プリムスの伝承歌

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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第8曲 相対の伝承歌

 採石場から帰還して三日 目。僕たちは川のほとりで各自魔法の練習をしていた。
 僕とクラルスは長時間付与(エンチャント)の 練習。シンは魔力量の調整だ。

「おりゃあ!」

 シンが剣を振って叫ぶと、川に水柱が立ち凍りつく。魔力の調整はまだできていないようだ。
 彼は、ルフトさんに魔法の基礎を教わったのだが、なかなか上手くいかない。
 氷の粒が雨のように落ちてきた。シンは申しわけなさそうな顔をして僕を見た。

「リア。魔力くれ」
「もうこれで終わりね。失敗何度目なの?」
「三度目」

 シンは魔力を大量に消費するたびに、僕へ魔力を要求してきた。彼の左手に手を重ねて魔力譲渡をする。

「わるいわるい」

 軽く謝罪しながら破顔している。僕の魔力は心地いいらしく、シンは気持ちよさそうな顔をしていた。
 僕はまだ魔力譲渡をされたことがないので、どういう感覚なのかわからない。

 原石(プリムス)の魔力 の最大量は階級の低い原石欠片(オプティア)欠 片(フラグメント)と別格だそうだ。誰かから 譲渡される状況にはそうそうな らないだろう。

「リア様。シンに何回も魔力譲渡していますが大丈夫ですか?」
「僕は平気。でも魔力譲渡されたことがないから、どういうものか気になるかな」

 シンへの魔力譲渡を終わらせると、クラルスは僕のところまで歩いてきて左手を重ねた。

「手を失礼します。一度経験してみるといいかもしれません。私は譲渡が初めてなので上手くできるかわかりませんが……」

 彼は目を瞑り、集中している。しばらくすると、重なった手の間から光がこぼれる。ゆっくりと温かいものが身体へ流れてくる感覚と 少しの高揚感。
 シンが僕に魔力をせがむ気持ちがわかった。

「温かい感じがするね」
「その感覚をもっと強くしたものがリア様の魔力譲渡ですよ」

 彼は魔力譲渡を止めて、僕にほほ笑む。

「よし! リアに魔力をもらったし、もう一度やるぞ!」
「大切に使ってね」

 それぞれの練習へ戻ろうとしたとき、拠点のほうからスレウドさんが僕たちを呼んだ。

「おーい! リアたち、コーネット卿が到着したぞ!」
「コーネット卿が!?」

 僕たちは顔を見合わせて、スレウドさんと一緒に拠点の入り口まで走って行く。
 先日リュエールさんから三日ほどで合流すると聞いていた。期日どおり、コーネット卿は星影(せ いえい)団の拠点まで 騎士たちを率いてきてくれた。
 拠点の入り口ではすでにリュエールさんとコーネット卿が話をしている。

「コーネット卿! ご無沙汰しております」
「王子殿下。お久しゅうございます。お約束どおり、騎士を率いて参りました」

 入り口には整列したたくさんの騎士たちがいる。千人以上いるのではないだろうか。
 星影団へ協力するのは騎士たちの意思に任せるという話だった。こんなにもたくさんの騎士たちが協力をしてくれるのは心強い。

「コーネット卿。この騎士の人数は……」
「ランシリカ騎士の三分の二ほどが協力してくれました。一部の騎士はランシリカに置き、諜報(ちょ うほう)役をしても らっています」

 きっとコーネット卿を信じて、こんなにもたくさんの騎士たちがきてくれたのだろう。リュエールさんも大幅な戦力強化に顔をほころ ばせている。

「コーネット卿。長旅お疲れさまです。さっそくですが拠点をご案内します」
「リュエール殿。しばらくお世話になります」

 彼女は拠点の案内をこれからするそうだ。僕たちは魔法の練習へ戻ろうとしたとき、リュエールさんに呼び止められる。

「リア、クラルス、シン。話があるから公会堂で待っていて」
「わかりました」

 彼女たちに会釈をして僕たちは先に公会堂へ足を運ぶ。乱雑に置いてある椅子へ座り、ひと息ついた。

「なぁリア。あのおっさん強いだろう?」
「うん。クラルスの剣術の先生だよ」
「貴族であり、将校であり、私の剣術の師です。尊敬しておりますよ」
「な……なんかすごい人なのは感じたけど、有能な人なんだな」

 シンはコーネット卿のことを知らないので、協力までの経緯を話した。彼は真剣な表情をして話を聞いている。

「……全面的にリアを信用しているんじゃないのか」
「でも協力してくれるのは、すごくありがたいよ」

 兵力は増えたが、ガルツと正面からぶつかり合うにはまだ足りない。各街にいる騎士たちの協力も必要だろう。

「そういえばリュエさんが待ってろって言ってたけど何だろうな」
「もしかしたら先日の件かもしれませんね」
「城塞のことかな?」

 先日リュエールさんが、ガルツがランシリカ近くの城塞に視察へ来ると情報を入手した。そのことについて何か進展があったのだろ う。
 しばらくするとリュエールさん、コーネット卿、スレウドさん、ルフトさんが公会堂へ現れた。

「リアたちお待たせ」

 簡易的な机を囲むとリュエールさんが机上に地図を広げた。ランシリカ周辺の地図だ。

「さてと、おとといのガルツの件だけど、諜報から続報が入ったわ」

 諜報者によると十日後にガルツが城塞に視察へ来るそうだ。その他に王都で騎士たちを招集している動きがあるらしい。

「リュエールさん。罠の可能性は?」
「十分あるわ。でもあえて相手の誘いに乗って敵の動きを予測しやすくする。そして狙いはガルツのみに絞るわ。彼さえ捕らえればこち らの勝ちだからね」

 リュエールさんは、ガルツは自分を囮にして星影団の拠点を制圧する作戦だと予想している。騎士を招集している動きを見て間違いな いだろう。
 しかし、彼は自らを危険にさらす作戦を立てるのだろうか。

「ガルツ本人が本当に来るのでしょうか?」
「仮に影武者だったら態度や動きに必ず違和感が出るわ。そのときは作戦中止ね」

 城からガルツが出たあと、そういう違和感がないか諜報者に見張っていてもらうそうだ。

「そこで、私たちの作戦だけど星影団を二部隊に分けるわ」

 星影団をガルツを確保する部隊と拠点防衛部隊に振り分ける。
 確保部隊はリュエールさん、ルフトさん、シン、クラルス、僕。拠点防衛部隊はスレウドさん、コーネット卿。
 兵力はほとんど拠点防衛にあてるそうだ。

「リュエさん。リアを確保部隊でいいの? 人数少ないだろう」
「星影団を二部隊に分けるところまで相手も予想していると思うわ。その場合、リアを守るためには拠点でかくまうと考えるのが普通よ ね」
「あえてリアを確保部隊に?」
「そういうこと」

 彼女は考えられる事態を想定してあらゆる策を用意していた。当日までに極力被害が少なく勝率の高い作戦へ導くそうだ。
 拠点防衛はさっそくコーネット卿の指揮力を借りることになる。彼を見ると厳しい表情をしていた。

「リュエール殿。ガルツ王子はどんな手を打ってくるのか私もわかりかねます。相手もこちらの出方を見ていると思いますので、くれぐ れもご注意ください」
「ご忠告感謝します。拠点防衛はコーネット卿に一任しますので、よろしくお願いします」

 これからそれぞれの部隊に分かれて作戦会議をする。コーネット卿とスレウドさんは拠点の周りを詳しく知るために公会堂をあとにし た。

 僕たちは引き続き机を囲む。リュエールさんは新たに一枚の図を出した。城塞とその周辺の図だ。

「これは城塞の簡略図よ。まず森に隣接している西門から入るわ。手引きはコーネット卿の配下の騎士がやってくれるわ」
「コーネット様は抜かりないですね」

 コーネット卿は数名の騎士を城塞へ派遣したそうだ。彼らの情報によると、城塞へ滞在している騎士は少ないらしい。

「それと当日の合図を決めておくわ」

 リュエールさんは前回の拠点防衛戦で使った雷の球体を使い、合図をするそうだ。一個打ち上げれば撤退。二個打ち上げれば確保成功 の合図にする。

「撤退の合図は私が危険と判断したときだからね。何に置いても命を優先して安全な場所まで逃げること。私ができる状況でなかったら ルフトに頼むわ」
「わかりました」

 作戦前に危険と判断した場合は、確保作戦は実行せずにそのまま退却するそうだ。
 これから兵士を少しずつ他の街を経由させランシリカを目指すそうだ。他にも荷物に紛れさせながら数名ずつ街へ入るらしい。
 ガルツの諜報者に悟られないために、面倒だがしなくてはいけないそうだ。僕たちは五日後に出発をして、ランシリカへ直接向かう。

