プリムスの伝承歌




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プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-

第8曲 結びの伝承歌

「ヴァレンス・コーネット卿ご帰還でございます!」

 謁見室の重圧な扉が開かれると、金色の短髪に髭を蓄えた風格のある中年男性が姿を現す。最近ルナーエ国の国境線付近で隣国オリヴェート国に 不穏な動きがあった。そのためコーネット卿が警備に配置された。ルナーエ国の名将校であるコーネット卿が配備されたので、小競り合いが起きる のかと思っていたが杞憂だったようだ。
 今日は国境線の遠征から帰ってきたコーネット卿の報告を聞くためにセラと一緒に同席している。コーネット卿は赤い絨毯を堂々と歩き、僕たち のいる上段近くまでくると(うやうや)し く跪いた。

「陛下ご機嫌麗しゅうございます。ヴァレンス・コーネット。帰還致しました」
「コーネット卿。長い遠征ご苦労さまでした。楽になさい」

 コーネット卿は顔を上げると遠征の報告を始めた。オリヴェート国軍が国境線付近まで来ていたようだが、コーネット卿が配備について一週間ほ どしたら撤退したそうだ。
 その後も二週間ほど警備についていたが何事もなく任期を終えた。

「あなたが警備についてくれたからオリヴェート国軍は撤退したかもしれませんね」
「もったいないお言葉ありがとうございます」
「ご家族も待っているでしょうし、しばらく休みをとって一緒にいてあげてください。またコーネット卿に頼る時がくるかもしれません。その時は お願いしますね」
「いつでもご任命下さい」

 父上が報告書を受け取り、コーネット卿との謁見は終了した。謁見室の扉が閉まると、母上が僕たちに微笑む。

「リア、セラ。ご苦労さまでした。下がっていいですよ」

 隣にいるセラが終始そわそわしていて笑ってしまいそうになる。母上の言葉を聞くとセラはルシオラを連れて足早に謁見室を出ていった。
 それを見て父上と母上は苦笑している。

「本当セラはコーネット卿の話が好きですね」
「リア。セラのことを見て来てくれ」
「はい。かしこまりました」

 僕は父上と母上に会釈をしてクラルスと共に謁見室を退室した。
 セラはコーネット卿が遠征いった時の話が好きで、いつも謁見が終わった後に呼び止めている。
 特に遠征の時の景色。見たことのない動物やものの話が好きでセラはいつも目を輝かせていた。
 僕もコーネット卿の話は好きなのだが、気を使って遠慮していることが多い。今みたいに僕がセラと一緒に出て行かないと、父上と母上から「セ ラを見て来て」という名目でコーネット卿の元へ行かせてくれる。

 一階に下りると階段近くの回廊で、案の定セラはコーネット卿を捕まえていた。セラは僕を見ると手招きをしている。
 僕は少し呆れた顔をしてセラたちの側へ歩んでいく。

「リア! 遅い!」
「遅いじゃないでしょ。コーネット卿。毎回遠征のあと、お疲れですのにすみません」
「いいのですよ王子殿下。こうして遠征の後お二人とお話できることは私の楽しみですから」

 コーネット卿は疲れているはずだが嫌な顔をせずにお話をしてくれる。それに僕も甘えてしまっていつもセラと一緒に話を聞いていた。

「クラルス。ルシオラ。二人とも立派に護衛任務をこなしているそうだな。教え子が成長して嬉しいぞ」
「コーネット様。また剣術のご指導お願い致します」

 クラルスの言葉にコーネット卿は笑みを浮かべる。

「もう私はお前たちには敵わないぞ。年は取りたくないものだな」
「何を仰っていますかコーネット様。私たちはまだまだ教えてもらいたいことがたくさんありますよ」

 クラルスとルシオラも彼のことを慕っている。
 人柄の他に戦の面では指揮の的確さや、その場の臨機応変の素早い対応をこなす。父上と母上も頼りにしていた。
 剣術も戦いが専門の星永(せいえい)騎 士に負けず劣らずだ。星永騎士の称号も近々受けるのではないのかと噂になっている。
 セラは急かしながらコーネット卿を中庭の長椅子へと誘った。


***


 僕とクラルスは頭を覆える外套(がいとう)を まとい、ランシリカの街に足を踏み入れる。
 綺麗に舗装されている石畳と、規則正しく並んでいる家屋が印象的な街並。街の奥にはランシリカの騎士が滞在している兵舎が見えた。僕たちは 目立たないように入り口の端の方へ移動する。

