プリムスの伝承歌

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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第5曲 結びの伝承歌

「ヴァレンス・コーネット様ご帰還でございます!」

 謁見室の重圧な扉が開かれると、金の短髪に髭をたくわえた風格のある男性が姿を現す。

 最近ルナーエ国の国境線付近で、南の隣国オリヴェート国に不穏な動きがあった。そのためコーネット卿が警備に配置された。
 小競り合いが起きるのかと思っていたが杞憂だったようだ。

 今日は国境警備の遠征から帰還したコーネット卿の報告を聞くために謁見へ同席している。
 彼は赤い絨毯(じゅうたん)の 上を堂々と歩く。母上のいる上段近くまで来ると、うやうやしくひざまづいた。

「陛下ご機嫌麗しゅうございます。ヴァレンス・コーネット。帰還いたしました」
「コーネット卿。長い遠征ご苦労でした。楽になさい」

 コーネット卿は顔をあげると遠征の報告を始めた。
 オリヴェート国軍は国境線付近まできていたようだ。しかしコーネット卿が配備についてから一週間ほどで撤退したらしい。
 他国にも名将校コーネット卿の名は知られている。うかつに手は出せないだろう。
 その後二週間、警備についていたが何事もなく任期を終えたそうだ。

「あなたが警備についてくれたおかげで、オリヴェート国軍は撤退したのでしょう」
「もったいないお言葉ありがとうございます」
「ご家族も待っていますでしょう。しばらく休暇をとって一緒にいてあげてください」
「ご配慮、感謝いたします。陛下と騎士団長の命でしたら、いつでもはせ参じますので、ご任命ください」

 コーネット卿の力強い言葉、堂々とした振る舞いに頼もしさと憧れを感じていた。
 父上がコーネット卿から報告書を受け取り、謁見は終了した。扉が閉まると母上は僕たちにほほ笑む。

「リア、セラ。ご苦労でした。下がっていいですよ」

 母上の言葉を聞くと、セラはルシオラをつれて足早に謁見室を出ていく。隣にいたセラは終始そわそわしていて笑ってしまいそうだっ た。
 セラの行動を見て母上と父上は苦笑している。

「本当、セラはコーネット卿の話が好きですね」
「リア。セラのことを見てきてくれ」
「はい。かしこまりました」

 母上と父上に会釈をして、クラルスとともにセラのあとを追った。

 セラはコーネット卿が遠征へいったときの話が好きだ。いつも謁見が終わったあとに呼び止めている。
 特に、景色や動物の話が好きでセラは目を輝かせていた。
 僕もコーネット卿の話は好きだが、気を使って遠慮していることが多い。
 さきほどのように僕がセラと一緒に出ていかないと、「セラを見てきて」という名目でコーネット卿の元へいかせてくれる。

 一階へ降りると案の定、階段近くの回廊でセラはコーネット卿を捕まえていた。
 セラは僕を見ると手招きをする。わざと呆れた表情をしてセラたちのそばへ歩んでいく。

「リア! 遅い!」
「”遅い”じゃないでしょう。コーネット卿。毎回遠征のあと、お疲れですのにすみません」
「いいのですよ王子殿下。こうして遠征のあと、お二人とお話できることは私の楽しみですから」

 コーネット卿は嫌な顔をせずに毎回話をしてくれる。それに僕も甘えてしまって、いつもセラと一緒に遠征の話を聞いていた。

「クラルス。ルシオラ。ふたりとも立派に護衛任務を果たしているな。教え子が成長してうれしいぞ」
「コーネット様。また剣術のご指導よろしくお願いします」

 クラルスの言葉にコーネット卿は笑みを浮かべる。

「もう私はお前たちには敵わないぞ。年は取りたくないものだな」

 ルシオラは苦笑しながら言葉を紡いだ。

「何を仰っていますかコーネット様。私たちはまだまだ教えてもらいたいことがたくさんありますよ」

 クラルスとルシオラはコーネット卿のことをとても慕っている。
 人柄の他に戦の面では指揮の的確さや臨機応変の対応に、母上と父上も頼りにしていた。
 剣術も戦いが専門である星永(せいえい)騎 士に負けず劣らずだ。近々、星永騎士の称号も与えられるのではないのかと 噂になっている。

「コーネット卿! 中庭でお茶をしながら、お話きかせてください!」
「えぇ。僭越ながらご同席させていただきます」

 セラは急かしながらコーネット卿を中庭へと誘った。




 僕とクラルスは外套(がいとう)を まとい、リュエールさんスレウドさんとともにランシリカの街へ足を踏み入れる。
 きれいに舗装されている石畳と、規則正しく並んでいる家屋が印象的な街並。街の奥にはランシリカの兵舎が見えた。
 僕たちは目立たないように入り口の端へ移動する。

「さてと、まずは情報収集ね。いきなりコーネット卿を訪ねてリアが捕まったら元も子もないわ」
「そうだな。露店市場にいって誰かに聞いてみるか」

 近くにあった街の案内板を見ると、西のほうに露店市場があるようだ。
 他にも宿屋が三軒、宝石屋が二軒、武具屋や雑貨屋などの店が充実している。大きな街なのだということがうかがえた。

「リアとクラルスは私たちと少し離れたところにいてね。コーネット卿のことを聞き回っていて怪しまれる可能性があるから」
「わかりました」

 リュエールさんは肩に止まっているカルムの背中をなでる。

「カルム。自由にしてていいわよ」

 カルムは短く鳴くと、大空へ舞い上がった。カルムを見送り、さっそく僕たちは露店市場へと足を運んだ。夕刻が近いので主婦や子連 れが多く、賑わっている。
 行き交う人々は活気にあふれており、みんなの笑顔がまぶしく感じた。

 リュエールさんとスレウドさんは、威勢のいい声で呼び込みをしている青果店の前で足をとめる。
 並んでいる蜜柑(みかん)を 買い、そのついでに話を聞くようだ。僕とクラルスは少し離れた建物の陰から会話に耳を かたむける。

「お兄さん。私たちコーネット卿に面会予定があって、この街に来たのだけれどお屋敷はどこかしら?」
「もう俺はおっさんだよ、お嬢さん。コーネットさんの屋敷は東大通りの奥だ。大きいお屋敷だからすぐにわかるぞ」
「ありがとう。新鮮な果実を売っているのね。このお店に来てよかったわ」
「おみやげに柚子を持っていくといいぞ! コーネットさんは柚子が好きだからな!」

 リュエールさんは話が上手だ。男性は店をほめられて上機嫌になっている。

「考えておくわ。コーネット卿ってどんな方かしら? お会いするの初めてなの」
「コーネットさんは人情あふれるいい人だよ。他の街じゃあ貴族同士のいざこざを聞くが、ランシリカはコーネットさんがしっかりして いるから平和だよ」

 コーネット卿はランシリカの人々から愛されている人なのだと感じた。懸命に訴えればコーネット卿は僕が濡れ衣だと信じてくれるか もしれない。そんな期待が胸の中で大きくなっていく。

「最近、王都で謀反があったわよね? ここにも情報が入っているの?」
「もちろん。大きな街だからすぐに掲示板へ知らせが張り出されたよ。しかし王子がねぇ……。いつかはこんなことになるとは思ってい たがな」
「どういうこと?」
「もっと昔は王子が生まれただけで非難囂々(ひなんごうごう)だっ たさ。実の親である女王陛下にも(さげす)ま れていたしな。こんな 世に産んだ親を殺してやり たいって、謀反が起きてもしかたなかったってことさ。今はどうか知らないけど結局これだろう。まだ王女様が生き残っていただけよかった よ」

 男性は淡々と話し、リュエールさんへ果実を詰めた袋を渡した。
 王族のことは一般市民が知る余地はない。僕は両親を殺してもおかしくない人だと思われていて、胸に悲しさがあふれる。
 うつむいているとクラルスの手が肩に乗った。彼のほうを向くと心配そうに見ている。
 リュエールさんは肯定も否定もせずに、ただ男性の話を聞いていた。

「こんなことになるなら、早くよその国へ出すか病死と見せかけて殺せばよかったのにな。昔だってそうだったのに。王子ひとりの命で 俺ら一般市民の平和が保たれるなら安いもんだろう」
「……。コーネット卿は今回の謀反どう思っているのかしら?」
「特にコーネットさんが何かしている様子はないぞ。でも忠誠を誓っていた女王陛下と騎士団長様が殺されて怒り心頭かもな」
「そう……。いろいろ聞かせてくれてありがとう」

