!」
クラルスがそばへ駆け寄ってきてくれた。彼の顔を見て安心する。
「クラ……ルス……」
「あああっ! 私のお人形が!! 触るな!!」
リリアナさんはこの世のものとは思えない形相をしていた。彼女は服の間から短剣を取り出しクラルスに襲いかかる。
彼は近くにあった椅子をリリアナさんに投げつけた。彼女がひるんだ隙に僕を抱き上げて退避する。
「この変態女!」
シンは近くにあった盆を氷結させ彼女に投げつけた。リリアナさんは腕で弾くと寝台の下から鞄をひとつ取り出す。
「おまえらのせいでせっかくの人形が台無しだ! もうここに用はない!」
彼女は窓を開けると裏庭へ飛び出した。またたく間に塀を跳び越えて近くの森に姿を消す。あまりにも急な出来事に皆、言葉を失って
いた。
すぐにチェルシーさんは医者を呼び、解毒剤を調合してもらう。彼女は信頼していたリリアナさんに裏切られ、酷く落ち込んでいた。
「リリアナ……どうして……」
「チェルシー……。今は休みましょう」
リュエールさんはチェルシーさんの肩を抱いて部屋から退室した。
リリアナさんの事件から三日後。いろいろなことが明らかになった。事件の被害者の少女たちは残念ながら全員亡くなっていた。彼女
たちは家族の元へ帰されたそうだ。
リリアナさんは複数の国で同じような犯罪をして、国を転々としている者らしい。”リリアナ”という名前も本名ではないそうだ。
また彼女は別の国や街で同じことを繰り返すのだろうか。止められなかったことを悔やんだ。
僕は紅茶に入っていた薬のせいで一日ほど声も出せず、動くこともできなかった。解毒剤のおかげで今は普通に動けるようになってい
る。
あのまま皆に気づかれなかったら、僕は彼女の人形として飾られていたのかもしれない。
身支度が終わったころ、リュエールさんが僕たちの部屋を訪れた。
「リア。体調は大丈夫かしら?」
「はい。おかげさまでよくなりました」
リュエールさんは安堵の表情を見せる。寝台に寝転んでいたシンは気怠そうに起き上がった。
「しかし、リリアナが犯人だったとはな。全然気がつかなかった」
「まさかあんなことになるとは思わなかったよ。助けてくれてありがとう」
鏡を見やると、首筋に彼女から噛まれた痕 が
まだうっすらと残っている。
「事件をまとめた資料がないって言った時点で、少し怪しいと思っていたけどね」
「えぇ! リュエさん、わかっていたの?」
リュエールさんは、証拠となるものが掴めなかったとき、チェルシーさんに進言して帰る予定だったらしい。
少ない手がかりのなか、リリアナさんを怪しんでいたリュエールさんの洞察力はさすがだ。
「手がかりがなくても情報を整理するために聞いたこととか書き留めておくでしょう? それがまったくないというのは怪しすぎるわ。
彼女がしていた聞き込みは自分で何か痕跡を残していないか聞いていたのでしょう」
「そして、何か見聞きした者は”精霊の呪い”ということにして消していたのですね」
「正解!」
それだけリリアナさんが犯罪に対して手練れだったのだろう。
シンは伸びをしながらリュエールさんへ問いかけた。
「なぁリュエさん。被害者の人たちってさ、どうやって呼び出されたんだ?」
「憶測だけど、チェルシーの名を使ったのでしょう。さすがに貴族の呼び出しは断れないわよね」
「騎士が見回りをしていない時間を指定して呼び出したってこと?」
「正解! 見回り表はチェルシーの部屋から盗み見でもしたのでしょう。本人が白状していない今、真相は闇の中ね」
リュエールさんは肩をすくめた。
きれいな人を殺してまでも飾っておきたい。彼女の気持ちは僕には理解できないことだった。
「さて、チェルシーもだいぶ心の整理がついたみたい。今日は話を進めましょうか」
リュエールさんに玄関前の大きな部屋へ案内された。チェルシーさんはすでに席で待っている。
僕たちを見ると椅子から立ち上がり一礼をした。
「王子殿下お身体の具合はいかがですか?」
「もう大丈夫です。お気づかいありがとうございます」
「どうぞ、おかけください」
チェルシーさんを見ると少しやつれている気がした。リリアナさんのことは相当、堪えたのだろう。僕は彼女にかける言葉がみつから
なかった。
「チェルシー。大丈夫?」
「えぇ。いつまでも落ち込んでいられないわ。私はこの街を統治する貴族ですから」
彼女は柔らかくほほ笑む。無理はしないで欲しい。しかし立場上、気丈に振る舞わなければならないときもある。彼女の気持ちは痛い
ほどわかった。
「このたびは事件を解決してくださり、ありがとうございました。ラザレースにも平和が戻るでしょう。お約束通りラザレースの騎士は
星影団のお力になることを約束します」
「ありがとうチェルシー。心強いわ」
「チェルシーさん。ありがとうございます」
ラザレースの騎士が協力してくれることになり胸をなでおろす。リュエールさんも安堵の表情を見せた。少しずつではあるけれど確実
に前進している。
いつか僕の伸ばした手がセラに届く日も来るはず。
