プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-
第3曲 隣国の伝承歌
初めての視察を終えてから一週間が経った。今日も変わらず城の裏手にある練習場でクラルスと手合わせに励んでいる。一通り手合わせが終わり、クラルスから指導をされていると父上が姿を現した。僕たちの手合わせを見に来ることは久しぶりだ。
「リア、クラルス。見ていたがいい手合わせだったぞ」
「ありがとうございます」
「二人とも、たまには俺と手合わせするか?」
突然の父上の提案に心臓が跳ねる。父上と手合わせはしたことが無いし、忙しい父上に僕から気軽に頼めるものではない。こんな機会は滅多にな いが僕の実力では到底父上には敵わないだろう。
「リア様。騎士団長様に日頃の手合わせの成果を見てもらってはいかがですか?」
「うん。でも僕はクラルスが手合わせしているところが見たいな」
クラルスはほとんど僕との手合わせばかりで、他の人との手合わせはあまり見たことがなかった。父上とクラルスの手合わせが気になり、先を譲 る。
「クラルス。先にやるか?」
「え……はい! 僭越ながら胸をお借りします」
僕は二人の手合わせに胸が高鳴る。どんな手合わせになるのだろうか。クラルスは嬉しさと緊張が混じったような表情をしていた。僕は邪魔にな らないところまで下がり、腰を下ろす。
二人は対面になり、剣を抜くと空気がぴんと張り詰める。
「打ってきていいぞ」
「お言葉に甘えます!」
クラルスはすぐに距離を詰めてすばやく剣を振るうと空気を切り裂く音が聞こえる。父上はすぐに対応をして軽々と受け止めると剣ごとクラルス を押し返す。
何度かクラルスは剣を交わすがすべて父上に的確に受け止められてしまっている。
「では、こちらから行くぞ」
今度は父上がクラルスに剣を振るった。一撃が重くクラルスは剣を弾かれないようにすることで精一杯のようだ。彼も負けじと隙を見て攻めるが 読まれているのかすぐ受け止められてしまう。
何度か
「……くっ!」
「本当の隙だったらやられていたな。洞察力は申し分ないから、もう少し強く攻めてもいいぞ」
「はい。ありがとうございました」
二人の手合わせは、まるで剣舞を見ているようだ。父上は意図的に隙を作り、クラルスの攻撃を誘導した。手合わせの最中、冷静にそういう行動 ができるのはさすがだと思う。
父上にクラルスは深々と頭を下げ、僕の元へと歩いてくる。
「クラルス。ご苦労さま」
「さすがに騎士団長様には敵いません」
クラルスは負けた悔しさより、父上と手合わせができた嬉しさの方が勝っているのか破顔していた。
次は僕の番だ。父上は僕の方を見ると嬉しそうに微笑む。模擬剣を持って立ち上がった時、一人の
「騎士団長様! 会議ですよ!」
「もうそんな時間か! リア済まない。後で時間を作る」
「気にしないで下さい」
僕は父上に微笑むと父上は申し訳なさそうな顔をして城へ戻っていった。父上と手合わせができなかったことは残念だが仕方ない。
父上を呼びに来た星永騎士は僕の方を向いた。
「王子殿下。女王陛下がお呼びです。書斎までお願いします」
「分かりました。ありがとうございます」
星永騎士は僕に一礼をすると父上の後を追った。母上が書斎に呼ぶとは、次の視察の拝命なのだろうか。僕とクラルスは練習場を後にして母上の 書斎へと向かった。
「陛下。ウィンクリア参りました」
一礼をしてクラルスと供に書斎へ入ると母上は普段と変わらず窓際に佇んでいた。僕たちを見ると柔らかく微笑み、中央にある机の前までゆっく りと歩んだ。
「リア。あなたに一週間後、隣国ミステイルの国王に親書を届ける役目をしてもらいたいのです」
「かしこまりました」
隣国のミステイル王国は数年前にルナーエ国と同盟関係を結んだ国。五年前の交友会で一度ミステイルの国王と王子には会ったことはあるが幼 かったので記憶が曖昧だ。
