プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-
第6曲 侵食の伝承歌
僕たち三人はプレーズの街へと向かった。プレーズは拠点から南に位置している。 三日間の旅を終えてようやく辿り着いた。
街並みは、淡い桃色や橙色の外壁に薄茶色の屋根の建物が多く、まるでおとぎ話にでてきそうな街だ。
僕とクラルスは外套 を
かぶり、ルフトさんの案内で星影 団
の拠点へと向かった。
街の奥まで歩いて行くと酒場が見えてくる。
最初に訪れた街セノパーズと同じく酒場が拠点のようだ。”準備中”と書いてある札が下がっている。ルフトさんは構わず扉を開けて
入店をした。
「準備中って文字が読めないのかい! まだ昼間だよ!」
女性の怒鳴り声が聞こえてくる。酒場には、黒髪の女性が酒瓶棚の整理をしていた。
こちらを見ていないので、僕たちをお客と勘違いしているようだ。
「ベルナ、俺だ」
ルフトさんに名前を呼ばれた女性はようやく振り返った。きれいに施された化粧と赤い口紅。両足に切れ目の入った妖
艶 な服が印象的な女性だ。
「ん……? なんだルフトじゃないか。お前がここに来るなんて珍しいな。新拠点はどうだい?」
「だいぶ整ってきた。先日の戦い、ベルナの耳に入っているか?」
「もちろんだ。こっちでも噂になっているよ。……で、後ろのふたりは誰だい?」
ベルナさんはルフトさんの後ろにいる僕たちに視線を移した。クラルスと目を合わせて、頭にかぶっていた外套を脱いで彼女に会釈す
る。
「今、星影団に身を寄せているお尋ね者の王子とその護衛だ」
「はじめまして。ウィンクリアです」
「クラルスです。よろしくお願いします」
ベルナさんにあいさつをすると、酒瓶棚の整理を止めてこちらへ歩いてきた。彼女は僕とクラルスのことをまじまじと見ている。
「噂の王子殿下と護衛か。私はこの街で星影団の諜報 員
をしているベルナだ」
ベルナさんは僕の顎に手をかけると顔を上に向かされた。彼女の漆黒 の瞳と目が合う。
香水の香りがベルナさんから漂ってくる。王都にいたとき、貴族の女性たちはきつい香水の香りをまとっていたので少し苦手だ。
女性に触れられるのはなれない。どういう反応をしていいのか戸惑ってしまう。
「あ……あの……」
「こんな片田舎なんで王族を見る機会はないが、ずいぶん可愛らしい顔をしているね」
不意に身体が後ろへ退かれ、彼女の手が離れる。振り返るとクラルスが眉をひそめていた。
彼は僕が不用意に他人に触れられるのを嫌っているようだ。
「何も捕って食べやしないよ色男。それともあんたの相手を私がしてあげようか?」
「止めておけ、普通じゃいられなくなるぞ」
「け……結構です」
三人が何を言っているのかわからない。クラルスは少し頬を染めていた。
ベルナさんにうながされ、酒瓶棚近くの席へ座る。彼女は手際よく飲み物の準備をはじめた。硝子の容器に茶色の液体が注がれてい
く。
僕は未成年なのでさすがにお酒ではないだろう。
「紅茶だから安心しな。未成年には酒を提供しない主義だ」
「……いただきます」
ひと口飲むと、爽やかな紅茶の味と果実の香りがした。「おいしい」とベルナさんへ伝える。彼女は満足そうにほほ笑み、酒瓶棚の整
理を再開した。
ルフトさんはベルナさんの背中に語りかける。
「リュエから情報を聞いて来いと言われたんだ。何かベルナのところに入っているか?」
「リュエールがあんたを寄越すとは、諜報員が足りないわけじゃないだろう。至急ならカルムを飛ばすだろうし」
「ふたりの街見学のお守りみたいなものさ。情報収集はそのついでだ」
ベルナさんは酒瓶棚の整理の手は止めずにそのまま話を始めた。
プレーズの街にも僕が母上たちを手にかけたという通知は掲示されているそうだ。ミステイルの兵士は掲示板に張り紙をしにきて以
来、この街では見かけないらしい。
ミステイルの兵士がプレーズにいないようで安堵する。
「それと先日、悪い噂を仕入れた」
ミステイル国内情報で、密偵や暗殺など非合法な依頼を請け負っている地下組織の動きが活発化しているらしい。
何でも僕を捕まえるために何者かからの依頼があったそうだ。構成員の何名かがルナーエ国に出入りしているらしい。
ランシリカで僕を捕まえようとしていた男たちは、ミステイルの地下組織の者に頼まれた可能性がある。
「王子殿下を生きたまま捕らえれば賞金が出るらしいぞ。死体に金は払わないってさ」
「……そんなことが」
「星影団に身を寄せているなら、うかつに手は出せないだろう」
地下組織に依頼をしたのはガルツだろう。そして彼は僕に月石が宿っていることを確証している。
ガルツはそこまでして月石を求めているのはなぜなのだろう。ただ力を手にしたいだけとは思えない。
ルフトさんは紅茶を飲み干すと席を立った。
「日が落ちる前にこいつらに街を案内してくる」
「はいよ。今日は泊まるんだろう?」
「あぁ。世話になる」
「それと、あまり関係ない話だが、最近、露店市場で盗人が出るらしい。何店かやられている」
もし盗人に遭ったら捕まえてほしいそうだ。
ルフトさんにうながされ、僕たちは酒場をあとにする。建物の裏へ移動すると、あたりを確認してから彼は話を始めた。
「ガルツは十中八九おまえに月石が宿っていると思っているな」
「多分そうだと思います」
ルフトさんはベルナさんに月石のことを聞かせないように気を使って移動してくれたようだ。
月石の宿る左手を見つめる。宝石ひとつでこんなことになるとは思いもしなかった。
「ガルツはよほど月石が欲しいのですね」
「そりゃ原石だからな。力を施行したら国ひとつ滅ぼすことは簡単だ。女王陛下が宿していたことは虚言だったが、おかげで戦争の抑止
力になっていたな。ここ十数年、国境線の小競り合いていどで済んでいる」
大昔、原石 を
宿した者同士が戦い、国が滅んだ記録は確かにあった。ガルツは戦争に原石 を使おうとしてい るはずだ。
なんとしても月石を守りたい。僕は自然と左手を強く握った。
「さて。リュエからプレーズの街を案内するように言われているからな。さっさと行くぞ」
約束どおり、街を案内してくれるようだ。外套を頭からかぶると、ルフトさんが制止した。
「頭まで外套をかぶっていると逆に目立つ。ここでは、おまえたちの顔を知っている奴は貴族くらいだから安心しろ。服だけは隠してお
け」
僕は最近まで王都から出たことはなかったので、服や顔を見られただけでは正体は露見しないだろう。
クラルスは星永 騎
士の証である外衣を羽織っているので嫌でも目立つ。
「護衛。その外衣は目立つぞ。前から思っていたが脱げよ」
「意味なくこの外衣を羽織っているわけではございません」
星永騎士の外衣は魔法糸という特殊なものを使っている。少しだけ魔法耐性があり、斬撃も通しにくい。
軽い鎧のようなものだと以前、父上が教えてくれた。クラルスはルフトさんに理由を説明する。嫌な顔をされたが納得してくれたよう
だ。
露店市場までの道を歩いていると、何やらそちらのほうが騒がしい。催しものでもしているのだろうか。
不意に月石が宿っている左手に違和感を覚えた。疼く感じがして、胸騒ぎがする。
「盗人だ!」
誰かの叫ぶ声が聞こえるとともに足音が近づいてくる。曲がり角から外套をかぶった人が現れ、僕を突き飛ばして去って行く。
転倒しそうになったところクラルスが支えてくれた。
「お怪我はありませんか?」
「うん。大丈夫だよ」
先ほどの人に突き飛ばされたとき、違和感があった。手で押されたはずなのだが、ごつごつとしてまるで石に当たったようだ。
足下を見ると小さな紫色の破片がいくつか落ちていたので拾い上げる。
「これは、何だろう」
