プリムスの伝承歌




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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第2曲 水の伝承歌

 まだ朝日が顔を出す少し前。黎明(れいめい)の 空を眺めながら回廊を歩く。
 今日から一週間ほどスクラミンへの視察へ向かう。母上と父上には先ほど挨拶を済ませて、クラルスと一緒にセラの部屋へと向かっている。出発 する前に必ず顔を出してと念を押されていた。いつもは起きていない時間だが大丈夫だろうか。
 セラの部屋の前まで来ると既にルシオラは待機していた。

「おはようございます。リア様」
「おはようルシオラ。……セラはまだ起きていないかな」
「はい。昨晩遅くまでお勉強なさっておりまして。……起こしましょうか?」
「大丈夫。寝かせてあげて」

 帰ってきたら文句を言われそうだけど、疲れているセラを起こす気にはなれない。

「リア様。お気を付けて、いってらっしゃいませ」
「うん。セラのことお願いね。多分起きたら騒ぐと思うから……」
「心得ております。クラルス、リア様をしっかりお守りするように」
「リア様の護衛ですから当然です」

 僕はセラの部屋の前で「いってきます」と言い、城に隣接されている船着き場へと向かった。

 王都の近くには大河が流れており、船が交通手段になることが多々ある。船着き場では地方視察へ向かう準備のため船に積み込み作業が行われて いた。
 それを指示している屈強な体格の男性、星永(せいえい)騎 士のクルグだ。槍の達人であり僕の体術の先生でもある。
 僕が初めての地方視察ということもあって、視察同行に慣れており、星永騎士であるクルグが拝命された。

「おはようクルグ」
「おぉ! 王子殿下、おはようございます! 良い天候に恵まれてよかったですな」

 クルグは空を仰ぎ、豪快に笑った。僕も彼に見習い、空を見上げると夜の色が消えかかっている空は雲一つなく風も穏やかだ。

「おはようございます。クルグ様」
「クラルス。お前にとっても初めての地方視察だな。生真面目(きまじめ)な お前なら心配ないだろう」
「それは褒めていらっしゃるのですか……」

 クラルスはクルグの言葉に苦笑いをする。話をしていると船の縁から二人の人影が見えた。僕はその二人に見覚えがある。

「クルグ様。積み荷の準備が終わりました」
「ご苦労だったライズ、ジュス。王子殿下が参られたので、ご挨拶なさい」

 二人は駆け足で僕の前まで来ると一礼をする。普通なら成人している騎士が同行するはずなのだが、なぜ少年騎士であるライズとジュスがいるの だろうか。クラルスを見ると二人を見て眉を潜めた。ライズもクラルスを見て嫌そうな顔をしている。

「おはようございます。王子殿下」
「二人ともおはよう。どうして少年騎士団の二人が……?」
「ウェル騎士団長様直々に王子殿下にご同行せよとのご命令です」

 ライズがすらすらと説明をしてくれた。たまに社会勉強ということで、成績が優秀な少年騎士はこうして視察に同行することがあるらしい。今回 はどうやら父上の取り計らいのようだ。

「ライズとジュスが一緒で心強いよ。色々大変だと思うけどよろしくね」

 僕が微笑むと、気が張っていた二人の表情が少し緩んだ。
 僕たちは船に乗り込み、朝日が昇ったと共に船着き場を離れてスクラミンのある南へと向かった。


 二日間の船旅は今のところ何事もなく平穏そのものだ。スクラミンに着くまでの間に街についての書物を読み込んでいる。
 毎日しているクラルスと手合わせは、船の上では出来ないため身体が鈍ってしまいそうだ。
 気分転換をしようと僕は甲板へと顔を出す。風が頬を撫でて気持ちが良い。川のほとりに動物たちが水を飲みに来ている様子が見えた。
 甲板を少し歩くとライズとジュスを見つける。

「ご苦労さま。船は順調?」
「おっ……王子殿下。どうしたでございますか」

 ジュスが姿勢を正して変な敬語を使うので思わず笑ってしまう。二人は休憩中らしく座ってのんびり空を仰いでいる最中だ。ここでは娯楽のもの はないので、休憩中の騎士たちは雑談をしながら甲板の端で寛いでいる。

「普段通りでいいよ。ライズもね」
「すみません。どうも苦手で……」
「……護衛はどうした?」

 ライズは一人でいる僕を不思議に思ったようだ。

「クラルスはクルグに呼び出されていないよ」

 僕は二人の隣に腰を下ろす。少し暗い自室で書物を読んでいたので太陽の光が眩しく感じた。

「そういえば、王子殿下は何で変装なんかして模擬戦に紛れていたんだ? ライズなんてどこの貴族の息子が縁故(え んこ)で来たかと思ったって……」
「お前は一言多いんだよ」

 ライズにジュスは肘打ちされジュスは大げさに痛がった。そんな二人のやりとりを見てくすりと笑ってしまう。
 ジュスに質問されたことを隠さずにこの地方視察へといけるかの試験だったと話した。多分ライズは快く思っていないだろう。彼の方を見ると予 想どおり表情が濁った。ライズには騙すようなことをして申し訳ない。

「……どんな理由であれ俺が負けたのは事実だ」
「俺は王子殿下に怪我をさせたからライズの首が飛ぶんじゃないかと思ったぞ」
「そんなことしないよ。騎士団長様も真剣でやると決めていたから、僕がかすり傷じゃ済まないと分かっていたと思う。それにライズとの模擬戦は いい経験になったよ。ありがとう」