 リュエールさんは愛想笑いをしてスレウドさんとともに青果店から立ち去った。
 さきほどの男性の言葉が頭の中を巡っている。僕はこの国に必要がない人間ということはわかっていたつもりだった。
 間近で聞いた言葉の刃に心がえぐられる。
 国民の人たちは心の中で僕を殺せと思っていたのではないだろうか。

 不意にクラルスに肩を掴まれて、彼のほうへ向かされる。驚いてクラルスを見ると真剣な表情をしていた。

「リア様。あの者の言葉をお気になさらないでください。皆があの者と同じ思いをリア様に抱いているわけではございません」
「……わかっているよ」

 うまく笑えただろうか。クラルスはいまだに硬い表情をしている。

「リア様。あなたは私の主です。私には、あなたが必要です」
「クラルス……。ありがとう」

 彼の優しさに自然と笑えた。いつもクラルスは心の支えになってくれている。彼の言葉で、どれだけ助けられているのか知らないだろ う。
 クラルスは柔らかくほほ笑み、肩から手を離した。

「リュエールさんたちと合流しましょう」

 僕たちは急ぎ足で露店市場の入り口へ向かった。

 入り口ではリュエールさんとスレウドさんは僕たちを探すようにあたりを見渡している。

「リアたち、こっちだ!」
「お待たせしてすみません」
「はぐれたかと思ったわ。いちおうコーネット卿の情報が聞けてよかったけど……」

 そこで言葉を止めると、彼女の眉がつり上がった。

「あのおっさんリアのこと知らないくせに好き勝手いって本当腹が立つわ! 顔面に蜜柑をめり込ませてやりたかったわよ!」

 リュエールさんは蜜柑の入っている袋を破く勢いで掴んでいる。それを見てスレウドさんは苦笑していた。

「知らないことを好き勝手いうのが人間だ。あんなことを思っているのは一部の人間さ。リア、気にすんな」

 スレウドさんは大きな手で僕の頭を乱暴になでる。城にいたとき、あまり他人から優しくされたことがなかった。ふたりの優しさがこ そばゆく感じる。

 コーネット卿の屋敷の場所もわかったので、これからどうするのか話し合う。
 露店市場の入り口の端に置いている長椅子へ座る。リュエールさんから、さきほど買った蜜柑を手渡された。
 蜜柑をむいてひと房頬張ると、柑橘類の爽やかな香りと、甘酸っぱい味が口の中に広がる。
 旅の疲れも忘れてしまいそうなくらい美味しい。

 彼女も売っていた男性は気に入らないが、蜜柑はおいしいと絶賛している。スレウドさんは蜜柑を豪快に頬張りながらリュエールさん へ問いかける。

「リュエール。これからどうするんだ?」
「そうね。コーネット卿は、掲示板の内容に疑問を持っていて動いていないかもしれないわ。事情を説明すれば協力してもらえそう」

 僕もそうであってほしいと願っている。コーネット卿は今の僕をどう思っているのだろうか。
 もし会えたら、あの日の夜のことを話してみよう。

 不意にクラルスが僕とリュエールさんの前に立った。

「どうしたのクラルス?」

 首をかしげると、彼は口の前で人さし指を立てる。クラルスが目配せをしたほうを見ると、ミステイル王国の兵士が数名歩いていた。 兵 士たちは露店市場のほうへ行くようだ。
 彼は正体が露見しないように目隠しになってくれていた。
 目を合わせないように顔を伏せる。ここで見つかるわけにはいかない。
 ミステイルの兵士たちはクラルスの後ろを通りすぎると、露店市場の人混みにとけていった。
 胸をなでおろして、短いため息をつく。

「ミステイルの兵士がうろついているな……」
「よく堂々と歩いているわね。何しに来たのかしら」
「あっちは王女を傀儡(かいらい)に してやりたい放題だな」

 セラは今どうしているのだろうか。ガルツの手の届くところにいるので心配だ。
 早くセラを助け出して抱きしめてあげたい。セラに会いたいという渇望に胸を焦がしていた。

 ミステイルの兵士が周りにいないことを確認して、僕たちはコーネット卿の屋敷へ向かう。

 リュエールさんとスレウドさんのあとを歩き、コーネット卿の屋敷前までたどり着いた。
 外壁に囲まれ、手入れされた庭に立派な門構え。大貴族であるということを表している。
 僕たちは門をくぐり、リュエールさんが玄関の扉を叩く。しばらくすると執事らしき初老の男性が姿を現した。

「何用でしょうか?」
「突然お伺いして申しわけありません。ヴァレンス・コーネット卿とお話がしたいのですが、お取り次ぎできますか?」
「旦那様はただいま外出をしております」

 コーネット卿はあいにく不在のようだ。いつ帰ってくるのかわからないらしい。
 日を改めようと立ち去ろうとしたとき、僕たちの後ろから重圧な声が聞こえた。

「客人かね?」

 金色の短髪にひげをたくわえた風格のある男性。ヴァレンス・コーネット卿だ。
 僕たちは会釈をしてリュエールさんが言葉を紡ぐ。

「はじめまして。私、星影(せいえい)団 を率いる団長のリュエールと申します。このたび折り入って話がありまして訪問 いたしました」
「星影団……」

 星影団の名を聞いて、コーネット卿は眉をよせた。星影団は貴族の間で悪い噂が流れているため、よく思われていないだろう。
 リュエールさんは周りを確認したあと、僕に目配せをした。頭にかぶっていた外套の布を取ると、コーネット卿は目を見張る。

「お久しぶりですコーネット卿。突然お伺いして申しわけありません」
「お……王子殿下!? ここは目立ちます。中でお話をお伺いしましょう」

 コーネット卿に客室へ案内された。騎士を呼ばれて捕縛するということはなさそうだ。
 僕とリュエールさんは席に着き、クラルスとスレウドさんは僕たちの後ろへ立つ。

「王子殿下。ろくにおもてなしをできず、申しわけありません」

 眉間に皺を作ってコーネット卿は席に着いた。

「いえ、お気持ちだけいただきます。今日はお願いがありましてお訪ねしました」
「お願いとは……」

 彼は不安そうな表情をしている。
 貴族に悪い噂が立っている星影団の団長と、両親殺しを流布されている僕からのことだ。コーネット卿にとって、よくないことだと 思っているだろう。
 リュエールさんに視線を送ると頷いて言葉を引きついだ。

「私たち星影団はミステイル王国の第二王子ガルツに乗っ取られた王都と、幽閉されているセラスフィーナ王女殿下をお救いするために 挙兵しました」
「先日ユーディアの廃村付近で戦があったのはあなたたちでしたか。そしてミステイル軍を退いたことも私の耳に入っています」

 現在、星影団の拠点であり、クラルスの故郷はユーディアという名前だった。
 先日の僕たちの戦いは噂になっているようだ。リュエールさんは言葉を続ける。

「策を巡らせ、何とか退(しりぞ)け ましたが、兵力にも限界があります。ルナーエ国をミステイル王国の侵略から守る ために、コーネット卿のお力を借りられないでしょうか?」

 コーネット卿は突然の僕たちの申し出に困惑している。彼の立場からすれば、反乱分子から協力を要請されていることだ。
 しかし、コーネット卿なら協力してもらえるのではと期待してしまっている。

「……申しわけありませんが、お力になることはできません」
「本当に、王子殿下が陛下たちを手にかけたと思っているのですか?」

 コーネット卿の返事に気落ちしてしまう。
 リュエールさんは声色を下げて、コーネット卿に言葉を投げかける。彼は厳しい表情をしたまま口を開いた。

「私は……何が真実かわかりかねます」
「では……」
「さきほど兵舎で会議中に王都からの使者が来まして、書面を渡されました。セラスフィーナ王女殿下から反乱分子掃討のため、ランシ リカ全騎士の招集命令です」

 露店市場ですれ違った王国兵が書面を渡しに来たのだろうか。セラからの書面といえども、裏ではガルツが糸を引いていることは明ら かだ。
 僕たちはいつも後手になっていることが悔しい。

「コーネット卿。あの騒動以来、王都へいかれましたか? セラと直接会えたのでしたら様子を教えていただきたいです」
「騒動を聞いたあと、すぐ王都へ向かいました。しかし、城には誰も入れるなと王女殿下からのご命令があり、お会いすることは叶いま せんでした」

 コーネット卿さえセラに会えないとなると、城内はミステイル王国の兵士で埋め尽くされているのだろう。
 ルシオラの安否がまだわからないが、セラの心の支えになっていると信じている。
 セラに早く会いたい、救いたいという気持ちばかりが募っていく。
 隣からの視線に気がついて横を向くと、リュエールさんが心配そうな顔で見ていた。
 コーネット卿は短いため息をついてから、言葉を紡いだ。