「硝子 の破片で
はないですね」
先ほどの人が落としてしまったものだろう。紫色の破片は太陽の光で輝いておりとても綺麗だ。
落ちていた残りの破片を集めて袋へ詰めた。もし大切なものなら、なくして困っているはずだ。本人へ返す機会があれば返してあげた
い。
数名の大人たちが曲がり角から姿を現した。どうやら先ほど走り去った人が盗人らしく追って来たようだ。
みんな顔には怒りの色をあらわにして、眉をつり上げている。
「逃げ足だけは早い奴め!」
逃げたほうを見ると盗人の姿はもうなかった。いつのまにか左手に感じていた疼きと胸騒ぎはひいている。
「さっきの盗人は何度も来てるのか?」
「そうなんだよ兄ちゃん! 今度こそ捕まえられるかと思ったんだがなぁ……」
ルフトさんは追いかけてきた大人たちに事情を聞いている。
二ヶ月ほど前から食料ばかり狙う盗人が現れたそうだ。手口は狡猾 で、盗まれても気がつかないときが多い らしい。
大人たちは悔しそうに露店市場へと戻っていった。
「食料ばかり狙うだなんて、食べ物に困っているのかな?」
「盗人と聞きますと、お金になりそうなものを狙いそうですけど」
「何を盗もうが犯罪には変わりない」
ルナーエ国に多少貧富差はあるが、貧民街は存在していない。それともスクラミンのように、僕が知らないだけで街の情勢が変わって
いるのだろうか。
不安になりルフトさんへ問いかける。
「プレーズの街は食べ物に困っているのですか?」
「田舎だが物資に困窮しているほどじゃないぞ。あいつは、よそ者かもな」
「そうですか……」
プレーズの街自体、困窮しているわけではないそうで胸をなでおろす。彼にうながされ、露店市場へと足を運んだ。
森と山が近いプレーズの街は、露店に果実や山菜が多く並んでいる。
露店のひとつに真っ赤な小さい林檎 が
たくさん積み上げられていた。王都の露店市場で見かけたことがない 品種だったので思わず足を 止める。
「今朝、採れたての林檎だよ! 一個八〇レピだ!」
露店で商売をしている体格のいい男性は、白い歯を見せて僕に笑いかけた。
拠点から出る前にリュエールさんから、おこづかいとして二〇〇〇レピもらっていたことを思い出す。せっかくなので林檎を買おう
と、お金が入っている袋を取り出した。
ふと、先ほどの盗人のことが頭をよぎる。八〇レピも出せなく、盗まなければならないほどお金に困っているのかと思うと、やるせな
い気持ちだ。
「すみません。四個ください」
「まいど! 今日もたくさん採れたから一個おまけだ!」
男性に代金を支払うと、紙袋に五個の林檎を詰めて差し出された。
「ありがとうございます。毎日こんなにたくさん採れるのですか?」
「採れるようになったのはつい最近さ。前まで魔獣のせいで、なかなか山へ収穫しに行けなくてね。値段も今の三倍はしたんだ」
男性の話によると、週に何度か騎士団へ護衛要請を出して山へ入っていたそうだ。
今は出没頻度が減っており、奥地へいかなければ魔獣と遭遇することはないらしい。
「魔獣は減ったといえども、出るには変わりないからな。おまえさんたちも気をつけな」
男性に会釈をして、僕たちは歩き出した。先ほど買った林檎を取り出し、クラルスとルフトさんへ手渡す。
ルフトさんは怪訝な顔を僕へ向けていた。
「何でたくさん買っているのかと思ったら、俺たちの分か」
「林檎、苦手でした?」
「いや……。プレーズ産の林檎は初めてか?」
「見たことがなかったです」
ルフトさんは先導して歩き出したので、僕とクラルスは後を追う。
先ほど買った林檎をかじると、酸味と甘みがほどよくみずみずしい。林檎をかじりながら歩き、男性の話で疑問に思ったことをクラル
スへ問いかける。
「クラルス。魔獣って野獣とはまた違うの?」
「魔獣は魔法が使えるのですよ。そこが野獣との違いですね」
「魔法を……?」
魔獣は何らかのかたちで、野獣が体内に宝石を取り込んで変異したものらしい。絶対数は少ないが、人間も捕食対象のようだ。
「特に魔力の強い人間を捕食したがります。宝石を宿していると狙われやすいそうですよ」
クラルスの言葉に思わず左手を押さえた。宝石は魔法が使える代わりに、いろいろ負荷がかかる。
「プレーズ近くの山は山菜や果実が豊富だからな。魔獣も野獣も餌を求めてくるんだ」
「でも減っているのでしたら、よかったですね」
魔獣からの護衛任務は危険らしく星永騎士が同行することもあるそうだ。
話をしながらルフトさんに街をひととおり案内してもらう。街自体大きくはないが、宝石屋や宿屋などの施設は充実していた。
街の人たちを見ていると、掲示板を気にしている様子はなく、悠々自適に暮らしている。ここでは王都での出来事にあまり関心がない
ようだ。
日も傾き始めたので酒場へと戻り、ベルナさんへ買った林檎を手渡す。
「私にかい? 王子殿下は優しいね。ルフトもリュエールにこのくらい気を使ってやりな」
「俺が気を使われたいくらいだ」
ルフトさんは悪態をついて彼女をにらんでいた。
プレーズ産の林檎は紅茶との相性がいいらしい。ベルナさんは明日の朝、林檎の紅茶を淹れてくれるそうだ。
彼女は調理場へ林檎を置くと、僕たちが泊まる部屋へ案内をしてくれた。
裏手にある一般的な部屋で面食らう。セノパーズやランシリカと同じく地下へ連れて行かれると思っていた。
ふだんは諜報員が寝泊まりするていどで、あまり使われていないらしい。
綺麗に整えてある四台の寝台が並んでいた。僕はそのひとつに腰を下ろしてひと息つく。
「用は済んだし、明日にはここを発つぞ」
「ルフトさん。もう一日だけ滞在してもいいですか?」
「何か気になるところでもあったのか?」
盗人が落とした紫色の破片を返してあげたい。それと左手の違和感と胸騒ぎも気になっていた。
「……さっきの盗人のことが気になって」
「捕まえたいのか? 俺たちがする必要はないだろう」
「いえ、ルフトさん。盗人が近くにいたとき何か感じませんでした?」
感じていたことを説明すると、ルフトさんは目を見開いた。
「……おまえもだったか。俺もあいつには何か感じていた。というより宝石が感じていたのかもな。護衛は何か感じたか?」
「気のせいではなかったのですね。私も左手に違和感がありました」
宝石を宿している僕たちは盗人に不思議な違和感を覚えていた。よけい、盗人のことが気になってしまう。
ルフトさんに頼み込んであと一日だけ滞在を許してもらえた。僕のわがままだが、もういちど盗人に会って確かめたい。
次の日、ルフトさんは盗人を捜す気はないらしく、別行動をすることになった。
僕とクラルスは露店市場へ足を運ぶ。今は左手に違和感はない。
もしまた盗みをするならここへ来るだろう。そもそも今日も現れるのかわからないが、待ってみることにした。
市場で売られているパンと林檎をふたつ購入すると、クラルスは怪訝な顔を僕に向ける。
「リア様。食事の量が少なかったですか?」
「ううん。昨日の人はきっとお腹が空いていると思うから会ったら渡そうかと思って」
「……そうでしたか。リア様はお優しいですね」
パンと林檎の入った袋を抱え、しばらく露店市場を歩く。
特に左手に違和感を感じることはなく、時間だけがすぎていった。
これ以上僕のわがままでプレーズに滞在できないので、今日会えなかったら諦めるしかない。
歩くのも疲れて露店市場の端に置いてある長椅子へ座る。
夕刻が近くなるころ、左手に少し違和感を覚えた。僕とクラルスは同時に顔を見合わせる。
「……リア様」
「うん。どこかにいるかも」
僕たちは盗人を捜すために歩き出した。盗みを働く前に接触をしたい。
左手の違和感を頼りに歩くと、裏路地に人がいた。外套をかぶり、姿勢を低くして露店市場のほうを見ている。