 ライズに微笑むと彼は気恥ずかしそうに僕から視線を外した。

「……王族が地方視察で、強さを求められるのか?」
「自分の身は自分で守るくらいではないといけない、と言われていたからね。もしライズに負けていたら視察には行かせてくれなかったよ」
「じゃあ、あの護衛はお飾りか?」
「それとこれとはまた違うよ。ライズは何でそんなにクラルスのことを目の敵にするの?」

 今度は僕が疑問に思っていることを聞いてみた。彼は少しばつが悪そうな顔をして話し始める。
 ライズとジュスは幼なじみで平民から騎士になりたいと志願して、今は少年騎士団で一位二位を争う強さになっていた。序列が高いほど騎士見習 いとして騎士の任務に同行することができる。
 貴族出身の日の浅い少年騎士が縁故だけで重要任務に同行するところを何度も見て、あまり王族や貴族をよく思っていないらしい。
 父上は不本意ながら貴族の顔を立てるために、そういう事をせざるを得ないのだろう。

 クラルスの十五歳で異例の星永騎士昇格で僕の護衛になったことは騎士団内で有名な話らしく、誰かの取り計らいがあったのではな いかと噂されているそうだ。それを快く思っていない騎士もいるらしい。

「クラルスは当時の少年騎士団で首席だったって聞いているよ。それで護衛を任されたと思う」
「今の実力はどうだか……」
「僕よりは強いよ」

 僕の言葉にジュスは前のめりな姿勢になり目を輝かせた。

「へぇー王子殿下より強いとなると俺気になるなー! 手合わせしてくんないかな?」
「ジュスから直接頼んでみたら?」

 ジュスは強い人と手合わせをして経験を積みたいらしい。そんなことを話しているとどこからか騒がしい足音が聞こえてきた。

 足音が聞こえてくる方を向くと慌てた様子でクラルスが甲板に顔を出した。クルグとの話が終わって自室にいない僕を探しに来たのだろう。

「リア様! こちらにいらしたのですか心配しましたよ」
「ごめんクラルス。少し風に当たりたかったんだ」

 置き手紙をしておけばよかったと後悔した。クラルスに心配をかけて申し訳ない。

「おっ! 噂をすれば……護衛さん俺と手合わせしない? 着くまで暇だろ」
「お断りします」

 早速有言実行でジュスはクラルスにお願いをしてみたが、間髪を容れずに断られた。

「えー王子殿下からも頼んで下さいよー!」
「クラルス一回だけお願いできないかな?」
「し……しかし……」

 ジュスのお願を叶えてあげたく僕もクラルスに頼んでみたが、あまりよく思っていなさそうだ。

「星永騎士でもあり、王子護衛が少年騎士に負けたら恥ずかしいから手合わせしたくないのもわかるな」

 ライズがクラルスを煽るような言葉を投げかける。クラルスはため息を吐いて言葉を紡いだ。

「……いいでしょう。そこまで言われては、お受け致します」
「全力でお願いしますよー」

 ジュスは嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。ここには模擬剣などはないので真剣での手合わせだ。
 見張りをしていた周りの騎士たちが興味本位で集まってくる。星永騎士で僕の護衛であるクラルスは、滅多に人前で手合わせや模擬戦をしないの で皆興味津々のようだ。 
 
 対面になり、お互い剣を抜くと周りの騎士たちは、しんと静まりかえった。吹いていた風が止んだ瞬間、ジュスは走り出し距離を詰めクラルスに 攻撃を仕掛ける。
 見るかぎりジュスは力で押していく戦術のようだ。もし僕だったら剣をすぐ弾かれてしまったかもしれないがクラルスは的確に彼の剣を受け止め ている。
 
 クラルスは防戦をしていて一向に攻撃する気配がない。
 しばらく見ているとジュスの剣の振りが大きくなり、僅かな隙ができた。端から見ているので分かったが、手合わせの相手だったら気づかないく らいの小さな隙。
 クラルスは踏み込んでジュスの手元からすくい上げるように剣を弾く。弾かれた剣は中を舞い乾いた音をたてて甲板へと落ちた。

「……はぁ……もう少し良い勝負ができるとおもったんだけどな」
「これで満足でしょうか?」
「やっぱり星永騎士は違うなぁ。護衛さんありがとう」

 ジュスはクラルスに白い歯を見せて笑った。二人は剣を収め、互いに一礼をすると僕とライズの元へと帰ってきた。見学していた騎士たちは二人 の手合わせについて話をしている。

「クラルス、ジュスご苦労様」

 二人に労いの言葉をかけるとクラルスは僕を見て微笑んだ。ライズはクラルスの剣術を目の当たりにして少し不機嫌になっている。彼はクラルス の強さを理解してくれたと思う。ただ僕の側にいるだけではなく、護衛としての強さがあると分かって認めざるを得ない。
 ジュスはライズの隣に座ってすぐ手合わせが終わってしまったことを悔しがっていた。

「くっそー! 悔しい!」
「前から振りがでかいって、あれほど言っているだろう」
「熱くなるとつい忘れるんだよな」

 ライズとジュスのやりとりを見ていて、普段からお互い切磋琢磨している仲だということが覗えた。僕には同年代の友人というものがいないの で、二人のことは少しうらやましい。
 先程の手合わせが少し騒ぎになってしまっていて、騎士たちの声を聞きつけたクルグが甲板に現れた。
 
「何をしている! 持ち場に戻らんか!」
「げっ! クルグ様! 王子殿下、護衛さん、またなー!」
「せっかくの休憩が台無しだな」

 二人は急いで持ち場へと走っていった。騒ぎになってしまったのは、僕が二人に手合わせをけしかけるようなことを言ってしまったせいだ。他の 騎士たちが怒鳴られる前に、僕はクルグに事情を説明して謝罪をした。

