プリムスの伝承歌




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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第6曲 誓いの伝承歌

 星影(せいえい)団に入団して早一 週間。僕とクラルスは星影団が運営している酒場で少しの時間帯だけ、注文受けや食事とお酒を運ぶ給仕人をしている。
 星影団に身を寄せているので、少しでも何かできることがあればしたいとリュエールさんに相談したところ給仕人をすすめられた。

 正体が露見しないように、給仕人の正装に伊達めがねを掛けている簡易的な変装をしている。
 一国の王子がこんなところで給仕人をやるわけないという先入観のおかげで意外と露見せず、こうして一週間続けていられる。

 初めての給仕人という仕事に最初は戸惑っていた。優しく店主さんが注文の取り方やお客さんへの対応などを教えてくれたので、今はだいぶ慣れ てきている。
 王都にいるときはあまり一般の人との関わりがなかった。給仕人をしていると色々な人と触れ合えて少し嬉しく思う。
 お客さんにお酒を運んだ後、店主さんの元に戻ろうとした時、不意に手を掴まれた。

「ねぇ坊や、今夜お姉さんと遊ばない?」

 挑発的な服を着ている女性の集団に高確率で絡まれる。腰を引かれ、服の間にお金をねじ込まれた。きつい香水の香りに顔を逸らしたくなる。

「す……すみません。仕事中ですので、そういうのは困ります」

 お金を返し、そそくさと酒瓶棚がある裏手に逃げ帰った。ああいうお客さんの対応には困ってしまう。大きなため息をついた時、豪快な笑い声が 聞こえた。

「リア。いい加減慣れろよ」
「慣れませんよ……」

 木箱に座ってお酒を煽っているスレウドさんは、僕の行動を見てからからと笑っている。酔ったお客さんの対応には度々困ってしまう。ここ数日 酒場に女性客が多くなっているような気がした。
 スレウドさんの近くにいくとお酒の匂いが漂ってくる。

「スレウドさん。たくさん呑んでますね……」
「まぁな。いいかリア。絡まれたら女性の手の甲に口づけして断りゃ大丈夫だ。紳士的にな」

 スレウドさんが僕の手を引いて手の甲に口づけをしようとした時、彼に何かが衝突した。その勢いでスレウドさんは座っていた木箱から落ちる。
 僕が目を丸くしていると、酒場の方からクラルスが現れた。

「リア様に変なことを教えないでください」

 クラルスは鋭い眼光でスレウドさんを睨み付けている。物を投げた犯人はクラルスのようだ。さきほどスレウドさんに投げつけたものは金属製の 盆だった。彼はのろのろと起き上がり、木箱に座り直す。

「まったく、クラルスはリアのことになると容赦ないな」
「リア様の護衛ですから当然です」

 クラルスは店主さんからの伝言で「今日はもう休んでいい」ということを僕に伝えてくれた。店主さんにひとこと声をかけて、僕たちは地下の拠 点へと帰る。
 階段を下りると僕たちの帰りを待っていたのかリュエールさんが小走りで駆け寄ってきた。

「リア、クラルス。お疲れ様。ちょっと話したいことがあるんだけどいいかな?」

 最近、スレウドさんとリュエールさんは近親者から愛称で呼ばれている”リア”と呼んでくれることが多くなった。少しは親しくなれたのかなと 思い、名前で呼ばれると嬉しくなる。
 僕たちは顔を見合わせて、リュエールさんの後を追う。一番奥の部屋に入るとルフトさんが椅子に座っており、机の上にはルナーエ国の地図が広 げられていた。

「そうそう、ここ数日あなたたちのおかげで酒場の売り上げが良いのよ。給仕人にして正解だったわ」

 リュエールさんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。僕たちが初日に給仕人をしていた時より来客が多くなっていると思ったが、そんなに売 り上げが良かったのだろうか。

「私たちは見世物ではないのですけどね……」

 困った顔でクラルスは襟締を緩める。
 若い男子の給仕人が珍しいのか女性からは視線を感じることが多かった。
 酒場が忙しい時間帯にしか僕たちはいないのだが、物珍しさにお客さんが来て忙しい時間帯が余計忙しくなっていた。

「それも今日でおしまい。明日から拠点を移すわ」

 リュエールさんは広げてある地図の一カ所を指し示す。何も表記されていない場所だが荒野か森でも開拓するつもりなのだろうか。

「ここには廃村があるのよ。村を整備して、ここを拠点に今後活動をすることになるわ。各街にいる団員も集結させるつもりよ」

 セノパーズからさらに南の位置にある場所。王都からだいぶ遠くなり、国境線からも離れているので一日で兵を動かして奇襲される心配はなさそ うだ。
 しかし、一カ所に集まる動きをするとガルツに狙われるのではないのだろうか。

「リュエールさん。こんなに派手な動きをして大丈夫ですか? ガルツは黙っていないと思います」
「そうでしょうね。でも既存の街を大々的に拠点になんてできないし、一般の人を巻き込まないためにもね」

 人々を戦いに巻き込まないために星影団の皆が集まれる駐屯地は必要。しかしガルツは反乱分子である星 影団が動けば早い段階で必 ず潰しに来るはず。新拠点に移動した後、防衛できるかが最大の賭けだろう。

「リア。ガルツはどうでてくると思う?」
「そうですね。ガルツは王都でどのような位置にいるのかわかりませんが、個人的に騎士団を動かせても一〇〇〇程度でしょう。早期沈静化をする のでしたらこちらの動きを察知して、一週間以内には攻めてくると思います」
「なるほどね。そのくらいなら招集した兵で対応出来そうかしら」