親書の内容は近々ルナーエ国で交友会をするそうで、その詳しい日程を書いたものだと教えてくれた。
ミステイル王国は僕を要人として迎え入れるため、どうしても一泊しなくてはならないらしい。
「前の視察の出来もありますし、一度隣国への見聞を広げてみるのもよいでしょう」
「はい。機会を与えて下さり光栄です」
「クラルス。我が王子の護衛をお願いします」
「お任せ下さい」
少し母上は心配そうな表情をしていたが、隣国を見る機会を与えてもらえたのでルナーエ国との文化の違いを見てこようと思う。
母上はクラルスの方を向くと下がるように命じ、彼は一礼をして退室した。書斎は僕と母上だけになり、しんと静まりかえる。母上は静かに僕の 近くに歩いてきた。
「あの……母上何か?」
「あなたは本当律儀ですね。クラルスの前でさえ陛下と呼ぶのですから」
「そろそろ公私の分別をつけないとと思って……」
僕は家族以外の人がいる時は父上のことを”騎士団長様”母上のことを”陛下”と呼んでいた。公私をつけるためにそう呼ぶようにしている。
「……よい心がけですね。リア、先日の視察はあなたにとっては辛かったでしょう」
「……母上は、スクラミンの現状を知っていたの?」
「えぇ……」
それならどうして対策をしてくれなかったのだろうか。人々が苦しんでいることは分かっているはずだ。
「これはあまり知らされていませんが、近年貴族の報告に疑念があり、裏付けするため数年前から諜報員を雇っていたのです」
「諜報員を……?」
確かに母上は国内の内情を詳しく知っていると思っていた。貴族の報告だけではなく諜報員からも情報を得ていたのだろう。
「そして今回、あなたが公務として報告してくれたことで表立って動くことができます。報告は期待以上でしたよ。よく頑張りましたね」
母上は満足そうに微笑む。僕がスクラミンの現状や問題点を報告できたが、母上はなぜ初めから水路を確認してくるように指示をしなかったのだ ろうか。その方が確実に情報が得られるはずだ。
「母上。なんで具体的に指示を出さなかったの?」
「あなたに自分で考えて行動した結果の視察報告を知りたかったのです。クルグに補佐をするよう伝えたのですが無用でしたね」
もし僕が水路やスクラミンの内情を視察しなかった場合は、クルグからそれとなく誘導されていたのであろう。
水路は直るまで王都の使者を見張りに就けるそうで、水の確保ができるということに胸を撫で下ろす。
僕が公務として正式に報告書を上げたのでスクラミンの貴族には近いうちに尋問をした後、処罰を下すそうだ。
貴族の素行が悪いのは重々承知なのだか証拠がなければ裁けない。この国は貴族の助力があって成り立っているのも事実で、無理に強行手段を取 ることはできないそうだ。
母上は人々と貴族の間に板挟み状態になっており、両者の不満や要望など拮抗させることに今は精一杯らしい。
不意に母上の手が僕の頭に伸びた。久々に頭を撫でられ、こそばゆく感じる。
「母上。今回視察に行かせてもらって、自分の目で見ることと人々の言葉を聞くことが大切だって分かったんだ」
「視察は、あなたにとって良い経験になったようですね」
「うん。迷惑じゃなかったらまた視察に行かせてもらえないかな……。スクラミンみたいに貴族のせいで人々が困っているのなら助けたいし、少し でも母上の役に……」
そこまで言って僕は言葉を止めた。先日回廊で貴族たちが話ていたことを思い出す。僕は政略結婚で諸外国に婿へ行くことになる。そんな僕が国 の
僕はその先の言葉を紡ぐことができず俯く。母上は察したのか少し憂いの表情を見せた。
「……リア。自分が王子だからといって決められた道を進む必要などありません。あなたが自分でしたいと思ったことをやってみなさい」
「……うん。ありがとう、母上」