「話は以上よ。何かわからないことがあればいつでも聞いてちょうだい」

 出発するまでの間は各自準備をするように言われ、解散になった。

 公会堂を出ると太陽の位置が低くなっていた。朱色が拠点に差している。
 優しい風が僕たちの間を吹き抜ける。不意にセラがいる王都のほうを見つめた。
 セラとはもうずいぶん長い間、離れてしまっている。生まれたときから一緒にいることが当たり前だった。今は手の届かないところに いるのが不安だ。

「……セラ。もうすぐ会いにいくよ」
「この作戦で必ずガルツを確保しましょう」

 クラルスの問いに力強くうなづく。シンを見やると複雑な表情をしていた。

「ごめん……。シンにとっては自国の王子を捕まえることだよね」
「俺は平気。でも何だか不思議だなって思ってさ。自国の王子を捕まえるだなんて」

 シンの表情は気にするなと物語っていた。

「そういえばリアの妹のセラって双子だよな。似ているのか?」
「僕が母上似でセラが父上似だからあまり似てないかも」

 僕の言葉を聞いてクラルスはくすくす笑っている。

「リア様。そんなことはございませんよ。御髪(おぐし)の 色は違いますけど、解いたときのおふたりはよく似ていらっ しゃいます」
「そうかな?」

 あまりセラと一緒に鏡の前に立つことはなかった。外見のことは自分ではよくわからない。
 時折ルシオラにも同じことを言われていたのを思い出す。セラは僕と似ていると言われるたびに顔をほころばせていた。
 その笑顔を思い出して、胸が締めつけられる。

「早くセラに会いたいよ」
「えぇ。そのためにも今回の作戦を成功させましょう」

 僕たちは夕日をながめながら、自分たちの家へと戻った。

 ランシリカへ向かう前日。僕たちは公会堂の裏で手合わせをしていた。今は僕とシンが手合わせをしており、クラルスが見守ってい る。
 シンの剣術は出会ったころと比べて格段に上がっている。僕は負けじと彼へ剣を振るい攻めの姿勢をとる。

「リア! 気合い入っているな!」
「シンこそね!」

 一進一退の攻防にお互い熱が入る。しばらく剣を交えるが決着がつかない。見かねたクラルスから声がかかった。

「おふたりとも十分ですよ。お疲れさまです」

 僕とシンは剣を収めて息を整える。だいぶ長い時間手合わせをしていたので、服が汗でぐっしょりとぬれていた。シンを見ると息は上 がっているものの、まだ体力に余力がありそうだ。自分はまだまだだなと痛感する。
 僕たちが休憩をしていると、ルフトさんが公会堂から姿を現した。

「護衛。今忙しいか? 手合わせの相手をしてくれ」
「えぇ。構いませんよ」

 クラルスはたまにルフトさん、スレウドさんと手合わせをしている。ルフトさんは作戦前に剣術の調整をしたいのだろう。
 僕とシンは離れたところに腰を下ろしてふたりを見守る。
 ルフトさんとクラルスは対面になり剣を抜く。

「全力で頼む」
「いつも私は全力ですよ」

 苦笑しながらクラルスは答えた。そよそよと吹いていた風が止むと、お互い走り出す。
 ふたりの剣を交えている光景は美しささえ感じるきれいな剣術だ。

「相変わらずふたりともすごいよな。俺まだ一度も手合わせで勝てたことないんだけど」
「シンも十分強いよ」

 彼は顔をほころばせながら僕の頭を乱暴になでた。見ることも勉強なので僕たちは姿勢を正してふたりの手合わせを見学する。
 ルフトさんとクラルスはお互い二手、三手先を読んで行動しているように見えた。思わず息を止めて見入ってしまう。

 ルフトさんが思い切り踏み込み、クラルスの脇腹に斬撃を入れる。それを読んでいたクラルスは剣をかわす。
 ルフトさんに大きな隙ができた。
 クラルスはルフトさんの肩へ剣を振るう。ルフトさんは持ち手を返し再び脇腹へ斬撃をくりだした。

 僕たちの周りの時が止まる。お互いの剣が急所で止まっており、結果、引き分けになった。
 ふたりが剣を収めたと同時に僕とシンは止めていた息をはき出す。

「……あそこで攻めるべきじゃなかったな」
「ルフトさんの対応の早さはさすがですね。ありがとうございました」

 ふたりは一礼をして、ルフトさんは公会堂へ戻っていった。僕もいつかふたりのような技術を身につけたい。僕たちはクラルスの元へ 歩み寄る。

「クラルス。お疲れさま。さすがの剣術だね」
「ふたりの手合わせを見るのは勉強になるな」

 僕たちの絶賛にクラルスは照れくさそうな表情をして眉を下げていた。

「リア様はすぐ私よりお強くなりますよ。騎士団長様のご子息ですし、才能は十分あります」
「まだ未熟だけどそうなれるように努力するよ」
「俺は!?」
「シンもそうですね」

 クラルスは柔らかい笑みを浮かべる。僕たちは早めに手合わせを切り上げて休むことにした。
 明日はいよいよランシリカへ向けて出発する。不安、希望、緊張、いろいろな感情が混ざり合って僕の心の中で渦巻いていた。

 何もない真っ暗な空間。不安に駆られるほどの闇だ。一歩踏み出そうとしたとき、足先に何かが当たる。視線を落とすとそこには母 上、父上、セラが血まみれで倒れていた。

「こ……これはいったい……!?」

 悲惨な光景に思わずあとずさる。いったい何があったのか、ここはどこなのか。

「あなたがいけないのですよ。素直に月石を渡さずに逃げたからこうなったのです」

 声のしたほうを向くとガルツが立っていた。僕の足は闇に縫いつけられたように動かない。彼から視線をそらすこともできずにいた。
 ガルツはゆっくり歩いてくると、僕の首へ手を伸ばした。徐々に力が入れられ、首が締めつけられる。苦しくて抵抗をしているが振り ほどけない。

「リア。どうして逃げた」
「リア。どうして魔法を使ってくれなかったのですか」

 いつのまにか血まみれの母上と父上が隣にいた。後ろから血まみれのセラに抱きつかれる。見たくもない三人の姿に気がふれてしまい そうだ。

「リアのせいでみんな死んじゃったよ。ルシオラもクラルスも……。どうして助けてくれなかったの」

 呪詛のように責め立てる言葉を絶え間なく吐かれる。僕が生きていることは罪なのだろうか。
 首を絞められているなか、必死に声を絞り出した。

「ご……めんな……さい」

 言葉を発したと同時に夢から現実へ引き戻される。浅い呼吸を繰り返しながらあたりを見回すと、クラルスが心配そうに見ていた。

「リア様。大丈夫ですか? うなされていましたよ」

 少し眩暈がする頭を押さえ、上体を起こす。全身に嫌な汗をかいていた。寝台の敷布を強く掴んでいたのか乱れている。

「……大丈夫。悪い夢を見ただけだよ」

 心配させないように彼にほほ笑む。自分の首にそっと手をあてた。さきほどの出来事が現実ではなかったことに安堵する。
 さすがにすぐ眠ることはできそうにない。またあの悪夢を見てしまいそうな気がした。

「少し外を歩いてくるね」
「おともします」
「大丈夫。クラルス起こしちゃってごめんね。すぐに帰ってくるから」

 クラルスは僕の意思を尊重してくれて、無理やりついて来ようとはしなかった。寝台の足下に畳んである薄い毛布を持ち、外へ出る。

 夜空にはそろそろ満月になろうとしている月が浮かんでいた。肌寒い夜気が汗をかいていた身体には心地よく感じる。
 真夜中なので拠点の家屋はすべて灯りが消えていた。月明かりを頼りに裏手にある川のほとりへと足を運ぶ。
 ゆるやかな川の水面には歪んだ月が映っていた。
 不意に先客がいることに気がつく。