 憶測であるため簡単に信用されても困るが、大きな動きをすれば確実に何かしらか仕掛けてくることは明らかだ。
 ガルツが王都を乗っ取っているとしても、大軍を動かすには女王陛下の許可が必要。女王の地位が空位の今、許可を得られないため動かせてもそ のくらいの兵数だろう。
 ガルツはルナーエ国を内側から侵食しようとしている。国民から反感を買うような強行手段は取らないだろう。
 そういえばこの村はなぜ廃村になってしまったのだろうか。クラルスなら知っているかもしれない。

「クラルス。ここが廃村になった経緯知ってる?」
「……いえ……」

 クラルスは憂いの表情を見せている。知らないというより答えたくないように見えた。この村に何か関係があるのだろうか。
 僕の護衛に就く前のクラルスのことは一切知らない。一番共にしている時間が長いが、クラルスのことを知らないのは複雑な気持ちだ。

「護衛はいいとして、王子の方は置物以外に何か役に立つのか?」

 ルフトさんは僕を睨み付ける。彼は僕たちの入団をあまりよく思っていないらしく、いつも刺々しい言葉を投げられる。

「リアは何か、戦に関することで得意なものある?」
「……得意というわけではないですけど、剣術と体術、軍事学は習っていました」

 次期騎士団長として剣術や体術の他に、戦争の時に指揮が執れるよう軍事学を習っていた。実戦はしたことがないので、役に立てるかは分からな い。
 ルフトさんは鼻で笑うと、壁に立てかけてあった長剣を僕に投げた。

「本当にできるか俺が試す。まさか”お遊戯でやりました”じゃないだろう」
「ルフト、こんな狭いところで止めて!」
「隣でやるよ」

 クラルスに制止されたが、少しでもルフトさんに認めてもらいたいと思い、僕は剣を握って隣の部屋へ移動する。リュエールさんとクラルスも僕 たちの後を追って隣の部屋へとやってきた。
 木箱が部屋の端に積んであるだけの少し広めの部屋だ。僕たちは剣を抜いてルフトさんと対面になる。

「お前から来いよ」

 ルフトさんに言われ、僕は踏み込み剣を振るう。受け止められてしまったが、僕は果敢に攻めていく。
 しばらく防戦をしていたルフトさんは攻撃姿勢に切り替えて僕に攻めてきた。動きが素早く受け止めることで精一杯だ。下がりながらルフトさん の攻撃を防ぐが、かかとが壁に当たる感覚があった。
 もう後ろには下がれないところまで来てしまった時、ルフトさんの剣が僕を襲う。咄嗟に姿勢を低くして剣をかわすと、ルフトさんの剣は勢いが 余り木箱へと突き刺さった。
 それと同時にリュエールさんが声を上げた。

「その木箱は食料入っているの! もうだめ、終わりよ!」

 まだ始まったばかりだったが、リュエールさんが間に割って入ってきたので止めるしかなかった。
 リュエールさんはルフトさんの頬に人差し指を立てて、これでもかと突いている。クラルスは小走りで僕の元へ駆け寄って来た。

「リア様。お怪我はありませんか?」
「うん。平気だよ」

 クラルスは相変わらずの心配性だ。少し剣先が服を掠めたが僕自身に怪我はなかった。
 リュエールさんはルフトさんの頬を引っ張りながら、彼に説教をしている。

「リア。クラルス。明日早朝に出発するから寝坊しないようにね」
「わかりました」

 リュエールさんたちに会釈をして僕たちは与えられた部屋へ戻る。
 軽く夕食を済ませた後、給仕人の服から着替えた。早々寝床に入り、明日のために身体を休める。

「店主さんとは、明日でお別れですね」
「うん。正体が露見しないか気が気でならなかったけど、上手く店主さんが誤魔化してくれたから助かったね」

 僕たちが給仕人をしている時にミステイル王国兵が酒場に来たことがあった。店主さんが上手く酒瓶棚の方に誘導してくれたので正体は露見せず やり過ごせた。

「私はリア様のことが、気が気でならなかったですよ。酔った勢いで気安く触る輩が多いので困ります」

 王都にいた時は、他人に触れられることはほとんどなかったので戸惑った。クラルスが酔った女性に絡まれているのを何度か見ている。

「クラルス。何度か誘われていなかった?」
「すべて丁重にお断りしましたよ」

 クラルスも女性に手を引かれたり、仕事が終わったら遊ばないかと誘われていた。クラルスは顔が整っていて王都でも侍女に好かれていたので仕 方ないと思う。
 そんな人たちだけでなく酒場に来る人々は皆開放感に浸り、他愛もない話をして笑い合っていた。母上たち歴代女王が守ってきた人々の平穏な 日々を守りたい。給仕人をしながらそう思っていた。
 僕たちは思い出話を切り上げ、明日のために眠りにつく。

 酒場を出ると少し顔を出した太陽と朝の冷たい空気に包まれた。ずっと地下にいたので陽の光が眩しく感じる。
 星影団の団員は地下拠点の荷物を街の入り口まで運び出す。店主さんと星影団数名は、諜報活動のためにこのまま街に残るそうだ。
 店主さんは見送りにわざわざ起きてくれた。

「王子殿下、クラルス君。非常に助かりました」
「こちらこそ色々お気遣いありがとうございました。店主さんお身体にお気を付け下さい」
「なかなか慣れない仕事でしたけど、お力になれて何よりです」

 店主さんのおかげで給仕人という仕事を短い期間だけどできて勉強になった。いつ次に店主さんたちと会えるのか分からないので少しの寂しさを 感じる。
 雑談の後、店主さんたちに別れを告げて街の入り口まで歩く。外套(がいとう)を 羽織っていると逆に怪しまれると リュエールさんから進言され、普段通りにしているのだが大丈夫だろうか。
 まだ明け方なので街の外にいる人は少ない。お店の仕込みや準備に勤しんでおり、僕たちのことは気にしていないようだ。