不意に母上に手を引かれ、抱擁される。驚いて逃げてしまいそうになったが、僕の名前を呼ぶ母上あまりにも切なそうな声色だったので身を委ね ることにした。
母上との抱擁なんていつぶりだろうか。甘えてはいけないと思い、いつのまにか僕は親と子のふれあいを無意識に拒んでいた。ほんの少しだが親 子として過ごせて嬉しく思う。
母上は何かを言いたそうだったが「クラルスを待たせているから行きなさい」と言われ、僕は書斎を後にする。
余韻が残る中、回廊に出ると少し離れた所でクラルスは待っていた。
「……リア様。嬉しそうですが何かありました?」
「え……ううん。何でもない」
僕は表情に出ていたようだ。クラルスに気取られ、恥ずかしくなり、急ぎ足で自室へと戻った。
***
月がとても綺麗な夜。資料に目を通し終え、一息つくと扉を叩く音が聞こえた。
こんな時間に来る人は一人しかいない。私の姿を見ると少し困った表情をしていた。
「アエスタス。たまにはきちんと休まないと身体によくないぞ」
「えぇ。ありがとうウェル」
ウェルが窓際に立ち、月を眺めていたので私もその隣に身を寄せる。
「……最近の貴族の動きは、目に余ることが多くなってきました」
「先々代様が民の声を聞くためにと権力を与えたはずなのだが、それに酔いしれている貴族も多いのは確かだ」
先々代の女王が独裁制はよくないと謳った。民の声を聞き、まとめるために、貴族に僅かながら権力を与える。しかし私利私欲に権力を使う貴族 が最近多くなってきているのは明らかだ。悪事は
「民の声と貴族の声を両立させようと努力をしているのは、俺も痛いほど分かっている」
「……結果が出なければ何も変わりません」
このような状態のままセラに女王として座について欲しくは無い。私の代でどうにか変えていかなければならないと思っている。
「それに……セラやリアが心配なのです。何度も私の子供に生まれなければどんなに幸せだったかと思いました」
「そんなことを言うな。セラやリアが悲しむし、俺だって悲しいぞ」
こんなことを言っても悲しませてしまうのは分かっていた。心に留めておけばいいものを、たまに吐き出したくて仕方なくなる。そんな私をウェ ルは分かってくれているので甘えてしまっていた。
セラには生まれながら次期女王としての責務を負わせ、毎日天真爛漫な笑顔を見せてくれるが、時折見せる憂いの表情にいたたまれなくなる。リ アには王子として生まれた故、貴族たちから軽んじられ辛い思いをしていることは分かっていた。
「……子供たちを守りたいのです。でも私は何もしてあげられていません」
「……そんな事はない。アエスタスの事はセラやリアは分かっているさ」
ウェルはため息をついて、言葉を紡いだ。
「しかし……貴族が王子を……リアを軽んじるのは時に異常なくらいだ」
女王国である故、王族の男子は王位継承権がないため、貴族にとっては政治の道具でしかない。絶対女王制の時だった昔の女王は、自分の息子で すら王位を継げない役立たずと虐げていた。家系図を見ると若くして亡くなる王子が多く見受けられる。何が起きていたのか想像したくもない。
いつしか慈悲深い女王が王子を蔑ろにしないように騎士団長や副騎士団長の地位を与えた。民からの王子軽視は少しずつ風化してきているが、年 配の民や貴族たちにはまだまだ根強く残っている。
私もリアに発言力を与えるため、政に少しずつ関わらせていくつもりだ。
願わくば将来セラの助けになって欲しい。
「……いつか風化する日は来るのでしょうか」
「急に人の意思は変えられないさ。少しずつでいい俺たちで変えていこう」
私はウェルの目を見て力強く頷いた。子供たちをこの環境から守れるのは親である私とウェルだけだ。何も心配なくセラに譲位し、リアが安心で きるように国を変えていこうと思う。
***
隣国へ旅立つ日、僕はミステイル王国へと向かう船に乗り込む。