「星影団は我が国を守るために奮起しているでしょうが、私の立場からすれば王女殿下と同盟国に対する反乱分子でしかありません」
「みんな、ガルツに騙されています。このままですとルナーエ国はミステイル王国の属国になってしまいます」
「証拠はあるのですか?」
「……それは」

 証拠はない。確証がなければ、いくら言葉を並べてもコーネット卿は信じてくれないだろう。
 しかし、コーネット卿に懐いていたセラが面会を拒むのはおかしいと思っているはずだ。
 押し黙っていると、リュエールさんが声を上げる。

「証拠がなければ信じてはいけないのですか?」
「あなたはまだお若いですな。少なからず上に立つ者としてわかるはずです。私やあなたのひと声で、下の者すべての命運をわけること を……」

 星影団に協力をすれば、ランシリカの人々まで反乱分子としてガルツから攻撃を受けるかもしれない。
 確証のないことで、ランシリカを危険に晒すような行動はできないだろう。

「私は挙兵をしたことに後悔はありません。あなたほどの方なら、このままではルナーエ国がどうなってしまうのかわかると思います。 この国を愛した陛下や騎士団長様への忠誠心はどうされたのですか?」

 言葉が見つからず、ふたりのやりとりをただ見ていることしかできなかった。

「そうです。私の忠誠心は女王陛下と騎士団長様にあります。失礼ですが王子殿下にはございません。このお話はランシリカの民の命に かかわることです。そうやすやすと受け入れるわけにはいきません」
「コーネット卿……」

 淡々とした口調でコーネット卿は言葉を続ける。

「酷いことをいいますが、次期女王である王女殿下は幸い無事です。王位継承権のない王子殿下がどうなろうと関係ありません」

 優しいコーネット卿にそんなことを言われるとは思わなかった。僕が今していることは無意味なのだろうか。ただ人々を苦しめている だけなのだろうか。
 俯いていると、頭上から言葉が落ちてくる。

「コーネット様。私たちを退けるための偽りの言葉だとしても、それは聞き捨てなりません」

 クラルスの声色で怒っていることがすぐにわかった。ふだんの彼なら立場が上の人に対して意見はしないのだが、僕のことになると見 境がなくなる。

「クラルス……」
「おまえも若いが地位のある騎士だ。わかるだろう。私の立場と現状を……」

 コーネット卿は、クラルスに厳しい眼差しを向けている。

「えぇ、ご理解できます。コーネット様のお立場と、どれだけ人情あふれる方でランシリカの民を愛しておられることも。他の貴族とは 違い、リア様を気にかけてくださっていたことも……」

 クラルスはひと呼吸をおいて言葉を紡いだ。

「リア様はコーネット様でしたらと信じてお訪ねしました。それですのに……さきほどの言葉はあまりにも冷酷です」

 部屋の中はしんと静まりかえり静寂に包まれる。コーネット卿は一度目を伏せたあと、椅子から立ち上がった。

「……日も暮れてきました。宿を用意しますのでお引き取りください。そしてこの街には二度と近づかぬようお願いします。これが私の できる最大限の配慮です」

 コーネット卿は僕たちに目を合わせず部屋をあとにした。

 沈黙の中、リュエールさんのため息が聞こえる。
 突然訪ねてきた僕たちの話を信じろといわれてもできないだろう。コーネット卿の立場を考えたらしかたないことだ。

「リア……。嫌な思いをさせてしまったわね」

 リュエールさんは申しわけなさそうな顔をしていた。いろいろ言われることはなれている。
 しかし、僕を今まで気にかけてくれていたコーネット卿に拒絶され、気持ちは沈んでいた。
 クラルスは眉を下げて僕を見ている。

「リア様……。余計なことを口にしてしまい、申しわけありません」
「ううん。僕のためにしてくれたことなのはわかっているよ。ありがとう、クラルス」

 彼にほほ笑むと、表情が少し和らいだ。

 しばらくすると執事が姿を現す。宿の手配ができたそうだ。
 執事に案内され、玄関の広間まで来ると二階へ続く階段から声が聞こえてきた。

「あー! やっぱり星永(せいえい)騎 士だ!」

 声のしたほうを向くと七、八歳くらいの金髪の少年が階段からこちらを見ている。少年は目を輝かせて勢いよく降りてきた。

 クラルスの羽織っている外衣は星永騎士のみに支給されているものだ。遠目でもすぐにわかったのだろう。
 執事が戸惑っていると、コーネット卿が姿を現す。

「部屋にいなさいと言ったでしょう!」

 コーネット卿のご子息なのだろう。クラルスの前までくると「本物だ!」と跳ねてはしゃいでいた。
 クラルスは少々困った顔をしている。
 騎士に憧れている少年は多く、その中でも星永騎士は特に注目されているのでしかたない。コーネット卿は足早に僕たちのところまで やってきた。

「うちの愚息が申しわけない」
「いえ。元気なご子息ですね」

 クラルスは少年にほほ笑む。少年は僕に視線を移してじっと見ていた。どうしたのかと首を傾げると、声を上げる。

「もしかして王子様?」
「えっ……えっと」
「ねぇ! 王子様でしょう! 僕、見たことあるもん!」

 少年と直接会ったことはないが、遠目で僕を見かけたらしい。
 王都に来たときにでも教えてもらったのだろうか。

 僕が両親を手にかけたと流布されていることは、幼い子には認知されていないようだ。そのためコーネット卿はご子息の前で僕たちを 無下に扱えない。
 僕たちもコーネット卿に気づかい、いつもどおりに接することにした。

「すごい! 王子様と星永騎士がいる! 何で!?」
「リエル! きちんとあいさつなさい!」

 コーネット卿にぴしゃりと言われて、少年は僕とクラルスを見据えて姿勢を正した。

「はじめまして! リエル・コーネットです!」

 元気のいいあいさつに、思わず口元が緩んだ。クラルスと顔を見合わせてほほ笑み、リエルへあいさつをする。

「はじめまして。ルナーエ国第一王子、ウィンクリア・ルナーエです」
「王子殿下専属護衛、星永騎士クラルスです」

 リエルは僕たちのあいさつを聞いて、目を輝かせながらはしゃいでいる。不意にリュエールさんたちのほうを向いて怪 訝(けげん)な顔をした。

「お姉さんとおじさんも王子様の護衛?」
「おじ……さん……!?」

 スレウドさんの顔が引きつっていた。
 リエルの言葉を聞いてリュエールさんはくすくす笑っている。僕からすればスレウドさんはお兄さんなのだが、幼い子から見るとおじ さんなのだろう。

「王子様! 僕、父様みたいな立派な将校になる! あとね、星永騎士にもなるよ!」
「それは頼もしいな。リエルが騎士になってくれたら国も安心だよ」
「本当!? いつかクラルス様みたいな選ばれた星永騎士になりたいな!」

 クラルスの肩書きである”専属護衛”という響きがよかったのだろうか。リエルは彼に憧れの眼差しを向けている。
 リエルの胸に勲章がつけられていることに気がついた。将校の勲章だが自作のようだ。コーネット卿に憧れて作ったのだろう。

「リエルの勲章は自分で作ったの?」
「うん! いつか本物の勲章を胸につけるんだ!」

 将来の夢をふくらませているリエルを見ていると、思わず表情が和らぐ。

「リエル君ならきっと立派な騎士になれますよ」
「リエルが騎士になるのを楽しみにしているね」

 リエルは無邪気にコーネット卿の周りをくるくる回っていた。彼と同じ目線になるように腰を下ろす。

「リエル。今日はお忍びで来たんだ。僕たちがお家に来たことは内緒にできるかな?」
「うん! 王子様との約束守るよ!」

 念のためリエルに口止めをした。もし僕たちが来たことが露見してしまったら、コーネット卿の立場が悪くなってしまう。

「では、コーネット卿。僕たちはこれで失礼します」
「はい……。王子殿下申しわけございません」

 執事から宿の地図をもらい、僕たちはコーネット卿の屋敷をあとにした。
 夕刻の街は朱色に染まり、影が引き伸ばされる。

「さて、宿に行って休みましょうか」
「おい、リュエール。用意した宿とか怪しくないか?」
「コーネット様はそのようなことはしないと思いますが、念のため注意はすべきです」

 スレウドさんとクラルスは不安を口にしている。
 コーネット卿から協力を拒まれてしまったのでふたりがそう思ってしまっても仕方ない。しかし、リュエールさんは構わず宿のほうへ 歩き出した。