 街の入り口に星影団の皆が集まり、リュエールさんが荷物の確認をしていると、町中から複数人の走る足音が聞こえてきた。振り返ると十人くら いのミステイル王国兵がこちらに走ってきている。

「あら、朝から元気ね」

 僕は身構えクラルスは僕を庇うように前に出たが、リュエールさんに焦りの様子はない。王国兵は僕を見ると不敵に笑う。

「見張っていて正解だったな! 大人しく王子と護衛の身柄を渡してもらおう」

 王国兵は僕たちが酒場にいることは分かっていたようだ。外に出てくるのを待っていたのだろう。リュエールさんは毅然とした態度で王国兵を見 据える。

「二人を渡すわけにはいかないわ」
「従わない場合、反乱分子と見なすぞ!」

 王国兵が叫び剣を抜くと、リュエールさんは呆れたようにため息を吐いた。彼女が目配せをすると星影団が王国兵を囲み、剣を抜いた。
 街の入り口で乱闘になるのではないかと不安になる。

「賢い王国兵さんならどうするか分かるわよね。それとも犬死にしたいのかしら?」

 明らかに王国兵より星影団の人数の方が多い。王国兵は察したのか剣から手を放した。この人数差では勝てないと分かってだろう。戦いにならな くて胸を撫で下ろす。

「お前ら、こんなことをしてただで済むと思うなよ」

 王国兵たちは恨めしそうにリュエールさんを睨み付けている。彼女は取り合わず、星影団をまとめて歩き出した。僕とクラルスも急ぎ足でリュ エールさんの後を追う。

「リュエ、あいつら口封じしなくていいのか?」

 ルフトさんがリュエールさんに問いかける。王国兵たちはすぐ王都へ行き、ガルツに報告をするはずだ。調べ上げられれば星影団に僕が身を寄せ ていることが分かってしまうだろう。

「お世話になっている街を血生臭くしたくないわ。遅かれ早かれ見つかるのは時間の問題だったしね」
「お前は変な所で甘いよな」
「優しいって言ってくれる?」

 そういうリュエールさんが団長だからこそ、皆ついてきているのではないかと思った。僕も威圧だけで済んで良かったと思う。

「リアたちのことは露見するけど、反乱分子がいるってガルツに圧力かけられるからいいでしょう」
「自国兵率いて大軍で襲ってきたら俺たち対応できないぞ」
「それはないわ。兵力があるなら初めから武力行使して私たちの国を制圧しているわよ」

 ミステイル王国は他の国との摩擦があるので安易に兵力を割けない。少ない兵力でルナーエ国を支配できるのならそれに超したことはないのだろ う。
 近々拠点防衛をする戦いが始まると思うと不安で胸が苦しくなる。

 途中休憩を入れながら歩き、僕たちは新拠点となる廃村を目指した。着いた頃には夕方になっており、夕日が山の向こうに沈もうとしている。

 この村は地図にはもう載っていないので、こんな所があるとは思わなかった。廃村は石造りの建物は残っていたが、木材の建物は傷みが激しく修 繕が必要なものが多く見られる。安全な石造りの公会堂に今日は寝泊まりをすることになった。明日からは建物の修繕作業などをするらしい。

 夕食を済ませた頃には日も落ちていて、外は薄暗くなっている。大人たちはお酒を呷っており、公会堂内に臭いが充満していた。僕はお酒の臭い があまり好きではないので、クラルスと一緒に外へ逃げ出す。
 夜空を見上げると星の宝石が散りばめられ、欠けた月が浮かんでいた。公会堂の熱気とは正反対のひんやりとした外の空気が心地よい。

「夜空を見るの久々だね」
「ずっと地下にいましたからね」

 クラルスに視線を移すと、少し寂しそうな銀の瞳が揺らいでいた。どうしたのかと思い、首を傾げる。

「この廃村、クラルスと何か関係があるの?」
「え……いえ……」

 この廃村のことになると憂いの表情を見せるクラルスは無関係ではないだろう。言いたくない雰囲気は察しているが、僕は彼の過去のことを知ら なすぎるのでクラルスのことをもっと知りたい。僕は目で訴えるとクラルスは観念したのか少し困った顔をした。僕から視線を外して短いため息を 吐く。

「……一緒に来てくださいますか?」
「……うん」

 クラルスに案内され、一軒の家屋へと入った。食卓を囲む椅子や机は倒れており、歩くたびに木材の軋む音がするくらい劣化していた。ここ数年 は人の出入りはないのだろう。月明かりだけが照らす薄暗い室内の中央まで彼は歩くと僕の方を向いた。

「ここは……十歳まで私が育った家です。父親と母親と私で暮らしていました」
「そう……だったんだね」

 クラルスはこの廃村の出身。初めて彼は僕の護衛に就く前の話をしてくれる。
 十年前、ダイヤモンドの原石神殿が天災に見舞われて半壊してしまったそうだ。当時この村は原石神殿に一番近い村だった。そのため臨時でダイ ヤモンドの原石(プリムス)をこの村 に仮安置することになったらしい。機密情報だったが、どこからか情報を入手した 賊が、ダイヤモンドの原石(プ リムス)を奪うためにこの村を襲ったそうだ。

 その時、たまたまクラルスは村にいなかったため助かった。彼は村の異変に気がついて戻ると賊に襲われ、間一髪で父上に助けられたそうだ。騒 ぎを聞きつけ王都から騎士団が来た時には、もう手遅れだった。クラルス以外の村の人々は皆、賊に殺されてしまっていたらしい。しかし原石は盗 まれてはおらず、周りには結晶化した賊が何十人も死んでいたそうだ。