「ルフトさん?」
「何だ、王子か。珍しいな」

 大きな岩に座っていたルフトさんは僕の声に気がついて振り向いた。
 毛布を羽織り、彼の隣に腰をおろす。ルフトさんとふたりきりで話すことは初めてかもしれない。

「悪い夢を見てしまって。散歩してから寝直そうと思いました」
「そうか。明日はランシリカへ向かうから寝坊するなよ」
「はい。ありがとうございます」

 いつも冷たい態度をとられているのだが、気づかう言葉をくれた。思わず頬がゆるむ。
 ルフトさんも夜中にこのような場所に来ているので眠れないのだろうか。

「ルフトさん。眠れないのですか?」
「考え事だ。もう少ししたら寝る」

 ルフトさんは憂いの表情で月を見ている。彼はどうして星影団に入ったのだろうか。ルフトさんとはあまり話さないので、彼のことは ほんの少ししか知らない。
 いい機会なのでルフトさんに聞いてみよう。

「ルフトさんが星影団に入ったのは、何かきっかけがあったのですか?」

 僕の問いに彼は短い沈黙のあと、口を開いた。

「俺とスレウドが前から自警団を組んでいたんだ。そこにリュエが入って、しばらくして女王陛下から俺たちの自警団を”星影団”と命 名された」
「リュエールさんがあとからですか?」

 はじめからリュエールさんが団長として仕切っているわけではなかった。それならなぜ彼女が団長になったのだろうか。ルフトさんと スレウドさんも団長の素質がないわけではない。

「なぜルフトさんが団長にならなかったのですか?」
「リュエは俺とスレウドより人を惹きつける素質があった。だから俺が団長になれと推したんだ。今は後悔している。あいつに全部背負 わせているからな」
「そ……そんなことは……」

 言葉の途中で口をつぐむ。リュエールさんとルフトさんの過去を知らない僕が「そんなことはない」と言っても説得力がないからだ。

「まさか国を賭けた戦争をすることになるとは思っていなかった。俺は何があってもあいつを守る。そのためなら味方だろうが剣を向け る」

 彼が僕に冷たい態度をとっている理由がわかった。僕がいる限りリュエールさんは星影団の団長として戦争の矢面に立たされる。命を 落とす危険が高い。
 今も彼は僕のことを快く思っていないだろう。

「僕の……せいですよね。リュエールさんが危険なことにさらされてしまうのは」
「自覚はあったんだな」

 彼の言葉に胸が締めつけられる。あのときは自分のことで精一杯で、リュエールさんのことは全く考えていなかった。彼女から差し伸 べられた手を正直に握ってしまった。
 結果、リュエールさんやルフトさん、星影団のみんなを危険にさらしている。

 僕は羽織っている毛布を握りしめてうつむいた。

「おまえに協力する前、何度も俺はリュエを止めた。でも一度言い出したら聞かないし、単なるわがままでもないから結局俺が折れたけ どな」

 彼は苦笑している。リュエールさんは僕に手を貸せば戦争になることはわかっていた。それでも彼女は母上に恩義があり、国を愛して いるからこそしてくれた行動だ。

「王子。俺たちが協力したんだ。勝とうが負けようがこの戦いから逃げるな。命を賭けて戦え」
「……その覚悟はあります」

 真剣なルフトさんの視線に応える。ルナーエ国とセラを取り戻すまでは絶対にあきらめない。
 彼は短いため息をつくと言葉を紡いだ。

「王子。ガルツを捕まえたらどうするつもりだ?」
「どうするって……」
「あいつはおまえの両親……女王陛下と騎士団長様の仇だろう。殺すのか?」
「……ガルツをこの手で殺めても、母上と父上は戻ってきませんよ」

 何をしても母上と父上が戻ってくることはない。ガルツを殺めて気が済むのならそれでいいだろう。今は唯一の肉親であるセラを返し てほしい。その思いが強かった。

「僕はだたセラを……妹を返してほしいだけです」
「お人好しだな」
「今はそう思っているだけです。戦いの果て、僕がそのとき何を思っているのか、わかりません」

 僕の周りはあの日から目まぐるしく変わっている。戦いのため冷酷になり、人を殺めた。この先もそうしなければならない戦いがいく つもあるだろう。
 すべての戦いが終わったあと、自分が自分でなくなってしまいそうな気がした。

 ルフトさんは立ち上がり、拠点へと足を進める。

「俺はもう寝る。作戦のときあまり気張るなよ」
「はい。お話してくださってありがとうございます」

 彼は振り返らず軽く手を上げて、拠点へと戻っていった。

 静寂が訪れ、空に浮かんでいる月を見上げる。

「母上……父上……」

 手を胸の前で組み、目を瞑った。ぞんざいに扱われていなければ、母上と父上は王家の墓で眠っているだろう。今、僕は遠く離れたと ころから悼むことしかできない。
 ふたりはセラが女王になる姿を見届けて余生を過ごし、国民から哀悼されながら静かに眠るはずだった。

 母上と父上との思い出がよみがえる。王位継承権のない僕をセラと分け隔てなく育てて、愛情を注いでくれた。
 言葉として伝えることはもう叶わないけど、僕は母上と父上の息子で幸せだった。
 まぶたをゆっくりあげて再び月を見つめる。

「母上。父上。すべてが終わったら会いにいくよ」


 次の日、僕たちはランシリカに向けて出発した。先に到着している星影団の団員はランシリカの兵舎で待機しているそうだ。
 諜報者の情報によると現在ガルツは城塞に向けて、王都を出発したらしい。率いている兵士は自国兵だけだそうだ。

 きらめく太陽と澄み渡った青空。さわやかな風が吹くなか、馬を走らせる。空ではカルムが気持ちよさそうに飛んでいた。
 今朝から作戦のことで頭がいっぱいだ。出発前、緊張しているのがスレウドさんに伝わったのか乱暴に頭をなでてから見送ってくれ た。

「ランシリカに着いたら作戦の確認をするわよ」
「わかりました」
「それからたくさんご飯を食べてたっぷり睡眠を取ること! 寝不足だったら連れていかないわよ!」

 大がかりな作戦前だが、リュエールさんはいつもどおりに振るまってくれていた。みんなどこか張りつめていたので緊張を解きたいの だろう。そんな彼女の心づかいに胸が温かくなる。

「それじゃあ夕食は、大盛りご飯に朝とれたて卵の汁物と美味しい肉がいいな!」
「おまけに緑の野菜もたくさん用意するわね」
「リュエさん。わざと言っているだろう」

 ふたりのやりとりを見て思わず笑みがこぼれた。
 シンは嫌な顔はするが緑の野菜は残さず食べるようになっている。彼のことを見ると昔のセラを思い出す。

 セラは幼いころ茄子が苦手で食事にでるたびに僕のお皿へ移していた。見かねた母上が料理長に相談をして、どうにかセラに美味しく 食べてもらおうとしていた。今は克服できており選り好みせずに食事をしている。
 セラに似ていると言うとシンは嫌な顔をすると思うので黙っていた。

「リュエールさんとシンは相変わらずですね」
「うん。作戦前なのを忘れそうなくらいだよ」

 まだ言い合いをしているリュエールさんとシンを見てクラルスは苦笑していた。

 二日間の陸路を走り、ランシリカに到着をした。東の空では星々がまたたきはじめている。そのまま僕たちは騎士の兵舎へと向かう。
 コーネット卿の厚意で兵舎は自由に使用していいと許可されていた。リュエールさんは明日の作戦会議のため、確保部隊の団員を大会 議室へ集める。

「みんな、明日は絶対にガルツを確保するわよ。情報交換を常にして、些細な変化でも私に連絡をちょうだい」

 リュエールさんの言葉に団員の皆がうなづく。諜報者によると、ガルツは今日城塞へ到着したとのことだ。
 彼女は作戦の再確認を始めた。明日、夕刻になる前に城塞近くの森へ身を潜める。明け方、ランシリカ騎士の手引きによって奇襲を開 始という流れだ。