「可能性はあるけど、確証がないわ。それより星影団の拠点へ行ったほうが危険よ」

 この街にも星影団の拠点があるみたいだ。彼女は誰かにつけられている可能性を考えているのだろう。
 僕も少し不安はあるが、コーネット卿がわざわざ用意をしてくれたので無下にしたくない。

 リュエールさんの後を追い、僕たちは宿へ入る。

 宿は、一階に食堂が併設されており、人々が絶え間なく出入りをしていた。
 受付にコーネット卿の名前を伝えると、部屋の鍵を渡される。番号を確認すると二階の一番奥の部屋のようだ。

 部屋の前に着くと、クラルスは安全を確認するために先に入室をした。しばらくすると彼に呼ばれ、室内へ入る。
 四台の清潔感のある寝台と、少し大きめの机に四つの椅子がある部屋だ。
 リュエールさんは椅子に座り、僕は近くの寝台へ腰をおろした。

「明日もう一度コーネット卿のところへ行きましょうか」
「また行くのか? あのおっさん取り合う気はなさそうだぞ」

 寝台に寝転んでいるスレウドさんは、あまり乗り気ではない。

「リアのことを本気で疑っているなら、門前払いされるか騎士を呼ばれていたわよ。コーネット卿も王都の状況に疑問をもっているかも しれないわ。少し粘ってみましょう」
「あの……リュエールさん。明日帰りませんか?」
「えっ。どうしたのリア?」

 リュエールさんは怪訝な顔を僕に向ける。
 確かにコーネット卿を味方にできれば星影団の戦力強化になる。しかし、ランシリカの人々を戦火に巻き込むことになってしまう。
 ランシリカの人々の平和を奪ってしまうことに罪悪感が湧き上がっていた。

「ランシリカの人たちを戦いに巻き込みたくないです。何か他の方法を考えませんか?」

 リュエールさんは厳しい表情になり、僕を見据える。

「ここで交渉が上手くいかなかった場合、コーネット卿と戦で対峙する可能性が高いわ。あなたはコーネット卿に剣を向けられる?」
「……それは」

 リュエールさんへの返事に詰まってしまう。考えが甘いことはわかっていた。
 僕たちがコーネット卿への交渉が失敗すれば、王都へ招集される。近いうちに星影団を掃討するために騎士を率いてくるだろう。
 名将校であるコーネット卿の指揮と統制された騎士たちには、とうてい敵わない。
 この交渉は星影団の命運がかかっていた。

 何を選択すればいいのか、どの選択が正しいのかわからない。

 母上、父上ならどのような決断をしたのだろうか。今まで女王陛下、騎士団長として人々の命がかかった選択は何度も突きつけられて きただろう。
 今、その役目は生き残った王族として僕とセラが背負う。決断をしなければならない重圧に押しつぶされそうで胸が苦しい。

 リュエールさんからそっと目をそむけた。しんと静まりかえり気まずくなる。
 突然、彼女は立ち上がり、扉のほうへ視線を移した。どうしたのかと思っていると、リュエールさんは声を上げる。

「クラルス! 外に怪しい人はいない? 確認して!」

 窓際にいたクラルスは、ひととおり外をながめると、リュエールさんへ向き直った。

「いえ、怪しい人はいません。どうかなさいました?」
「窓から逃げるわよ!」
「えっ!?」

 リュエールさんの言葉に動揺する。彼女だけ何か感じ取っているのだろうか。

「いいから早く!」

 クラルスが急いで窓を開けて、僕たちは外へと脱出する。
 慌ててひと気のない路地へ身を隠した。僕たちがいた宿の部屋を見ていると、十名ほどの男たちがなだれ込んできた。

「リュエール。やっぱり捕まえに来たじゃねぇか」
「あの男たちミステイルの兵士でもランシリカの騎士でもないわ。……傭兵かしら」

 男たちは、人がいないことを確認すると部屋から出ていった。誰かに頼まれて僕たちを捕まえに来たのだろうか。今度は街中を探すか もしれない。
 早くなっている心臓の鼓動を落ち着かせようと深呼吸をする。

「リュエールさん。よくわかりましたね。足音が聞こえるまで気がつきませんでしたよ」

 リュエールさんに言われるまでは人の気配を感じ取れなかった。経験の差なのだろうか。

「ちょっとした罠を張っていたのよ」

 彼女はシトリンの魔法で、部屋から宿の入り口まで床に雷の線を張っていたらしい。足音を関知してわかったそうだ。
 魔法にもいろいろな使い方があるのだと感心する。

「さてと、宿は使えないから拠点に行くしかなさそうね」

 スレウドさんだけ別行動で先に拠点まで行き、安全を確認するそうだ。
 リュエールさんは指笛を吹くと、カルムが降りてくる。どうやら近くにいてくれたようだ。

「スレウド。拠点が安全だったらカルムを飛ばしてちょうだい」
「わかった。いくぞカルム」

 カルムはスレウドさんの肩に移動する。彼は裏路地を辿り南のほうへ向かっていった。

 僕たち三人は街を一周してから拠点に向かう。万が一あとをつけられるなら十中八九、僕たちのほうだ。
 リュエールさんを先頭に路地を歩き始める。
 街は夜の色が落ち始めていた。しばらく歩いていると、後ろから行き交う人々とは別の気配がする。

「……つけられていますね」
「うん。何人かな?」
「間違えても振り向いちゃだめよ。気取られないようにね」

 明らかに僕たちを追う気配がする。人数は把握できないが、複数人につけられていた。
 リュエールさんは何度か同じ路地を歩いている。何か考えがあるのだろうか。

「この先を右に曲がったら、左に路地があるわ。そこまで走って」

 右に曲がった瞬間、彼女は立ち止まり僕たちの背中を押した。僕とクラルスは戸惑ったがリュエールさんの指示どおりに走る。それと 同時に追ってきていた足音も走り出した。
 彼女に言われた場所を曲がると、その先は行き止まりだった。

「リュエールさん! 行き止まりですよ!」

 僕たちは引き返そうと、慌てて身をひるがえす。まだ追っ手はきていない。
 しかし、あとから来たリュエールさんが、木箱の上にあった水瓶に腕をあててしまった。水瓶は木箱から落ちて、大きな音とあたりに 水が撒き散らされる。
 音を聞きつけたのか、男たちが道を塞ぐように現れた。ばしゃばしゃと水を踏みながら路地へなだれ込んでくる。
 クラルスは僕とリュエールさんを庇うように前に出た。

「おまえたちお尋ね者の王子と護衛だろう。大人しく一緒に来てもらおうか」
「あなたたちには指一本触れさせませんよ!」

 クラルスが剣に手をかけたとき、リュエールさんは手で制して前に出た。何をするつもりなのだろうか。

「あなたたち誰の差し金?」
「俺たちがそれを答えると思うかい、お嬢さん」
「そう、ならいいわ」

 彼女は男たちに近寄っていく。先頭にいた男が剣を振るったが、リュエールさんは姿勢を低くして避けた。
 同時に彼女は左手を石畳につけると激しい雷撃と閃光が走る。男たちは悲鳴を上げて次々と倒れた。

「騒ぎになる前に移動するわよ!」

 リュエールさんにうながされ、僕たちは裏路地から脱出した。しばらく走り、またひと気のない路地へ身をひそめる。
 彼女は周りを確認して安堵の息をもらした。どうなるかと思ったが、追手を振りきれたようだ。

「リュエールさん。怪我はないですか?」
「大丈夫よ。ちょっと相手に乱暴だったけど、あのままじゃ拠点にいけなかったわ」

 確かにどこかで彼らを振りきらなければいけなかった。クラルスは呆れた顔でリュエールさんに言葉を投げかける。

「リュエールさん。袋小路に誘導したのも、水瓶を落としたのもわざとですね」
「あら、よくわかったわね」

 けろりとした表情で彼女は答えるので、呆気に取られてしまう。まさかすべてリュエールさんが仕組んだものだとは思わなかった。

「リュエールさん。心臓に悪いですよ……」
「リア。だますならまずは味方からよ。緊張感あってはらはらしたでしょう?」
「今度は教えてくださいね」
「善処するわ」

 彼女はいたずらな笑みを浮かべている。ひと息ついたところで、小さな羽音が聞えたと同時に肩へ何かが乗った。

「カルム! おかえり」

 カルムの頭をなでると、目を細めた。僕たちの元へ来たということは拠点の安全が確認されたようだ。
 リュエールさんの案内で拠点へと向かう。すっかり日は落ちており、あたりは家からもれる光だけになっている。
 街の入り口付近の民家前でスレウドさんが待っていた。

