プリムスの伝承歌




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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第4曲 月下の伝承歌

 自室の前の話し声で目を覚ます。どのくらい寝ていたのだろうか。窓からは月の光が差し込んでいた。寝たのは昼間だったので大分長い時間眠っ てしまったらしい。扉が開かれると母上とクラルスが入室してきた。

「リア。起こしてしまいましたか?」
「いえ……先ほど起きたばかりです」

 クラルスは察して一礼をすると部屋から退室をした。寝台から出ようとしたが、母上はそのままでいいと僕を止める。僕の寝台に歩み寄り、母上 は縁へと腰を下ろす。
 時間は夜中らしく、夕食に現れない僕を心配して母上は見に来たようだ。

「原石神殿に立ち寄ったそうですね」
「はい。寄り道してすみません。母上」
「それを(とが)めるために来たの ではありませんよ。リア、以前大事な話があると言ったことは覚えていますか?」

 スクラミンの視察に拝命された時、書斎で母上が大事な話があると言っていたことを思い出した。母上の公務が忙しくなかなか時間を取ることが できなかったそうだ。
 頷くと一度しか言わないからよく聞くようにと念を押された。

「この国の象徴の宝石は知っていますね」
「うん。太陽石と月石で、月石は今、母上が宿しているんだよね」

 母上は月石が宿っている左手を見せてくれた。あまり良く見たことないが中指の爪に綺麗な刻印がされている。

「刻印、綺麗だね」

 母上は右手で刻印のある爪を擦り、再び僕の前に差し出すと月石の刻印が消えていた。
 一瞬、何が起こったのか分からず思考が停止する。どうして刻印が消えるのか自在に刻印が消せるのかとおかしなことまで考えていた。母上を見 やると真剣な表情を僕に向けている。

「……私に月石は宿っておりません。宿っているのは……リア、あなたです」
「えっ……」

 心臓の鼓動が早くなるのを感じる。僕は恐る恐る左手を確認すると、月の光に反射して光る爪と中指の刻印が目に入った。
 母上からは怪我の痕と言われていた痣は、月石の刻印。
 一体いつどこで僕に宿ったのだろうか、記憶を辿っても思い出せない。僕が困惑していると母上は僕の左手を優しく握る。

「リア。落ち着いて聞いてください」
「母上。僕、覚えていなくて……。どうして僕に……」

 母上は申し訳なさそうな表情をして僕に宿った経緯をはなしてくれた。
 僕とセラが五歳の時に宝石の加護という宝石の前で祈る儀式があったそうだ。その儀式の最中僕に宿ってしまったらしい。
 幸いその場にいたのは、僕たち家族と宝石師の先生の五人だけだったらしく。僕に宿ってしまったことは他に露見していない。

 万が一そんなことが知れ渡れば月石を奪おうとする輩が現れる。
 貴族たちが王位継承権がない男子に原石(プリムス)が 宿ったなど耳に入れたら、宿主である僕を殺せと言い出す可能 性もあった。そのため母上は自分に月石が宿ったと国民に流布したそうだ。

「そろそろ真実を伝えなければと思い話しました。今まで黙っていてごめんなさい」
「ううん……。母上は今まで僕を守っていてくれたんだよね。ありがとう」
「セラはその場にいたのですが覚えていなかったようですね。私は生涯をかけて嘘を吐き通す覚悟です」

 原石(プリムス)は人の身には大き すぎるものなので、外す方法を見つけているそうだ。しかし未だに分からないらしい。
 母上と父上は国の象徴である宝石を宿している僕を外に出したくなかっただろう。非情な両親だったら死んだと流布して一生涯人目のつかないと ころに幽閉している。僕を特別扱いせず育ててくれた母上と父上には感謝したい。

「僕は月石のことよく知らないから、僕なりに調べてみるね」
「くれぐれも他言無用でお願いしますね。何か体調に変化があればすぐ相談しなさい」
「うん。ありがとう母上」

 母上は僕を抱きしめて小さくごめんなさいと謝罪すると僕の部屋を後にした。
 僕は再び寝台へと寝転んだ。左手を掲げ、爪の刻印を見つめる。これから僕はどうすればいいのだろうか、月石というものを僕は全く知らない。


「……様……リア様」

 クラルスの呼びかけに気がついて顔を上げる。
 昨日、母上に言われた月石のことが気になり、手合わせに集中できなく失敗ばかりしていた。先ほども月石のことを考えていて、クラルスの呼び かけに気がつかなく、彼は心配そうな顔をしている。

「あ……。ごめんねクラルス。今日あまり手合わせ集中できなくて」
「遠征の疲れがまだ残っていらっしゃるのかもしれませんね」

 クラルスはやさしく僕に微笑んでくれた。今日の手合わせは終わり、この後の予定は何もない。月石に関することを調べるために書庫へ行こうと 思う。もしかしたら何か月石に関する書物があるかもしれない。

「クラルス。この後、書庫に行ってもいいかな?」
「何かお調べものですか?」
「うん。ちょっとね……」

 僕たちはすぐに着替えて足早に書庫へ向かった。
 城の外れにある書庫は薄暗く昼間でも少し不気味な雰囲気。中へ入ると一人先客がいた。

「おお。リアとクラルスか珍しいな」
「騎士団長様。何かお探しですか?」
「地方の書物を探しにな。リアたちはどうした?」
「……宝石の事を調べようかと思いまして」

 宝石と聞いて父上の表情が少し変わった。昨日母上から僕に月石のことを教えたのは知っているのだろう。

「そうか。リアは勉強熱心だな。宝石類の本棚は一番奥だ」
「ありがとうございます」

 父上に会釈をして隣を通り過ぎる時に「いつもどおりにしていなさい」と小声で呟いた。そんなことを言われても自分に得体の知れないものが 宿っていると思うと落ち着いてはいられない。
 父上はお目当ての書物を見つけたようで僕たちに一言声をかけてから書庫を後にした。
 一番奥の本棚には宝石関連の書物が隙間なく埋まっている。すべて目を通すのには時間がかかりそうだ。