 僕は胸にもやもやとしたものが残っていた。ガルツが怪しい行動をしていない。それが逆に不気味だった。

 ひととおり話が終わり、解散になる。夕食まで時間があるので、クラルスとシンと一緒に寝室で休憩した。
 シンは寝台へ座ると寝室を見回している。

「きれいな兵舎だな」
「父上が年に数回、各街の兵舎の視察に行くんだ。劣悪な環境だといい騎士が育たないって信念があって掃除には力を入れていたよ。ミ ステイル王国はどういう感じの兵舎なの?」
「俺は遠征ばかりだったからな。兵舎にいる時間のほうが少なかった。それに俺は途中から宝石の研究所に閉じ込められていたから」
「あっ……。ごめん」

 シンに嫌なことを思い出させてしまった。彼は「気にするな」と笑顔をくれる。
 シンと同い年の少年騎士とシンを比べると、彼は厳しい環境であったことがうかがえた。
 ミステイル王国は敵国が多かったので軍事に力をいれるとなると、必然とそうなってしまうのだろう。

「クラルスは遠征に行ったことあるのか?」
「私は十五歳のときからリア様の護衛なので遠征には無縁でしたね」
「へぇ。十五歳で護衛に抜擢とか、そうとう強かったんだな」
「少年騎士は十二歳から十八歳までなんだけど、クラルスは当時の少年騎士のなかで首席だったんだ」

 シンは納得という顔をしていた。クラルスはもともと剣術に長けていた。それに驕らず努力をしていたので首席の座につけたのだと思 う。

「騎士団長様はリア様と年の近い護衛騎士がいいと仰っておりました。幸いルナーエ国はここ十数年有事はありませんでしたし、リア様 に長く仕える護衛騎士を育てたかったのかもしれません」

 当時、専属の護衛騎士がつくと聞いて不安だった。貴族に縁故のある人で嫌がらせをされるのではないのかと思っていた。
 クラルスと初めて会った日のことは今でも鮮明に覚えている。彼の目を見てすぐ優しい人なのだと察した。
 思ったとおり着任初日に貴族を糾弾しようとしてくれた。そして、初めて家族以外で名前を呼んでくれた人。
 今まで他人に心から優しくされたことがなかったので、うれしくて泣きじゃくってしまった。
 今思えば彼に醜態をさらしてしまって恥ずかしい。

 僕たちが他愛もない話をしていると扉を叩く音が聞こえた。夕食の準備が整った知らせだ。
 シンは満面の笑みを浮かべながら僕たちを食堂へと急かす。

 献立はシンが要望した白米、卵と野菜の汁物、香りがいい香辛料で味付けした肉だ。しっかり緑の野菜も用意されている。
 彼は素直によろこべず複雑な表情をしていた。わかりやすく表情に出してしまうシンに思わず笑みがこぼれる。

 夕食後、早めに僕たちは寝室へと戻った。リュエールさんが食堂にいた人たちを次々に追い出したからだ。彼女に文句を言われる前に 足早に退散した。

 寝台に横になりながら明日のことを考える。ガルツを捕らえることができるのだろうか。失敗したとき、王都にいるセラに危害を加え るのではないのかと思ってしまう。
 目を瞑りながら両隣の寝台に寝ているふたりへ声をかけた。

「シン、クラルス。必ず作戦を成功させようね」
「あたりまえだ」
「えぇ。必ず。戦いを終わらせましょう」

 それぞれ僕の問いに応えてくれた。自分に「大丈夫」と言い聞かせる。
 不安ではないといえば嘘だ。ガルツが奇襲を察知していたら、拠点が制圧されてしまったら、誰かが犠牲になってしまったら。考え出 すときりがない。
 嫌なことを考えてしまう頭を左右に振る。僕は毛布を深くかぶり、眠りについた。

 次の日、太陽が真上に昇ったころ、星影団の団員は兵舎内の庭に集まっていた。これから五人ずつ半刻ずれて城塞近くの森へ向かう。
 団員を見送り、僕たちは最後に兵舎を出ることになっている。
 頭上からカルムの鳴き声が聞こえた。今朝からカルムは、ほとんど休むことなく飛んでいる。

「カルム。おいで!」

 リュエールさんが呼びかけると急降下して、彼女の曲げた腕に止まった。足には手紙がくくりつけてある。
 リュエールさんが手紙を取ると、カルムは用意してあった桶に飛び込んだ。桶の中には薄く水が張ってあり、カルムはばしゃばしゃと 水しぶきを上げながら水浴びをしている。

「わっ! カルムすごい水浴びの仕方」
「体温を下げているのですかね」

 カルムが羽ばたくたびに、こちらまで水が飛んできた。ひととおり水浴びがおわったところで、リュエールさんから預かっていた餌を カルムの前に差し出す。

「朝からお疲れさま。ごはん食べる?」

 カルムは高い声で鳴くと、僕の手に乗っている豚肉を取り上げて食べ始めた。
 僕の横でシンがカルムをじっと見ている。

「カルム便利だよな。早馬だとこんな密に連絡取れないぞ」
「魔法でも”遠隔精神反応”という遠距離で意思疎通できる魔法がある」
「なにそれ! どうやるんだよ!」

 ルフトさんの魔法説明にシンが喜々としている。しかし、星影団のなかで誰も使っている様子はなかった。

「遠隔精神反応は高等魔法だ。魔力消費も激しいうえに精神力も削られる。おまえみたいな魔力垂れ流しには二十年早い」
「ぐっ……。言い返せない」
「魔法の応用力が高いリュエさえできないんだ。そんなことを練習している暇があるなら剣術か付与(エ ンチャント)の基礎で も磨け」

 ルフトさんは追い打ちをかけるようにシンに言葉を投げつけた。リュエールさんは彼らのやりとりを見て苦笑している。
 彼女は手紙を書き終えると、カルムの足へくくりつけた。

「スレウドのところにお願いね。この作戦が終わったらいっぱいご褒美あげるわ」

 リュエールさんの言葉に応えるように鳴き声を上げると空高く舞い上がる。カルムは拠点の方角へ飛んでいった。

「さて私たちも出発しましょうか」

 緊張と不安で自分の身体が強張っているのがわかった。彼女は僕の顔を見ると苦笑する。

「リア。そんな顔しないで。ガルツを捕まえるために最善を尽くしましょう」
「リア様。何があってもお守りしますのでご安心ください」

 ふたりは僕を安心させるように優しく声をかけてくれた。クラルスとリュエールさんのために作った笑顔をはりつけた。
 昨日から言葉に表せない不安がずっと心のなかでうずいている。

 彼女の号令とともに僕たちは城塞へ足を進めた。


 太陽が山の向こうへ消えようとしているとき、城塞近くの森へ到着する。先に着いていた団員からリュエールさんへ伝達。周辺の森に ミステイル王国の伏兵はおらず、まだガルツも城塞に滞在しているそうだ。
 これから作戦開始の時間である明け方まで身を潜める。
 城塞の中は確認できないが、特に兵士や騎士が動いている様子はなく、静寂を保っていた。
 この中にガルツがいる。それを思うだけで胸がざわついていた。

 真夜中。月明かりに照らされたひとりの人影が城塞から森へ向かってきた。服装を見ると騎士の衣服をまとっている。ランシリカの騎 士のようだ。
 ルフトさんは彼に近寄り、短い言葉を交わす。すぐにリュエールさんの元へ戻ってくると声をひそめた。

「リュエ。手引きは問題ない。ガルツがこちらの動きを察知している様子はないそうだ」
「わかったわ。予定どおり作戦は明け方に決行よ」

 ガルツを捕縛する作戦は決行される。リュエールさんの言葉に心臓の鼓動が早くなるのを感じた。

 夜襲があったあの日以来、ガルツとは面と向かって会っていない。彼と対面したとき、冷静でいられるだろうか。
 今もまだ鮮明に覚えている。無数の矢に射貫かれた父上。心臓に矢が突き刺さった母上。大切な人たちを奪った元凶がすぐ近くにい る。
 いつのまにか呼吸が浅くなっており、苦しくて胸を押さえた。

「……リア様!?」
「リア。大丈夫か?」

 隣にいるクラルスとシンが心配そうに僕を見つめている。

「だ……大丈夫。緊張しているのかな」

 呼吸を整えるために深呼吸を繰り返す。こんなことで動揺してはいけない。目を瞑り、精神を集中させる。
 不意にリュエールさんがしきりにあたりを見回した。何かを探しているような仕草だ。隣にいたルフトさんに小声で話す声が聞こえ る。