違和感も強くなってきているので、あの人だろう。
「あの……突然すみません」
後ろから声をかけたので、驚いて振り返り僕を見上げた。それと同時に頭にかぶっていた外套の布が取れる。
藍から浅葱 の
色彩に染まった髪に琥珀色の瞳。十代後半くらいの少年だ。
「……何だおまえたち」
「君って昨日の盗み……」
そこまで言葉を紡ぐと少年は慌てて立ち上がり、僕は口を押えられる。
「おまえたちの目的は何だ? 俺を捕まえに来たのか?」
「私たちはあなたを捕まえに来たわけではありません」
口を塞がれている僕の代わりに、クラルスが答えてくれた。彼はクラルスに疑いの眼差しを向けている。
少しの沈黙のあと、僕をにらみながら少年は口を開く。
「……おまえ、騒ぐなよ」
少年の言葉に頷くと手を離してくれた。露店市場から離れ、街なかの裏路地へ移動する。
彼はずっと僕たちのことを警戒しているようで、雰囲気が伝わってきた。
僕たちは階段へ腰を下ろし、少年へ食べ物が入った袋を渡す。
「……なんだよこれ」
「君がお腹を空かせていると思って」
「おまえに同情される筋合いはねぇよ」
そのとき、彼のお腹が盛大に鳴った。あまりにも大きな音におもわず目を丸くする。
少年は顔を真っ赤にして袋をぐしゃぐしゃに握った。僕とクラルスは顔を見合わせて苦笑する。
彼は舌打ちをして乱暴に袋を開けると、林檎にかじりつく。よほどお腹が空いていたのだろう。またたく間にパンと林檎は彼のお腹へ
収まる。
少年が食べ終わったころを見計らって、昨日拾った紫色の破片を彼の前に差し出す。
「昨日、君とぶつかったときに落としたよ。大切なものじゃないのかな?」
彼のてのひらへ乗せると表情が曇る。少年は返された破片を放り投げた。弧を描いて階段下まで落ちていく。
「こんなものに価値はない」
きれいなものだが彼には必要ないものだった。少年は破片が落ちた階段下をにらみつけている。
彼に悪いことをしてしまったような気がした。
「ねぇ、君。名前は?」
「俺に聞く前に、自分から名乗るのが礼儀だろう」
「そうだね。僕は……リアです」
彼は掲示板を見ている可能性があるので、正式な名前は言えなかった。
「俺はシンだ。後ろの奴は?」
「私はリア様の護衛ですのでお気になさらずに」
「リア……様? 護衛? おまえ貴族か?」
「そ……そんなところかな」
シンは疑いの目を向けていたが適当にごまかした。
彼は、なぜプレーズで盗みをしているのだろうか。シンくらいの年齢なら働き口はあると思う。
「シンはどうして盗みをしているの? 仕事を斡旋してくれるところもあるよ」
「何でおまえに言わなきゃいけないんだよ。何不自由なく暮らしているお坊ちゃんには関係ない」
シンは持っていた袋を石畳の上に投げたので、拾い上げた。
「ごみは捨てちゃだめだよ」
彼は太ももに頬杖をついて視線をそらした。不意にシンの外套から覗いた外衣が軍服のように見える。どこかで見たことがある気がす
るが思い出せない。
クラルスのほうを見ると、シンに視線が注がれており、眉をひそめている。
不思議に思い首を傾げた。
「その外衣。ミステイル王国の少年兵のものですね」
クラルスの言葉にシンの表情が強張る。ミステイル王国出身のシンはなぜルナーエ国に来ているのだろうか。
昨日ベルナさんが話していた地下組織の者なのではないかと警戒してしまう。
「……だったら何だよ」
「シンはどうしてルナーエ国に?」
「おまえに話す理由はない」
彼は立ち上がると階段を足早に降りていく。彼の名を呼んで止めたが、僕をにらみつけていた。
「食いものをくれたことには感謝するが、もう俺にかかわるな」
シンは身をひるがえして走り去る。威圧的な態度に彼を追うことはできなかった。
シンが座っていた場所には紫色の破片が落ちている。左手の違和感は彼が遠のくと同時に消え去っていった。
「シン……」
「リア様。日が落ちる前に酒場へ戻りましょう」
すっかり太陽は西へ傾き、すぐそこに夜が控えていた。
酒場の部屋へ戻り、寝台へ腰を下ろす。
なぜシンはミステイル王国出身なのにプレーズの街で盗みをしているのだろう。
口振りから地下組織の構成員ではなさそうだ。かといってガルツが率いてきた王国兵でもない。
彼のことは疑問符だらけだった。
「クラルス。シンが盗みをしているのは何か理由があるのかな」
「わかりかねますが、リア様に危害を加える者ではなさそうでしたね」
お客の声が酒場から聞こえてくる。お店が開店したのだろう。疲れていたのか、寝台へ横になるとそのまま眠ってしまった。
目を覚ますと暗くなっており、窓から月明かりが差し込んでいた。酒場からの声は聞こえず、すでに閉店したあとのようだ。
寝起きで頭が呆けているなか寝返りをうつ。隣の寝台にいるクラルスと目が合った。彼は上体を起こして、小さな灯りを頼りに本を読
んでいる。
ルフトさんはすでに寝ているのか、クラルスは声をひそめて話した。
「リア様。お目覚めになられました?」
「うん。いつのまにか寝ていたよ」
「最近、遠征することが多いのでお疲れでしたね。酒場に夕食の作り置きがしてあります。召し上がりますか?」
夕食を食べ損ねてしまった僕のために、ベルナさんが用意してくれたそうだ。頷くとクラルスに案内され酒場へ向かう。
室内は月明かりだけが照らしており、まだお酒の残り香が居座っていた。
彼は灯りを一ヶ所だけ点けて僕は近くの席へ座る。ベルナさんが作ってくれた魚と野菜の煮込みをいただく。魚の旨味と野菜の甘みが
口の中に広がり、冷めていたがおいしかった。
盗人であるシンと会えたが、左手の違和感の原因はわからなかった。彼はまた明日も食べ物を求めて盗みをしてしまうのだろう。
それに彼がルナーエ国にいる事情は何なのか気になっていた。
夕食も済ませて部屋へ戻ろうとしたとき、外から酒場の壁に何かがぶつかる音がした。
それと同時に左手に違和感を覚える。僕とクラルスは顔を見合わせた。
「まさか……」
酒場の入り口を開けてあたりを見回す。建物の陰から人の手が見えた。
駆け寄ると外套をかぶった人が倒れている。布からのぞく藍から浅葱の色彩に染まった髪に見覚えがあった。
「し……シン! どうしたの!?」
彼は苦しそうにうめき声を上げている。声をかけてゆすってみたが反応がない。外傷はないので何者かに襲われたわけではなさそう
だ。
「クラルス! 部屋に運んであげよう」
「か……かしこまりました!」
僕たちが寝ている部屋まで連れていくと、騒がしさにルフトさんは目覚めた。上体を起こし、気怠そうにしている。
「……何だ騒がしいな」
「ルフトさんすみません。外で人が倒れていまして……」
「はあ? 俺らは医者じゃない」
「苦しんでいる人を見捨てられません」
ルフトさんはあくびをして、寝癖のついた髪をかく。彼を起こしてしまって申しわけなく思う。
しかし、こんなに苦しんでいるシンを放っておくことはできなかった。
部屋の灯りを点けて空いている寝台へシンを寝かせる。クラルスが彼の外套を脱がすと、僕たちは言葉を失った。
シンの左手が紫色の結晶でおおわれており、肩まで結晶化している。ルフトさんもシンのそばに寄って腕を見ると目を見張った。
「これは……侵食症か」
「侵食症……ですか?」
侵食症とは宿主と宝石の相性が合わないときに発症するらしい。長期間合わない宝石を宿した状態が続くと、左手から宝石に身体が侵
食され死に至るそうだ。
宝石の合う合わないは宝石を宿さないと、わからないらしい。合わない宝石は宿すときに痛みや不快感が伴う。すぐに外せば症状がで
ることはないそうだ。そのため侵食症になることは稀らしい。
左手の違和感や胸騒ぎは、侵食症という宝石の異常を察知していたのかもしれない。