「なるほどそうでしたか。真剣では少々危ないですな。今回は王子殿下に免じて許しましょう」
「ありがとう。ごめんねクラルス。あとクルグ、ジュスを怒らないであげて」
「リア様が謝る必要はございません。手合せを承諾したのは私の意思ですから」

 クラルスは僕には甘いなと思いつつ、これ以上迷惑をかけないように僕は自室へと戻った。

 そろそろスクラミンへ到着するという知らせを受けて僕は甲板へと顔を出す。船からは森しか見えず街の様子は覗えない。船着き場の方を見ると 一人の青年と老爺(ろうや)がこちら を見ていた。スクラミンの街の人だろうか。
 着岸をしてクルグに続いて僕とクラルス、その後に騎士たちが下船をする。待っていた二人は深々と頭を下げた。

「お待ちしておりました。スクラミンの(おさ)を 務める者です。王子殿下、星永騎士様方、街の方へご案内させて頂 きます」
「お出迎え感謝致します。短い間ですがお世話になります」

 声をかけると長は柔らかい表情を見せてくれたが、隣にいる青年の人は表情が硬いままだ。
 僕は彼の存在に首を傾げた。本来ならスクラミンの長と統治している貴族が出迎えや視察の同行をするはずだ。青年の身なりを見る限り彼は一般 の人にしか見えない。

 僕たちは長に案内されて舗装されているとはあまり言えない道を歩く。木々は生い茂っているのだが、街に近づくにつれてやせ細っているように 見える。
 少し歩くと街が見えた。美しい街とは言いがたく街の塀沿いに植樹されている木は痩せていて、花は咲いているがみな悲しそうに下を向いてい る。
 整備されているようには見えず、足下の土を少し触ってみると水分がなく、さらさらと手から流れ落ちた。この街に一体何があったのだろうか。

「クラルス……スクラミンって……」

 クラルスに話しかけようとした時、森から高い悲鳴が聞こえてきた。振り返ると一輪の花を持った少女が狼型の野獣に追いかけられている。突然 現れた野獣に騎士たちや入り口付近にいる街の人々は動揺していた。
 僕は咄嗟に護身用の短剣を抜き、襲いかかろうとしていた野獣を斬り伏せて少女の側へ近づく。

「大丈夫?」

 少女は僕にしがみついて泣きじゃくった。森の方を見るとまだ二匹の野獣が追いかけて来ている。少女を庇うように短剣を構えたが、クラルスと クルグが僕たちの前に出て野獣二匹を斬り伏せた。
 
「リア様! 無茶しないで下さい! お怪我は!?」
「僕は大丈夫だよ。君、怪我していない?」

 少女に優しく声をかけると小さく頷く。クルグは他の野獣が街に入り込まないように、騎士たちを警備に配置した。短剣を収め、まだ泣いている 少女を抱き上げると、遠くから母親らしき女性が駆け寄ってくる。

「マリ! 王子様、うちの娘をありがとうございます」
「いえ、無事でなによりです。マリ、森に行く時は気を付けてね」

 少女を母親に受け渡すと母親にすがりながら去って行った。一段落をして僕は安堵の息を漏らす。この街の付近は野獣が出やすいのだろうか。僕 はクラルスに近づき声を潜めて話す。

「野獣ってこんな街の近いところまで来るの?」
「いえ……。普段は人などは避けるか、このような浅い森にはあまり出ないと思うのですが……」

 僕たちは不思議に思いながらクルグの側へ歩み寄る。クルグも同じことを思っていたらしく眉を潜めた。長は申し訳なさそうに僕たちに平謝りを している。
 長の話によると近くにある水路が数年前に壊れてからこのような状態になっているらしい。スクラミンに着く前に書物を見ていたが、確かにそう いう記録はあり国から再建設用の資金が出ていたはずだ。

「長、貴族の方はどこにいらっしゃるのですか?」
「昨日から出かけておられて不在でございます」
「そうですか……」

 僕たちが視察に来ることは王都から通達があるので分かっていたはずだ。王子だからと軽んじているのだろうか。
 僕は気を取り直して長に街の案内をお願いした。大通りに面した主な施設を案内される。建物などには特に異常は見られなかったが、街の人々の 様子が気になった。

 僕たちに向けられている視線。ある者はひそひそと話しながらこちらを睨んでおり、ある者は無言で睨み付けいた。皆共通して憎悪の目を向けて いる。僕たちはこの街の人々に良く思われてないようだ。何か視察に不都合でもあるのだろうか。
 しばらく歩くと大通りを外れた所に大きな屋敷が見えた。

「あちらの屋敷は……」
「以前いらっしゃった貴族のお屋敷でございます。今は無人ですが……」

 街を見渡す限り現貴族の屋敷らしきものが見当たらない。街を統治するために配属されているはずの貴族の屋敷が街中に見当たらないことが不自 然だった。

「統治している貴族の屋敷に案内してくれますか?」
「……中には入れませんがよろしいですか?」

 あまり乗り気ではなさそうな長に案内をされる。大通りを抜けると森の奥に舗装された道が長く伸びていた。
 その先には街の景観にそぐわない大きな屋敷と花々が咲き誇る庭が広がっている。
 それを見てすぐに理解をした。スクラミンの貴族は国からの補助金など私腹を肥やすために使っていたのだと。
 長の態度からして知らなかったわけではないだろう。