今度はセラにきちんと挨拶をして行けたが、僕がまた長く城を空けてしまうので早く帰ってこいと頬を膨らませていた。
ミステイル王国の王都へは途中まで船で行き、半日陸路を行けば到着できる。今回は王都まで付き添いの騎士が十名と星永騎士の二人が同行す ることになった。ライズとジュスは一緒ではないらしく少し残念だ。
「王子殿下。このたびはご同行させて頂きます」
「アシジュ、ロゼよろしくね」
「殿下。お若いのに先日の視察のご報告、素晴らしかったです」
「僕はただ任務を果たしただけだよ」
アシジュは星永騎士のなかで国内外に顔が広いため今回拝命された。ロゼはルシオラの先輩騎士にあたる人で、たまに手合わせをしてくれる女性 騎士。
「アシジュ様、ロゼ様よろしくお願いします」
「クラルス。立派に王子殿下の護衛をしているそうだな」
「お褒め頂きありがとうございます」
クラルスにとってアシジュは星永騎士の大先輩なのでクラルスは少し緊張しているようだ。年配騎士で任期が長いアシジュ。小さい頃よく僕とセ ラは遊んでと言いながら追い回していたことを思い出す。アシジュは嫌な顔はせず、にこやかに相手してくれていたことを覚えている。
ロゼはたまに会うとクラルスを冷やかしていた。クラルスは僕に関してのことでよくいじられている。確かに彼は僕に対して少々過保護な気がし た。
「クラルス。この前殿下が怪我されて医務室で大騒ぎしていたと聞きましたよ」
「誰から聞いたのですか……。話が誇張されてますよ」
ロゼはからかうようにくすくすと笑っていた。そのやりとりを見てアシジュは咳払いをすると、ロゼとクラルスの表情が強張る。
「王子殿下の御前ですぞ、慎みなさい」
「アシジュ、大丈夫だよ」
そんなに僕の前ではかしこまらなくていいのだが、アシジュは気にしているようだ。「王子殿下のご要望でしたら」と、その先は言及しなかっ た。よく見知っている二人の星永騎士が同行でとても心強い。
船は穏やかな大河をゆっくり進む。隣国のミステイル王国は七年前にルナーエ国と休戦協定と同盟を結んだ国。僕が生まれる前には度々衝突が あったそうだ。
その時、最小限の被害に抑え、領地を維持できたのは、父上と母上のおかげらしい。ルナーエ国はほとんどの諸外国と同盟を結んでいるのだが、 ミステイル王国は敵国のほうが多いと聞いている。いつ隣国が戦火に巻き込まれるか分からないので不安だ。
甲板で近隣国が載っている地図を見ながら風に当たっていると、クラルスが話しかけてきた。
「リア様は勉強熱心ですね」
「これから行く国だからね。それに国外に行くのは初めてだから」
地図を見ていると、ルナーエ国とミステイル王国の国境線の上に建物があることに気がついた。地図には原石神殿と記載されている。
「クラルス。原石神殿ってあの宝石の
「えぇ、そうですね。我々の国の境には、ダイヤモンドの原石神殿があります」
少しクラルスの表情が曇ったような気がした。
原石
原石神殿はどの国にも属さない決まりになっており、神殿付近での争い事は禁止されている。旅人や冒険者のために二十人程度なら宿泊出できる 施設が併設されているそうだ。
貴族は宝石の美しさから加工をして装飾品にすることが多い。
クラルスは僕が質問をするとすぐ応えてくれるので、知識の広さには毎回感心してしまう。僕や要人から質問をされても答えられるように色々な 書物を読んでいるそうだ。僕もクラルスを見習わなければと度々思う時がある。
地図を再度確認すると、原石神殿の位置は船着き場に近い所にあった。
「クラルス。帰りに原石神殿に寄れないかな。僕まだ見たことないから……」
「アシジュ様に相談してみますね。船着き場からそう遠くではありませんし、多分大丈夫だとは思います」
クラルスはすぐアシジュに相談をしに行き、許可を取ってきてくれた。アシジュも見聞を広げるための良い機会だと