「リア様。お手伝い致しますか?」
「大丈夫。クラルスは自由にしていて」
「かしこまりました。ご用命でしたら、すぐお呼び下さい」

 クラルスは他の本棚へと向かい、本を手に取って読み始めた。
 僕は上段の棚の端にある宝石の書物を手に取り広げる。読み進めるが各宝石の歴史や専門用語がたくさん書かれている魔法原理の論文だけだっ た。本を戻し、隣の本を手に取る。端から順に本を広げ、書物を隅々まで読んだがどの書物にも月石に関してのことは詳しく書かれていない。

 どのくらい時間を費やしたのだろうか。一番下段の最後の書物に目を通したが、これといって有益な情報は得られなかった。
 諦めていた時、不意に上を向くと本棚の上に一冊の古い冊子が目に入った。手に取ってみると埃を被っており、しばらく誰かに触れられた様子は なさそうだ。表紙の埃を払い、表題を確認したが何もかかれていない。表紙を捲ってみると、僕が求めていた太陽石と月石に関することが手書きで 記載されていた。

 太陽石、高い攻撃性を持ち五万の敵国兵を焼き払った。通常の防御魔法では抑えることは難しいだろう。
 この国の抑止力になったことには間違い無い。宿した女王は一五七歳で太陽石が宿っている左腕を自ら切り落とし、自害した。

 月石、防御魔法に優れており癒やしの力がある。一万の弓矢の雨を凌ぎ、通常の魔法で防御壁は越えられないだろう。騎士たちの傷ついた身体に 癒やしを与えた。
 ただこれは古い書物に記載されていたことであり、実際の力は不明。
 太陽石と月石は意思を持ち、宿主を選ぶ。その力に今後の女王陛下たちが翻弄されないことを祈るばかりだ。

 冊子はこれ以降は空白で何も記載されていなかった。記載した年月は表記されていなかったので、この冊子がいつ書かれたものなのか分からな い。
 原石(プリムス)を宿した歴代の女 王は宝石に翻弄され、気がふれてしまったようだ。そして僕も月日が経つにつれて そうなってしまうのだろうか。
 思いを巡らせていると肩に手が置かれ、驚いて振り向いた。

「リア様……大丈夫ですか? 先ほどからお呼びしていますのに……」
「あ……ごめん。クラルス……」
「そろそろ日も暮れてきましたが、まだお探しでしたら灯りを点けましょうか?」
「大丈夫。長い間待たせてごめんね。そろそろ行こうか」

 先ほど見つけた冊子は本棚の奥へ押しやり、書庫を後にした。あの冊子は少なくとも百年以上前のものだろう。
 宝石を宿しているということは魔法が使えるということだが、興味本位で使う気にはなれない。もし魔法を使っているところを見られてしまった ら、月石が宿っていると露見してしまう。今まで母上がしてきたことを無下にしたくない。父上に言われたとおり、気にしないように過ごしたほう がいいだろう。

 ある日、僕は母上の書斎へ呼び出される。クラルスと手合わせをしている最中に伝言を伝えられたので、着替えなどもあり遅くなってしまった。
 書斎の前まで来るとルシオラが少し離れたところで待機している。セラも呼ばれているのだろうか。兄妹二人が呼び出されることは珍しい。

「陛下。ウィンクリア参りました」

 そう告げると扉の前にいた騎士が扉を開ける。中で母上とセラが既に待っていた。足早にセラの隣へと並ぶ。

「お待たせしてしまい、すみません」
「リア顔赤いね。手合わせでもしてたの?」
「うん。よく分かったね」

 よくセラは僕を観察しているなと感心する。僕たちが揃ったところで母上は話を始めた。

「リア、セラ。一週間後に隣国のミステイルとの交友会があります。あなたたちにも出席してもらいますのでよろしくお願いしますね」

 以前親書を届ける時、近々交友会があることを話していた。ガルツ王子とまた会うのは少し憂鬱だ。彼の底知れない目はあまり好きではない。
 日程はミステイルの国王とガルツ王子、ミステイル王国の要人数名が昼過ぎに到着。謁見室でお出迎えと簡単な挨拶をして、意見交換会の後夜会 になるらしい。
 僕たち二人はお出迎えと夜会に出席となる。セラは諸外国の人とはあまり交流がなかったので良い機会だ。しかし同年代は皆無だろうし楽しいも のではないだろう。

「大人たちの中にいるのは窮屈(きゅうくつ)だ と思いますが、これも王族の努めです」
「はい母様。私たちは夜会で何をすればいいの?」
「要人たちが挨拶に来ますのでその対応と簡単な雑談がほとんどです。セラは要人と話すことは初めてですし、よい経験になるでしょう。リアは補 佐してくださいね」
「はい。かしこまりました」

 前回の交友会では母上と父上のそばにいて挨拶をすればいいだけだった。さすがに僕もセラも十四歳だ。周りからすればまだ幼いが王族である 故、相応の対応を求められる。
 セラは母上たちと一緒に謁見室にいるとき、真面目にしているので問題はないと思う。