 その後、クラルスは王都の孤児院に引き取られた。助けてくれた父上への恩返しのために十二歳で少年騎士団へ入団したそうだ。
 クラルスの過去を知りたいと思い、無理に聞いてしまった。辛い過去を思い出させてしまって罪悪感が湧いてくる。

「……ごめん。無理に聞いて」
「リア様はお優しいので私のために心を痛めると思い、お話することを躊躇(ためら)っ ていました」

 ダイヤモンドの原石(プリムス)が この村に来なければ、クラルスは平穏にこの村で過ごしていたのだろう。
 家を離れ、クラルスは森の方へと歩き出した。どこへ行くのだろうと僕はクラルスの後をついて行く。


***


 騎士団長様にあの日の恩を返すために私は少年騎士団へと入団希望をした。厳しい試験を乗り越え、入団したのは十二歳の頃だ。
月日は流れ、十五歳のある日。訓練の後、騎士団長様に声をかけられる。

「クラルス。話がある」
「はい」

 私は少年騎士の宿舎の小さな会議室に案内された。椅子に座るように促され、騎士団長様が座るのを確認してから椅子へ座った。個人的に呼ばれ ることは珍しい。貴族の視察同行にでも拝命されるのだろうか。

「クラルス。年上の騎士がいるなか首席の座に着き、騎士としての成長ぶりに俺は一目を置いている」
「もったいないお言葉ありがとうございます」

 騎士団長様直々に褒めて下さることはそうそうない。素直に嬉しく思うが、それをいうために呼ばれたわけではないだろう。

「クラルスを見込んで頼みがある。我が息子の護衛に就いてもらいたい」
「王子殿下のですか?」
「そろそろ息子も娘も十歳になる。個別に護衛をつけようとおもってな」
「……私で勤まるのでしょうか?」

 まさか自分が王子殿下の護衛に抜擢されるとは思っていなかった。しかし少年騎士団の首席とはいえ、まだまだ未熟だ。そんな自分が騎士団長様 の大切なご子息を守れるのか不安しかない。

「大人の護衛だと子供たちが萎縮してしまうかもしれないからな。娘には次席のルシオラをつけるつもりだ。将校を目指しているのであれば無理は 言わん」

 ルシオラとはあまり話したことはないが、女性でありながら成績がよく一目を置かれていた。騎士団長様が大切なご子息を私に託そうとしてくれ ている。それは私を信頼してくれているからであり、騎士団長様へ最大の恩返しになるのではないだろうか。

「……あの……未熟ですが、私でよろしければ……」
「そんなに謙遜するな、お前の腕は確かだ。息子を頼んだぞ」
「はい!」
「それと……可能なら息子を支えてやって欲しい……」

 その時の騎士団長様の表情は忘れられないくらい憂いの表情をしていた。騎士団長様はすぐ憂いの表情を隠し、私の前に綺麗に折りたたまれた一 着の外衣を差し出す。私はこれに見覚えがあった。何度も見かけて、それに袖を通すのを夢見る少年騎士も多い。

「あの……こちらは」
星永(せいえい)騎士の証の外衣 だ。明日からこれを着て護衛に就いてくれ」
「よ……よろしいのですか。私が袖を通してしまって」
 
 星永騎士は少年騎士で優秀な成績を収めて卒業した人や、一般の騎士が武勲をたて騎士団長様に認められれば星永騎士になれる。そんな特別な地 位だ。
 
「泊付けみたいなものだ。星永騎士が守ってくれるなら外部も文句は言わないだろう。それにその素質はお前にある」
「み……身に余る光栄です」

 まさかこんなにも早く袖を通せる日がくとは思いもよらなかった。コートを受け取る手が震えてしまう。
騎士団長様からは今晩中に、星永騎士の宿舎に移動するようにと言われた。幸い自分は私物はほとんどないのですぐにでも移動できる。明日の集合 場所を伝えられると話は終わりになった。
 騎士団長様が部屋を出ようとした時、思い切ってあの時のお礼を伝えようと思った。

「……騎士団長様。ユーディアという村での出来事を覚えていらっしゃいますか?」
「ん……あぁ。覚えているさ、あの出来事は忘れることはない」
「あの時……騎士団長様に助けてもらいました。ありがとうございました」

 私が言葉を紡ぐと、騎士団長様は目を見張った。

「あの時の少年か? ……そうか大きくなったな。騎士に志願してくれて感謝する」

 優しい声。まるで父親にでも言われたような感覚になった。直接お礼を言える機会はないだろうと思っていたので、自分の気持ちが伝えられて嬉 しい。これから王子殿下の護衛をしっかり努めて、恩返しをしようと心に決めた。

 自室に戻ると同室の少年騎士からは騎士団長様から何を言われたのかと興味津々で聞いてきた。私は王子殿下の護衛を任されたこと、星永騎士に なることを伝えると皆立ち騒いだ。隣にいた同期の少年騎士たちも集まって祝福をしてくれた。
 そして今から星永騎士の宿舎に移動する。すぐ荷物をまとめてお世話になった少年騎士たちの部屋を巡り、挨拶を済ませた。

 星永騎士の宿舎へ移動すると、宿舎の前で待機してくれていた先輩騎士が、部屋に案内をされる。護衛ということもあり、すぐ駆けつけられるよ うに宿舎の一番手前の部屋だ。鍵を受け取り、部屋に入る。小さな机と椅子、衣類を収納する棚、清潔感のある寝台、一人部屋としては十分な広さ だ。少年騎士の宿舎は四人で一部屋だったため待遇の違いに戸惑う。

 明日早朝から王子殿下との顔合わせだ、まとめてきた荷物を解き、片付けを始める。
そういえば王子殿下と王女殿下を何とお呼びすればいいのだろうか。確かお名前は、ウィンクリア様とセラスフィーナ様。お名前で呼ぶには慣れ慣 れしすぎだろうか。皆が普段呼んでいる王子殿下が一番無難だろう。それと騎士団長様が言っていた”支えて欲しい”とは、相談や雑談相手にでも なればいいのだろうか。王子殿下がどういう方なのか分からないが、まだ九歳だったはずだ。同性の年の近い私が話し相手になればきっと喜んでく れるだろう。