「長。水路を直す資金はどうされたのです? 十分な金額であったはずです」
「それは……」
「話して頂けませんか」

 長に問うが話そうとはしてくれず口を閉ざしていた。

「言っても無駄だ。視察が来たかと思ったら王子なんか連れて来やがって、ここの街は遠足に来るところじゃねぇ」

 隣にいる青年がようやく口を開いたかと思ったら僕に対しての不満だった。そして街の人々と同じの憎悪の目を向けている。もしかして憎悪の目 を向けていたのは、この貴族を配置した王族へ向けたもだったのかもしれない。

「あなた、リア様になんて口を……」

 今にも掴みかかりそうなクラルスを制止して。彼の言葉を遮る。

「僕は女王陛下から拝命され、視察に来ました。今のスクラミンの現状はしっかり陛下へお伝えすることを約束します」
「余計なことをするな!」

 青年は僕を怒鳴りつけると立ち去ってしまった。彼の行動に皆、言葉を失ってしまう。慌てて長が気を利かせて僕たちを宿屋へと案内をしてくれ た。

 今日は一晩だけお世話になり、明日王都へ帰還することになっている。部屋に通されると僕は寝台へと腰を下ろした。

「リア様。大丈夫ですか?」
「うん。僕は大丈夫、色々言われるのは慣れているし」

 心配そうに僕を見ていたクラルスに微笑む。僕は街の現状を見て心が痛んだ。視察に来る数年前から街の人が苦しい思いをしていた。
 母上はずっとスクラミンのことは知らなかったのだろうか。こんなに酷い状況だったら街の人から報告や母上宛に書状が来てもいいはずだ。

「ねぇ、クラルス。母上はずっとスクラミンの状況を知らなかったのかな?」
「分かりかねますが、陛下がこのような状況を許すはずはありません。何か理由があるのかもしれませんね」

 僕は視察の前に自分の目で見て知るということを決めていた。書物には書かれていない何かがあるはずだ。僕は寝台から立ち上がりクラルスを まっすぐ見つめる。

「僕、自分の目で水路がどうなっているのか確かめたい。まずはスクラミンの現状を知る必要があると思うんだ」
「そうですね。まずはクルグ様に相談してから参りましょうか」

 僕たちは宿を出てクルグの元へ向かう。クルグは街の入り口で騎士たち数名と話し合いをしている最中だった。

「クルグ。話し合いのところごめんね。ちょっと水路を見てきてもいいかな?」
「水路ですか? 街の外ですし、また野獣が出たら危険かもしれませんぞ」
「大丈夫。自分の身は自分で守るよ。それにクラルスもいるし、自分の目で見てきたいんだ」

 クルグに必死に訴えかけると困った顔をして折れてくれた。

「……かしこまりました。何人か騎士をお付けしましょう」
「僕より街の警備をしてあげて。クルグありがとう。いってくるね」

 僕たちはクルグに会釈をして街の水路の調査へと向かった。

 街の端にある水くみ場へ向かうと、半分くらい水が入っている。近場の川や大河からここに運んで貯めているのだろう。
 石造りの水路には水が通っておらず枯れ葉が積もっているだけだ。水路の先を見ると水門が下りている。

「水路を辿っていけば川に着くのかな」
「えぇ。参りましょうか」

 クラルスと共に水路を辿っていく。少し薄暗い森の中を進んでいくと途中にある何個かの水門はすべて下りていた。特に壊れている様子はなく、 枯れ葉を退かせばそのまま川の水を引けそうだ。

「このあたりは特に問題はないね」
「川に近い場所が原因かもしれません」

 森の中は今のところ野獣の気配はせず鳥のさえずりが聞こえた。しばらくそのまま水路を辿るとようやく原因であろう場所に辿り着く。
 一番大河に近い水門が壊れており、水路が土で埋め立てられている。本来なら大河から水を引いているはずなのだろう。

「酷いね。ずっとこのままだったなんて……」

 クラルスのほうを向くと、彼は怪訝な顔をしながら辺りを見回していた。

「リア様。水路が壊れた原因は天災でした?」
「うん。大河の氾濫って報告書には書いて……」

 クラルスに言われ、はっとして僕は周りを見渡した。生い茂っている森の木々と草花。流れている大河を見てこの状況は不自然だということが分 かった。

「クラルス。もしかして水路が壊れた本当の理由は……」
「えぇ。これは天災ではありません。人為的に水門が破壊され、水路が埋められたのでしょう」

 もし大河の氾濫なら塞き止めてある水門前までの水路に泥水が流れ込んでいるはずだが綺麗なままだ。年月が経っているにしろ綺麗すぎる。
 それに水門が壊れるほどの大河の氾濫なら周りの木々も倒れているはずだ。しかし大河のほとり付近まで木は生えており、天災があったようには 思えなかった。

「でも人為的なものだったら誰が水門と水路を壊したの?」
「分かりかねますが、賊の仕業でしたら早急に対応するでしょうし何か裏がありそうですね」
「……長に聞いてみようか。何か知っているかもしれない」

 僕たちは街に戻り、長に水路が使えなくなった当時のことを聞いてみようと思う。

 街の入り口にいるクルグに長の家を訪ねると案内をしてくれるそうだ。歩きながら彼に水路のことを聞かれる。

「王子殿下、何か分かりましたか?」
「うん。でも確証がないからこれから当時のことを長に聞こうと思うんだ」
「そうでしたか。そういえば先程、街で小競り合いがありましてね……」