「話は以上です。何か分からないことがあればすぐに言ってくださいね」
「はい。失礼します」

 話が終わり、僕とセラは一礼をして書斎を後にする。
 書斎を出るとクラルスとルシオラが分厚い資料を持っていた。確認をしてみると交友会当日の日程と出席する貴族や要人の一覧表だ。交友会当日 までにすべて覚えなければならない。

「覚えられるけど……緊張して当日忘れないか不安だわ」
「セラ。僕が補佐するから安心して」
「うん! リア頼りにしているね!」

 そんなやりとりをしているとクラルスとルシオラは微笑みながら僕たちを見ていた。兄妹仲睦まじいと表情が物語っている。
 セラは普段の勉強の他にこの資料を読み込まなければいけない。セラに安心してもらうためにも完璧に覚えるように心がけた。


 交友会当日、王都はいつも以上に賑わっていた。城の中も外も出迎える準備で慌ただしい。
 今朝、セラと一緒に二階の露台から城下町を見下ろした。いつもより露店市場の飾り付けが賑やかになっている。諸外国の要人が来るということ で、王都全体でお出迎えの準備をしていた。

 僕と父上は謁見室前で待機をしており、セラと母上は室内で待機をしている。先ほどミステイルの船が城の船着場に到着したと父上に知らせが 入った。こんなに大々的にお出迎えをすることは初めてなので緊張してしまう。
 不意に隣にいる父上が僕の肩に手を置いた。

「リア。緊張しているのか?」
「そうですね。前の交友会のことは幼くてあまり覚えていませんので……」
「こういう要人が来るものに出席させるのも、リアとセラが少しずつ大人として認めている証拠だ。失敗しても構わないから経験を積みなさい」
「はい。ありがとうございます」

 父上の言葉に緊張が解れた気がした。深呼吸をして心を落ち着かせていると、大勢の足音が聞こえてくる。階段から自国の兵士に囲まれたミステ イル国の国王と第二王子が現れた。僕と父上は一礼をして母上たちが待っている謁見室へと通す。
 遅れて僕と父上が入り、玉座の隣へと並ぶと母上は挨拶を始める。セラを見ると緊張しているのか顔が強張っていた。

「ルナーエ国第一王女、セラスフィーナ・ルナーエです。本日はお越し頂きありがとうございます」

 間違えずに言えた、という気持ちが表情に現れていて思わず笑ってしまいそうになる。
 一通り挨拶を終えると大人たちは意見交換会をするために会議室へと向かっていった。僕たちは夜会まで予定はない。
 謁見室を後にして、自室までの廊下を歩いていると、セラが思い切り息を吐いた。

「すごく緊張したわ。リア、私変じゃなかった? 大丈夫だった?」
「大丈夫だよセラ。立派だった」

 こんなやりとりを少し前に自分も経験した。今だとロゼの気持ちが少し分かる気がする。

「よかった。でも一番夜会が心配だわ……」
「大丈夫。僕がついてるから安心して」
「うん。ありがとうリア」

 セラは柔らかい笑みを見せてくれた。僕はセラに手を引かれて、資料の最終確認をしようと部屋に招き入れられる。

 日も暮れて夜会が始まる。星永騎士とミステイル国の兵士が壁沿いに並び、母上とセラは上段になっている場所の椅子に座っていた。父上は母上 の隣に、僕はセラの隣に立ち、要人たちが次々と挨拶に来るので対応をする。
 初めはセラも緊張していたのだが、徐々に慣れてきて自然な笑顔を見せられるようになっていた。セラが少し戸惑う素振りを見せたら、僕は示唆 するようなことを言うとすぐに要人の名前を思い出して対応してくれる。さすがセラだなと感心した。

 しばらくすると要人や貴族の足も途絶え、一息吐く。父上と母上から終わるまで自由にして良いと言われ、僕たちは席を立った。
 夜会の会場は自国の貴族とミステイル王国の要人が、それぞれ意見を交換するために立食を楽しみながら談笑をしている。
 気は乗らないが挨拶をするために東の上段にいるミステイル国王とガルツ王子の元へ向かう。

「こんばんは。先日はお世話になりました。またお会いできて嬉しいです」
「これはセラスフィーナ王女、ウィンクリア王子わざわざ来て下さってありがとうございます」
「夜会楽しんで下さいね」

 セラが微笑むと、ガルツ王子はミステイル王国で会った時のあの笑顔をセラに向ける。口元しか笑っていない貼り付けたような笑顔は、何か裏が ありそうな気がして好きではない。
 社交的な挨拶を交わし、他愛もない会話をしているとミステイルの国王は途中で立ち上がり母上の元へ足を運んだ。

「ではガルツ王子。失礼します」
「えぇ。お互い良い夜会にしましょう」

 僕たちが離れると待っていたかのように貴族の女性がガルツ王子を囲う。まだ彼は独身だ。年の近い貴族の女性は妃の座を狙うため必死になって いる。

 僕とセラもたまにどこの国の王女が王子が、と貴族が薦めてくる時があった。
 貴族は僕に早く有力国の王女と結婚をしてもらい、ルナーエ国と有力国を取り結ぶ道具にしたい。有力国の王女も母上譲りの外見の僕を側に置き たいらしく、たまに言い寄られる。
 国のことを考えるとそうした方がいいのは分かっているが、自分の存在意義とは何なのだろうかと自問してしまう。
 僕は自分の意志で何も決められないまま、国の操り人形として生涯を終えるのだろうか。