「ルフト。カルムがどこにいるのか見える?」
「いや。森の中だからカルムはわからないんじゃないのか」
「ここにいることはわかっているはずよ。何かあったのかしら」

 まだ深夜なので月明かりだけではカルムを見つけることはできない。カルムは夜行もできるので姿を現さないことが不安なようだ。
 カルムの姿を見つけることができず、時間が刻々と過ぎていく。

 東の空が青白くなりはじめた。あたりは明るくなり、城塞が視認できるようになる。
 鳥もまだ鳴き始めない静寂の刻。
 緊張であたりの空気がぴんと張りつめていることがわかった。リュエールさんは不意に立ち上がり、城門を凝視する。

 そのとき、重圧な城塞の門が鈍い音を立てながら左右に開いた。それを合図にリュエールさんは声を上げると、星影団は城塞へなだれ 込む。

 僕たちも剣を抜いて城塞へと走り出す。城塞内は開門の音を聞いて混乱していた。
 手引きをしたランシリカの騎士の声が聞こえる。

「ガルツ王子は二階です!」
「わかったわ!」

 僕たちは城塞の二階を目指す。見張りをしていたミステイルの兵士たちが目の前に立ちはだかる。
 あとから来た団員たちがミステイルの兵士たちの足止めを引き受けてくれた。僕たちは横をすり抜けて階段を駆け上がる。

 早くガルツを見つけ出さないと逃げられてしまう。
 二階の広間にたどり着くと、ミステイルの兵士たちが待ち受けていた。僕たちは剣を構え応戦を開始する。
 ひとりの兵士が怒声を上げて襲いかかってきた。剣をかわし、急所に斬撃をいれる。兵士は短い悲鳴のあと、崩れるように床へ伏し た。

 広間は悲鳴と怒号で埋めつくされる。次々に現れるミステイルの兵士と剣を交えた。
 あたりを見回しガルツを探す。兵士の人数からして彼はまだ二階のどこかに身をひそめていると確信した。

 不意に視線を感じたので、そちらのほうを向く。倒れていく兵士の肩越しに赤紅(あ かべに)色の瞳と目が合った。

 ガルツを見つけたというより、彼から姿を現したと表現したほうが正しいだろう。ガルツは焦った様子もなくこちらを見つめていた。
 彼は何かをふところから取り出す。長くて赤い糸の束。
 よく見ると糸の束ではなく人間の髪の毛だ。赤い髪とわかり戦慄が走る。まさかあれはセラの髪ではないのか。
 僕の両親を奪い、セラを傷つけた。黒い感情が心を蝕んでいく。

「ガルツ!!」

 彼は不敵に笑い、うしろにある階段を上がっていく。ここで逃すわけにはいかない。
 乱闘している兵士たちの間を縫うように走り、ガルツを追うために階段へと向かった。

「リア様! お待ちください!」
「リア! ひとりで行ってはだめよ!」

 クラルスとリュエールさんの声が聞こえた。ふたりの制止は聞き入れられない。

 今、僕を突き動かしていたのは”怒り”という感情だ。

 階段を駆け上がると終着したのは屋上だった。

 目の端で何かがこちらへ飛んでくるのをとらえる。とっさに短剣を抜いて弾く。乾いた音をたてて細身のナイフが床へ落ちた。

 吹いている風で僕の銀髪が激しく揺れる。屋上にはガルツだけが立っており、こちらを見据えていた。
 ゆっくりと歩き、彼の対面に立つ。

「……ガルツ」
「お久しぶりですね。ウィンクリア王子。いえ……ウィンクリア」

 今すぐ剣で斬りつけたい衝動を必死に抑える。その代わりに彼をにらみつけた。

「その髪はセラの……」
「これですか? まさか。妹君によく似た髪ですよ。こんなもので騙されるとはまだ幼いですね」

 ガルツは煽るように言葉を投げかける。彼は持っていた髪の束を離すと、風に運ばれていった。
 僕を誘い出すための挑発だったのだろう。しかし、屋上を見回しても捕縛するための兵士を用意しているわけでもない。彼の目的は何 なのだろうか。

「二人きりで話をしたいことがありましてね」
「……何ですか」
「ウィンクリア。あなたに月石が宿っていますね」

 思わず左手を押さえる。やはりガルツは僕が月石を宿していることを悟っていた。

「それでしたら何だと言うのですか」
「あなたは素直な反応をしますね。それを大人しく渡してください。そうしたら妹君を解放しましょう」

 平然と彼は取り引きを提示してくる。ガルツは約束を守るはずがない。

「ふざけないでください。あなたの取り引きには応じません」
「おや、いいのですかそんなことを言って。俺の手中に妹君がいるのをお忘れですか? 五体満足で返してほしければ言うことを聞くも のですよ」
「セラに危害を加えるつもりでしたら、あなたはすでにそれを実行して僕をあぶり出しているでしょう。偽の髪を使っていることがいい 証拠です」

 彼は歪んだ笑いを口元に浮かべる。

「……あなたに脅しはきかないようですね」

 しばらくの沈黙のあと、ガルツが含み笑いをした。

「あなたは純粋で聡明。そしてまっすぐな心をお持ちです。月石があなたを選んだ理由がよくわかりますよ」

 彼が距離をつめたので思わず剣を構える。

「それにあなたは俺に感謝すべきだ」
「な……何を……」
「あなたの両親をこの国の腐敗している(まつりごと)と 苦しみから解放したのですから」

 ガルツはルナーエ国の政の情勢を知っている。
 確かに貴族の声が大きくなり、悪政がはびこっていた。それでも母上と父上は正しい道に導こうと歩んでいる最中だった。二人の未 来を奪った彼に、なぜ感謝をしなくてはならないのか。
 握りしめた拳が小刻みに震える。

「母上と父上は国を変えようとしていました。僕の両親を奪ったあなたを許せません」
「変えようとしていた? 何を甘いことを言っているのですか。自分たちが一番の権力を持ち、それで下々の者を管理できない(お ろ)かさ。 結果の出ていないことを口先だけで努力していると言って何になるのですか」
「人々は王族が管理するために存在しているわけではありません! 母上と父上は国民に寄り添おうといつも考えていました」
「管理しなかった結果、あなたの国はどうなったのですか? 抑え込まないと道を外す愚か者ばかりだ」

 以前ガルツは平和を維持するためには強大な力が必要だと話していた。それも一理あるかもしれない。しかし、恐怖で人々を支配し、 抑え込むのは心を(ないがし)ろ にしている。
 国民は王族の都合のいい道具ではない。たくさんの意見があってこそ皆で悩み、よりよい国にしていくのではないかと思う。

 僕と彼は根本的に思想が違うため、言い争いは無駄だと悟った。

「……話は終わりにしましょう。城塞は僕たちで制圧しています。あなたに逃げ場はありません。降伏してください」
「愚かしい。自分たちが勝利したとでも思っているのですか?」

 ガルツの言葉に言い知れぬ不安を覚える。何を考えているのだろうか。

「リアっ!」

 リュエールさんが息を切らしながら階段から姿を現した。

 彼女の姿を見た瞬間、ガルツが動く。腰に下げていた投げナイフを数本取りリュエールさんに向かって投げつけた。
 彼女は突然のことで反応が遅れる。僕はとっさに彼女の前に出てナイフを弾いた。無理な体勢で攻撃を受けてしまい、あとから飛んで きたナイフに対応できない。
 急所を外そうと身体をひねる。ナイフは左の腕と足に突き刺さった。
 痛みと衝撃で床に転がる。

「リア!? ガルツ! 大人しく降伏しなさい!」

 リュエールさんは僕を飛び越えてガルツに向かう。彼女の剣は付与(エ ンチャント)で雷をまとっていた。
 ガルツが左手を前に出すと、大気中の水分が集まってくる。リュエールさんは異変に気がつき飛び退いたが、一歩遅かった。
 圧縮された水球が突如、激しいうねりに姿を変えて彼女に襲いかかる。激流がリュエールさんを襲い、弾きとばれて床に転がった。

「リュエール……さん」

 リュエールさんは気絶しているのか床に倒れたまま動かない。ガルツは倒れている僕にゆっくりと近づいてくる。
 ナイフが深く刺さっているのか立ち上がろうとしても激痛が走り、動けなかった。
 彼は僕の左手を取り、見入っている。