 クルグの話によるとスクラミンは派閥争いをしているらしく時々、小競り合いをしているそうだ。
 水路のこともそうだが、スクラミンは多くの問題を抱えている。その問題を解決するために貴族がいるのだが、一体今まで何をしていたのだろう か。貴族への憤りを覚える。
 考えているとクルグが足を止めた。長の家の前に到着したようだ。

「クルグ。案内ありがとう」
「では自分は情報収集をしつつ街の警備にあたります」

 クルグは一礼をすると街の入り口へ戻っていった。一呼吸をおいて長の家の扉を叩く。しばらくすると足音が聞こえてきてゆっくりと扉が開かれ た。

「お……王子殿下!? どうされました? 何か不都合でも?」
「お休みのところ押しかけてしまい、すみません。どうしても聞きたいことがありまして……」

 長は僕が何を聞きたいのか察したらしく表情が曇ったが、簡単な応接室に僕たちを案内してくれた。
 僕は椅子に腰をかけ、クラルスは僕の後ろに立つ。長は対面に座るとしばらく考えてから口を開いた。

「……王子殿下のおっしゃりたいことは分かります。ですが……」
「長。僕なりに少し街のことを調べました。今のスクラミンの現状は決して良いものとは言えません。水路も天災などではなく人為的な破壊でし た。当時何があったのか話して頂けませんか?」
「なんと……。やはりそうでしたか」
 
 長は少し考えた後、この街に起きたことを話してくれた。
 スクラミンは元々貴族が二人おり、そのうちの一人が代表として街を統治していたらしい。統治していた貴族は、いつも街のことを考えており、 争い事には無縁な緑豊かな街だった。

 二年前、大雨が降った日に水路が壊れ街に水が流れなくなってしまったらしい。それを当時統治していた貴族の管理不足のせいにされ、補佐をし ていた貴族に追い出されてしまったそうだ。
 繰り上がりで補佐の貴族が統治するようになった。それから街の課税を強められ、物資などは必要最低限しか支給されなくなったらしい。国から 支給された水路を直す資金や街を舗装するための補助金は貴族の懐へ入っているそうだ。

 今統治している貴族は、前貴族を没落させるために水路をわざと壊したのだと思う。自分が支配権を握りたいがために、他の貴族を陥れ街の人々 の生活を脅かす。
 噂で貴族同士の足の引っ張り合いは聞いていたが、ここまで酷いものだとは思わなかった。

「そうでしたか。このたびは視察が遅くなりまして申し訳ありませんでした。陛下には貴族のことを伝えますので……」
「……それは……控えていただけないでしょうか」
「なぜです?」

 ようやく貴族の悪事が母上に伝わる機会だというのに、長からの否定的な言葉に疑問を抱く。
 長は僕から目を逸らして怯えた表情をしている。

「もし女王陛下のお耳に入れば、貴族をどうにかしてくれるかもしれませんが、その後の報復を皆、恐れているのです。視察のかたには不利益なこ とを言わないよう釘をさされていまして……」

 僕が母上に報告をすれば、母上ならきっと貴族からの聴取をうまくやってくれるだろう。しかしすぐ母上が動けば誰かが僕に密告をしたことにな る。
 街への行いを母上が知れば、貴族は地位を剥奪されるだろう。そのあと自暴自棄になり、街に何をするか分からない。

「現状維持をしたいと望む者もいます。何かを犠牲に行動することに臆病なのです」
「長……。それでは僕は……」

 どうすればいいのだろうか。このまま街を放っておいては状況は悪化する一方だ。

「……しかし、王子殿下が来て下さるということを聞いて。希望を持っている者がいることも事実です。こんなお願い差し出がましいのですが、街 の現状報告は王子殿下のご意思にお任せしてもよろしいでしょうか?」

 つまり母上にありのままを報告するのか、何事もなかったと虚偽の報告をするのか僕に一任するそうだ。僕一人の意見でこの街が変わってしま う。

「長様。それはリア様に責任を負えということでしょうか?」
「……クラルス」

 今まで静かに僕の後ろに立っていたクラルスが、長の提案に抗議の言葉を口にした。彼の言葉に長は目を伏せる。

「もう街の人々は何が正しいのか、自分たちで選び取ることさえ出来なくなってしまっているのです。王子殿下が悪いように言われるのであれば、 この老いぼれ一人の命いつでも差し出しますのでどうか……」

 長の手は震えていた。街の人々は長い間の不満で様々な意見が飛び交い、まとまらず八方塞がりになってしまっている。この街に来たばかりの僕 が自分の意思だけで決めていいのだろうか。

「分かりました。僕なりに考えて陛下に報告します」
「王子殿下。申し訳ありません」
「長のご心労お察しします」

 話してくれた長にお礼をして、僕たちは長の家を後にした。
 あまりにも酷いスクラミンの現状に思わずため息が出てしまう。

「……リア様。出過ぎたことをしてしまい、申し訳ありませんでした」

 クラルスを見ると申し訳なさそうに眉を下げている。

「クラルスは僕の為に言ってくれたんだよね。ありがとう」

 先程の長に対する発言は僕のことを気遣ってくれた言葉なので彼を咎めることなどできない。いつもクラルスの優しさに僕は救われている。
 街は黄昏色に染まり始めていた。短い時間しかいられないけど、この街のことをもっと知ろうと思う。書物には書かれていない人々の声が聞きた い。

「クラルス。もう少し街を見ていいかな? 街の人たちの声が聞きたい」
「リア様の行くところでしたらお付き添いしますよ。その前にクルグ様にご報告しましょうか」
「うん。そうだね」