「……リア……。大丈夫?」
「えっ……」

 顔に出てしまっていたのだろうか、セラが心配そうな顔をして僕を覗き込んでいた。

「大丈夫。ちょっと考え事をしてただけだよ」

 セラにこれ以上心配をかけないように笑顔を見せると、彼女は安心した表情になった。
 セラには見聞を広げてもらいたく、要人や貴族たちに自ら話しかけるように促す。あまり乗り気ではなかったがセラの将来のためでもある。僕も 極力セラに付き添い、話の輪に入った。
 年配貴族と話をすると相変わらず僕のことを軽んじる人が多い。僕は気にせずいつもどおり笑顔で受け流し、適当に受け答えをする。

 一通り話し終えるとセラは露台の方に歩いていった。僕もセラの後を追い、露台へと向かう。
 室内の空気とは違い清々しい夜風が吹いている。満天の星と満月が僕たちを迎えてくれた。

「セラ。お疲れ様、何か飲む?」
「ううん。大丈夫……」

 少しセラの機嫌が悪い。何か気に障ることがあったのだろうか。

「セラ? 何かあった?」

 僕が問いかけるとセラは振り返り、頬を膨らませている。

「リアどうして笑っていられるの? さっきの貴族の人たちリアを……」

 どうやら僕が貴族に軽んじられることを言われたので怒っているようだ。僕の立場上、仕方ないと思っている。セラはたまに回廊で僕のことを悪 く言っている貴族に会ったりするらしい。以前貴族に怒鳴り散らしてしまい、母上に叱られたと教えてくれた。

「それにね、私父様に容姿が似ているでしょ? 野蛮の血を継いでいるとか噂されたことがあったわ」
「……そうなんだね」

 父上は元々ルナーエ国出身ではない貴族であり、政略結婚で婿に来た。そのため貴族からはよく思われていないらしい。どんなに父上が偉業を成 しても貴族は認めなかった。
 父上の容姿を受け継いだセラも陰で悪く言われ、悲しい思いをしていることは僕も知っている。そのため余計自分の容姿が好きではなかった。僕 ではなくセラが母上の銀髪と碧眼を受け継いでいたら、苦しい思いはしなかっただろう。

「それでね。私、決めたの。母様みたいに……ううん。母様以上の女王になるって。あの人たちが文句を言えないくらい立派になるわ」
「うん。セラならできるよ」
「リア……。側にいて私を護ってね。だって次期騎士団長でしょ?」
「……もちろん。セラを護るよ」

 お互いずっと一緒にいられないことは分かっているけど、それでも僕たちは必ず破られる約束をした。
 不意に一階に視線を落とすと回廊に人影が見える。目を凝らすと母上とミステイルの国王だ。
 向かっている先は母上の書斎。なぜ二人は夜会を抜け出しているのだろう。気になってしまい、セラと壁沿いにいるクラルスに適当な理由をつけ て母上たちの後を追った。

 いつもなら回廊に見張りの騎士たちが何人かいるのだが、誰もおらず不気味に静まりかえっていた。母上が下げたのだろうか。書斎までの回廊に 自分の規則正しい足音だけが響いている。
 書斎の前まで来るとやはりここにも見張りの騎士はいなかった。微かだが話し声が聞こえてくる。盗み聞きになってしまうが僕は会話に耳を傾け た。

「アエスタス女王。我が国に太陽石を貸していただけないですかな」
「もうその話は済んでいるはずです」
「近隣国が我々の国に戦を仕掛けようとしているのです。同盟国のよしみで抑止力のために数ヶ月だけでいいのですよ」
「何度言われても変わりません」
「……なんと高慢な……。非常に……非常に残念です。アエスタス女王。近々その高慢さを後悔するでしょう」

 扉の方に歩いてくる足音が聞こえたので急いで人気のない回廊へと移動する。遠目でミステイルの国王が書斎から立ち去る様子が見えた。僕は呼 吸を整えて回廊の壁に寄りかかる。
 国王は太陽石をどうやら戦争の抑止力として貸してもらいたいそうだが、国の象徴であり原石(プ リムス)でもある太 陽石を貸すわけにいかないだろう。国王の最後の不気味な声色に違和感を覚えた。国王は母上に何かをするつもりなのだろうか。

「ウィンクリア王子、こんなところで何をしているのですか?」

 突然声をかけられ、振り向くとガルツ王子がいた。なぜこんな人気のない回廊にいるのだろう。まさか僕が盗み聞きしていたのを見ていたのだろ うか。
 僕は気取られないように努めて冷静に受け答えをする。

「……夜風に当たっていただけです。そろそろ戻りますね」

 ガルツ王子の横を通り過ぎようとした時、左手を捕まれて壁に押しつけられる。僕を逃がさないように右肩を思い切り掴んできた。突然の出来事 に思考が停止する。赤紅色の瞳に縫い付けられたかのように僕の身体は動かなかった。

「……本当は何をしていたのですか?」

 思い切り力を入れられ、骨が砕けるのではないかと思った。答えずにいると徐々に力を込めてくる。手を振り払おうとしても僕の力では全く抵抗 できない。ガルツ王子は表情を変えずに僕を見ており、不気味だった。

「……リア様!」

 聞き慣れた声が聞こえた方を向くと、クラルスが驚いた表情をして立っていた。
 ガルツ王子はクラルスを見ると僕を掴んでいた手をゆっくりと離す。掴まれていた箇所がずきずき痛み、思わず顔を歪めた。クラルスは足早に僕 とガルツ王子の側に歩いてくる。