「この刻印。やはりあなたが月石を宿していましたね」

 ガルツは満足そうにほほ笑んでいる。彼は床に散らばっている僕の銀髪を(も てあそ)ぶ。不快感がせり上がり、ガル ツの手を弾く。
 それと同時に痛みが全身を駆け巡った。思わずうめき声が口からもれる。

「威勢がいいですね」

 ガルツは勝ち誇ったように僕を見下ろして、笑みを浮かべている。抵抗できずに、ただ彼をにらみつけることしかできなかった。

「ウィンクリア。王都に連れて帰る前に教えてあげましょう。星影団が奇襲をすることは予想していました。何せ、わざと俺が城塞へ来 ると情報を流したのですから。あなたたちは乗らないわけにはいかないでしょう。俺の裏をかいたつもりのようでしたが、のこのこと現れてく れて助かりましたよ」

 すべてガルツのてのひらで踊らされていた。悔しくて唇を噛み締める。

「我々の軍が星影団の拠点へ攻めてくると思っているようでしたね。残念ながらそんな兵など用意しておりません。今ごろ棒立ちしてい る拠点の連中が目に浮かびますよ」

 ガルツは作戦を遂行するためなら自らを囮に使う。僕たちが来ることがわかっていたのなら、城塞に留まるのは危険だ。彼は何か策を 持っていることは明らか。
 階段から誰かが来る気配はない。ミステイルの兵士たちが足止めをしているのだろう。リュエールさんを守り、ガルツから逃れるため にはどうすればいいのだろうか。

 不意に彼は僕の腕に刺さっているナイフに手をかけた。

「ウィンクリア。見せてくれませんか。あなたの……月石の魔法を」

 勢いよくナイフを引き抜かれ、血があふれだす。

「ぐっ、あああああっ!!」

 傷口を押さえている手は血で真っ赤に染まる。奥歯を噛んで痛みに耐えた。

「早く治癒魔法を使わないと出血で死んでしまいますよ」

 痛みで魔法を使う気力はなかった。傷口がずきずきと脈を打ち、絶え間なく与えられる激痛で気がふれてしまいそうだ。
 ガルツはしばらく僕を見ていた。魔法を使うことができないと悟るとため息をつく。

「痛めつけすぎてしまいましたか。手加減は難しいですね。王都でじっくり観察するとしましょう。さぁウィンクリア帰りますよ」

 ガルツの手がゆっくりと伸びてくる。
 彼の挑発に乗ってしまい、無様に返り討ちにされてしまった。クラルスとリュエールさんの制止の声を振りきって身勝手に行動した結 果だ。自分の感情に愚直になってしまったことを悔やんだ。


 目をきつく閉じたとき、走る足音が聞こえた。目を開けるとガルツは僕から飛び退き、誰かが目の前に立ちはだかる。
 ゆっくりと視線を上に移す。

「……っ……クラルス」

 見上げるとクラルスが殺気立って剣を構えている。ガルツは先ほどと同じ水の魔法を使いクラルスへ攻撃を仕掛ける。
 クラルスは剣に付与をして、襲ってくる激しい水流を斬りつけると、蒸発するように消えた。

「……。ダイヤモンドとは珍しい」
「あなたも回復魔法であるサファイアを攻撃魔法として使っていますね」

 ふたりはにらみ合い、お互い動こうとはしなかった。張りつめた緊張の糸を切ったのはガルツだ。

「残念ですが、ここでやり合うつもりはありません。月石が宿っていることを確認できただけでいいでしょう。次はあなたを奪いにいき ますよウィンクリア」

 ガルツは身をひるがえし、逆側にある階段を降りていった。クラルスは彼のことは追わず、剣を収めた。
 足早に僕のそばへ駆け寄ってくる。

「リア様……!」

 クラルスは血があふれている僕の腕に布をきつく巻いた。そうしている間にルフトさんが屋上へ駆け上がってくる。

「王子、リュエ!」

 彼はリュエールさんの元へ駆け寄り抱き上げる。彼女はまだ意識が戻っていない。無事なのだろうか。

「リュエールさんは……」
「気絶しているだけだ」
「よ……よかったです」

 ルフトさんは雷を帯びた球体をひとつ生成すると打ち上げた。短い破裂音のあと、あたりを明るく照らす。
 撤退の合図だ。

「護衛。ランシリカまで撤退だ」
「かしこまりました。その前にどこか安全な場所でリア様の止血を……」

 クラルスが僕を優しく抱き上げた。そのとき、遅れてシンが屋上へ上がってくる。彼と目が合うと悲痛な声をあげた。

「リア!? どうしたんだ、その怪我!」

 シンは眉をつり上げると、クラルスの胸ぐらを掴んだ。

「クラルス護衛だろう! なんでリアがこんな目にあっているんだ!」
「ち……違うよシン。僕が勝手に行動したからなんだ。クラルスは悪くないよ」

 クラルスは思いつめた表情をしていた。僕が悪いのに、そんな顔をしないでほしい。
 シンはクラルスから手を離した。

「……悪い」
「シン。リア様の傷口を魔法で塞げますか? 止血しなければ危険です」
「わかった。やってみる」

 シンが腕の傷口に手をかざすと、氷におおわれた。冷たいのか痛いのかわからず、感覚が麻痺しているようだ。

「リア。足のナイフ抜くぞ」

 僕が歯を食いしばるとナイフが抜かれる。痛みで身体がのけぞり、クラルスの外衣を強く掴む。
 血は出たが、すぐにシンは止血をするために氷の魔法を使った。

「痛いし冷たいよな。街に着くまでの辛抱だ」
「大丈夫だよ。ありがとうシン」
「王子の応急処置が終わったなら城塞から出るぞ」

 屋上から撤退しようとしたとき、ひとりの団員が慌てた様子で階段を駆け上がってくる。

「ルフトさん大変です! ミステイルの兵士たちが城塞に火を放ちました!」
「何だと! おまえら急いで撤退だ」

 逃げている最中、城塞のいたるところから火の手が上がる。焦げている臭いがあたりに充満していた。敵なのか味方なのかわからない 兵士たちの悲鳴や慌てた声が交錯している。
 階下へいくと、すでに火の手が回っており、外へ出る扉は炎に包まれていた。

「ふざけんな! ガルツ王子は自国兵まで焼くつもりかよ!」

 シンは抜剣をして付与をする。炎を斬るように剣を振るうと、氷の粒子が飛び散り、炎がかき消された。
 彼を中心に冷気が(ほとばし)り、 出口までの道を作る。

「シン! あなた魔力の調整がまだ……」
「そんなこと言ってる場合かよ! 俺が外まで道を作るから、リアとリュエさんを頼む!」
「シン……!」

 彼に手を伸ばそうとしたが、目の前がみるみる暗くなり、意識を手放した。


 薄く目を開けると見慣れない天井とくせ毛のある暗緑(あんりょく)色 の髪が目に入った。少し横を向くと窓を遮光してい る布の隙間から光が差し込んでいる。

「……クラルス」

 彼に声をかけると安堵の表情を見せ、僕の手を取った。続いてシンがそばに駆け寄ってくる。

「リア様。お目覚めになられましたか」
「リア! 大丈夫か?」

 ふたりの言葉にうなづく。起き上がろうとしたが、腕と足の痛みにはばまれる。
 シンはリュエールさんたちに報告すると言って部屋を出ていった。

「リア様。ご気分はいかがですか? 丸一日眠られておりましたよ」
「えっ……。そんなに?」

 ここはランシリカ兵舎の個室。僕はランシリカへ戻ったあと、すぐに治療をしたため大事にはいたらなかった。

「団員の人たちは無事だったの?」
「……残念ながら火災でお亡くなりになった方が多数いらっしゃいます」
「僕のせいで……」

 そこまで言うとクラルスが僕の口に人さし指を当たので、言葉が遮断される。

「今は治療に専念しましょう」

 クラルスは優しくほほ笑んでくれた。
 複数の足音が聞こえると、シンがリュエールさんとルフトさんを連れて戻ってくる。

「リア! 目が覚めたのね。よかったわ」

 リュエールさんは安堵の表情のあと、優しくほほ笑んでくれた。どうしてみんな僕を責めないのだろう。
 逆にそれが辛かった。自責の念が心にあふれ出す。

「リュエールさん。僕のせいで作戦を駄目にしてしまいました。ガルツを見たら頭に血が上ってしまって……」

 敷布を強く握り目を伏せる。勝手な行動をしなければガルツを捕らえられたかもしれない。

「リアの気持ちは痛いほどわかるわ。それにランシリカに帰ったあとカルムが戻ってきたの。ミステイル王国軍は拠点に現れなかったそ うよ。私の采配がいけなかったわ。もっと慎重に情報を精査するべきだった……」