ルフトさんはシンを見て険しい顔をする。
「……何か治す方法はないのですか?」
「侵食症は一種の呪いみたいなものだ。医者や治癒魔法で治せるものじゃない。結晶化前ならどうにかなったが、これは侵食症の五段階
目に近い状態だ」
そのとき、シンの瞼がゆっくりと上がり、琥珀色の瞳と目が合う。今は痛みが引いたのか苦悶の表情はしていない。
彼の前髪は汗で張りついており、浅い呼吸を繰り返している。
「……ここは」
シンは上体を起こそうとしたので背中を支えた。
彼が動くたびに侵食されている左手から結晶の破片がぱらぱらと床に落ちる。僕が先日拾った破片は、侵食症に侵されているシンの腕
から落ちたものだった。
「シン……大丈夫? まだ起きないほうが……」
「俺に触るな」
シンはにらみつけて弱々しく僕の手を押し退けた。動くと痛みが走るのか、左腕を押さえている。
どうして彼はこんな状態になるまで、合わない宝石を宿していたのだろうか。
「シン。どうして侵食症に?」
「おまえに教える必要はないだろう」
シンはなかなか事情を話してくれない。不意にルフトさんがシンの左腕を乱暴に掴んだ。結晶の破片がぱらぱらと音を立てて落ちる。
「おまえ、露店市場で盗人をしていた奴か」
「……そうだ。牢屋にでもぶちこむか?」
「やめてください!」
無理やりルフトさんの手をシンから引き剥がした。
シンがプレーズの露店市場でした行為は許されるものではない。それでも僕は今苦しんでいるシンを捕まえることはしたくない。
「シンにはきっと理由があるんです!」
「おまえ……何で」
シンを庇うようにふたりの間に割って入った。ルフトさんが苛ついている雰囲気が伝わってくる。
クラルスはため息をついてシンに言葉を投げかけた。
「……これも何かの縁です。少しくらい事情を話してもいいのではないですか?」
彼の言葉にシンは少しの沈黙のあと、ようやく重い口を開いた。
「……俺はミステイル王国の元少年兵だ」
「”元”? 今は違うの?」
「俺はアメジスト侵食者の被検体にされていた。無理やり宝石を宿されて研究所に監禁されていたんだ。数ヶ月前に脱牢してこの国へ亡
命してきた」
何人かの少年兵も被検体にされていたそうだ。実験中に半数は死亡し、残りの少年兵は脱走中に捕まったらしい。
「亡命して食いものを買う金さえなくて、プレーズの街で盗人をしていたわけか」
「こんな腕の状態じゃあ気味悪がって雇ってくれなかったしな……」
シンは初めから盗みをしようという気はなく、異国の地で生きようとしていた。
「激痛と息苦しさに耐え続けるくらいなら、死んで楽になりたいって何度も思った。でも……侵食症を治せる方法があるならと街を転々
としていた。まだ諦めたくなくて今も盗みまでして生きている」
シンの事情を知って胸が苦しくなる。彼に何かしてあげられないだろうか。ルフトさんが侵食症は呪いといっていた。解く方法がある
かもしれない。
シンは寝台から立ち上がり、ふらついた足取りで扉のほうへ歩いて行く。
「シン……?」
「面倒かけたな。もういちど言うが、もう俺にかかわるな」
シンを呼び止めようとしたとき、彼は扉の前で激しく咳き込んだ。シンは胸を押さえその場に座り込む。
急いで彼のもとへ駆け寄り、背中をさすった。
シンの咳はいっこうに止まず、咳と荒い呼吸を繰り返している。
「シン。今日はここで休んだほうがいいよ」
無視しているのか聞こえていないのか、彼は返事をしなかった。咳が止んだと同時にシンの身体が傾き、その場に倒れる。彼を抱き起
こすが、意識を失っていた。
クラルスはシンを抱きかかえて寝台へ寝かせる。彼は苦しそうに荒い呼吸を繰り返していた。
ルフトさんとクラルスはシンの様子を見て眉をひそめている。
「ミステイル王国の宝石研究機関か。アメジストの魔法は、肉体や精神に干渉するものだったな」
「アメジストの適合者を探して、魔法で兵士たちを操ろうとしていたかもしれません。痛覚や恐怖心を取り除いて、指示通りに動く傀
儡 の兵士を作りたかったのでしょ
う」
「ダイヤモンドと同じく、アメジストは適合者は少ないからな。すぐ宝石を外して解放してやらないのもミステイルはえげつないな」
宝石を研究している国は北の大国であるフィンエンド国が先進している。
研究成果を各国へ発表していた。ミステイル王国も独自に研究機関を設けて宝石の研究をしていたようだ。
シンの話を聞くかぎり非人道的な行為がおこなわれているのは明らかだ。フィンエンド国も裏ではそういうことをしているという噂が
ある。
世界の発展に宝石の研究は必要なことだが、人の命を犠牲にするのは許せない。
僕たちは話し合って明日、宝石師にシンを見てもらうことになった。ルフトさんは無駄だといっていたが、宝石を外せる可能性がある
なら外してあげたい。
すでに真夜中をすぎている。僕たちは身体を休めるために眠りについた。
太陽の光で目を覚ますと、「おはようございます」とクラルスの声が落ちてきた。
シンはどうしたのだろうか。彼が寝ている寝台を見ると、そこにシンの姿はなかった。
「おはようクラルス。……シンはどうしたの?」
「明け方、物音に気がついて追ったのですが彼は姿をくらましてしまいました」
「シン……大丈夫かな」
昨日の彼の様子を見ていたので、心配だった。ルフトさんは先に酒場へ行き、朝食を食べているそうだ。
僕も身支度を整えてクラルスとともに酒場へ向かった。
酒場では、すでにベルナさんは営業へ向けて酒瓶棚の整理をしている。僕に気がつくと彼女はほほ笑んだ。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「はい。おかげさまで。夕食の作り置きありがとうございました。おいしかったです」
ベルナさんに昨晩のことは何も問われなかった。彼女は少し離れた部屋にいたのだが気がつかなかったようだ。
ルフトさんの向かいの席へ座る。ベルナさんは僕が先日買った林檎で紅茶を淹れてくれた。
硝子の容器の中に薄い輪切りの林檎が浮いており、甘い香りがする。
僕が夜中に起こしてしまったため、ルフトさんは紅茶をすすりながら気怠 そうにしている。ベルナさんは僕 へ朝食を出すと、酒瓶棚の
整理を再開した。
「ルフトさん。……今日は帰ります……よね」
「本当は昨日、帰るつもりだったからな。まだ何かあるのか?」
「あの……シンが心配で……」
シンの名前を聞くとルフトさんは持っていた硝子の容器を乱暴に置いた。
眉をつり上げた彼ににらみつけられる。
「おまえ、お人好しも大概にしろ。昨日も言ったが、おまえがどうこうできる問題じゃない。それにあいつは助からない」
「そんな……。まだ何かあるかもしれません」
「あいつと同じ奴が一〇〇人いたら、おまえは全員に同じ情けをかけるのか? できないだろう。おまえが星影団に身を寄せていること
を忘れるな。俺の指示に従え」
ルフトさんから言われたことに言葉を詰まらせてしまう。僕のわがままなこととはわかっている。しかしシンが苦しんでいる姿を見て
しまったので放っておくことはできない。
「ルフトさん何もそんな言いかたはないでしょう」
「護衛も王子に甘いんだよ。ここは、おまえたちのいた王都じゃない。何でもわがままが通ると思うな」
俯いていると、ベルナさんが大きめの手持ち篭を机の上へ置いた。
「まったく何朝からカリカリしているんだいルフト。気分転換に森にある果実を採ってきてくれ」
「はあ? 何で俺が……」
「最近、魔獣は減ったとはいえ森には出るのさ。女ひとりで行かせるつもりかい?」
どうやらルフトさんに拒否権はないようだ。
ベルナさんは僕と目を合わせるとほほ笑んだ。彼女のおかげで張りつめていた空気が和らぐ。