「……リア様。陛下がお呼びですよ」
「……うん。今行く」

 僕はガルツ王子を残し、その場から離れる。クラルスはあまりにも僕の帰りが遅いので心配して探しに来てくれたようだ。母上が呼んでいるとは ただの口実だったらしい。
 肩を押さえているとクラルスは心配そうな顔をして僕を見ていた。

「……お怪我はありませんか?」
「大丈夫だよ。ありがとうクラルス」
「城内でも外部の人が来ている時は、護衛をつけましょう」
「……そうだね」

 まさかあんなことになるとは思っていなかった。クラルスがもし来てくれなかったらどうなってしまったのだろうか。嫌なことを振り払うように 左右に首を振った。

 夜会の会場へ戻ると丁度お開きの流れになっている。セラは僕の姿を見つけると今までどこへ行っていたのかと頬を膨らませて怒っていた。母上 の簡単な挨拶の後、要人と貴族を見送る。
 ミステイルの国王とガルツ王子は母上と父上と楽しく談笑をしていた。不意にガルツ王子と目が合い、僕は反射的に目を逸らす。
 船で来たらしく僕たち家族は船着き場までお見送りをすることになった。

「セラスフィーナ王女、ウィンクリア王子。我が国に来たときは是非案内させて下さい」
「……えぇ。その時はお願いします」
「楽しみにしていますね」

 社交辞令的な会話を交わし、ミステイルの国王とガルツ王子は船に乗り込み、母国へと帰っていった。
 船を見送った後、母上と父上は僕たちに微笑む。

「リア、セラ。遅くまでご苦労だったな」
「王族としての務めを立派に果たしましたね。今日はゆっくり休みなさい」

 父上と母上に褒められてセラは嬉しそうだった。僕も二人に微笑む。母上の言葉に甘えて僕たちは綺麗な星空を眺めながら先に自室へ戻った。

 窓そばに立ち外を眺める。遠くに見える大河は月の光を反射していた。もう真夜中だろう。
 僕は母上と国王の話が気になり寝付けなく、寝間着に着替えることもせずにさっきまで寝台に横になっていた。
 月石の宿っている左手の爪は窓から差し込む月明かりを受けて、白藍(しらあい)色 になっている。他の宝石なら爪 の色が変化するのだが、月石は変化しない代わりに月の光に反応するようだ。月石のことを知らずに生活をしていた時は気にも留めていなかった。

 いくら寝付けなくても身体を休めないといけないので、寝台に腰を下ろした。着替えようと服の留め具に手を掛けた時、何やら遠くの方で騒がし い声が聞こえて来る。
 人々がまだ露店市場でお祭り騒ぎをしているのだろうか。不思議に思っていると部屋の扉が勢いよく開かれ、クラルスが血相を変えて僕の部屋に 飛び込む。彼の表情を見て深刻な事態だということが伝わり、緊張が全身を駆け巡る。

「ど……どうしたのクラルス!? 何かあった?」
「リア様! 起きていらしたのですね! 敵襲です! ミステイル王国の兵が城に攻めて来ています!」
「えっ!? どうしてミステイル王国が……!」
「とにかく陛下と騎士団長様に合流しましょう!」

 考える暇も無く、机の上に置いてある護身用の短剣と長剣を持ち自室から飛び出す。城の諸所から悲鳴や剣戟が聞こえてくる。僕たちは急いで母 上たちの寝室へ向かった。
 回廊を走っていると曲がり角から剣を携えたミステイル王国兵が三人現れる。

「王子を見つけたぞ! 始末しろ!」

 クラルスは抜剣をして襲ってくる王国兵を斬り伏せると、辺りに血しぶきが飛び散り彼の剣を赤く染めた。王国兵の叫び声と怒声が回廊に響き渡 る。

「リア様! 下がっていてください!」
「クラルス……!」

 僕も剣を抜き加勢しようとした時、後ろからの気配に気がついて振り返る。一人の王国兵が剣を振り上げ僕に襲いかかって来た。王国兵は雄叫び を上げて僕に剣を振り下ろす。突然の出来事に頭では何も考えられず、本能に身を任せるしかなかった。

 長剣で剣を弾き飛ばし、短剣を王国兵の首をめがけて振り下ろす。短い叫び声の後に首を押さえながら王国兵は床に転がる。倒れている王国兵の 首から血が溢れ出していた。浅い呼吸を繰り返しながら短剣についている血を見つめる。

 僕は――――人を殺してしまった。

「リア様! ご無事ですか!」

 握っていた長剣が手から滑り落ち、乾いた音を立てた。クラルスは剣を収め僕に駆け寄ってくる。前から襲ってきた王国兵はクラルスの手によっ て既に息絶えていた。

 「クラルス……僕……人を殺めて……」

 初めて剣で人を殺めた。肉を切る感触、耳にこびり付いた叫び、流れ出る血。全てが自分の手で引き起こされたものだと考えると吐き気がこみ上 げてくる。
 僕は毎日手合わせという名の人を殺す術を身につけていた。ただそれが今、実戦されただけのことだと自分に言い聞かせる。
 戦争になれば剣を振い人の命を取らなければいけないことは分かっていた。それでも唐突に訪れた現実に思考がついていけない。

「やらなければやられます! 敵に情けをかけている場合ではないですよ!」

 クラルスは動揺している僕に毅然とした態度で言い聞かせた。彼の肩越しに僕が殺めた王国兵が見える。
 首から溢れた血の海に浸り、光を失った目は夜空を見ていた。その姿を目にして僕は後ずさる。死というものを間近で感じて気が狂いそうだっ た。