船旅を終えて半日の馬車の旅でようやくミステイル国の首都に到着する。商業の都を謳っており、他国の商人であろう人たちが首都の入り口を忙 しく行き交っていた。
大通りが城へとまっすぐ伸びており、僕は騎士に囲まれながら城までの道を歩いていく。街の人々は道を空けるように左右に広がり、物珍しそう に見ていた。
あたりを見回すと、かなり大きな城下町のようだ。異国の街が珍しく、つい自分が
一連の行動を見ていたのか隣にいたアシジュが微笑んでいる。
「王子殿下。国外は初めてでしたね」
「ごめん、珍しくて少し浮かれてたよ」
「いいのですよ。王子殿下の年相応の姿を見ることは微笑ましいです。しかし城に着きましたらご公務ですよ」
「うん。
僕の受け答えにアシジュは満足そうに微笑んだ。
しばらく歩き、城門の前まで行くとアシジュが門番に話をして僕たちは控え室へと通される。失礼がないように上手く話せるか不安だ。クラルス からはいつもどおりで大丈夫と言われたが緊張してしまう。
控え室の椅子に座り待っていると一人の兵士が姿を現した。
「謁見の準備が整いました。ご案内致します」
僕たちは謁見室の前へと案内される。謁見室の扉が開くと玉座に国王が鎮座していた。兵士が左右にいる赤い絨毯の上を歩く。上段付近で止ま り、 国王に一礼をする。クラルスたち星永騎士は頭を下げたまま跪いた。僕は右手を胸に当て言葉を紡ぐ。
「ルナーエ国第一王子ウィンクリア・ルナーエです。国王様お久しぶりでございます」
「時が経つのは早いな。そなたはもうそのような礼儀のある挨拶ができるようになるとは、我が王子はそなたくらいの歳だとまだ母に甘えていた頃 だ」
「それは大げさですよ。父上」
玉座の側に佇んでいる。
彼と目が合ったと同時に背中に冷たいものが走った。ガルツ王子の瞳には何か底知れないものを感じる。自然に彼から視線を外し、国王に視線を 合わせた。
「……お褒め頂き、光栄です。陛下の拝命により親書をお持ちしました」
僕の言葉でアシジュが立ち上がり、側近の人に親書を手渡した。
「ご苦労だった。ここまでの道のりは長く疲れたであろう部屋を用意してある。ゆっくり休むといい」
「ご配慮感謝致します」
ガルツ王子をちらりと見ると口元は笑っているが、目が笑っておらず不気味だった。
謁見は問題はなく終了し、胸を撫で下ろす。夕方の晩餐会までは時間があるので、ガルツ王子に断りを入れて僕たちは王都を見学することにし た。城外へ出ると僕は大きく深呼吸をする。
「アシジュ。僕、失礼なこと言ってなかった?」
「えぇ。ご立派でしたよ王子殿下」
アシジュは満足そうに微笑んでくれた。不意に僕の後ろからすすり泣く声が聞こえ、振り向くとロゼが泣いている。
「ロゼどうしたの? 何で泣いてるの?」
「殿下の……ご成長が拝見できて感極まりました」
年のせいかしら。とぼやいていたがロゼは気にするほどの年ではない。「星永騎士たるものが泣くとは」とアシジュは呆れている。それほどロゼ が僕のことを思ってくれていたのだと分かり、少し嬉しくなった。
大勢で歩くと邪魔になってしまうので、クラルスとロゼを護衛としてアシジュと他の騎士たちは城門近くで待機してもらう。
大通りの少し外れた広場が市場になっており、僕たちはそこへ足を運ぶ。
ルナーエ国では見たことのない食べ物や小物、装飾品などがある。隣国だけれども国が違うだけで変わってくるのだなと感心した。
「こちらの小物可愛いですね。王女様にいかがです?」
「可愛い……かな?」
ロゼが選んだものはよく分からない何かを融合させたような小さな置物だ。ロゼは少し可愛いの感覚がずれている気がする。芸術品かもしれない けど僕はそういう感覚が疎いため良さが分からない。