ベルナさんが採ってきてほしい果実は果実酒用らしく、露店市場ではあまり出回らないらしい。
「わかったよ。王子と護衛は大人しく待ってろ」
「僕も行きます! ベルナさんにはお世話になりましたし……」
どこかでシンに会えるかもしれないと淡い期待をしていた。三人で果実を採りにいくため準備を始める。
プレーズの街に隣接している森へ足を踏み入れた。目的の果実はだいぶ奥にあるそうだ。
見本としてもらった果実は紫色の楕円の形をしており、甘酸っぱい匂いがする。
林道が森の奥までのびており、道に沿って進んでいく。昼間だが、森の木々であたりは薄暗く、湿った空気が漂っていた。
「だいぶ森の奥まできましたね」
「もう少しのはずだ……。まったくベルナのおかげで出発が遅れた」
ルフトさんは愚痴をこぼしながら歩みを進めている。
魔獣が出るといわれていたので警戒をしていた。しかし、道中は野獣にも魔獣にも出会うことはなく順調に歩んでいく。
しばらく歩くと林道の先に少し拓けた場所が目の前に広がった。薄暗い森の中にそこだけ太陽の光が降り注いでいる幻想的な光景。
中央には陽の光を浴びている果実の木が見えた。
「あっ……。ベルナさんから頼まれた果実と同じですね」
「さっさと採って帰るか」
木へ近づこうとしたとき、突風が吹き荒れて木々が騒ぎ出す。クラルスは何か感じ取ったのか僕を制止した。
「リア様。お待ちください。何か気配を感じます……」
後ろを振り返ると、森の茂みから狼型の野獣が一匹飛び出す。
僕たちが剣を構えようとしたとき、木の上から外套を被った人が降りてきた。
野獣に剣を突き立てると、短い断末魔を上げて絶命する。
唖然としていると、その人は頭に被っていた外套を外した。藍から浅葱の色彩に染まった髪の少年。
「……何だ。おまえらか」
「シン! 身体は大丈夫なの? 心配したよ」
シンは野獣に突き立てた剣を乱暴に抜くと舌打ちをした。
「おまえに心配される筋合いはない」
彼は相変わらずの態度だ。シンはため息をついて、髪を乱暴にかいている。
地面に伏している野獣を見るとスクラミンで見た野獣とは異なっていた。
黒い毛並みをしており、体内から熱源のようなものを感じる。実際暖かいわけではないが、不思議な感覚。これが魔力なのだろうか。
「……こいつは魔獣か」
ルフトさんは息絶えている野獣を見て怪訝な顔をしている。
「そうだ。このあたりは、やたら多い。魔獣が住処にしている」
「ずいぶんと、このあたりに詳しいのですね」
クラルスの言葉を聞いてシンの顔が歪む。
なぜシンはこんな森の奥にいるのだろうか。魔獣がいるとわかっているなら、森には近づかないはずだ。
「助けてくれてありがとう。何でシンはこんなことろに?」
「それは……」
彼に問うと押し黙る。何か言えないような理由なのだろうか。首を傾げてシンを見つめる。
クラルスは合点がいったような顔をして言葉を紡いだ。
「もしかして……。最近、魔獣が減っているというのは、あなたが狩っていたのですか?」
「なるほどな。食べ物を盗んでいる罪滅ぼしってところか」
クラルスとルフトさんの言葉にシンは口をつぐみ顔をそらした。
シンはプレーズの街の人が魔獣に困っていることを知っていたのだろう。お金を払えない代わりに魔獣を狩っていた。
そうでなければシンは侵食症に侵された身体でこんな危険なことはしない。
彼は根が優しい人なのだろう。
「……俺だって好きで盗みをやっているわけじゃない。良心の呵責もある。金で払えないなら、こういうことをするしかないからな」
シンは気持ちを吐露しながら剣を収めた。彼が動くたびに紫色の破片が腕から落ちている。
「おまえらに、盗みをしなければ生きられない状況と、じわじわ迫ってくる死の恐怖がわかるかよ」
「……シン」
不意に気配を感じ、僕たちはいっせいに同じ方向を向く。
仲間の血の臭いに誘われたのか、十数匹の魔獣がうなり声を上げて集まってきている。
僕たちは剣を抜き、構えた。
「リア様たちは下がっていてください」
「このくらいお子様の手を借りなくても大丈夫だ。おとなしく見学してな」
クラルスとルフトさんは襲ってくる魔獣を次々に斬り伏せていく。ふたりの剣術は鮮やかで動きに無駄がない。
僕たちに襲いかかろうとしている魔獣は、クラルスが優先的に倒してくれていた。
疲れた表情をしているシンにそばに寄り添う。ふたりからすこし離れて、念のため魔獣が襲ってこないか警戒をした。
「っ痛……!」
「シン!? 大丈夫!?」
彼は腕を押さえて座り込んだ。昨晩と同じく浅い呼吸を繰り返している。
シンを助けたいと思っているのに、ただ苦しんでいるのを見ていることしかできない。自分の無力さを悔やんだ。
不意に不穏な気配を感じた。そちらのほうを向くと魔獣が口を大きく開けている。口の中から人の頭くらいの大きさの火球が生成され
た。
火球は発射され、クラルスとルフトさんを襲う。
「ふたりともよけて!」
気がついたふたりは間一髪でそれを避ける。火球は僕たちの近くの木に着弾をして、中央から折れた。
「これが魔獣の魔法……」
「……早く逃げたほうがいい。魔獣の数が異常だ。こんな群れを見たことはない」
シンは荒い呼吸を繰り返しながら、戦況を見ていた。
先日、クラルスが話していた”魔力の強い人間を捕食したがる”という言葉を思い出す。
宝石を宿している僕たちがいるので、魔力につられて集まってきてしまったのだろう。
魔獣は次から次へと現れいっこうに減る気配がしなかった。
突然、一匹の魔獣が遠吠えを上げる。声は森に響き渡り、木々が震えた。
それに応えるかのように、どこからともなく地響きが聞こえてくる。あたりを見回したとき、森の中から三つ首の巨大な狼型の魔獣が
現れた。
家屋くらいの大きさで魔獣の親なのだろうか。人間を丸呑みしてしまいそうなほどの大きな口からは、低いうなり声が発せられてい
る。
大型の魔獣は僕たちのほうを見ると、迷うことなく走ってきた。
「リア様!!」
「っ間に合わない!」
クラルスとルフトさんの悲痛な声が響く。大型の魔獣は身体の大きさに似合わず素早い動きで前足を振りかぶった。
シンを抱えて避けることはできない。
突然、目の前が真っ暗になり、身体が弾き飛ばされた。
全身を強打して地面に転がる。起きあがり、傷を確認したが目立った外傷はない。その代わりに背中に傷を負ったシンが傍らに倒れて
いる。
彼が僕を庇ってくれたのだと理解した。
「シン! どうして!?」
シンの背中には魔獣がつけた深い掻き傷があり、大量の血が流れ出ている。
明らかに魔獣は僕を狙っていた。彼はどうして僕を庇ったのだろう。
それを考えるより今は眼前の魔獣を倒さないといけない。
クラルスとルフトさんが大型の魔獣に斬りかかるが、咆哮の衝撃波で吹き飛ばされる。
「ルフトさん! クラルス!」
ルフトさんは吹き飛ばされたと同時に雷撃を放った。魔獣に命中したが、あまり効いていないようだ。
魔獣と目が合い、身体がこちらを向く。シンが落とした長剣を拾い上げ、構えた。
それと同時に中央の頭が口を開くと、巨大な火球が作り出される。
剣に集中をして付与 を
した。相手が魔法を使うなら弾き返せるはずだ。
巨大な火球が僕に向けて発射される。
剣を火球めがけて振り下ろすと、火球は魔獣へ弾き返された。轟音とともに中央の頭へ直撃する。
怯んだ隙に、ルフトさんとクラルスが両端の首を切り落とした。魔獣の巨大な身体が傾き、地響きとともに倒れる。
それを見ていた魔獣の残党は森の奥へと姿をくらました。完全に魔獣の気配が消えて、安堵する。
剣を投げ出して、シンの元へ駆け寄った。
「シン! しっかりして!」