 次の日の朝、自室を出ると丁度ルシオラも対面の部屋から出てきた。お互いまだ成人ではないため星永騎士の外衣が大きく感じる。

「おはようございます。ルシオラさん」
「おはようクラルス。同職だろう。敬称はいい」

 年上であるため敬称をつけたが、彼女は年下の私を対等として扱ってくれているのだろう。肩につくくらいの浅紅(あ さべに)色の髪を揺らし、先に歩き出し たので私はその後をついていく。
 無言のまま集合場所で待っていると、女王陛下と騎士団長様がいらっしゃった。私たちは頭を下げ、挨拶をする。
 女王陛下は滅多にお目にかかれない。綺麗な銀髪と美しい顔立ちがとても印象的だった。
 私は騎士団長様と王子殿下の自室へ、ルシオラは女王陛下と王女殿下の自室へとそれぞれ向かう。
 王子殿下を拝見するのは初めてだ。どんな方なのだろうか。

「リア。入るぞ」

 騎士団長様が扉を叩き、少し待って開くと窓際に侍女と一緒に一人の少年が佇んでいた。
長く伸びた銀髪を一つに結い、綺麗な大きい翠緑の瞳。まるで少女のような可憐な外見に思わず息を呑んだ。女王陛下の血を色濃く引いているよう だ。侍女は私たちの前に王子殿下を連れてくると一礼をして部屋を後にした。

「リア。先日話していた専属護衛のクラルスだ」

 騎士団長様から紹介され、私は王子殿下に目線を合わせるように跪いた。

「今日から護衛に就きますクラルスと申します。王子殿下よろしくお願いいたします」

 私の挨拶を聞くと柔らかく微笑み、王子殿下は右手を胸に当てた。

「初めまして、ウィンクリアと申します。今日からよろしくお願いします。クラルス……さん」

 子供らしからぬ挨拶に目を見張ってしまった。年相応からかけ離れている。これか王族というものなのだろうか。

「お前たち堅苦しいな。リアはクラルスを兄のように慕ってもいいんだぞ。クラルスも弟だと思い接してやってくれ」
「そ……そんな滅相もございません」

 騎士団長様は豪快に笑っている。

「真面目だな。では後は任せたぞクラルス」
「かしこまりました」

 立ち上がり一礼をすると騎士団長様は部屋を後にし、私と王子殿下だけになる。何を話せばいいのだろうか。戸惑っていると王子殿下から話しか けてくれた。

「クラルスさんは、お城に来るの初めてですか?」
「えぇ。そうですね」
「では、お城を案内しますね」

 自分より上の地位で幼い王子殿下に、敬語を使われるのは違和感があった。

「王子殿下。私に敬語や敬称は不要です。クラルスとお呼び下さい」
「……じゃあそうするね。行こうクラルス」

 王子殿下は自ら扉を開けて、私を城内の施設を案内するため歩き出した。
 一階にある評議会室、女王陛下の書斎、食堂。二階の謁見室、軍議室、資料室などその他にもたくさんの部屋があり、想像以上に城内は広かっ た。一通り案内され、王子殿下の自室へ戻る途中、評議会が始まるのか評議会室の前に貴族が集まっている。
 王子殿下を目にした二人の貴族が話しかけてきた。

「王子殿下おはようございます。今日も陛下ゆずりの銀髪がお美しいですね」
「おはようございます。お褒め頂き、ありがとうございます」
「殿下そちらの方は?」

 貴族に話題を振られ、心臓が跳ねた。急に話しかけられたので言葉に詰まってしまう。

「今日から僕の護衛に就いたクラルスです。お見知りおき下さい」

 自分から名乗る前に王子殿下が貴族へと紹介をしてくれた。「よろしくお願いします」と頭を下げることしかできなかった自分が恥ずかしく思 う。貴族の二人はお若い星永騎士と言い、怪訝な表情で私を見ていた。元来、星永騎士の地位に就けるのは一番早くて一八歳からだ。まだ私は十五 歳で異例の昇格なので貴族が不思議に思っているようだ。

「王子殿下も護衛をつけてもらえてよかったですねぇ」
「……はい。母上と父上には感謝しています」

 含み笑いをする貴族に違和感を覚えた。貴族の言葉は嫌みのようにも聞こえる。私の勘違いであって欲しい。
 私たちは一礼をして立ち去ろうと歩み出す。

「子供らしくなく、可愛げがありませんな」
「品行方正の方が、外の国に出す時に役に立つだろう」
「そうですな。容姿は陛下譲りの一級品ですからね。有力国の姫君も欲しがるでしょう」
「フィンエンド国の目に止まればルナーエ国の利益になりますな」

 信じられない貴族たちの言葉に思わず歩みを止めた。明らかに王子殿下に対しての侮辱だ。しかも聞こえるように堂々と言っているので王子殿下 のお耳にも入っているだろう。十歳にも満たない少年になんという非情な言葉を吐くのか。怒りがこみ上げてくる。糾弾しようと振り返ろうとした 時、不意に王子殿下が私の手を握った。

「……お部屋に戻ろう。たくさん歩いてクラルス疲れたよね」
「……かしこまりました……」

 無理に作っている王子殿下の笑顔に胸が締め付けられる。手を引かれて王子殿下の自室に戻ってきた。

「ごめんねクラルス、嫌な思いさせちゃって。でも僕の為に怒ろうとしてくれてありがとう」
「…………」

 言葉が出てこなかった。王子殿下に王位継承権はない、だからと言って軽んじることはないだろう。無垢な少年があの貴族たちに何をしたという のか。貴族の煌びやかな地位とは正反対のどろどろとした汚い人間性を見て吐き気がする。