 詳しく話を聞くと、スレウドさんと情報のやりとりをしていた諜報部隊から連絡が途絶えたそうだ。
 不審に思い、急遽他の諜報部隊を派遣した。そのときにガルツが拠点制圧のための軍を用意していないことがわかったそうだ。
 攻め込む前にリュエールさんの元へカルムは来なかった。スレウドさんがずっとカルムに仕事を頼んでいたらしい。

 ルフトさんはリュエールさんの肩にそっと手を置いた。

「ガルツがそういう作戦を取るような奴だとわかっただけでいいだろう。すべてが上手くいくわけじゃない」

 僕たちは火を放たれた城塞から脱出できた。しかし、星影団の半数以上が怪我を負ったか火災で亡くなってしまったそうだ。

「リア。私を庇ってこんな怪我をしてしまって……」
「自業自得です。みんなと一緒にいればリュエールさんが危険な目に遭いませんでした」

 自分の心の弱さと城塞の出来事が悔しくてしかたなかった。彼女に前髪を優しくなでられる。

「リア。今はゆっくり休んで。魔法で無理に治さなくていいわ。心の整理もあるだろうし」
「……ありがとうございます。リュエールさん」

 リュエールさんたちは今から拠点へ帰るそうだ。シンとクラルスは僕があるていど回復したら一緒に帰ることになった。
 ふたりが退室をして、部屋にはシンとクラルスと僕の三人になる。誰も話そうとはせず静寂が室内を包み込んだ。

「……ごめん。ふたりとも席を外してもらっていいかな?」
「かしこまりました。何かありましたらすぐにお呼びください」

 シンは何か言いたそうだった。クラルスに背中を軽く押され、ふたりは退室する。

 静かになった部屋で目を瞑った。
 もしあのとき、ガルツがリュエールさんを殺そうとしていたらと思うと怖くなる。そして、城へ帰り本当にセラに危害を加えるのでは ないのか。不安なことが次から次へとあふれだす。
 僕はそれを振り払うように首を振って、毛布を頭から被った。


 目を開けると室内を月明かりが照らしていた。いつのまにか眠ってしまったようだ。兵舎内は静まりかえっている。真夜中なのだろ う。
 外の空気にあたりたく、痛みをこらえて寝台から這い出る。足を引きずりながら扉へ向かい、そっと開けた。

「……リア様!? そのお怪我で出歩いて大丈夫ですか!?」

 扉の近くにクラルスがいて、驚いた表情をしていた。彼はずっと近くにいてくれたようだ。

「少し外の空気にあたりたくて……」
「かしこまりました。外へお連れしますね」

 クラルスは軽々と僕を抱き上げる。彼と目が合うとほほ笑んでくれた。

「ご……ごめんね。ありがとう」

 負担をかけてしまい申しわけなくなる。クラルスは一階の中庭ではなく、屋上へと足を運んだ。
 優しい夜風に僕の解いた銀髪とクラルスの暗緑色の髪が揺れた。夜空を見上げると満月が、僕たちを見下ろしている。
 クラルスは僕をゆっくり床へ下ろすと、着ていた外衣を肩にかけてくれた。

「席を外しましょうか?」
「ううん。大丈夫だよ」

 その場に座りひざを抱く。
 自らの手でセラを救える好機を潰してしまった罪悪感。やっと母上と父上、セラに会える。ルナーエ国をガルツの侵食から守れるはず だった。
 いまだに僕の心は後悔の念が渦巻いている。

「あのとき、クラルスたちの言うことを聞いていればと後悔しているんだ」
「私もリア様をすぐに追えなかったことを後悔しております。このような怪我をさせてしまい申しわけなく思っています」
「クラルスのせいじゃないよ」

 それぞれ後悔の言葉を口にする。城塞への奇襲は後悔ばかりが残る出来事だった。
 クラルスへひとつの恐怖に駆られていることを吐露する。

「僕、抑えられないほど怒りの感情に囚われたのは初めてだった。感情の制御ができなかった自分が怖い。いつか怒りに任せて取り返し のつかないことをしてしまいそうな気がして……」
「感情を完璧に制御できる人はおりませんよ」

 ガルツへの黒い感情が怖かった。何も考えられず、ただ家族を奪ったことに対する怒りに支配されていた。
 追ってはいけないという思考も遮断され、自分が自分でないようだ。
 ふたたびガルツと対峙したとき、平常心でいられるだろうか。

「今回は彼らが上手だった。それだけです」
「でも、僕のせいでガルツを逃がしたことは事実だよ」

 クラルスは隣にひざまづくと僕の肩に手を置いた。

「リア様はご自身の行動を振り返り、後悔しました。悩むことも大切ですが、気持ちを切り替えて前に進むことが、セラ様をお救いする 一番の近道ではありませんか?」

 リュエールさんは、前を向いて次の行動に移っている。いつまでも俯いてはいられない。セラを助けるためには前を向いて進まない と。
 僕は後悔を捨てるわけじゃない。背負って前に進む。

「……そうだね。クラルスの言うとおりだよ」
「急にお気持ちを切り替えることは難しいです。お怪我もありますし、ゆっくり前に進みましょう」

 彼の優しい笑顔に僕は応えるように頷いた。クラルスに慰めてばかりではなく、もっと自分自身が心も身体も強くならなければいけな い。

「……ありがとう、クラルス」

 彼は目を細めて小さく頷いた。

「リア様。そろそろお部屋に戻りましょう。お怪我に夜気が障ります」
「うん。そうだね」

 クラルスは僕を抱き上げると、強く抱き寄せる。どうしたのかと思い、彼を見ると眉を下げて複雑な表情をしていた。

「あのとき、リア様が私の前から永遠にいなくなってしまうのではないのかと思いました。今こうしておそばにいられて、安心します」

 彼の言葉を聞いて酷く心配をかけてしまったと実感した。クラルスの肩に頭を預け、彼の服を握りしめた。

「僕はもう君を置いていかないよ。約束する」
「そう仰っていただけるとうれしいです」

 もやもやした気持ちを吐露して心が軽くなった気がした。
 自室に運んでもらっているなか。彼の体温を感じながら眠りの海に意識を沈める。


「リア。起きてるか?」
「うん。どうぞ」

 上体を起こしながら答えると、シンが入室した。盆を持っており、僕に朝食をもってきてくれたようだ。

「朝食は粥だけど食べられそうか?」
「うん。大丈夫。もってきてくれてありがとう」

 二日前から何も口にしていないけど、お腹は空いていなかった。
 シンは寝台の近くまで椅子を引っ張ってきて自分の膝の上に盆を置いた。何をするのかと見守っていると、木のさじで粥をすくい、僕 の口元へ運ぶ。

「早く食えよ。たれるだろう」

 こういう気遣いがシンの優しいところだ。利き手が怪我をしているわけではないので自分で食べられる。それでも彼の優しさを無下に はせず、運ばれてくる粥を食べた。
 ちょうどいい塩気のある粥が喉をとおり、お腹を満たしていく。簡単な料理だけど、何も口にしていなかったので美味しく感じた。

「クラルスはどこにいるの?」
「今、諜報者が来ていて対応している」

 粥を食べながらシンに城塞の状況を聞いてみる。

「城塞ってどうなったのかな?」
「火はまだくすぶっているらしいけど、ほぼ鎮火した。近くの森へ火が移らなかったのが幸いだってさ」

 城塞は修復をしないと使えないだろう。
 ガルツにルナーエ国が蝕まれていく。早く止めないと何をするのかわからない。
 俯いて考えていると、シンに頬を突かれた。

「リア。そんな顔するな。どのみちガルツ王子は火計をして俺たちを動揺させるつもりだったんだろう。まだ俺たちは立て直せる」

 彼は白い歯をみせて笑う。シンなりに気を使ってくれてありがたい。話をしていると部屋の扉が叩かれ、クラルスが入室した。

「リア様。おはようございます。お怪我の具合はいかがですか?」
「少し痛みはあるけど大丈夫だよ」
「さきほどリア様にリュエールさんからの伝言をお預かりしました。”二週間はランシリカで過ごすように”とのことです」
「に……二週間も?」