ルフトさんとクラルスも僕たちの元へ駆け寄ってくる。
「リア様! お怪我はありませんか!?」
「僕は大丈夫。それよりシンが僕を庇って……」
シンはまだ息はあったが、出血が酷い。このままでは死んでしまう。
彼は薄目を開けて、かたわらに座っている僕を見上げた。
「そんな顔するな。……どのみち俺は遅かれ早かれ死ぬからな」
「そんなこと言わないで……。シン。何で僕を庇ったの? 庇わなければシンは……」
こんな酷い怪我をすることはなかった。彼は僕のことを嫌っていたのではないのだろうか。
「少しは、おまえに恩義があるしな……。それに……知らない国へ亡命してきて、初めて優しくされて、うれしかった」
「シン……」
「やっと……。誰かを守れた気がする」
シンは僕に冷たい態度をしていたけど、本当は義理堅くて心優しい少年。そんな彼をここで失いたくない。侵食症に侵されてわずかな
命かもしれないけど、彼には諦めずに生きてほしい。
シンを抱き起こし、侵食されている左手を両手で包み込む。
「僕が……シンを助ける……」
月石に”シンを助けたい”と強く念じる。しだいに左手が優しい暖かさに包まれた。僕とシンを青白い光が包み込む。月石を宿してい
る左手からは帯状の光がいくつも発せられた。
魔獣に荒らされた草花に光の帯が触れると生命力を取り戻し、火球で折られた木からは新芽が芽吹く。
不思議な光景に目を奪われる。クラルスに使ったときとは違う魔法だ。
突然、硝子が割れるような音がする。シンの左腕をおおっていた紫色の結晶が徐々に剥がれ落ち、破片が空へ舞い上がった。
「……これは……」
ルフトさんとクラルスも驚いた様子で僕たちを見ていた。
左手から光が止むと、てのひらに違和感がある。シンの手を離すと、僕の手の中にはきれいなアメジストが収まっていた。
シンの爪を見ると宝石が宿っている証の刻印はなくなっている。彼は侵食症から解放されたようだ。
背中の傷もすっかり癒えている。
「俺は……侵食症が……治ったのか?」
シンは驚いた様子で左手を確認していた。
「シン……。よかった……」
安堵してため息をついた瞬間、眩暈がして身体が傾く。そばにいたクラルスがすぐに支えてくれた。
身体に力をいれようとしても入らず、自分の足で立つこともできそうにない。
「リア様。どうなさいました!?」
「……ごめんクラルス。身体に力が入らなくて……」
クラルスは僕を抱き上げ、心配そうな顔をしていた。意識ははっきりしているのに身体だけ力が入らず不思議な脱力感。ルフトさんは
眉を寄せて、僕を見ていた。
「一度に大量の魔力を消費したから、身体に負担がかかったんだろう。しかし……侵食症を治すとは……」
侵食症は魔法では治らないと聞いていたので、驚いた。原石 で
ある月石の治癒魔法なので治せたのかもしれ ない。
僕の手から落ちたアメジストをシンが拾い上げる。
「とりあえず用を済ませて戻るか。他の魔獣が来たら厄介だ」
ルフトさんは頼まれた果実を急いで採取した。僕たちは足早に林道を戻る。
「……森の外まで一緒にいく。魔獣に襲われるかもしれないからな」
「えぇ。お願いします」
シンは一緒についてきてくれるようだ。
森を抜けたころ、身体が熱く呼吸が苦しくなる。クラルスが息苦しくしている僕に気がついて足を止めた。
「リア様。大丈夫ですか!?」
「ん……平気だよ……」
彼を心配させないように無理やり笑顔を作る。シンが僕に近づき、額に手をあてた。彼の手がひんやりとしていて気持ちがいい。
「……だいぶ熱があるな。急いで戻ったほうがいい」
シンにうながされ、僕たちは急いで酒場へと戻った。シンも一緒についてきてくれたが、酒場に駆け込んだので怪訝な顔をしている。
彼には僕の身分を貴族と話していた。嘘をついていたことは露見してしまっただろう。
高熱で意識がもうろうとしてくる。ベルナさんはぐったりしている僕を見て慌てて水桶や布を用意してくれた。
「すみません……。ありがとうございます」
「礼はいいから、今はしっかり休みな」
寝台に寝かされている僕をシンは眉を下げて見ている。
「ねぇシン。僕のわがままなんだけど治るまで待っていてくれるかな。少しお話がしたい」
「……わかった。約束する」
彼の言葉に安心して、そのまま眠るように意識を手放した。
どのくらいの時間がたったのだろうか。目を覚ますと、窓から月が見えた。夜中なのか、あたりはしんと静まりかえっている。
熱は引いたようで、身体はだるいが動けないわけではなさそうだ。
クラルスが僕の寝台の端にうつ伏せになって寝ている。ずっと僕の看病をして疲れてしまったのだろう。
ルフトさんとシンはそれぞれの寝台で規則正しい寝息をたてていた。
隣の寝台にある毛布をクラルスにかける。彼らを起こさないようにそっと部屋から抜け出した。
薄暗い廊下を歩き、裏口から外へ出る。
夜気のつめたい空気が心地よく感じた。裏口近くにある長椅子へ座り、夜空を見つめる。
なんとなく月が見たくなり外まで来てしまった。月の光を感じていると身体が軽くなる。月石を宿しているからなのだろうか。
不意に裏口の扉が開くと、シンが顔を出した。
「……ごめん起こしちゃった?」
「いや。おまえが出ていく姿が見えたから……」
シンは僕の隣へ腰をおろす。彼は約束を守って、そばにいてくれた。ふと、シンの服装が変わっていることに気がつく。
「あれ? 服変わっているね」
「あぁ。魔獣のせいで破れたからな。女の人が服を適当に見繕ってくれた」
どうやらベルナさんが新しい服を用意してくれたようだ。彼女にはいろいろお世話になり頭が上がらない。
シンの視線が僕の左手に移る。
「……おまえが宿している宝石。回復系のサファイアじゃないだろう」
彼に月石の魔法は見られてしまっているので、正直に話すことにした。
シンの前に左手を出す。相変わらず月の光を受けると爪は淡い光を放っていた。
「……うん。これは月石なんだ」
「月石ってルナーエ国の象徴の宝石だろう。あとおまえ、貴族じゃないな」
「嘘をついてごめん。改めて自己紹介するね。僕はルナーエ国第一王子、ウィンクリア・ルナーエです」
「王子って……。あの掲示板に書いてあったお尋ね者のか?」
シンの言葉に胸が痛んだ。僕が母上たちを手にかけたのではないけれど、人々はそれが真実だと思っている。
「何で両親を殺したんだ? 理由があるんだろう」
「違う……。僕が手にかけたんじゃない。君の国の王子、ガルツが殺めたんだ」
「は……あ……? ガルツ王子が? じゃあ、あの掲示板の内容は?」
シンに今までのことを話した。
ガルツが夜襲をおこない、母上と父上を手にかけたこと。僕とクラルスだけ、城から逃げ出したこと。双子の妹のセラが幽閉され、傀
儡にされていること。リュエールさんに誘われ、星影団へ身を寄せていること。
そして、ガルツは月石を狙っており僕を捕まえようとしていること。
シンは神妙な顔で話を聞いていた。
「……そうか。ガルツ王子は元々きな臭いからな。やりそうなことだよ」
シンはミステイル王国のことを話してくれた。
ミステイル王国は、生活に困窮はしていないが徴兵が酷かったらしい。まだ入りたての少年兵でも戦争へ駆り出されることもあったそ
うだ。
シンも一度だけ前線ではないが戦場へ行ったことがあるらしい。
ルナーエ国はよほどの有事でないかぎり、少年騎士は出兵させないことになっている。自国との違いに、やるせない気持ちになった。
「それでさ。だいぶ前だけど第一王子が病で急死したんだ。一部の連中はガルツ王子の仕業だって噂があった」
「ガルツが自分の兄を……」
五年前、ミステイル王国の第一王子が急死した。僕は病死と聞いていたがミステイルの国内では違っていたようだ。