「僕だけ特別に言われているわけじゃないんだ。歴代の王子もみんなそうなんだよ。これは仕方のないこと……」

 王子殿下は諦めたような顔をして私に微笑む。仕方がないであのような貴族の無礼を許していいのだろうか。多分、女王陛下も騎士団長様も分 かってはいるだろう。この国特有の嫌な部分が見えてしまう。

「……貴族の人たちは僕をモノとしか見ていないからね。多分名前すら覚えていないと思うよ」
「なっ……!」
「クラルス……。君は買ってきた”万年筆”の銘柄を覚えている? ……つまりそういうことだよ。あの人たちからすれば、僕は”王子”というモ ノでしかないんだ」

 愕然とした。そこまで王子という立場を軽んじるのかと。自分には理解し難かった。王子殿下は貴族を糾弾することもなく、自分より私の心配を してくれている。そしてすべてを諦観している目。どうしてこのような仕打ちをされなければいけないのか。
 困った顔をして王子殿下は背伸びをすると、幼い手で私の頬を撫でる。

「そんな顔しないでクラルス。君は優しいね……」
「……私には……あの者たちの言動が理解できません」
「気にしないで。僕が我慢すればいいことだから」

 いつから貴族たちは王子殿下に言葉の刃を向けていたのだろうか。話を聞く限りここ最近のことではなさそうだ。幼いから何を言っても分からな いと思っているのだろうか。王子殿下は幼いながら考え、悩み、耐え続けてきた。もしかして騎士団長様が言っていた”支えて欲しい”とはこのこ とだったのだろうか。

「こういうの日常茶飯事だから辛かったら任を解くように僕から父上に言う……」

 これ以上辛い言葉を紡がせないように無意識に王子殿下を抱きしめた。

「……クラルス?」
「私はあなたの護衛です。あなたのすべてをお守りします……リア様……」

 思わず騎士団長様が愛称として呼んでいた”リア”という名前を口にしてしまった。肩が震えているのが伝わってくる。抱きしめた腕を解くとぽ ろぽろと大粒の涙を流していた。

「……も……申し訳ございません。あの……泣かせるつもりでは……」
「ううん。嬉しくて……ありがとうクラルス。家族以外に名前を言われたの初めてで……嬉しい……」

 涙も拭かずに私に満面の笑みを向けてくれた。こんな笑顔もできるのかと安堵する。まだ目尻に溜まっている涙を人差し指ですくう。
 普通の子供ならとうに心が壊れてしまっているだろう。笑顔を見せられるのも女王陛下と騎士団長様が愛情を注いでくれており、リア様自身の心 の強さもある。

「……クラルス。もう一度、名前を呼んで?」
「はい。リア様」

 これから何百回もお呼びするだろう。私だけではなく皆が当たり前になるように、この笑顔が失われないように、これからリア様を守り抜くこと を誓った。


***


 しばらく歩くと木々が開かれた場所と小さな泉が見えた。水面に月が映し出されていて、とても静かな場所で不思議と落ち着く。村から少し離れ ていて公会堂の星影団の声は聞こえなく、自然の音だけが流れていた。僕はこういう静かな場所は好きだ。

「……綺麗なところだね」
「幼い頃、お気に入りの場所です。村が襲われた日、私はここにいて助かりました」

 クラルスは泉の水面に映る月を見ながら悲しそうな表情をした。星影団の新拠点になると聞いて複雑な気持ちだっただろう。

「その後の十年は王都で暮らしましたし。今は王都が故郷みたいなものですけどね。このようなことがなければ故郷には一生来る機会はなかったで しょう」

 こんなかたちで生まれた故郷には帰りたくはなかったと思う。今のクラルスの心境を考えて胸が締め付けられる。クラルスは左手を見つめてお り、ダイヤモンドが宿っている証の銀色の爪が月の光に当たり淡い光を放っていた。

 ダイヤモンドの原石欠片(オプティア)を 宿す前に躊躇っていたの も、村が無くなる原因となった宝石なので宿したくはなかったのだ ろう。それよりも僕を護るということを優先して、自分の感情を抑えて宝石を受け入れてくれた。
 それにクラルスは、父上の命で僕を護っていただけであって父上が亡き今、僕を護る理由はない。

「クラルス。……ごめん、戦いに巻き込んでしまって。僕を護る理由なんてないのに……」

 俯いてクラルスに謝罪をすると。クラルスは優しい声で僕の名前を呼んだ。彼の方を向くと柔らかい表情で僕を見ていた。

「……リア様。最初は騎士団長様への恩返しとして騎士団に入り、騎士団長様の命を受けてあなたを護っていました。たくさんの時間を供にしてあ なたの人柄に惹かれ、敬愛しています。今は私の意思で側にいたいと思います」

 クラルスは僕の前に立つと左手を取り跪いた。

「私、クラルスはウィンクリア様への不滅の忠誠をここに誓います」

 初めてクラルスから忠誠の言葉を投げかけられたので気恥ずかしい。本来なら僕が騎士団長に就任した時、騎士団の代表者から言われる言葉。ク ラルスが個人的に僕に言ってくれて素直に嬉しい。僕は一呼吸をおいてから言葉を紡ぐ。

「今ここに、クラルスの忠誠を受け入れ、その命尽きるまで我と共にあらんことを……」

 正式な忠誠の言葉を言われたので僕も同じく返すと、クラルスは驚いた表情を見せた。まさか僕がそうやって返すとは思っていなかったのだろ う。まだ硬直しているクラルスの姿を見て、思わず吹き出してしまった。