 僕たちは街の入り口にいるクルグの元へと歩いていく。

 クルグは未だに街の警備のため入り口にどっしりと構えている。
 長から聞いたことを説明するとクルグはうなり声を上げて腕を組んだ。
 最近、貴族は私利私欲のために権力を振りかざしていると噂をされていた。まさかクルグもこんなに酷いものだとは思っていなかったようだ。

「それで、街の人に少し話を聞こうかと思うんだけど行ってきてもいいかな?」
「もちろんですとも。しかしあまり遅くならないうちに宿にお戻り下さいませ」
「うん。わかったよ」

 クルグの許可も得たので僕は夕方の街へと繰り出した。
 王都とは違い、露店で賑わっていることはないが、家に小さなお店がくっついたような所がちらほらある。僕たちはその一つに顔を出す。並べら れている商品を見ると青果を売っているみたいだ。
 そこに一組の親子が買い物をしていた。

「あっ! 王子様だ!」

 店内にいたのは昼間に助けた少女のマリとその母親だった。マリは嬉しそうに僕に駆け寄ってきたので腰を低くして抱き留める。

「マリ! 失礼でしょう! 王子様うちの娘が申し訳ありません。昼間は助けて下さりありがとうございました」
「いえ。大丈夫ですよ。無事でなによりです」

 そのまま僕はマリを抱き上げると、店主の女性は顔をほころばせていた。この街の人すべてが僕に憎悪の目を向けているわけではなさそうで安堵 する。
 店の中には他のお客もいないので、マリの母親と店主に貴族のことを聞いてみた。

「あの……統治している貴族のこと何か教えて下さいますか?」

 僕が問うと二人の表情が曇った。話そうかどうか迷っている素振りでお互い目を見合わせている。

「お二人から聞いたということは内密にしますのでお願いします」

 僕が真剣な目で訴えると店主の女性が口を開いた。
 話しによると街への課税が酷く、食べ物や服がろくに買えない状態。課税は母上からの命令だと伝えられているそうだ。街の人々は母上と王族に 対して強い恨みと嫌悪感をもっていると教えてくれた。母上の名を愚行に使われて怒りがこみ上げてくる。
 街の人々は、いつのまにか現状維持をしたい保守派と貴族をどうにかしようとする革命派に二分してしまっているそうだ。

「王子様。課税だけでも女王陛下にお伝えできないでしょうか」
「陛下はスクラミンに課税を強めるということはしておりません。王都の仕官に調査するように、陛下へ進言することを約束します」

 僕の言葉に二人は安堵の表情を見せた。不意に抱いているマリに服を掴まれる。

「王子様。あのね、お水が街に来るようにして欲しいの」
「うん。いつになるか約束はできないけれど、早くお水が来るようにするね」
「本当!? やったぁ!」

 マリに強く抱きしめられたので彼女の頭を撫でた。彼女の体温が温かく感じる。
 貴族のことを話してくれた二人にお礼をしてマリを下ろし、僕たちは店を後にした。
 他の街の人たちにも話を聞きたかったのだが、目を合わせようとはせず走り去ってしまう人たちばかりだった。

 空に星々が瞬き始めた頃。街外れに近い道を歩いていると、端の方で酒瓶を持った大人数名が既に酒を煽ってる。

「リア様……そろそろ宿に戻りましょうか」

 クラルスが言葉をかけたのと同時に酔っている大人たちが僕たちに気がついてこちらに近づいてきた。

「これは王子様じゃないですか。一杯飲みましょうよ」
「いえ僕は……」

 手を引かれそうになったところでクラルスがすばやく間に割って入り、それを阻止した。この距離でもお酒の匂いが鼻を突く。既にかなりの量を 飲んでいるみたいだ。

「おー。兄ちゃんでもいいやー」
「えっ!?」

 クラルスは大人二人に腕を捕まれて無理矢理人が集まっているところまで連れていかれる。僕は慌てて彼らの後を追う。
 大人たちの集まっていた場所には簡易的な机と中心に灯りが置かれていた。机の上には酒瓶やそれを注ぐ硝子の容器が乱雑に置いてある。一人の 男性が茶色の液体が入っている硝子の容器をクラルスに渡そうとしていた。

「私は飲めませんから……」
「つまんねぇ奴だなー」

 男性はクラルスに渡そうとしていたお酒を自分で飲み干し、噯気(おくび)を 吐き出す。お酒が入っているからこそ本 音が聞けるかもしれないと思い、彼らの話を聞くことにした。

「みなさんは毎日集まっているのですか?」
「それがですねぇー王子様きいてくださいよぉ!」

 男性たちは度々酒を集めて路地裏に集まり、貴族の愚痴を零しているそうだ。今ここに集まっているのは革命派らしい。
 日夜、貴族をどうやって追い出そうか画策しているそうだ。革命派というより過激派に近いような気がする。

「王子様はどうなんだ。保守派みたいに貴族と話し合いでとか、生ぬるいこと考えているのですかぁ?」
「王子様の名の下に、貴族の屋敷を焼いてやりましょう!」

 話の内容は過激なもので到底賛同できるものではない。生返事をしながら適当に受け答えをしていると、曲がり角から一人の青年が現れる。スク ラミンに来たときに長と一緒にいたあの青年だ。

「うるさくて迷惑だ他にいってくれ」
「おー保守派じゃねぇか。今、王子様と深い話してたんだ。お前こそ消えろ」
「……お前らのやろうとしていることは暴力だ。暴力で何も解決はできない」
「じゃあこのまま黙ってろってか? あいつら話しなんて聞く耳ねぇんだよ!」