すっかりロゼが主導権を握り、あれやこれやと露店を回っている。僕も周りの露店を見ながら歩く。不意に前の人が止まっていることに気がつか ずぶつかってしまった。
「あっ……すみません。余所見していまして」
僕は少し違和感を覚えた。当たった時の感触が人とは違うふわりと柔らかい感じだ。
前を見ると円柱の帽子を被り、紳士的な服装をした兎だった。人間の大人と同じ大きさで二足歩行をしている。
「こちらこそ失礼しました。お嬢さん怪我はありませんか?」
「あ……はい。大丈夫です」
「よかったです。では急いでいますので失礼」
兎は会釈をすると足早に立ち去っていった。まるで大きなぬいぐるみが動いているようで可愛らしい。
書物で読んだことがあったが実際亜種族を見るのは初めてだ。先ほどの兎はラピヌ族という種族。僕と同じくクラルスとロゼも驚いて見ていた。
「ラピヌ族は初めて見ましたね」
「うん。僕も書物でしか知らなかったよ」
ラピヌ族はルナーエ国の南の山岳地帯に住んでいる種族。閉鎖的に暮らしていたが近年街に顔を出すようになり、友好的な関係になりつつある。
「あれ? 殿下先ほどお嬢さんって言われていませんでした?」
「え……うん。……気にしていないよ」
「殿下のご容姿は中性的ですから間違えられますね」
もう少し男子らしいくならないのかと頭を悩ませる時がある。剣術や体術を習っているがどうも筋肉が付きにくいらしく細身のままだ。顔は母上 譲りなので諦めている。
大きい市場のため一回りするのにだいぶ時間が掛かってしまった。太陽も西に傾きつつある。これ以上アシジュたちを待たせてしまうのも悪いの で名残惜しいが、城門へ向かった。
「おかえりなさいませ王子殿下。見学はいかがでしたか?」
「すごく勉強になったよ。ありがとう。それと長い時間待たせてごめんね」
「お気になさることはありませんよ。そろそろ良い時間ですし城内へ参りましょうか」
城に戻ると豪華な
自国でも他国の要人が来たときは豪華な晩餐をして持て成していた。話の内容は
他国へ赴き、持て成されることは初めてなので緊張してしまう。日も落ちてきた頃与えられた部屋で待っていると侍女に呼ばれ、晩餐の席に着 く。国王とガルツ王子、数名の要人との晩餐だ。
難しい政の話しもされたが無難に受け答えができた。普段から母上や父上と謁見などに同席していたのでここで生かされて良かったと思う。
お酒も入り、上機嫌になっている国王に話しかけられる。
「ウィンクリア王子。アエスタス女王の体調はどうですかな?」
「体調ですか? 何も変わりなく……」
母上は特に大きな病を患っているわけではない。なぜこのような質問をするのだろうか。
「アエスタス女王は月石を宿されて大分長いでしょう。噂によると性格や体調の変化があると耳に入れたので心配でしてね」
「お気遣いありがとうございます。風邪で少し体調を崩すときもありましたが、大きな病はありません」
母上が月石を宿しているということは隠しているわけではないため、ほとんどの他国の国主や要人は認知していた。母上以外にフィンエンド国の ティグリス元帥が
「父上。ルナーエ国の象徴である宝石ですので、あまり触れることはよろしくないですよ。ウィンクリア王子お気を悪くされたら申し訳ありませ ん」
「いえ。お気になさらないでください」
ガルツ王子が国王をたしなめる。
ミステイルの城に隣接された
緊張ばかりして疲れているのだが慣れない部屋なのでなかなか寝付けない。外の空気に触れたくなり、部屋を出ると衛兵に声を掛けられる。
「どうなさいました?」
「少し風に当たりに行ってきます」
「護衛のかたをお呼びしますか?」
「いえ結構です。お気遣いありがとうございます」
さすがにクラルスたちを起こすわけにもいかない。衛兵に会釈をして広い廊下を歩いていく。見張りをしている衛兵たちは微動だにせず不気味 だ。