「クラルスなんて顔しているの。自分から忠誠の言葉を言ったのに」
「も……申し訳ありません。まさか返して下さるとは思っていませんでしたので……」

 恥ずかしかったのかクラルスは顔を赤らめて立ち上がると、不安そうな表情をしていたので僕は首を傾げる。

「リア様……ご迷惑……でしたか?」
「ううん。すごく嬉しいよ、ありがとう」

 クラルスに笑顔を向けると、彼は安堵した表情を見せた。
 夜も更けて風も冷たくなってきたので僕たちは公会堂へと戻る。
 宴会は既にお開きになっており、皆床に雑魚寝の状態だ。僕とクラルスも積んである毛布を二つ取り、公会堂の端に身を寄せて眠りについた。


 次の日の朝、クラルスは村の修繕作業の手伝いをすることになった。僕から離れることを嫌がっていたがリュエールさんの命令なので仕方ない。
 僕は公会堂の階段に腰を下ろす。みんなが頑張っているのに僕だけ何もしないわけにもいかない。何か手伝うことはないか辺りを見回していると 女性二人が大量のじゃがいもとにんじんなどの野菜を持って川の方へ向かっていった。
 様子を見に行くと川の水で泥を落としているようだ。あれだったら僕にもできると思い女性に声をかけた。

「おはようございます。お邪魔でなければ僕にも手伝わせてください」

 女性たちは驚いた様子で僕を見ている。

「えぇ! 王子様!? そんないいのですよ!」
「三人でやったほうが早く終わると思います」

 彼女たちは顔を見合わせて「よろしくお願いします」と頭を下げた。僕も習って頭を下げて袖を捲り、土を被っているにんじんを川の水へ浸す。 泥を落とすと綺麗な橙色のにんじんになった。
 綺麗なざるへ移して次の土を被ったにんじんを洗う。その繰り返しだ。手を動かしながら女性たちに声をかける。

「こんなにたくさんありますけどお昼用ですか?」
「昼と夜用です。昼に間に合わせないといけないので助かりました」
「お食事がお口に合うかわかりませんが……」

 彼女たちは、申し訳なさそうに答えた。僕が王族なので気にしているのだろうか。

「昨晩の食事美味しかったです。ありがとうございます」

 僕の言葉に女性たちは神妙な顔をしていた。何か変なことを言ってしまったのだろうか。

「あの……失礼ながら王族の方は難しい人だと思っていまして」
「貴族を見ていると……ねぇ……」

 貴族が悪事をして僕たち王族が悪く言われるのは仕方ない。本当は貴族の悪事を見抜いていかなくてはいけない立場なのだから。

「貴族に関しては人々が苦しんでいることは承知しています。近年は悪事も狡猾になってきまして母上も苦悩していました。そこで星影団に協力を 仰いだのだと思います」
「星影団も少しは力になれていたのかしら?」
「少しずつですが変わっていけると思いました」

 僕が視察へ行った時、星影団の人たちが先に行動してくれたおかげで母上は確信をもって僕を視察に出せたのだと思う。貴族も密告している何者 かがいるとわかれば悪事も容易にできなくなる。
 少しずつだけどルナーエ国を変えようとしていた。

「それですのに女王陛下と騎士団長様は……。あっ……申し訳ありません」

 女性は深々と僕に頭を何度も下げた。それより彼女たちは僕のことを疑っていないのかと不思議に思う。

「僕のこと疑ってないのですか? 世間では僕は両親を手に掛けたと流布されています」
「リュエールさんが決めたことだからね。信じようと思ったの。それに万が一掲示板の内容が正しければリュエールさんは断罪すると言っていた わ」
「またあんた余計なことを……」

 彼女は慌てて頭を下げた。リュエールさんは協力することを考えていたが本当に両親殺しだった場合は、僕を殺すつもりだったのだろう。両方の ことを含めて僕を探していたのだなと思う。そして母上とリュエールさんの間ではそれだけ信頼関係を築いていたのだと改めて感じた。

「リュエールさんが僕と接触してくれなかったら今頃、無実の罪で殺されていたかもしれません。感謝しています」

 話が一段落ついたころすべての野菜が洗い終わった。綺麗になった野菜についている雫が太陽の光を受けてきらきらと輝いている。

「王子様。ありがとうございました」
「また僕にできそうなことがありましたらお手伝いしますね」

 調理場まで彼女たちと一緒に野菜を運ぶとクラルスが慌てて僕に近づいてきた。

「リア様お姿が見えなかったのでどちらに行かれたかと……」
「野菜を洗うの手伝っていたんだ。クラルスは休憩?」
「えぇ。一段落つきましたので」

 相変わらずの心配性だなと苦笑した。いつも一緒にいることが当たり前だったので離れてしまうと不安なのかもしれない。クラルスの額には少し 汗が滲んでいた。

「修繕作業大変みたいだね」
「こういった作業は初めてなので戸惑ってしまいますね」

 クラルスはずっと騎士として訓練を積んできたので不慣れなのは当たり前だ。午後は修繕作業の方も手伝えないか見に行こうと思う。

 昼の休憩を終えて、団員のひとたちは修繕作業へ戻る。クラルスは小屋の前で作業を開始した。
 僕は邪魔にならないように修繕作業をしているところを見回す。皆、慣れた手つきで屋根に上り木の板を剥がし、新しい木の板を釘で打ってい る。
 星影団はこういう作業もできるのかと感心した。そのとき屋根の上から男性の声が聞こえてくる。