 怒りに火が付いてしまい、お互い声が大きくなり、一触即発の状態だ。お酒が入った容器を持っている男性が青年の胸ぐらを掴む。
 さすがに暴力沙汰は困るので僕は二人の間に割って引き剥がす。

「止めてください! 暴力はいけません!」
「邪魔するな!」

 突然、男性が持っているお酒を勢いよく掛けられた。前髪からぽたぽたと滴が地面に落ちる。皆硬直していると後ろの方で酒瓶を割る音が聞こえ た。

「リア様に愚行を働く狼藉者が!」

 クラルスが怒りの形相で勢いよく剣を抜くと酔った大人たちは悲鳴を上げながら散り散りに去っていった。
 取り乱しているクラルスに「剣を収めて」となだめると我に返り、静かに剣を収める。青年はクラルスの豹変に呆然としていた。

「川ってこの近くにありますか?」
「あぁ……距離は少しあるが、町外れの道をまっすぐ行けば着く。その……済まない」
「あなたが謝る必要はないですよ」

 顔に掛かってしまったお酒を乱暴に服の袖で拭う。青年に会釈をしてしょげているクラルスと一緒に川の方へ歩いた。

 青年に言われたとおり、しばらく歩くと小川に着く。髪留めをクラルスに預けて服のまま小川に入る。お酒で汚れてしまった髪や服を洗い流す。 お酒が少し口の中に入ってしまい、気分が悪い。まさかお酒をかけられるとは思わなかった。僕の口から無意識のうちにため息が出る。
 先程の二人は我を忘れるほど貴族のことで言い争っていた。それだけスクラミンの貴族に対して不満と怒りが募っているのだろう。

「リア様、申し訳ありません。こんな事になってしまい護衛失格です」
「僕は大丈夫だから。それに分かったことがあったんだ……」

 僕は川に仰向けになり、綺麗な月と星空を眺めた。

「みんなこの街が好きだからこそ衝突してしまうんだ。皆が安心して暮らせるように僕は最善の選択をしないといけない」
「リア様がそんな責任を負う必要はないかと……」
「街の皆が迷っている。その(しるべ)に なるのも王族としての義務なんじゃないのかな」
 
 起き上がり、川のほとりへと移動する。濡れた服の端を絞ると砂利の上に水たまりができた。冷たい川の水に浸かっていたのだが、身体が熱く頭 がくらくらしてくる。
 
「……リア様。陛下へのご報告はどうなさるおつもりですか?」

 クラルスが外衣を脱いで僕に掛けようとした時、ゆっくりと意識が遠のいていく感覚になり身体が傾く。

「……リア様!?」

 クラルスの悲鳴にも似た声を聞きながら意識を手放した。


 どのくらいの時間が経ったのだろうか見慣れない木目の天井を見ながら目が覚めた。開けられた窓からは涼しい風が入ってきて僕の前髪を揺ら す。
 横を向くとクラルスは小さい明かりを点けて物書きをしている。僕の視線に気がつくと小走りでかけよってきた。

「リア様ご気分はいかがですか?」
「うん……大丈夫だよ。今どのくらいの時間かな?」
「あれから一刻ほどしか経っていませんよ」

 宿屋の食堂らしきところから騒ぐ声が僅かだが聞こえてきた。どうやら口に入った少量のお酒が合わなかったらしく気絶するように寝てしまった らしい。
 寝台から上半身を起こすが、寝起きのせいなのか、お酒のせいなのか頭がはっきりしない。髪はまだ少し濡れていたが、服は着替えさせてくれた ようで簡易的な服に変わっていた。
 窓際に人の気配がして僕とクラルスは同時に窓の方を向く。

「……何者です?」

 クラルスが剣に手をかけて問いかけると、保守派と言われたあの青年が姿を現した。

「倒れたと少し騒ぎになっていたからな……。部屋の外に護衛がいないのは無用心だな」
「僕はもう大丈夫です。ご心配おかけしました。僕の護衛より街に野獣が入り込まないか、見回りに行ってもらっているのです」
「そうか……。あいつら王子に酷いことしただろう。あいつら……いや、この街は処罰されるのか?」
「しょ……処罰? そんなことしませんよ」

 青年の話によるとスクラミンにいる貴族は何かがあればすぐ不敬だと因縁をつけて嫌がらせをする。そんなことが続いていたそうだ。王族の僕に 何かがあれば連帯責任で母上から街に何かをされるのではないかと思っていたらしい。

「考えれば俺より年下相手に感情剥き出しで怒鳴り散らして恥ずかしいよな。すまなかった」
「いえ。街の現状を見れば僕に不満を言いたいのも分かります。貴方の行動も自然にそうなってしまうでしょう」
「……長の家に入るところを見たんだ。何か言われたのか?」

 彼に長の家で今の街の現状や僕に報告の内容を任せるということを話した。報告はどちらにせよ街の人たち全員が納得できるものではないと思う が選び取らなければいけない。

「そうか。保守派だの革命派だのもう疲れた……どっちへ転ぼうと後は身を任せるさ」

 青年は憂いの表情のままその場を立ち去っていった。クラルスは青年が立ち去ると窓を閉める。僕は小さなため息を吐いて膝をかかえた。

「……クラルス。僕、この国の人々は王都と同じで、毎日楽しく笑って過ごしていると思っていたんだ」

 スクラミンは書物や報告書に天災があったと書かれていたが復旧しており、街の人々は穏やかに過ごしているのかと思っていた。
 実際はそうではなく、街の悲惨な状況を見て衝撃が走った。貴族の腐敗した(ま つりごと)が蔓延しており、人々は 困窮している。助けを求めるにも貴族の報復を恐れ、人々は苦しんでいた。
 クラルスは寝台の近くに跪き、僕を見据える。