「騎士の出動を要請することになったら連絡するわ。それと王都からの騎士招集があったら連絡をちょうだい。対策を考えるわ」
「えぇ。そのときは、また相談するわ」
突然、玄関の方から侍女の慌ただしい声が聞こえてきた。
遅れて乱暴に扉を開けて、ひとりの青年が部屋に入ってくる。
「あれ? もしかして遅かったかな? 参ったなぁ王子さんに怒られそう」
「あ……あなた何者ですか!? ご退室願います!」
チェルシーさんが慌てて立ち上がる。どうやら招かれざる客のようだ。
「当主様に急用なんだよ! 王都に騎士を送ってくれないかな?」
「えっ……それは……」
「これ、セラちゃん……。じゃなかった。セラスフィーナ王女殿下からの正式な要請書だよ」
青年は一枚の用紙を取り出すと机の上に投げた。彼は王都からの使者のようだ。またセラの名を使ってこのようなことをしているガル
ツに怒りを覚える。
警戒をして僕とリュエールさんは席から立つと、青年と目が合った。
「もしかしてリアくん? セラちゃんとあまり似てないねぇ。でも女の子みたいで可愛いな」
喋りながら彼は近づいてくる。クラルスは青年を阻むように前へ出て剣を抜いた。剣先は青年の喉すれすれで止まっている。
「これ以上、リア様に近寄るな」
彼は表情を崩すことなくクラルスを見ている。緊張が走り空気が張り詰めた。
「どうして専属護衛って皆、乱暴なのかなぁ。この前も殴ってきたし」
青年の言葉でルシオラがまだ生きているということがわかった。セラが王都でひとりではないことに安堵する。
「あの……あなたは?」
「まだ名前を言ってなかったね。俺はエルヴィス。ミステイル王国ガルツ王子殿下の護衛なんだけど今はお使い中」
「ガルツの護衛?」
「あぁ。心配しないで、王子さんにはもうひとり頼れる護衛がいるから」
僕はそういう意味で言葉を発したわけではない。
お使いとはラザレースの騎士を引き入れるために交渉することだろう。
この状況はよくない。僕たちがいる状況でチェルシーさんが拒否をすれば反逆したとみなされる。ラザレースの街は攻撃を受ける可能
性があった。
「リアくんさぁ。もう止めなよ戦争。端から見たら両親を殺して妹を殺そうとしている兄だよ? リアくんが反抗すればするほど、みん
な苦しむのわからないかな?」
「真実を歪めようとしないでください。たとえ辛くてもセラを救うため、ルナーエ国の未来のために僕は戦います」
彼は呆れた表情をして肩をすくめたあと、チェルシーさんを見やる。
「で……当主様はどうするの? 協力するの? それとも反逆する?」
チェルシーさんは口を閉ざしている。
彼女の判断でラザレースの立ち位置が変わってしまう。街の人たちの安全を考えると王都の要請に応じるしかない。
リュエールさんは彼女に判断を委ねるように無言を貫いている。
チェルシーさんは彼を見据えて言葉を紡いだ。
「王女殿下の……いえ、ガルツ王子の要請は受け入れられません。私は星影団と王子殿下を信じます」
「え……本気? この街、見せしめに壊しちゃうよ?」
「そんなことさせないわ! ラザレースは私たちが絶対守ってみせる!」
そのとき、クラルスが隙を突いてエルヴィスに剣を振るう。彼はクラルスの剣をかわすと距離を置いた。
「危ない危ない。不意打ちなんて卑怯だなぁ。この場でやってもいいけど、お楽しみはとっておくね。リアくん今度は戦場で会おう」
彼はひらひらと手を振りながら部屋から出て行った。軽く言っていたがラザレースに攻撃を仕掛けてくるつもりだ。
緊張の糸が解けて、チェルシーさんはその場に座り込む。
「チェルシー! どうして……」
リュエールさんは彼女のそばに駆け寄り肩を抱いた。なぜ彼女は街を危険にさらしてまで星影団に協力してくれたのだろう。
「どこかの街が声を上げなければ変わらないでしょう! リュエール、王子殿下。前に進んでください!」
「チェルシーさん……」
チェルシーさんの後押しに勇気づけられた。
そして、これから来るであろうエルヴィスが率いてくる軍からラザレースを防衛しなければならない。
「とにかく応援を呼ばないといけないわね。すぐにカルムを飛ばすわ」
「私は騎士を説得してくるわ。今すぐできることをしましょう」
チェルシーさんは立ち上がり、急いで部屋を出て行った。リュエールさんはため息を吐いて近くの椅子へ座る。
「まったくあの男。戦場であったら容赦しないわ」
「リュエさん。エルヴィスはあんな感じだけど注意したほうがいい。以前、戦争で一中隊をひとりで壊滅させているんだ」
シンの話によると、エルヴィスの強さは異常なものだそうだ。彼は戦争での強さを買われ数年前にガルツの護衛に抜擢されたらしい。
クラルスの剣をかわしたとき、戦闘になれている者だと感じていた。
「わかったわ。穏やかに帰りたかったのだけどね。これから大変よ……」
星影団からの応援が間に合うかわからないが、街を守るために僕にできることはすべてしよう。
2020/12/27 Revision