「……あぁ……っ……」
「リア様! しっかりして下さい!」

 クラルスに両肩を掴まれて、彼の銀色の瞳と目が合い我に返る。

「……クラルス……」
「リア様……。もし剣を振るわなかったら、あそこに倒れていたのはリア様だったかもしれません。相手は私たちを殺すことをいとわないでしょ う。リア様も少なからず次期騎士団長として、人に剣を振るうお覚悟はあったはずです」

 クラルスの言葉に目を伏せる。
 ルナーエ国は平穏そのもので、何年も戦争とは無縁な国。僕が戦場に出て人を殺めるのは、まだ先のことだと思っていた。
 それが何の前触れもなく訪れ、覚悟はしていたけれど心がついていけない。
 騒がしい足音が聞こえると回廊の曲がり角からまた王国兵が現れ囲まれる。クラルスは剣を抜き、僕を庇うように壁に追いやった。

「ミステイル王国のために死んでもらう!」

 僕も戦わなければ二人とも殺されてしまう。頭では分かっているが身体が動かない。
 王国兵がじりじりと距離を詰めて来ている時、回廊に乱れた足音が響く。

「死ぬのはてめぇらの方だ!」

 突然、王国兵の背後から誰かが切りつける。それはライズとジュスだった。既に王国兵と戦っていたのだろうか、返り血と生傷だらけになってい る。王国兵は奇襲をして来た彼らに応戦を始めた。

「ライズ……ジュス……」
「ここは俺たちに任せろ、陛下たちは二階の謁見室にいる!」
「王子殿下を早く!」

 応戦しながら二人は叫ぶ。クラルスは襲ってきた王国兵を斬り伏せると、僕の手を引いて包囲網を抜けた。後ろを振り返るとライズとジュスがま だ戦っている。あの人数を二人で相手をするのは無理だ。二人を助けたい。

「ライズ! ジュス!」

 クラルスの手を振り払いライズとジュスの元へ走ろうとした時、彼に腕をつかまれ制止される。

「クラルス! 離して!」

 必死にクラルスの手を振り払おうともがいていると、両腕を掴まれ彼と対面になる。

「いけません! リア様! あなたのするべきことは違うでしょう! あの者たちの行動を無下にするつもりですか!」
「二人を見捨てるの!?」
「二人を信じて下さい!」

 真剣な眼差しでクラルスに言われて僕は力を緩めると、彼の掴んでいた手がゆっくり離れた。僕がしなくてはいけないことは、父上と母上に合流 することだ。荒い呼吸を整え、唇を噛み締めて歩き出す。

「……父上と母上のところに行こう」
「急ぎましょう」

 長い回廊を走り、階段を上っていく。途中ミステイル王国兵と何度か遭い、クラルスは次々と斬り伏せた。
 こんなに大勢の王国兵はどうやって城に侵入したのだろうか。在住している騎士たちだけでは対応できていない。
 陸路も大河も大勢の兵士が移動していればルナーエ国の国境線を警備している騎士たちに怪しまれるはずだ。

「こんなに王国兵がいるなんて……」
「恐らくですが、この夜襲は交友会の日を狙っていたのでしょう。兵士たちを乗せた船を近場に停泊させていたのかもしれません。仮に我が国の巡 回船に見つかったとしても、護衛船と偽ればいいだけです」

 ミステイル王国は同盟国でもあるため、まさか襲ってくるとは思っていなかっただろう。夜襲をしてミステイル王国の目的は何なのだろうか。

 僕たちは階段を駆け上がり、二階の廊下へ足を踏み入れる。謁見室までの廊下にはミステイル王国兵と自国騎士の遺体が転がっており、戦場のよ うな光景だ。むせ返るような血の臭いが充満しており、思わず手の甲で鼻を覆った。
 兵士たちの遺体を避けながら廊下を走ると、ようやく謁見室が見えてくる。扉は開いており、僕たちが飛び込むとそこには信じ難い光景が広がっ ていた。
 王国兵に囲まれ、血まみれで負傷している星永騎士数名。返り血を浴びている父上に母上は庇われている。

「父上! 母上!」

 僕が声を上げると王国兵が振り返る。それと同時に父上と星永騎士が王国兵に斬りかかり、乱闘になった。僕たちに襲ってきた王国兵はクラルス が応戦をして息の根を止めていく。王国兵が全員床に倒れたところを見計らい、父上と母上の側に駆け寄った。

「リア! 無事だったか! クラルスよくやってくれた」
「父上、母上。無事だったんだね」
「陛下、騎士団長様ご無事で! 一体何が起きたのです」

 謁見室の中を見渡したがセラの姿が見えなかった。まだ自室にいるのだろうか、もしくはルシオラと一緒に城を脱出したのかもしれない。母上に 問いかけようとした時、聞き覚えのある声が謁見室に響き渡る。

「丁度いい、手間が省けました」

 謁見室に弓兵を連れて入ってきたのはミステイル王国の第二王子ガルツ。この人が首謀者に間違い無い。父上は僕たちを庇うように前に出た。

「女王陛下。太陽石と月石を渡してください。渡せば命だけは取らないであげましょう」
「……夜襲を仕掛けて今更私たちの命の保証をするなど虫のいい話です」
「……素直に渡されてもつまらないところでしたよ。それとも大切なご子息とご息女の命は助けると言えば少しは考えが変わりますか?」

 ガルツは不敵な笑みを浮かべている。彼の狙いは太陽石と月石のようだ。ルナーエ国は原石(プ リムス)を二つ所有し ており、その強大な力故、戦争の抑止力になっていた。原 石(プリムス)欲しさに攻めてくる国も昔はあった らしい。
 休戦協定を破り、城を襲い、戦争の発端になりかねない状況を作ってまで宝石を奪おうとしている。母上は無言でガルツを睨みつけていた。彼は 僕たちとの距離を少し詰める。