「リュエール。ずいぶん遅かったな。大丈夫か?」
「案の定、追っ手が来ていたわ。振り切ってきたから大丈夫よ」

 彼女にうながされ、僕たちは民家へと足を運んだ。家の中には一組の老夫婦が出迎えてくれた。

「リュエちゃん大変だったね」
「おじさん、おばさん。お久しぶりです。今晩はお世話になります」

 この人たちも星影団の団員なのだろうか。老夫婦は僕とクラルスに視線を移したので会釈をする。

「あなたが王子様ですか。よくご無事で……」
「突然お邪魔してすみません」
「王子様を拝見するのは初めてですが、女王陛下によく似ていらっしゃいますね。何もありませんがゆっくり休んでください」
「ありがとうございます。ご配慮、感謝します」

 リュエールさんに案内され、廊下のつきあたりにある地下への階段を降りていく。
 地下には広めの部屋に六台の寝台と机がひとつ置いてある。まさか民家の地下が星影団の拠点になっているとは思わなかった。

「あのご夫婦は星影団の団員ですか?」
「違うわ。厚意でここの地下だけ貸してもらっているの。その代わり力仕事は無償で引き受けているわ」

 立地的にも、街の入り口が近いので便利なのだろう。ランシリカの貴族問題はほとんどないので寝泊まりで使っている団員が多いらし い。

 僕たちはそれぞれ寝台へ腰をおろした。

「リュエールさん。魔法を使いましたけど魔力は大丈夫ですか?」

 クラルスが倒れて以来、魔力を気にしてしまう。あまりにも心配そうな表情をしていたのか、リュエールさんは僕の顔を見て笑ってい る。

「あのくらい大丈夫よ。それに私の宝石は原石欠片(オプティア)な の。その気になれば一週間くらいは付与していられる わ」

 リュエールさんもクラルスと同じ宝石階級のようだ。彼女は短いため息をついて、話を始めた。

「さて。逃げることですっかり話が切れてしまったけど、明日もコーネット卿へ交渉しにいくわ」
「……そうですか」

 団長であるリュエールさんの意見なので従うしかない。街の人々のことを考えると気持ちが沈んでしまう。
 肩に止まっているカルムが、僕の気持ちを察しているのか心配そうに見ていた。

「リア。勘違いしないでね。私たちも好きで戦争に巻き込むわけじゃないわ。もし明日コーネット卿との交渉が決裂したらいさぎよくひ く。それでいいかしら?」
「……わかりました」

 明日僕はコーネット卿に何と言えばいいのだろうか。星影団としては協力してほしい。コーネット卿とランシリカのことを思うと身を ひきたい。
 思いが交錯するなか、寝台に横たわり眠りについた。



 次の日の朝、僕たちは老夫婦にあいさつを済ませて、拠点をあとにする。
 外へ出ると朝日とすがすがしい空気が僕たちを出迎えてくれた。クラルスの肩に止まっていたカルムが元気よく羽ばたき、大空へ飛び 立つ。

「カルム。自由にしていていいわよ!」

 リュエールさんの言葉に応えるように短く鳴くと、近くの森へ姿を消した。

「カルムはリュエールさんの言葉をよく理解していますね」
「自慢の相棒よ」

 カルムを見送ったあと、僕たちはコーネット卿の屋敷へ向かった。
 門をくぐろうとしたとき、足先に何かがあたる。拾い上げるとそれは将校の勲章だ。本物ではなく手作りのもの。それは昨日、見覚え があった。

「これは……。リエルがつけていた勲章。どうしてこんなところに」

 落としてしまったのだろうか。今ごろリエルは家中探しているかもしれない。
 勲章を持ち、玄関の扉をリュエールさんが叩く。かすかに話し声はするが、いっこうに扉が開かれる気配はなかった。彼女は扉を強め に叩くと、執事が顔を出した。

「あぁ。あなた方は! 今、旦那様は取り込み中です。お引き取りください」
「では、これをリエルに渡してください。門の前に落ちていました」

 手作りの勲章を執事へ差し出すと、顔をゆがめた。どうしたのかと思い首を傾げる。彼を見つめると重苦しい口を開いた。

「やはりリエル坊ちゃんは本当に……」
「あの、何かあったのですか?」

 執事が口ごもっていると、コーネット卿が姿を現した。

「王子殿下なぜこちらに!? そこですと目立ちますので中へお入りください」

 彼にうながされ玄関先の広間へ移動する。コーネット卿はずいぶん慌てた様子だ。何があったのだろうか。

「コーネット卿。何かあったのですか?」

 彼はためらっていたが、僕たちに一枚の紙を差し出した。

「玄関に差し込んでありました」

――息子はあずかっている。日が沈んだあと、かくまっている王子を拘束して東の森の小屋まで連れてこい。指示に従わない場合、息子 の命はない――

 明らかな脅迫状だ。リエルは人質として誘拐されてしまった。手作りの勲章はそのときに落としてしまったのだろう。

「幼いリエル君を誘拐とは、なんて悪辣な……」

 クラルスは眉を寄せている。
 脅迫文を見るかぎり、犯人はどこかで僕たちがコーネット卿の屋敷へ出入りしていたところを見ていたのだろう。

「コーネット卿。こんなことになってしまい、申しわけありません」
「いえ、王子殿下は謝る必要はございません」

 僕たちが訪れなければ、リエルは誘拐されずに済んだ。コーネット卿は僕たちに関わりたくないと思うが、リエルを誘拐犯から救出し たい。

「リュエールさん。リエルを助けたいです。僕たちは無関係ではありません」
「そうね。コーネット卿。手伝わせてください」
「しかし、どうすればリエルを……」

 リエルを救出するためには、誘拐犯の指示に従うしかないだろう。

「コーネット卿。書面に書いてある東の森の小屋を詳しく教えてください」

 彼にたずねると、丁寧に答えてくれた。
 東の森の小屋は以前、狩人の休憩所として使われていたそうだ。現在は使われておらず、閉鎖されているらしい。
 室内は一部屋しかなく、仕切りなどもない作りだそうだ。

「昨日の連中が誘拐犯だったら面倒ね。人数も多かったし」
「僕も心当たりがあるのは彼らだと思います」

 昨日の男たちが犯人の場合、人数が多いので隙をついてリエルを救出するのは難しいだろう。

「リュエールさん。犯人の指示に従いましょう」
「えぇ。コーネット卿。リエルが無事解放されたあとは私たちでどうにかします。誘拐犯に私たちへのかかわりを聞かれましたら、脅さ れてかくまっていたことにしてください」
「しかし、それでは王子殿下が……」

 コーネット卿はこんなときでも僕の心配をしてくれていた。やはり彼は優しい人なのだと再確認する。
 僕のことよりリエルを無事に救出することを優先したい。
 クラルスは不服そうな顔をしていたが何も言わなかった。

「どうにかするって、リアが捕まったら助けるのは俺たちだぞ。簡単にいってくれるなぁ」

 スレウドさんは苦笑いをしている。男たちは”一緒に来てもらう”と言っていた。彼らの目的が僕を捕まえることなら生かしておくは ずだ。その場で殺されはしないだろう。

「リア。犯人たちがあなたを本物の王子って認識してくれるかしら? 偽者だと疑われない?」
「……そうですね」

 腰に下げている護身用の短剣を引き出し、みんなの前に出す。
 この短剣は護身用として十歳の誕生日の日に父上がくれたものだ。剣身の(つ ば)近くに王家の家紋の刻印が施さ れている。
 万が一疑われた場合、短剣を出してもらえば身分証代わりになるだろう。

「この短剣は王族で僕しか持っていません。疑われたらこれを見せてください」
「……かしこまりました」

 作戦はリエルと僕の人質交換。そのあと、裏口からスレウドさん正面からクラルスとリュエールさんが頃合いを見計らい侵入する。

 街を徘徊するのは危険なので、夕方までコーネット卿の屋敷へかくまってもらうことになった。
 クラルスは心配そうに眉をさげていたので、安心させるようにほほ笑む。

「クラルス。そんな顔しないで」
「……護衛として主君を危険に晒したくはありません。しかし、リア様のご意思でしたら反対いたしません」
「うん。ありがとうクラルス」

 彼の気持ちは痛いほどわかる。僕の意思を尊重してくれてありがたい。
 夕刻になり、僕たちは東の森を目指して歩き始めた。

 森に入ろうとしたとき、短い鳥の鳴き声が聞こえる。遅れてリュエールさんの肩にカルムが降りてきた。

「あら、カルム。何か感じ取ってしまったかしら?」

 何かを予感して来てくれたのだろうか。コーネット卿はもの珍しそうにカルムを見ていた。

「伝書鳥ですな。しかし、見たことない種類ですが……」
「品種改良された伝書鳥です。陛下から譲り受けました」
「女王陛下からですか?」

 リュエールさんは母上と星影団の関係を説明すると、コーネット卿は目を見張った。それと同時に眉を下げる。

「星影団と女王陛下は親密な関係にありましたか。挙兵をしたことも納得いたしました。本来なら貴族が国を支えなければならないとこ ろ、お恥ずかしいかぎりです」
「コーネット卿のことを母上と父上は頼りにしていました。悪く思われているのは一部の貴族だけです」