そのあと、ガルツは軍事政権を握り、徴兵を積極的にするようになった。同時に、宝石の研究機関を設立して国を挙げて宝石の研究を
始めたそうだ。
「ガルツ王子にとっては俺なんて実験ネズミと一緒だろうな」
非人道的な実験で、命をもてあそぶガルツに怒りを覚える。そんなことを何年もしていたのだろう。
「いちおう俺はアメジストと少し相性はあったらしいんだ。ゼロでないかぎり適合者の可能性があるから、研究所へ連れていかれた」
「宝石との相性……」
不意にセラへの不安がふくらむ。太陽石と月石は代々女王が宿してきた宝石だ。次期女王であるセラは少なからず太陽石との相性はあ
ると思う。
もし、ミステイル王国が無理やり原石 を
宿す技術を会得しているのならセラが危険だ。ガルツはセラに無理 やり宿そうとする可能性が高い。
シンの視線に気がついて彼のほうを向くと、眉をひそめていた。
「……大丈夫か?」
「ちょっと考え事……」
彼に無理やり笑顔を見せた。シンの左手を見ると後遺症などはないようでほっとする。
「……左手はもう大丈夫?」
「あぁ。痛みもない。その……なんだ……あ……ありがとう」
照れくさそうにシンは感謝の言葉を述べた。
「どういたしまして」
シンは僕が寝ている間のことを話してくれた。
彼はルフトさんにお願いをして、露店市場で盗人をしていたことを街の長へ謝罪しにいったそうだ。ルフトさんはシンの事情を長 へ説
明してくれたらしい。長は魔獣の討伐をしてくれたことと、素直に謝罪してくれたことに免じて許してくれたそうだ。
普通なら投獄されてしまう。長の寛大さにシンは救われた。
「よかったねシン。それでシンはこれからどうするの?」
彼は自国へは戻れない。ルナーエ国で暮らすのか、他の国へいくのだろうか。
「あの茶髪のルフトって人に頼んで、星影団に入ることにした」
「えっ!? どうして!?」
考えてもいなかった回答だったので面食らってしまった。
「おまえが俺のこと助けてくれただろう。だからおまえに尽くすことが礼儀ってものだ」
「で……でも、シンがわざわざ危険なことに身を投げなくてもいいんだよ。シンには普通に生活してもらいたい」
シンに見返りを求めて助けたわけではない。せっかく助かった命なのだから戦争から離れて生きてほしいと思う。
「俺が決めたことだから、おまえが気にすることじゃない。それに俺は帰る場所も待っている人もいないしな」
シンの両親はすでに他界しているそうだ。
何度も説得したがシンの意志は固く、首を縦には振ってくれなかった。
「おまえ、そんなに俺のこと嫌いか?」
「ち……違うよ!」
「ならいいだろう。それにガルツ王子が同盟を破ってそんなことをしているのなら、同じ国の人間として止めてやりたい」
彼の”ガルツを止めたい”という言葉を聞いて、これ以上反対することはできなかった。
「シンがそこまでいうなら……。改めてよろしくね」
シンの前に握手を求めるように手を差し出すと、握り返してくれた。
「よろしくな。……リア」
彼は柔らかい笑みを見せた。シンは侵食症に侵されていたときは、きつい表情をしていた。きっとこれが彼の本当の顔なのだろう。
「……そういえば王子だったな。呼び捨ては失礼か?」
「リアでいいよ。僕の護衛はクラルスで、ルフトさんは星影団の副団長だよ」
軽くふたりの紹介を済ませたとき、騒がしい足音が聞こえてくる。少し遅れて裏口からクラルスが飛び出してきた。
目を丸くしていると、クラルスは僕を見て安堵の表情をする。
「リア様。どちらに行かれたかと……。お身体は大丈夫ですか?」
「熱はもう引いたみたい。クラルスずっと看病していてくれたんだよね。ありがとう」
「私は当然のことをしたまでです。シンくんが、かいがいしくリア様の看病をなさっていましたよ」
シンのほうを向くと顔を真っ赤にしていた。彼はやはり優しい人なのだと再確認する。
「う……うるせぇ、いうなよ! あと”くん”つけるな!」
シンはひととおり叫ぶと「寝る」と捨て台詞をはいて室内へ戻っていった。クラルスと目を合わせてほほ笑む。
「クラルス。シンが星影団に入団するって聞いた?」
「えぇ。最終判断はリュエールさんに任せるそうです。ルフトさんは反対していましたが、ベルナさんが説得して渋々ですね」
シンは今、敵対しているミステイル王国出身。ルフトさんが敵視してしまうのも無理はない。
「星影団へ参加は複雑だけど、シンの意思を尊重するよ」
「彼は侵食症が治ってから、だいぶ素直ですよ。口が少々悪いですけど」
クラルスは苦笑している。シンのここまでの経緯を知ると、彼の今までの態度は納得してしまう。異国の地で信頼できる人が周りにい
なく、不安な毎日だっただろう。
シンが僕のために戦ってくれると聞いて、僕なりに彼の力になってあげたい。
「リア様。病み上がりのお身体に夜気は障ります。そろそろ室内へ参りましょう」
クラルスにうながされ僕たちは部屋に戻り、眠りについた。
次の日、体調もよくなったので、拠点へと帰還する。ベルナさんは僕たちを街の入り口まで見送りに来てくれた。
「ベルナさん。いろいろお世話になりました」
「元気になってよかったよ。また遊びにおいで」
ベルナさんは優しい笑顔をくれる。数日しかいられなかったけど、プレーズの街を少し知ることができた。
ベルナさんはシンの前まで歩くと、額を小突く。
「もう盗人なんてするんじゃないよ。星影団の一員になるんだから腹が減ったら酒場へ来な」
「いわれなくても、もうしない。今度いつ来るかわからないけど、そんときは世話になる」
シンは髪をぐしゃぐしゃとなでられ、おもいきり背中を叩かれた。彼は痛かったのか前かがみになっている。
「じゃあ、リュエールによろしくね。それとルフト……」
彼女はルフトさんに手招きをしてそばへ来るようにうながす。ベルナさんが耳打ちをすると彼の顔が赤くなった。
クラルスと目を合わせて首を傾げる。何を言われたのだろうか。
「ベルナには関係ないだろう!」
「相変わらずだな。早くしないとリュエールが……」
「頼むから黙ってくれ。今それどころじゃないんだよ」
ルフトさんの声の大きさに、歩いていた街の人が何人かこちらを見ていた。興奮しているルフトさんに向けて人さし指を口の前で立て
ると、彼は口をつぐんだ。
「色男。ルフトみたくなるんじゃないよ」
「……は……はぁ」
クラルスは言葉を投げかけられたが、当人たち以外、話の内容はわからない。ルフトさんは、あいさつをそこそこに早歩きで街を出て
いった。
「あ……あのベルナさん。ルフトさんに何を話したのですか?」
「大人の話さ。わかるようになったらお姉さんとお話しよう」
ベルナさんが”大人の話”というと意味深長で、これ以上追求してはいけない気がした。
取り残された僕たちは、彼女に会釈をして急いでルフトさんのあとを追う。
馬へ乗ろうとしたが、プレーズに来たときは三人なので馬が足りない。そこで僕とクラルスが相乗りをすることになった。前に乗るよ
うにうながされたが邪魔ではないだろうか。
「僕がうしろのほうがいいと思うんだけど」
「いえ。リア様がまえのほうがすぐにお守りできます。それと背後から狙われないようにですよ」
クラルスはいつも僕のことを考えてくれていてありがたい。いわれたとおり前に乗り、プレーズから出発をする。僕たちのやりとりを
見ていたシンは怪訝な顔をしていた。
「なぁクラルス。護衛って身を挺して守るとかそういうものなのか?」
「リア様をお守りすることが最低条件です。敵を排除し、自分も生き残り末永くお守りすることが護衛としての務めです」
「護衛って王族の捨て駒かと思っていたけど違うんだな」
「国によって差異はあると思います。さきほど述べたことは私の考えですよ」