城と迎賓館を繋ぐ回廊に着くと、回廊の中央でガルツ王子が夜空を見上げていた。彼の濡れ羽色の短髪が闇に溶けているように見える。
僕に気がつき、赤紅色の瞳と目が合い、彼は微笑んだ。僕は初対面の時から彼の雰囲気が少し苦手であまり会いたくなかった。ここまで来て引き 返すこともできないのでガルツ王子の元へ歩き、挨拶をする。
「こんばんは。ガルツ王子」
「ウィンクリア王子。眠れませんか?」
「えぇ……。少し外の空気に当たろうかと思いまして」
ガルツ王子は僕より身長がかなり高いので思わず見上げてしまう。彼は僕の解いてある銀髪を少しすくうと口づけをした。
「あ……あの……」
「失礼しました。あまりにも美しい銀髪でしたので……」
「……ありがとうございます」
僕の左にしか付けていない三日月の形をした耳飾りにガルツ王子はそっと触れた。耳に触れられて思わず身体が強張る。あまり他人に触れられた ことがないので、どういう反応をしていいのか戸惑ってしまう。
「あなたはこの耳飾りと同じ月のようですね。幻想的で美しい印象です」
「……それでしたら妹のセラは太陽ですね。いつも僕に笑顔をくれます」
「兄妹で対極な存在とは、まるでルナーエ国を象徴する太陽石と月石のようですね」
ガルツ王子の手が離れ、彼は僕の事をじっと見ている。彼の赤紅色の瞳に見つめられると不安な感情が湧いてくるので思わず目を逸らしてしまっ た。
「……城下町はいかがでしたか?」
「ルナーエ国とは違った建物や露店市場で流通しているものがあり、とても興味深く勉強になりました。国民のみなさんも活気があり良い国です ね」
「お褒め頂けて光栄です」
少しの沈黙の後、ガルツ王子が口を開く。
「ウィンクリア王子。民の平和を持続するために必要なものは何だと思いますか?」
「……そうですね。国民あっての国ですので皆の意見を聞いて、より良い政策をとっていくべきでしょうか……」
僕の応えにガルツ王子は薄笑いを浮かべているので思わず眉を寄せる。何かおかしなことでも言ってしまったのだろうか。
「……私は”力”だと思います。この地に強大な国を作り、一つの権力でまとめることが争いが起きないことだと思います」
「……争いは憎しみを生み、戦争は人々に負担がかかります。侵略せずとも同盟を組めばいいと思いますが……」
「あなたはお優しいですね。同盟なんて書面上の約束事。その国のさじ加減でいつでも破れるのですよ」
あまりにもガルツ王子が冷たい目をしていて、いたたまれなくこの場から逃げ出したくなった。落ち着こうと回廊から見える月を見つめる。
「……僕には……ガルツ王子の考えが分かりかねます……」
「……まだお若いですね」
僕が政に関わったのはつい最近のことだ。国の現状を知り、どうすれば良いのか考えている。僕も長い期間政に関わればガルツ王子と同じ考えを するようになるのだろうか。僕は人々を戦火に陥れるようなことはしたくない。今はそう思っている。
「……風が冷たくなってきましたね」
「……そうですね。そろそろ戻ります。お話のお付き合いありがとうございました」
「あなたとお話できてよかったです。おやすみなさい」
ガルツ王子はまた僕の髪をすくい、口づけをして去っていった。僕も与えられた部屋に戻り、寝台に横になる。人々の平和を持続させることは、 ガルツ王子と僕の意見は違っていた。僕の考えは間違っているのだろうか。そう思ってしまう。考えを巡らせながら眠りについた。
次の日朝食を済ませ、迎賓館を後にする。ガルツ王子と要人数名が城門まで来てお見送りをしてくれた。
「ウィンクリア王子。交友会の日を楽しみにしていますね」
「えぇ、お待ちしております。お世話になりました。お見送り感謝いたします」
僕たちは会釈をして城を後にした。やっと緊張した空間から出られて思わずため息を吐く。
「王子殿下、お疲れ様でした。慣れないことばかりで気疲れしましたでしょう」
「リア様。お疲れ様でした」