 コーネット卿が国のために尽くしてくれていることは知っている。彼が謝罪する必要はない。
 僕の言葉を聞いてコーネット卿はほほ笑んだ。

「お気づかいありがとうございます。王子殿下」

 僕が見知っているコーネット卿の姿がそこにあった。彼の立場のことを考えるとやはり身をひいたほうがいいのだろう。
 コーネット卿とランシリカに迷惑をかけたくない、という思いがますます強くなっていた。

「カルム。入り口でいい子にして待ってて」

 カルムは短く鳴いて、リュエールさんから離れた。

 僕たちは舗装されていない林道を進む。しばらく歩くと、ひらけた場所に小屋が建っていた。窓からは灯火の灯りがもれている。
 小屋の中に何人かの男が見えたが、リエルの姿は確認できない。小屋の前には見張りの男がふたり立っていた。
 僕は捕縛されたふりをするため、後ろで手を縛られる。リュエールさんたちと別れ、僕とコーネット卿は小屋へ近づいた。
 見張りの男たちは僕たちに気がつくと口角を上げる。

「王子を捕縛したのか?」
「あぁ。約束は守った。息子を返してくれ」
「中へ入れ」

 男たちに小突かれて、コーネット卿と僕は小屋の中へ押し込まれる。室内には七人の男たちが乱雑に座っていた。男たちの顔をひとと おり見ると見覚えがある。昨日、僕たちを追っていた集団だ。
 リエルは一番奥の窓際に寝かされており、全く動かない。乱暴なことをされたのではないのかと不安になる。

 ひとりの男が僕たちの前に歩いてきた。

「おまえ、本当に王子か? 偽者じゃないだろうな」

 あまりにも無抵抗なので疑っているのだろうか。コーネット卿は僕の腰に下げてある短剣を抜いて男へ渡した。

「王子殿下のみ所持している短剣です。王家の家紋の刻印があります」

 男は短剣をひととおり確認して満足そうに笑う。仲間に指示をしてリエルはコーネット卿へ突き返された。

「息子は無事なんでしょうね」
「薬を飲んで寝ているだけだ」

 リエルに外傷はなく、無事コーネット卿の元に返されて安堵する。
 男は短剣を僕の頬にあてた。剣身のひやりとした温度が伝わる。
 怖がらせようとしているのか、しつこく剣身をちらつかせていた。

 以前の僕なら身がすくんでしまったかもしれない。しかし、戦で何度も剣を向けられていたので、恐怖心が薄らいでしまっているよう だ。自分の心の変化に苦笑したくなる。
 無言で男から視線をそらすと、短剣で顎を持ち上げられた。

「少しは抵抗したらどうだ? それとも恐怖でそんな気力もないか?」

 表情を変えずに男を見据えた。僕の態度が気に入らなかったのか男は眉をつり上げる。
 短剣の柄で頬を殴られ、その勢いで床に転がった。

「……ぐっ」

 頬がずきずきと痛む。口の中に血の味が広がる感覚。男は僕の長く垂らしている横髪を乱暴に引っ張り上げる。

「すました顔しやがって、痛い目見ねぇとわからねぇのか?」
「おいおい、殺すなよ」

 男の肩越しにコーネット卿が見えた。彼は顔を歪ませて唇を噛み締めながら僕を見ている。

「これ以上きれいな顔を殴られたくなかったら、仲間の居場所を言え。あと三人いただろう」
「……知りません」
「そんな簡単に吐かないか。まぁいい。拷問でも何でもして吐いてもらうぞ」

 男は乱暴に髪を離すと、コーネット卿へ近づき短剣を向けた。

「お前はもう用済みだ! さっさと出ていけ!」

 そのとき、裏口で激しい物音がした。数秒遅れてスレウドさんが扉を蹴破り、小屋へ侵入する。
 同時に正面の入り口から悲鳴が聞こえたあと、リュエールさんとクラルスが現れた。
 男たちは突然の侵入者に混乱しながら、武器を手に取る。
 コーネット卿はリエルを抱きかかえて部屋の端へと移動した。

「なんだ! こいつらいつのまに!」

 短剣を持っている男は僕の元へ走ってくる。人質にしようとしているのだろう。

 男が僕へ手を伸ばそうとしたのを見計らい、ふくらはぎに一発蹴りを入れる。思わぬ反撃と不安定な体勢だったため男は派手に転倒し た。持っていた短剣は音をたてて床に落ちる。

「リア様!」

 クラルスは男たちを蹴散らして、僕の元へ駆け寄ってきた。彼の姿を見て安心する。クラルスは僕の縄を解き、すぐ警戒態勢になっ た。彼に見習い、すばやく落ちている自分の短剣を拾い上げる。

 ひとりの男が剣を振りかざし、襲いかかってくる。クラルスが行く手を阻み、男は当て身をされ床に転がった。
 スレウドさんとリュエールさんも当て身を使い、次々と男たちをなぎ倒していく。
 
 僕が蹴りを入れた男は、床に放置してある長剣を手に取り、立ち上がろうとしていた。
 クラルスが男に近づき、こめかみへ蹴りを入れる。男は悶絶をして再度床へ転がった。急所を蹴られたため立ち上がれないようだ。
 クラルスは男の胸ぐらを掴んで怒りを露わにした。

「貴様! リア様を傷つけて、ただで済むと思うな!」

 男はクラルスの凄みに怯えてしまっている。
 彼は僕が殴られたのを見ていたようだ。殺気立っているクラルスへ近づき肩に手を置く。

「……クラルス。放してあげて」

 彼を制すると、乱暴に手を放した。クラルスは床に伏している男に冷たい視線を向けている。
 室内を見渡すと、男たちは制圧されていた。誰ひとり、血を流していなくて安堵する。

 小屋に向かう前にリュエールさんから当て身の指示があった。リエルの前で血を見せないためと、首謀者を聞き出すためだ。
 スレウドさんは表で倒れている男たちを小屋の中へ押し込む。

 コーネット卿とリエルは無事だろうか。彼らのそばへ歩いていく。

「コーネット卿。お怪我はありませんか?」
「えぇ。私も息子も無事です」

 リエルはまだコーネット卿の腕の中で眠っていた。スレウドさんとクラルスは男たちから武器を取り上げ、縄で縛る。
 リュエールさんはため息をついたあと、男たちに問いかけた。

「……再度聞くけど、あなたたち傭兵よね。 依頼主を教えてくれないかしら?」
「知らねぇよ」

 彼女は脅すように持っていた剣に付与をした。雷を帯びた剣を見て男たちは顔色を変える。

「名前も知らねぇんだ! 王子を捕縛すれば金をやるって! それでいい額の前金をもらったんだ! 残りは王子と交換だって……」
「……ミステイルの王子が依頼主じゃないの?」
「ち……違う。依頼をしてきた奴は中年の男だ」

 ガルツの差し金ではなさそうだ。誰かが裏で賞金を賭けているのだろうか。そこまでして僕を捕まえたいらしい。

「リュエール。どうする?」
「これ以上聞いても無駄のようね。じゃあ、あなたたちふたつ約束を守れるなら命は取らないであげるわ」

 リュエールさんは、男たちに”僕たちの前に二度と現れないこと”、”今後ランシリカには足を踏み入れないこと”を約束させた。
 男たちは恨めしそうな顔で僕をにらんでいる。

「王子。お前が戦争を起こした理由は何だ? 一般市民を巻き込んで何が楽しい? そんなに王位が欲しいのか?」

 彼らは僕が王位欲しさに戦争を起こしたと思っているようだ。

「あなたたちはルナーエ国の出身ですか?」
「……そうだ」
「そうですか。苦しい思いをさせて申しわけなく思っています。僕は、はじめ戦争を起こすくらいなら濡れ衣てあろうと罪を被り、国の ために命を差し出すつもりでした。しかし、目先の平和に囚われてはいけないと考え直したのです」