 そこまで酷い怪我ではないので一週間もあれば普通に歩けるようにはなる。
 リュエールさんは僕に気を使ってくれたのだろう。期限を守らずに帰ると彼女に雷を落とされる。大人しくランシリカで過ごすしかな い。

「わかったよ。二週間は安静にするね」
「えぇ。十分に休息を取ってから拠点に戻りましょう」

 たっぷり休息期間を与えられたので、心の整理をしながらゆっくり過ごそう。焦っていてもセラを救えるわけではない。



 一週間たつと、怪我の痛みはなくなっていた。歩くことに支障はない。まだ激しく動ける状態ではないので手合わせなどはできずにい る。
 身体が鈍ってるので中庭で軽く運動をしようとしていた。その話をクラルスとしていると、シンが部屋に入ってくる。

「リア。怪我はどう?」
「回復は順調。もう普通に歩けるよ」
「あのさ、俺ここの街初めてだから、これから散策いかないか? 買いたいものがある」

 ランシリカに来たのはコーネット卿との交渉のとき以来。ゆっくり街を見ることはできていなく、シンの意見に賛成だ。

「僕もランシリカはあまり見回っていないから、お散歩行こうかな」
「そうですね。お天気もいいですし、参りましょう」

 クラルスも賛成してくれて、これから三人で街へ出かけることになった。

 外套を被り、兵舎の門をくぐる。
 空を見上げると、雲ひとつない快晴で午後の日差しが暖かい。シンは露店市場のほうへ足を運ぶと、何かを探しているようだった。

「シン。買いたいものって何?」
「耳飾りがほしくてさ。リアもクラルスも左耳にしているだろう。俺も何かつけたい」

 クラルスは左耳に小さな丸い銀の耳飾りをつけている。僕の三日月の形をした耳飾りは、十歳の誕生日のときに母上がくれたものだ。 その日以来、肌身離さずつけている。

 雑貨などが売っている区域まで行くと、装飾品を売っている露店がちらほらある。
 ひとつひとつの露店をシンはじっくり見ていた。太陽の光で装飾品がきらきらと輝いていて万華鏡のようだ。

 シンはひとつの耳飾りを手に取った。星の形をしていて、中央に青い宝石がはめてある。彼の髪色や宿している宝石の色と合っている ので、シンに似合うと思う。

「シン。それいいんじゃないかな?」
「そうか。何かこれに惹かれたんだよな。お姉さん、この真ん中の宝石って何?」

 清楚な服を着た女性は、シンの手の中にある耳飾りを覗き込んだ。

「それはラピスラズリよ。宝石といっても宿せないからね」

 無意識に宿している宝石と同じものに惹かれたようだ。シンは思わず苦笑している。
 値段は一二〇〇レピとそこまで高くはない。

「半額で片方だけ売ってくれない?」
「ごめんなさい。うちは一点物だから、ばら売りはしていないの」
「わかった。じゃあこれくれ」

 シンは女性にお金を支払い、袋に詰められた耳飾りを受け取る。さっそく彼は窓を見ながら耳飾りを左耳につけた。
 シンは僕たちのほうに振り向くと満足そうにほほ笑んだ。

「シン。似合っているよ」
「えぇ。シンらしい耳飾りですね」
「いいもの買えた! 片方どうしようかな。リュエさんにでもあげようかな」

 彼の言葉を聞いて僕とクラルスの時が止まる。深い意味はないと思うけれど、ルフトさんの前では絶対にあげないほうがいい。
 シンにそれを伝えると怪訝な顔をしていた。

 街なかを散策しにいこうとしたとき、人々が一定方向に流れていく。何かあるのかと思い、僕たちも人々と同じ方向へ足を運んだ。

 とある場所に人だかりができている。どうやら掲示板があるようだ。シンは確認をするために、人だかりに姿を消した。

「何だろうね」
「またセラ様の名を使い何かしたのでしょう」

 不安な気持ちで掲示板を見つめる。しばらくすると人々をかき分けてシンが戻ってきた。表情をうかがうと、あまりよくないことが書 いてありそうだ。

「シン。何が掲示されていたの?」
「城塞のことが書いてあった。城塞に火を放ったのは星影団がしたことになっている。街の人の印象は最悪だぞ」

 ガルツの印象操作だろう。元々貴族から好かれてはいない星影団だ。コーネット卿に協力をお願いするときも苦労した。この印象操作 により他の街の貴族へ協力を仰ぐことがさらに難しくなってしまう。
 今後の活動に支障がでることは明らかだ。

「シン。他に何か書いてありました?」
「いや。星影団と城塞の火災のことしか書いてなかった」
「……。これはコーネット様への声明ですね。ガルツはコーネット様がこちらに協力していることは知られています。不利な状況に陥れ て寝返らせるつもりなのでしょう」

 ガルツはコーネット卿の指揮力を知っている。脅威になる前に引き入れたいと考えているかもしれない。
 掲示板に出ている情報は、僕たちが拠点に帰るころにはリュエールさんに伝わっているだろう。
 コーネット卿はどうするのだろうか。

「コーネット卿が心配だよ」
「リア様ご安心ください。コーネット様はルナーエ国の名将校です。このような脅しには乗らないでしょう。他に策を考えているかもし れません」
「コーネットのおっさん信じようぜ。それよりリアは怪我の完治が先決!」
「う……うん。みんなを信じるよ!」

 信頼できる仲間がいることは心強い。残りの休息期間を有意義にすごそう。
 残りの期間は運動や軽い手合わせをして、鈍ってしまっていた感覚を取り戻すことに専念した。

 二週間のランシリカでの休息期間を終えて、僕たちは拠点へと戻る。さっそく帰還したことを報告するためにリュエールさんの個室へ 向かう。公会堂へ入るとちょうど彼女を見つけた。

「あら。三人ともおかえり。ちゃんと約束守ったわね。えらい!」
「はい。十分な休息が取れました。ありがとうございます」

 彼女は優しい笑みを浮かべている。シンは腰に下げている鞄から小さな紙袋を取り出した。

「リュエさん。これあげる」
「何かしら? 開けていい?」

 彼がうなづいたことを確認して、リュエールさんは紙袋を開ける。彼女のてのひらに小さな星形の耳飾りが転がり落ちた。

「あら、可愛い耳飾り。でもひとつ?」
「俺が片方つけているんだ。いらないからリュエさんにあげる」
「せめて私のために買ってきたって言いなさいよ」
「リュエさんのために買ってきました!」
「もう遅い!」

 シンはおでこを人さし指でつつかれた。ふたりのかけ合いは相変わらずだ。クラルスと顔を見合わせて苦笑した。

「つけるかわからないけど、もらっておくわ。ありがとうシン」

 彼女のお礼の言葉にシンは頬を少し赤らめていた。
 そういえばリュエールさんは見えるところに装飾品はつけていない。あまり興味がないのか。身につけることが苦手なのだろうか。

「リュエールさん。城塞の話はご存じですか?」

 クラルスに問われると、彼女は真剣な表情になる。

「えぇ。知っているわ。まったくガルツもよく悪知恵が働くわよね。感心するわ」
「コーネット様への声明と読みましたが、どうなのでしょう」
「そのことについては心配しないで。名指しされていないから相手にする必要はないって見解よ」

 リュエールさんとコーネット卿はガルツは掲示板で煽り、反応を見ていると判断した。しかし、楽観視はできない。掲示板の内容で星 影団が動きにくくなったことは確かだ。

「リュエールさんこれからどうしますか? 他の貴族に協力を仰ぐことは困難だと思います」
「顔見知りの貴族がいるから話をしに行こうと思うの。リアたちも一緒にきてくれる?」
「もちろん行きます」
「ありがとう。少し遠いけどラザレースに明後日向かうわ」

 ラザレースの街にはリュエールさん、シン、クラルス、僕の四人で行くことになった。確かその街は女性の貴族が統治している。その 貴族の女性とリュエールさんが顔見知りなのだろう。
 リュエールさんばかりに頼ってしまっている。少しずつでもいいので彼女の役に立ちたいと思う。

2020/12/27 Revision
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