アシジュとクラルスに気取られてしまった。疲れが顔に出てしまったようで、僕もまだ甘い。
「ありがとう。これも王族の努めだからね」
「殿下ご立派でしたよ!」
「ありがとう、ロゼ」
初めての国外で慣れないことだらけだったけど、僕なりに勤めを果たせたと思う。
一番亜種族のラピヌ族に会えたことが印象的だった。いつかルナーエ国でも彼らに会えるのだろうか。
ミステイル王国の首都を後にし、僕たちは原石神殿へと向かった。
原石神殿に到着した頃、太陽は西に傾きつつある。僕は原石神殿の外観に思わず息を呑む。綺麗な白い色の建物に大理石の床。ここが神聖な場所 だということが伝わってくる。
騎士の人たちには神殿の外で待機してもらい、アシジュ、ロゼ、クラルスの三人と一緒に神殿内へと足を踏み入れた。
広い回廊を歩いているが全く人気がなかった。
「
「王子殿下は原石神殿を訪れるのは初めてでしたね。宝石室には魔法による結界が張られているのです。そして
「
迷信かと思ったが、アシジュはそういう類いのものを信用するとは思えないので本当のことなのだろう。
「殿下。信じ難いと思いますけど、
「そうなんだね……」
ロゼも真面目な顔をして僕に話した。
しばらく歩くと柱の近くの長椅子に座るお婆さんの姿を見つける。
「すみません。見学をしたいのですが、ここの関係者の方はいらっしゃいますか?」
「見学は自由じゃ。ちょうどよかったのぉ。今、宝石様は流星の日なのじゃよ」
どうやら
以前授業で流星の日とは、
お婆さんは最奥にダイヤモンドの原石の部屋があると教えてくれた。僕たちはお婆さんに会釈をすると神殿の奥へと足を進める。
「流星の日に来られたなんて運が良かったよ」
「えぇ。流星の日を見ることは初めてですね」
僕は流星の日を見るのは初めてだ。どういうものなのかと期待を膨らませる。
最奥の部屋の前まで行くと扉が開かれていた。中を見ると大きな部屋の中央にこぶし大くらいのダイヤモンドが宙に浮いている。どういう原理で 浮いているのだろうか、とても不思議な光景。床には大小さまざまなダイヤモンドがちりばめられている。
「ダイヤモンドがたくさん……」
「
金属同士が当たるような音がすると、ダイヤモンドの
神秘的な光景に誰もが息を呑んでいる。その時、自分の異変に気がついた。もっと近くに寄らなければという思考に脳が支配され、
「……リア様?」
「……呼んでる……」
自分の口から発したのに自分の言葉ではない不思議な感覚。
夢なのだろうか。見慣れない部屋に神聖な服を着た子供が二人いた。これは幼い頃の僕とセラ。
しばらくすると僕は倒れてセラが泣いている。こんな記憶は僕には無い。これは一体何なのだろうか。
その時、誰の者か分からない声が聞こえた。
魅入られてしまった――――。
目が覚めて先ほどの夢を振り切るかのように勢いよく起き上がった。全身に嫌な汗をかいていて呼吸が乱れる。浅い呼吸を繰り返しているとクラ ルスが駆け寄ってきた。
「リア様! お目覚めになられましたか」
「……ここは……」
「船の自室です。丸一日意識を失っていらっしゃいましたよ」
窓から涼しい風が入ってくる。クラルスの話によると僕は
騒ぎを聞きつけた神官の人が来て僕を見てくれたらしく、
意識を失ったことより先ほどの夢が脳裏にこびり付いている。あの夢は
乗船していた医師がすぐに駆けつけて診断をし、異常はないというお墨付きをもらえて安堵した。
皆に迷惑をかけてしまい、申し訳なく思う。クラルスは僕が目覚めたという報告をアシジュにするために、部屋を出ていった。
王都に戻り、母上に報告をするとあまりに疲れた顔をしていたのか昼間だったが休むように言われた。
僕も少し身体が重かったので母上の言葉に甘えて自室で休むことにする。寝台に横になるとすぐに眠りの海へと誘われた。
2020/03/08 up