五年の間ずっとそういう信念でクラルスが僕のことを守ってきてくれていた。彼が護衛で本当によかったと思う。振り返り、クラルス
へほほ笑む。
「クラルスに守られて僕は果報者だね」
「り……リア様! そんなもったいないお言葉、恐縮です!」
彼は落馬する勢いで慌てふためいていたので思わず笑ってしまう。拠点への帰路はシンが増えたことにより、賑やかだった。
「星影団の団長ってどんな人だ? 名前からして女?」
「うん。リュエールさんは女性だよ。すごく気さくでいい人だよ」
「ふーん。仕切っているのが女って珍しいな」
「そうかな?」
ルナーエ国では貴族の代表や街の長など、重要な役職に女性が就くことは珍しくはない。他国は男性のほうが多いらしく、ミステイル
王国ではほとんど男性が重役に就いているそうだ。
国によって違うのだなと改めて思う。
「猛者を引っ張っている女だろう。いかつい格好で男たちをしごいていそう」
「おまえ、リュエの前で同じこといってみろ。雷落とされるぞ」
「おー怖いね」
シンはからからと笑っている。比喩表現ではなく文字どおり雷を落とされると思う。
不意に頭上から鳥の短い鳴き声が聞こえた。空を見上げるとカルムがくるくると旋回している。
「カルム! 心配で見に来たのかな?」
「んっ? 鳥か?」
シンは僕と同じく空を見上げる。カルムへ手を振ると、降下してクラルスの肩へ乗った。久しぶりに会ったカルムはうれしそうに鳴い
ている。
「懐いているんだな」
「うん。伝書鳥でリュエールさんが飼い主だよ」
カルムの足には何もくくりつけられていないので、伝令ではないだろう。シンは物珍しそうにカルムを見ていた。
「おーい、鳥! こっちにも来いよ」
「カルムだよ!」
カルムはシンにそっぽを向く。名前ではなく”鳥”と言われたことが気にくわなかったようだ。
ルフトさんはカルムがなれるまで三ヶ月かかったとぼやいている。
三日間の帰路を経て、拠点へ戻ってきたころには空に星々が輝き始めていた。
拠点の修繕はすべて終わっているようだ。団員の皆は焚き火を囲みながら武器の整理や与えられた家屋で休んでいた。
僕たちはリュエールさんへ帰還の報告をするために公会堂へ向かう。
不意に肩に止まっていたカルムが飛び立つ。向かった先を見るとリュエールさんがいた。
「リュエールさん。ただいま戻りました」
「みんなおかえり! プレーズはどうだった?」
「とても有意義な旅でした。ありがとうございます」
彼女は僕たちにほほ笑む。そうそうリュエールさんはシンに気がついて声をかけた。
「……後ろの彼は?」
シンはリュエールさんと目が合うと僕を小突いて耳に顔を寄せた。
「リア。あの人が団長?」
「うん。リュエールさんだよ」
「……すごい美人だな。本当にそうなのか?」
シンが想像していたリュエールさんと、目の前のリュエールさんが違っていたようで戸惑っている。
ルフトさんはシンと出会ってから星影団へ入団したい経緯を説明した。彼女はうなづきながら真剣な表情で話を聞いている。
「なるほどね。シン、だったわね。ひとつ質問があるけどいいかしら?」
「何だ?」
リュエールさんはシンを見据えて言葉を紡いだ。
「私たち星影団はあなたの母国のミステイル王国と戦っているわ。戦争であなたの仲間と対峙するかもしれない。それでも戦える?」
彼女はシンの覚悟が知りたいのだろう。彼はどう答えるのだろうか。回答によっては星影団へ入団できないかもしれない。
シンを見守っていると、少し考えてからリュエールさんへ言葉を投げかけた。
「……正直わからない。仲間だった奴を目の前にして、非情になって殺せるのか。でも、あんたやリアが危険なことになったら絶対に守
る。俺は中途半端な気持ちで志願したわけじゃない」
シンの言葉に僕たちは静まりかえる。彼女の顔を見ると優しい表情になっていた。
「正直でいいわね。ミステイル王国の偵察でもなさそうだし、歓迎するわシン。ようこそ星影団へ。私は団長のリュエールよ」
彼女の言葉を聞いて安堵する。シンも胸をなでおろしていた。
ルフトさんは納得していないのか口を尖らせている。
「リュエ。簡単に信用していいのか?」
「ルフトは本当疑り深いわね。私がいいといったらいいのよ!」
リュエールさんは彼のおでこを人さし指で突いた。団長であるリュエールさんに認められたので、今日からシンは星影団の一員だ。彼
は僕たちと一緒の家屋に寝泊まりすることになった。歳の近いシンがいてくれるのはうれしい。
旅の疲れもあり、さっそく家屋へ移動する。
村ひとつが拠点になっているので、シンは物珍しそうにあたりを見回していた。いつのまにか食堂と浴場が作られており、本当に村の
ようだ。
「シンよかったね。リュエールさんに認められて」
「それより俺はあんな美人だとは思わなかったぞ! よく猛者を引っ張っているよな」
僕も初めて会ったときは、女性が団長だとは思わなく驚いた。
他愛もない話をしながら部屋へ到着する。シンはさっそく寝室へいき、寝台へ飛び込んだ。
空気をたっぷり含んだ布団に顔を埋めて幸せそうな顔をしている。
「まともに寝台で寝るの久々だな。ずっと野宿だったからありがたい」
「今日はゆっくり休んでね」
自分の寝台へ腰をおろす。シンは寝転んだまま僕の左手を見ていた。
「リア。魔法って便利か?」
「どうだろう。僕とクラルスは元素の属性魔法とは違うから、日常生活で使うことはないかな」
「クラルスも宝石宿しているのか?」
「うん。ダイヤモンドだよ」
宝石を宿している人は星影団のなかでもほんの一握りだ。日常で使っている人はほとんど見たことがない。
火属性のルビーは野営のときに便利そうだと思ったことはある。シンは魔法に興味があるのだろうか。
「シンは魔法使ったことはないの?」
「アメジストは宿していたけど使わなかったな」
シンは自分が宿していたアメジストを取り出す。月の光で宝石はきらきらと輝いている。
アメジストは魔法用としては売れないが、装飾品としては価値があるそうだ。
「ねぇ……シン……?」
シンに呼びかけるが返事がなかった。彼の顔を覗き込むと、疲れていたのか宝石を手にしたまま眠ってしまっている。
あまりにも早い寝つきにクラルスと顔を見合わせて苦笑した。
「シンはやっと安心して眠れるのでしょう」
「うん。おやすみシン……」
彼に毛布をかけて、寝顔を見ると自然と口元がほころんだ。
僕たちも旅の疲れがあるので、早いが寝床につくことにした。クラルスは野営のときは見張りをしてくれているのでだいぶ疲れている
と思う。
「クラルス手を出して」
「はい……?」
素直に出されたクラルスの手を握った。少しでも彼の疲れを取りたく、治癒魔法を使う。
クラルスは何をされているのかわかったようで、慌てて僕の手を押さえた。
「り……リア様。私は大丈夫です。それにまた倒れてしまったら……」
「今は大丈夫。僕の意思で魔法を使えているから」
「しかし……」
「少しだけだから……お願い」
「……かしこまりました」
僕の押しにクラルスは折れてくれた。
僕のてのひらから青白い光がこぼれ落ちる。シンのときの魔法は帯状の光だった。きっと強力な治癒魔法だったのだろう。
シンのときは、なぜあの治癒魔法が使えたのだろうか。僕の気持ちに月石が応えてくれたのかもしれない。
クラルスの手を離して彼を見つめる。
「少しは疲れがとれたかな?」
「えぇ。十分ですよ。今日はよく眠れそうです」
「よかった。クラルスもゆっくり休んでね」
クラルスにいつも守られてばかりだ。武術にかんしてはまだ未熟なので別なことで何か役にたちたい。
彼にうながされ、寝台に横たわり眠りについた。
2020/12/27 Revision