 男たちはそれぞれ顔を見合わせていた。僕の語ったことと男たちの認識は違っているのだから。

「あなたたち、私たちが好きで挙兵したと思っているの?」

 リュエールさんの問いに男たちは誰ひとり口を開かなかった。

「どうしても僕を止めたいのでしたら再会しましょう。そのときは、命を賭けてお相手します」
「……リア。もういいわ。ここには用済みだからいきましょう」

 彼女は男たちに縄を切るための短剣をひとつ投げた。リュエールさんにうながされ、僕たちは小屋をあとにする。
 コーネット卿とリエルの安全を確保するため屋敷まで付き添った。リエルはずっと眠ったままだが、大丈夫だろうか。
 コーネット卿は少し休むようにと、僕たちを客室へ案内してくれた。

「このていどで済んでよかったわ。頬は大丈夫?」

 リュエールさんは水と布で頬を冷やしてくれた。まだ痛むが、歯が折れたわけではないので時間が解決してくれるだろう。

「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
「リアが殴られたとき、クラルスを抑えるの必死だったわよ」

 彼女は眉を下げてクラルスに視線を移す。彼は身を縮こませ、少し頬を染めていた。

「も……申しわけありません。リア様のこととなると自分が抑えられないときがありまして……」

 クラルスは自覚があるようだ。彼が僕を大切にしてくれていることの表れなので、困るときもあるがうれしく思う。

「お子様誘拐の件はこれで決着だな。まったく骨が折れるぜ」
「スレウドおつかれさま。晩酌でもしてゆっくり休んで」
「そうさせてもらう」

 スレウドさんは気怠そうに肩をならしていた。

「今日はコーネット卿に交渉できる様子ではないわね。日を改めましょうか」
「あの……リュエールさん」

 彼女に話しかけようとしたとき、コーネット卿が姿を現した。
 僕たちは姿勢を正して、椅子へかけなおす。

「どうか楽にしてください。このたびは息子を救ってくださり、ありがとうございました」
「いえ、元はといえば突然私たちがお邪魔してしまったことが発端です。ご迷惑をおかけしました」

 リュエールさんが謝罪を口にして頭を下げたので、僕たちもそれに習った。
 コーネット卿は「顔をお上げください」と慌てている。僕たちが顔を上げると、彼は椅子へかけて、姿勢を正した。

「王子殿下。お聞かせください。民に恨まれてまでなぜ戦う道を選んだのですか? 他にも選択肢はあったはずです」
「ルナーエ国の未来のためです。それにセラは今、王都で自分なりに戦っていると思います。僕はセラをおいて逃げたくはないです。今 は離れてしまっていますが、セラとともにルナーエ国の平和を取り戻します」

 まっすぐコーネット卿を見つめる。彼は表情を変えずに静かに話を聞いていた。
 ひと呼吸をおいて、さらに言葉を続ける。

「コーネット卿が母上と父上から信頼されており、僕もコーネット卿に協力をしてもらえれば心強いと思っていました。しかし、協力を してもらうことはランシリカの平和を奪ってしまうのではないのかと思っています。僕は、今どうすればいいのか迷っています……」
「リア……」

 リュエールさんは僕を見て困った表情をしていた。余計なことを話していることはわかっている。
 それでも今の気持ちをコーネット卿に知ってほしかった。
 彼はしばらくの沈黙のあと、口を開く。

「今でも、私には何が真実なのか考えあぐねいております。ミステイル王国のガルツ王子殿下が城に滞在していることも、セラスフィー ナ王女殿下にお会いできないのも不可解でなりません」

 彼は城での出来事を疑ってくれていたようだ。そう思っている人がいるという事実だけで心強い。
 コーネット卿は、話を続けた。

「私は王子殿下のすべてを信じることはできません。真実を知るために協力するというのはどうでしょうか? 女王陛下たちを手にかけ たと確証したとき、私は王子殿下の命を奪います」
「……それでも構いません」
「そのためにはこちらの条件をいくつかのんでもらいます」

 全面的にというわけではないが、コーネット卿は星影団に協力してくれるようだ。
 コーネット卿が提示した条件は三つ。星影団へ協力をするかしないかは騎士個人の意思に任せること、協力する騎士は星影団の拠点へ 滞在させること、ランシリカの街が危険に晒される場合必ず助けること。

 リュエールさんはコーネット卿の条件をのみ。星影団との協力が締結された。
 コーネット卿の提示したものに疑問が浮かんだ。ランシリカの騎士を星影団の拠点へ移動させてしまっては街の守りが手薄になってし まう。それでいいのだろうか。

「コーネット卿。ランシリカを守るための騎士の人数が極端に減ってしまいます。不安ではありませんか?」

 僕が問うと、リュエールさんは合点がいったのか頷いていた。

「なるほど。むしろ手薄にしたほうがいいのですね」
「……さすが星影団の団長というべきでしょうか」

 首を傾げていると、彼女が説明をしてくれた。
 ガルツが戦力である騎士が滞在していないランシリカの街を襲えば、ただの虐殺行為となる。彼は自分の信用を落とす行為はしない。 そう考えての作戦だそうだ。

 コーネット卿は、これからしなければならないことがたくさんある。騎士招集の命もどうするのか不安になってしまう。

「私は明日から工作をするために動かなくてはなりません。合流までお時間いただきます。ご了承ください」
「えぇ。心得ました。こちらで何かありましたら使者を送ります」
「かしこまりました」

 宵も更けてきたのでお暇をしようとしたとき、コーネット卿に呼び止められた。
 リエルを助けてくれたお礼に宿を用意してくれたそうだ。スレウドさんはまた追っ手が来ないかと心配していた。
 リュエールさんは「ふかふかの寝台で寝たい」と声を上げたので僕たちに拒否権はない。
 コーネット卿の厚意に甘えて、用意された宿へ泊まることになった。

 深夜、物音で目が覚めた。起き上がると、リュエールさんの姿が寝台にない。どこへ行ったのだろうか。
 スレウドさんとクラルスを起こさないように、部屋を出る。
 廊下にはひと気はなく、しんと静まりかえっていた。リュエールさんは外へ出てしまったのだろうか。
 宿の玄関を開けると、石畳の階段に彼女は腰をおろしていた。リュエールさんは毛布を羽織って、月を見つめている。

「リュエールさん……。眠れませんか?」
「あっ。リア起こしちゃった?」
「いえ。そんなことありませんよ」

 夜の空気はひんやりとしていて肌寒い。彼女は片手で毛布を広げて隣へ座るよううながした。
 さすがに気恥ずかしくて遠慮する。

「風邪引いちゃうわよ」
「だ……大丈夫です」

 リュエールさんに手を引かれて無理やり隣へ座らされると、肩に毛布をかけられた。密着してしまい、彼女の体温が伝わってくる。
 こういうとき、どうすればいいのかわからない。自分の顔が熱くなるのを感じる。

「顔を赤くしてかわいいわね」
「か……からかわないでください」

 気取られてさらに恥ずかしくなる。リュエールさんは僕の解いてある髪を手で梳いた。大切なものを扱うように細い指がゆっくりと落 ちる。
 特に嫌ではなかったので、拒むことはせずおとなしくしていた。

「……ごめんなさい。リアの髪が綺麗でつい触ってしまったわ」
「いえ……気にしないでください」

 リュエールさんは僕の髪から手を離すと、じっと見つめられた。澄んだ菖蒲(あ やめ)色の瞳と目が合う。
 月明かりを背にした彼女を見て綺麗な人だなと感じた。

「こんなことがなければ、リアとは一生交わらなかったわね」
「そうかもしれません……」

 無意識に僕たちは夜空に浮かぶ月を見つめた。街にはほとんど灯りはなく、いつもより月の光を強く感じる。
 不意にリュエールさんは僕のほうに少し頭を傾けた。僕の銀色の髪と、リュエールさんの亜麻色の髪が交わる。

「リア。あなたがこの国の人々を守るなら、私があなたを守るわ」
「リュエールさん……」

 僕たちを星影団に誘ってしまったことを悔いての言葉なのだろうか。ルフトさんも言っていたが、リュエールさんが気にすることでは ない。きっかけは彼女かもしれないが、僕が自ら選び取った。
 それにこの選択が正しかったのかわからない。