「あなたたち王族は国内にいた反乱分子の夜襲に遭い命を落とします。騒ぎを聞きつけたミステイル王国軍が駆けつけて掃討しますが、時すでに遅 し。管理下を失った二つの原石(プリムス)は ミステイル王国が管理する。という俺が作り上げた物語の駒に今からなってもらいます」

 ガルツは初めから取引をするつもりはなかった。彼は言葉を続ける。

「自らの命を差し出して、民が傷つかずに済むのでしたら王族として本望でしょう。ご安心ください。ルナーエの国民はミステイル王国が統治しま す」

 張り詰めた空気に喉が圧し潰されそうだ。母上は僕の耳に顔を寄る。

「リア。私たちが時間を稼ぐので逃げなさい。原石神殿まで逃げれば一時的にかくまってもらえます」
「母上……! それはできないよ! ……それにセラは!」
「セラはルシオラたちに任せています」
「でも……僕は……」

 セラを護ると約束した。
 僕が逃げなければならない理由は分かっている。ガルツの狙いは原石(プリムス)だ。 ガルツが狙っている宝石の一つの月石は僕が宿している が、ガルツは母上に宿っていると未だに思っている。逃げるならガルツが誤認している今しかないのは分かっていた。
 でもガルツに交渉をして僕一人の命で皆が助かるなら、月石と共に命を捧げても構わない。しかし宝石を渡すということを簡単にしていいのだろ うか。母上や歴代の女王が血を流して守ってきた宝石への思いを無下にする行為だ。
 僕は逃げるべきなのだろうか、ガルツに捕まるべきなのだろうか、考えあぐねいていると母上が僕の左手を握った。

「……リア。お願いです。どんなに辛くても生きてください。可能性を捨てないで……。良い母親ではなかったですが、あなたのことは愛していま した。それだけはどうか忘れないでください」
「…………母上」

 母上は今までで一番優しい笑顔を僕に向ける。そんな顔をしないで欲しかった。まるで最期の別れのような表情。

「クラルス。リアをお願いします」
「陛下……。……っかしこまりました。リア様は必ず私がお護りします」

 クラルスが僕の手を強く握る。僕は言葉が出ない代わりに拒否を示すように首を左右に振った。
 父上や母上を置いて逃げたくない。セラを探したい。思いを言葉にしたかったが、母上の決意が現れた表情を見ると言葉を紡ぐことができなかっ た。
 母上はクラルスの言葉を聞いて少し安堵の表情を見せると、星永騎士に目配せして彼らは頷いた。

「……ご家族同士のお別れは済みました? これでも紳士的に待っているのですが……。それとも女王陛下が月石でも使って悪あがきでもします か?」

 不敵に笑うガルツが右手を掲げる。それと同時にクラルスは僕の手を引いて勢いよく走り出した。向かっている先は謁見室に隣接されている露 台。
 少し遅れて無数の弓矢が僕たちを襲った。星永騎士は身を挺して僕とクラルスを護り散っていく。
 振り返ると父上は母上を守るように身を挺し、矢の雨が突き刺さる。倒れた父上に母上が寄り添った瞬間、無残にも矢が母上の胸を貫いた。

「母上っ! 父上っ!」

 今すぐに二人の元へ駆け寄りたいが、クラルスはそうさせないように僕の手を強く引く。
「王子を追え」とガルツの声が聞こえた。露台まで出るが剣を携えた王国兵に囲まれる。

「リア様! しっかり掴まっていてください!」

 クラルスに抱き寄せられると身体が宙を舞う。僕の身体と涙は暗闇へと落ちていった。

 勢いよく木の枝を折る音と衝撃が走る。クラルスは僕を抱えて露台から地上へ飛び降りた。幸い木とクラルスに守られて僕は無傷だ。
 クラルスは起き上がると急いで僕を起こし、手を引いて走り出す。露台からは僕たちが逃げたと騒ぎになっており、追いかけてくるのも時間の問 題だろう。

「リア様とりあえず近場の森に逃げましょう。夜でしたら迂闊に王国兵も来ないはずです」

 僕は頭で何も考えられずクラルスに返事を返せなかった。冷たい夜風が肌に刺さる。ただ彼に手を引かれ、足を動かした。
 しばらく走ると森が見え、僕たちは姿を隠すように逃げ入る。奥へ奥へと進み、森から外が見えなくなるくらいまで進むと、クラルスが止まる。 僕とクラルスは荒い息を整え、地面へと座り込む。

「リア様。原石神殿には夜が明ける前に着かなければ、包囲網ができてしまうかもしれません。歩きでもいいので向かいましょう」

 立ち上がろうとしたクラルスは顔を歪め、大量の汗を搔いていた。ふらついているクラルスに駆け寄ると左足を庇っている。

「……クラルス!?」

 無理矢理座らせて左の靴を脱がすと、足首が異常なほど腫れ上がっていた。露台から落ちた時に怪我をしたのだろう。
 とりあえず足を冷やさなければと思い、川か泉が近くにないか周りを見渡す。深い森の中は鬱蒼(うっ そう)と生い 茂っている木々と雑草しかな かった。