「誰か。釘持ってきてくれないか!」
「釘ですか?」

 僕が声をかけると男性は驚いた表情をした。

「あ……いや! 殿下に言ったわけでは……!」
「手が空いているので持ってきますよ。どこにありますか?」

 男性は口籠もっていたが、釘の場所を教えてくれた。僕は足早に釘を箱の中に詰めて男性の元へ戻る。

「これで足りますか?」
「すみません。殿下に頼んでしまうなんて」
「いえ、僕も何かお手伝いしたいので。何かあったらまた呼んで下さい」

 僕は男性に会釈をして立ち去る。しばらく歩いていると、休憩をしている男性を見つけた。僕は村の中央に置いてある水が入った水筒のひとつを 男性に持って行った。

「お水飲みますか?」
「王子殿下!? これはすみません。ありがとうございます」

 男性は水筒を受け取り、豪快に水を飲んでいる。

「いやぁ王子殿下からもらった水は格別に美味いな!」
「作業お疲れ様ですね」
「こんなのルフトさんの剣術訓練に比べたら楽な方さ」

 修繕作業より辛い剣術訓練とは一体どのようなものなのだろう。ルフトさんは容赦ないのだろうなと思ってしまった。
 皆の様子を見ていると僕に対して嫌悪した態度や視線を送るひとはいなかった。僕が無実なことを信じてくれているのだろう。リュエールさんが 声を上げてくれたおかげだ。

「あの……。リュエールさんってどんな人ですか?」
「皆をまとめて引っ張る力があって決断力も素晴らしいよ。おまけに美人だろう。それに皆、貴族に困っていたからな。悪政を変えたいって思って いるのさ」

 皆リュエールさんのことは口をそろえて絶賛をしている。指導力が優れていることは少し一緒にいただけでも伝わっていた。
 僕はスクラミンの視察に行くまでに人々の声を聞いたことはなかった。母上や父上だけが悪政と戦っていたわけではなく、人々も悪政と戦ってい る。皆それぞれの立場からルナーエ国を良くしようと行動を起こしていたのだと感じた。

「でもまさかこんなことになっちまうなんてなぁ。早く王女殿下をお救いしましょう! ルナーエ国を支配されてたまるものか!」
「はい。僕も微力ながら頑張ります」

 不意にクラルスが休憩している姿が見えたので男性に会釈して立ち去る。水筒を持ち彼のそばへ駆け寄った。

「クラルス、お疲れ様。お水持ってきたよ」
「リア様。ありがとうございます」

 クラルスに水筒を渡して彼の隣に座る。クラルスの隣にいる時が一番安心するなと思う。彼を見ると僕に柔らかく微笑む。どうしたのかと思い首 を傾げた。

「リア様は色々お手伝いされているのですか?」
「うん。クラルスみたく重いもの持ったり高いところに上れないけど雑用くらいならできるし、何か役に立ちたいと思って」
「やはりリア様は騎士団長様のご子息ですね。騎士団長様も色々率先してやっていらっしゃいました」

 父上は「立場が上の人がお手本を見せないといけない」と言っていたことを思い出す。雑用から掃除、剣術の特訓など騎士たちの手本になるよう に動いていた。僕もそんな父上の背中を見て育ったので自然と動いてしまうのかもしれない。
 その時、男性の短い悲鳴が聞こえた。どうしたのかと思い声の聞こえた方へ駆けつける。一人の男性がうずくまってうなり声を上げていた。星影 団団員が心配そうな顔をして見ている。

「どうかしましたか?」
「あぁ、殿下。金槌で自分の手を打ったそうです」
「それはすぐに冷やさないと」

 僕は村の中央に置いてある布に水筒の水を含めて、急いで男性の元へ戻る。

「大丈夫ですか? これで患部を冷やして下さい。痛みが引かないようでしたら医者に行ったほうがいいですよ」
「で……殿下。かたじけない」
「無理なさらないで下さいね」

 応急処置は戦場以外でも使うので習っていて良かったと思った。彼らに会釈をして僕はクラルスの元へ戻る。

「クラルスも怪我に気を付けてね」
「リア様の護衛の私が怪我をするわけにいきませんね。十分注意します」

 クラルスが作業に戻ったので僕も皆の手伝いをしようと走り回った。またたく間に時間が過ぎていき就寝の時間になる。

「クラルスお疲れ様。もう寝ようか」
「そうですね。王都で動きがないかぎり修繕作業でしょうし身体を休めましょう」

 僕たちは公会堂の端で眠りについた。

 王都からの動きがなく一週間が過ぎる。僕は毎日皆のお手伝いをして走り回っていた。初めの頃は僕に頼ることを遠慮していたが、今は前より気 軽に頼ってくれるようになり嬉しい。

「王子様。おはようございます。今日もご一緒していただけますか?」
「はい。もちろんです。朝食終わりましたらいきますね」

 公会堂の階段で朝食を食べていると色々な人に声をかけてもらえるようになった。

「殿下おはようございます! 今日もお世話になりますぜ」
「はい。午後からお願いします。お怪我はもう大丈夫ですか?」
「骨は折れてなかったようでこの通りですよ!」

 そんな僕をクラルスは穏やかな表情で見ていた。不意に僕の方を誰かが叩く。振り向くとリュエールさんが満面の笑みを浮かべていた。

「リア。すっかり馴染んで来たわね星影団に! 皆の手伝いしてくれてありがとう」
「リュエールさんおはようございます。簡単なことしかできませんが僕なりにやっています」

 彼女は少し真面目な表情になり、言葉を紡ぐ。

「……でもねリア。戦争になったら……覚悟してね」

 リュエールさんの言葉に心臓が跳ねる。”覚悟”の言葉が僕に重くのしかかった。戦争が始まれば今日まで一緒に笑っていた人が明日にはいなく なってしまうかもしれない。そのことを念頭に置かなければ。
 僕は拳を握り、リュエールさんを見つめる。

「はい……。わかりました」

 彼女は少し寂しそうな笑顔を見せると僕の頭を撫でて立ち去った。


2020/03/08 up
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