「リュエールさんが、そう思ってくれるだけでうれしいです」

 ほほ笑むと彼女は目を細めた。どうしてリュエールさんはここまで僕によくしてくれるのだろう。母上たちの忘れ形見だとしても、こ こまでしてくれるのだろうか。

「あの……僕たちまだ会ってまもないですけど、なぜここまでよくしてくれるのですか?」
「そうね……。私とリアが似ているからかしら」

 僕と彼女が似ているとはどういうことなのだろう。首を傾げると、リュエールさんはくすりと笑った。

「私ね、元は街を統治していた貴族の娘だったの。他の貴族に無実の罪を着せられて、私以外粛正されてしまったわ。故郷を追われて頼 る人もいなくて、死んでしまいたいと思った。そのとき、手を差し伸べてくれたのがルフトとスレウドだったの」

 彼女の過去を初めて知った。境遇が似ている僕に手を差し伸べたかったのだろう。

「それに、陛下に恩があるの」
「母上にですか?」

 リュエールさんは星影団の活動をしているとき、一度騎士団に捕まってしまったことがあるそうだ。極刑になるところ、母上が王都へ 連れてくるように指示したらしい。そのときに、協力関係を持ちかけられたそうだ。母上は以前から星影団の動きと諜報力を知っていたらし い。

「最初は陛下のこと、悪の親玉だと思っていたわ。実際話を聞いて利害が一致したから、お互い協力関係を築こうって思ったの」
「貴族の悪事を抑えられないことに、母上も父上も悩んでいました」
「今の陛下と騎士団長様のせいではないことはわかっているわ。少しずつ蝕まれていったのよ」

 貴族の悪事をどうにかしようと母上たちは長年悩んでいた。権力と金は人を変えてしまうと父上が口にしていたことを思い出す。
 リュエールさんは凜とした表情になり、僕を見つめた。

「リア。私は何があろうと、この戦いに勝つつもりよ。陛下たちを手にかけたガルツを許せない。私は国の平和を取り戻すために、辛く ても前に進む覚悟よ」
「僕も……。少しでもリュエールさんの助けになればと思います」

 僕の言葉に彼女はほほ笑む。リュエールさんは愛国心だけで動いているのではなく母上に恩があった。
 母上と父上のために挙兵をしてくれてありがたく思う。

 不意に僕の手に彼女が触れた。リュエールさんの体温が温かく感じる。

「リアの手冷たいわね。夜気にあたりすぎだわ。部屋に戻ったほうがいいわよ」
「リュエールさんはどうしますか?」
「……私はもう少しいるわ」

 彼女にうながされて部屋に戻り、寝台へ横になる。リュエールさんの覚悟を聞いて自分も考えさせられる。
 僕はいろいろな選択に迷っている。選んだことに自信が持てていない。
 もし自分が選んだことが間違いで、皆を苦しめることになってしまったらと思うと怖くなる。

 僕にはまだ覚悟が足りないのかもしれない。今後、自分自身を信じて選択を選び取ることはできるのだろうか。
 そんな思いをめぐらせながら眠りについた。



 僕たちはランシリカをあとにして、拠点へと帰るため馬を走らせた。空には気持ちよく飛んでいるカルムが見える。
 拠点へ戻ったあとは情報を整理して、それからどうするのか決めるそうだ。

「リア。頬は大丈夫?」
「はい。昨日よりだいぶ腫れは引きました」

 リュエールさんが心配そうに僕を見ていた。酷い怪我ではないので二、三日もすれば治るだろう。

「魔法で治せばいいだろう?」
「そういうわけには……」

 スレウドさんの言葉を聞いて硬直した。リュエールさんとクラルスは治癒系の魔法は使えない。四人の中で治癒魔法を使えるのは僕だ けだ。彼は僕に月石が宿っていることを知っている。

「スレウドさん。リア様に月石が宿っていることをどうやって知ったのですか?」
「許せ。あれは不可抗力だ」

 クラルスが問い詰めると、スレウドさんはばつが悪そうな顔をした。
 リュエールさんとルフトさんに月石のことが露見してしまったとき、彼も偶然近くにいたそうだ。

 スレウドさんに月石のことは他言しないようにと、リュエールさんは口をすっぱくして言い聞かせていた。

 二日間の陸路の旅を終えて、拠点へ到着した。空にいる太陽が西に傾きつつある。
 先日の戦いで軽傷だった団員たちは回復をして、作業に勤しんでいた。拠点の修繕作業は八割ほど進んでいるようだ。
 リュエールさんはルフトさんを見つけると手を振って呼びかけた。

「ルフト! ただいま!」
「リュエ、戻ったか。交渉は上手くいったのか……って聞くまでもないな」

 彼女は交渉に成功したうれしさが顔に出ていたようだ。

「うん。上手くコーネット卿と交渉できたわ。準備ができ次第、合流するそうよ。ルフトのほうは何か変わったことあった?」
「諜報から特に連絡はないな。修繕作業はだいぶ進んだから、そろそろ公会堂で雑魚寝じゃなくていいと思うぞ」

 これからリュエールさんとルフトさんは修繕された家に団員を割り当てるそうだ。
 スレウドさんは気怠そうに公会堂の中へ向かった。

「じゃあ俺は呼ばれるまで寝てるぜ」
「はい。おつかれさまでした」

 僕とクラルスは、公会堂の階段へ腰を下ろし夕日をながめる。

「クラルス。おつかれさま。野営だとあまり眠れないよね」
「ご心配にはおよびませんよ」

 クラルスとスレウドさんは野営をしているとき、交代で見張りをしてくれていた。あまり眠れていないと思うが、疲れた表情を彼は見 せなかった。
 拠点に心地よい風が吹き抜け、僕たちの髪を揺らす。

「クラルス。僕、今でも思うんだ。戦争を始めるきっかけを作ってしまって、本当にこれでよかったのかな……」
「私にもわかりかねます。ただ、私たちは未来を奪われないために戦っているのは確かです」

 人は変化を嫌い、現状維持をしたいと思うことが大半。自己保身をするのは自然なことだ。
 いくら未来のためとはいえ、不確定なことに身を投げるという人はごくわずか。
 少しずつ両親殺しの濡れ衣を払拭しなければならない。僕たちは思い描いている未来を掴めるのだろうか。

 修繕作業をしている団員をながめていると、リュエールさんとルフトさんが姿を現した。家屋の割り当てが決まったようだ。
 団員が次々に呼ばれ、家屋に案内されている。

 最後に僕とクラルスが呼ばれリュエールさんの元へいく。案内された家屋は元クラルスの家だった場所だ。
 彼女はクラルスがこの村出身のことは知らない。たまたま割り当てられたのだろう。不思議な運命を感じた。
 リュエールさんは気をつかってくれて、この家は僕とクラルスだけのようだ。

 玄関の扉に手をかける。以前見たときとは違い、壁や床板は綺麗に直っていた。
 簡易的な机と椅子。奥の部屋には寝台が四台置いてある。
 クラルスは複雑な表情で部屋の中を見ていた。もう彼が幼いころ記憶していた家ではなくなってしまっている。クラルスの過去を知っ てしまったので心苦しい。
 それでも今日からここが僕たちの家だ。家の中へ足を踏み入れて、クラルスのほうへ振り向く。

「……クラルス。おかえり」

 僕の言葉を聞いて彼は優しくほほ笑んだ。

「えぇ……。ただいま戻りました」

 クラルスの言葉は今はもういない両親へ向けたものなのだろうか。とても優しい声色だった。
 彼はゆっくり歩みを進め、部屋の中へと足を運んだ。


 ランシリカからの帰還から一週間。拠点の修繕作業も大詰めになっていた。
 僕とクラルスは作業中リュエールさんに呼び出される。公会堂の彼女の部屋へいくと、ルフトさんが一緒にいた。

「ふたりとも作業中に悪いわね。ちょっとお使い頼まれてくれるかしら?」
「はい。わかりました」

 リュエールさんのお使いは、プレーズという街にいる諜報員から情報をもらってくることだ。
 ルフトさんと一緒に行ってきてほしいらしい。彼は嫌そうな顔を僕たちへ向けていた。

「リュエ。そんなの諜報の奴かカルムに任せればいい……」

 リュエールさんはルフトさんの言葉をさえぎるように、彼の手を掴んで雷を走らせた。ルフトさんは痛みで座り込んでしまう。

「リアたちはプレーズに行ったことある?」
「いえ……。王都にいたときは、スクラミンの視察へ行っただけです」
「なるほどね。いろいろな街を知るのもお勉強よ。拠点の場所はルフトが知っているから彼に任せて」

 リュエールさんは見聞を広げるために配慮してくれたようだ。自国のことを知る機会を与えてくれてありがたく思う。
 やはり実際に目で見て肌で感じないとわからないこともあるだろう。
 明日からさっそくプレーズの街へ向かうことになった。

2020/12/27 Revision
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