「クラルス。僕が肩を貸すから一緒に……」

 彼に手を伸ばすと優しくクラルスに手を握られた。顔を歪めながら僕を見つめる。

「……リア様。この森を東へ向かえば原石神殿です。私は後から行きますから……」
「だめだよ! クラルスを置いていけない! 一緒に行こう」

 クラルスは首を横に振って言い聞かせるように僕を見て話した。

「今の私はただの足手まといです。必ず追いつきますから……」

 怪我をしているクラルスを置いていけない。ライズとジュスを見捨て、父上と母上を見捨て、セラを見捨て、クラルスまで見捨てなければいけな いのか。僕はクラルスの手を強く握り返す。

「……嫌だよ……」
「リア様……」
「僕を……一人にしないで……」

 胸が張り裂けそうだった。僕は一人だと気がふれてしまうかもしれない。溢れそうな涙を堪えているとクラルスの人差し指が目尻に触れて涙をす くい取る。

「……少しの間、離れるだけです。ここでリア様が捕まってしまいましたら、陛下と騎士団長様に顔向けできません」
「……それでも……置いていけないよ……」

 懇願するようにクラルスの手を両手で握ると月石の刻印が目に入る。月石は防御と癒やしの魔法が使えると書庫で見た冊子にそう書いてあった。
 それが真実なら――。
 魔法を使ったことはないので、何が起こるのか分からない。それでも今は、目の前で苦しんでいる彼を助けたい。
 僕はクラルスの怪我をしている箇所に触れないように左手をかざす。彼は怪訝な顔をしながら僕の行動を見守っている。左手に集中をしてクラル スの怪我を治して欲しいと心の中で懇願した。
 しばらくすると左手が優しい暖かさに包まれる。掌から淡い青色の光が彼の足に零れ落ちた。

「これは……魔法……? それにその刻印は……」

 薄く浮かび上がる月石の刻印をクラルスは見ている。淡い光が止み手を引くと、彼の足の腫れは引いていた。初めて魔法を使えて安堵する。
 クラルスは何かを言いたそうな表情をしていた。彼はもう気がついていると思う。僕が月石を宿しているのだと。

「……足……大丈夫?」
「えぇ。リア様のおかげで……」

 クラルスは足を動かして痛みがないことを確認すると、靴を履き立ち上がる。僕もそれに習って立ち上がり、僕たちは原石神殿のある東へと歩き 出す。
 彼はその場で月石のことは問わなかった。

 僕たちは休憩を挟みながら原石神殿を目指す。森を抜けてようやく原石神殿に辿り着いた頃には、暁の空になっていた。念のため神殿の裏から敷 地内に入る。
 周りには人気がなくミステイル王国兵はまだ来ていないようだ。
 併設されている宿舎に足を運び、入り口の扉を開く。明け方だが受付には姿勢を崩して読書をしている女性が座っている。
 僕たちを見ると女性は読んでいた(ぺーじ)(しおり)を挟み、姿勢を正す。

「……わけありかしら?」

 僕とクラルスの顔を見て女性は怪訝な顔をしている。身なりがどう見ても旅人ではないので、彼女はそう投げかけたのだろう。

「……すみません。一晩でもいいので宿泊できますか?」
「ここは罪人、凶悪犯でも受け入れる施設です。ただし三日間のみとなっております」

 そういえば原石神殿付近では争い事は禁止されていることを思い出した。ミステイル王国兵も例外ではないので無闇に手出しはできないだろう。 三日間しかいられないが、安全が確保されているだけありがたい。

 手際よく女性は必要事項を説明すると宿帳を差し出した。出身国と氏名を記入するように万年筆を渡される。少し躊躇(た めら)ったが記入をしないと泊めても らえないそうだ。
 クラルスが記入した後に僕が名前を記入すると女性は目を見開いた。

「……王子殿下? どうされたのです……というのは規則なので聞けませんね。お部屋にご案内します」

 女性は理由を聞かずに一番奥の部屋に案内してくれた。今は他の部屋に誰も宿泊していないのか人の気配がしない。
 女性は案内が終わると会釈をして受付へと戻っていった。部屋には小さな机と椅子、二台の清潔感のある寝台が置いてある。
 僕は部屋に入り、近場の寝台に腰を下ろし、一息吐く。クラルスは周りに人気がないか確認をして扉を閉めた。

「……さすがに神殿内までは追ってこないでしょう」

 クラルスは心配そうに僕を見ている。
 安全なところに来られて張り詰めていた気が緩んだのか涙が頬を伝う。袖で拭っても次から次へと溢れ出し、止めることができなかった。
 安堵、悔しさ、悲しさ、様々な感情が混ざり合って涙となって流れる。

「……リア様……」

 クラルスの前で僕は構わず涙を流し続けた。
 城の出来事が蘇る。あの時、もし魔法が使えていたのなら父上と母上を助けられたのかもしれない。素直にガルツに月石を渡していれば、父上と 母上が死なずに済んだのかもしれない。後悔だけが残り、今となってはどうすることもできない過去になってしまった。

「何で僕が生きているの……。僕なんてこの国に必要ないのに生きている意味なんて無かったのに……どうして……」

 今まで思っていても家族が悲しむからと口にはしなかったことを吐き出す。
 生まれてから僕に価値も意味もなかった。いらない王子と言われ、蔑まれ、軽んじられていても、父上と母上が僕に居場所を与えてくれたから前 を向いていられた。
 温かい大きな手で頭を撫でてくれた父上。優しく抱きしめてくれた母上。二人の笑顔が蘇る。
 唐突に僕の日常は引き裂かれ、闇に突き落とされた。今の僕に生きている意味はあるのだろうか。
 クラルスは静かに僕の隣に座ると何も言わずに優しく抱きしめる。僕はクラルスの胸にしがみついて涙が枯れるまで泣き続けた。


2020/03/08 up
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