「リア様。今回の視察は色々ご経験になったと思います。判断を迫られて心苦しいですが、リア様が良いと判断したことを、そのまま陛下にご報告 しましょう」
「うん。ありがとうクラルス」

 彼に後押しをされて僕は母上に何を報告するのかを決意した。自分の目で見て肌で感じたこと、長や街の人々の思い。僕を信じて託してくれたこ と。すべてを踏まえて報告する内容を決めた。

 次の日の朝、長に見送られてスクラミンを後にする。
 船へ戻るとライズとジュスが船の縁から顔を出す。どうやら野獣に船が襲われないように見張り番をしていたそうだ。野獣が出なく酷く退屈をし ていたと僕に愚痴をこぼしていた。
 父上から視察は”リアらしく”と言われていたので僕なりにやってみたつもりだ。
 王都に着く前の二日間。船の中で母上に渡す報告書の作成をしながら思いを巡らせていた。

「ウィンクリア王子殿下、ご帰城でございます!」

 扉前の騎士の言葉で謁見室の重圧な扉が開いた。母上は玉座に座っており、僕の姿を見るとにこりと微笑む。報告のためクラルスとクルグも一緒 に謁見室へと入る。
 中央の赤い絨毯を挟み、星永騎士が玉座の近くから扉の前まで並んでいた。いつも玉座の方から入り口を見ているが、謁見する立場になると母上 の威厳な姿に身が引き締まる思いだ。

「陛下。ウィンクリア・ルナーエただいま帰還しました」
「ウィンクリア。無事で何よりです。クラルス、クルグもご苦労でした」

 クラルスとクルグが深々と頭を下げる。「それでは視察の報告を聞きましょう」母上の言葉を聞き僕は報告を始めた。
 僕が選んだことは、ありのままのスクラミンの現状報告。
 街の人々が困窮していること、貴族に恐れていること、水路が直っていないこと、隠さず母上に報告をする。聞いていた母上は終始厳しい表情を していた。
 クルグも僕の報告に補足するように自分で得た情報を母上に報告をして、報告書はクラルスが父上に献上した。

「……報告は以上です」
「……あなたに行かせて正解でした。スクラミンのことは慎重に進めます。長旅で疲れているでしょう。今日は下がって十分な休息をとりなさい」
「はい、失礼します」

 僕たちは一礼をして謁見室から退室する。扉が閉まるのを確認して深く息を吐いた。
 クルグは騎士団の詰め所へ帰り、僕たちも部屋で休もうと自室へ向かう。回廊を歩いていると一人の小太りな貴族が低姿勢で僕に近寄ってきた。

「これは王子殿下。わが街の視察お疲れ様でした。この度は王都に用があり、お出迎えできなく申し訳ありません。何か失礼なことはなかったで しょうか?」

 見たことがない貴族だったが言葉から察すると、スクラミンを統治している貴族のようだ。
 怒りがこみ上げ、この場で糾弾したい気持ちを抑える。僕が糾弾してしまったら、この貴族はスクラミンの人々に何をするのか分からない。それ に僕は視察を命じられただけで断罪する立場ではない。
 貴族の問いに努めて冷静に受け答えをする。

「えぇ。滞りなく視察は終わりました」
「王子殿下は陛下に何とご報告したのかお伺いしてよろしいでしょうか?」

 探りを入れて自分に不利益な報告をしていないのか不安なのだろう。

「陛下に献上した内容ですのでお答えしかねます」
「そこをどうにか……」

 しつこく食い下がり、僕から視察の内容を聞き出そうとしていると、クラルスが割って入ってきた。

「今、リア様は長旅でお疲れです。申し訳ありませんがお引き取り願います」

 クラルスが眼光をきかせると貴族は渋々僕から離れていった。先ほどの貴族のせいで疲れが増したような気がする。
 ため息を吐いたとき、ぱたぱたと軽快に走る音が回廊に響き渡っていた。

「リア! おかえりなさい!」
「セラ!」

 セラは嬉しそうに僕の側に走ってきて、後ろからはルシオラが困った顔をして追いかけてきた。
 太陽のような笑顔のセラに会ってようやく帰ってきたと実感が湧く。

「リア! 視察に出る前に部屋に来てって言ったのに酷いわ!」
「ごめんね。朝早くてまだセラ寝てたから……部屋の前までは行ったんだよ」
「起こして!」
「……今度はそうするね」

 すっかり王都を出る前のセラのことを忘れていた。ルシオラによると起きて早々騒いでいたらしい。
 セラは今日、僕が帰還することを知ったそうだ。さきほど授業を終えて急いで謁見室へと向かっている最中だったらしい。

「ねぇ、リア! 視察どうだったの? お話聞かせて!」
「セラ様。リア様はお戻りになったばかりでお疲れですよ」
「大丈夫だよ、ルシオラ。セラ、僕の部屋に行こうか」
 
 セラはまだ王都以外から出たことがないので、他の街が気になっているようだ。疲れてはいたが、僕自身もセラに見てきたことを話したい。部屋 へ招き、視察の出来事を丁寧に話す。表情がころころ変わるセラを見て微笑ましい。
 一部の貴族は視察を軽んじていたが、自分の目で見て肌で感じる大切さを知った。これから色々な街に視察を命じられるかもしれない。まだ世界 のほんの少ししか見ていない僕だけれど、父上と母上の助けになりたいと思った。


2020/03/08 up
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