「さてと、まずは情報収集よ。いきなりコーネット卿を訪ねてリアが捕まったら元も子もないからね」
「そうだな。露店市場に行って誰かに聞いてみるか」

 近くにあった街の案内板を見ると、南の方に露店市場があるようだ。他にも宿屋が三軒、宝石屋が二軒、武具屋や雑貨 屋などのお店が充実している。

「リアとクラルスは、私たちと少し離れたところにいてね。聞き回っていて怪しまれる可能性あるから」
「分かりました」

 早速僕たちは露店市場へ足を運んだ。夕刻も近いので主婦や子連れが多く、夕食の買い出しで賑わっていた。行き交う人々は活気に溢れており、 皆の笑顔が眩しく感じる。
 リュエールさんとスレウドさんは、威勢のいい声で呼び込みをしている中年男性の青果店の前で足を止める。並んでいる蜜柑を買い、そのついで に話を聞くようだ。僕とクラルスは怪しまれないように少し離れた建物の陰から会話に耳を傾ける。

「おじさん。私たちコーネット卿に面会予定があって、この街に来たのだけれど場所が分からないのよ」
「コーネットさんの屋敷は東大通りの奥だ。大きいお屋敷だからすぐわかるぞ!」
「ありがとう。新鮮な青果を売っているのね。このお店に来てよかったわ」
「お土産にこの柚子を持って行くといいぞ! コーネットさん柚子が好きだからな! 今回は特別おまけに入れておいてやる!」

 リュエールさんは話が上手だなと思った。男性は自分の売っている青果を褒められて上機嫌になっている。

「ありがとう助かるわ。コーネット卿ってどんな方? 今日お会いするの初めてなの」
「コーネットさんは人情溢れるいい人だよ。他の街じゃ貴族同士のいざこざを結構聞くが、コーネットさんがしっかりしているからランシリカは平 和だよ。コーネットさん様々だな」

 コーネット卿はランシリカの人々からも愛されている人なのだと覗えた。コーネット卿は街の人々からの人望も厚い。もしかしたら僕が濡れ衣だ という事を信じてくれるかもしれないと希望を持っていた。

「最近、王都で謀反があったわよね? ここにも情報が入っているの?」
「もちろん。大きな街だからすぐに掲示板に張り出されていたよ。しかし王子がねぇ……。まぁいつかはこんな事になるとは思っていたがね」
「どういう事?」
「もっと昔なんて王子が生まれたら穀潰しだって非難囂々(ひなんごうごう)だっ たさ。実の親である女王陛下にも蔑まれていたし、こんな世に産 んだ親を殺してやりたいって謀反が起きても仕方なかったってことさ。今はどうか知らないけど結局これだろう。まだ王女様が生き残っていただけ 良かったよ」

 男性は淡々と話し、リュエールさんへ果実を詰めた袋を渡した。王族のことは一般市民が知る余地もない。僕は両親を殺めてもおかしくない人間 だと思われていて胸に悲しさが溢れる。
 僕が俯いているとクラルスの手が肩に乗った。彼の方を向くと心配そうに僕を見ている。
 リュエールさんは肯定も否定もせずに、ただ男性の話を聞いていた。

「こんなことになるなら、早く余所の国へ出すか病死と見せかけて殺せばよかったのにな。昔だってそうだったのに。王子一人の命で俺ら一般市民 の平和が保たれるなら安いもんだろう」
「……。コーネット卿は今回の謀反どう思っているのかしら?」
「さぁな。特にコーネットさんが動いている様子はないが、忠誠を誓っていた女王陛下と騎士団長様が殺されて怒り心頭かもな」
「そう……。いろいろ聞かせてくれてありがとう」

 リュエールさんは愛想笑いをして青果店から立ち去った。先程の男性の言葉が頭の中を巡っている。僕はこの国に必要のない人間ということは分 かっていたつもりだった。間近で聞いた男性の言葉の刃に心が抉られる。
 王都でたまに下町へ外出した時は、そんなことを陰で言われたりしなかった。もしかしたら心の中ではみんな僕を早く殺せと思っていたのではな いだろうか。不意にクラルスに肩を掴まれ、彼の方を向かされた。僕は驚いてクラルスを見ると真剣な表情で僕を見ていた。

「リア様。あの者の言葉をお気になさってはいけません。皆があの者と同じ思いをリア様に抱いているわけではありませんよ」
「……分かって……いるよ」

 僕は上手くクラルスに笑えただろうか。クラルスは未だに堅い表情をしている。

「リア様。あなたは私の主です。私にはあなたか必要です」
「クラルス……。ありがとう」

 クラルスの優しさに自然に笑えた気がする。いつも彼は僕の心の支えになってくれていてる。クラルスの言葉でどれだけ僕が助けられているのか 彼は知らないだろう。僕の笑みを見てクラルスも柔らかく微笑み、僕の肩から手を離した。
 僕たちは急ぎ足で姿が見えなくなってしまったリュエールさんたちの方へ向かう。露店市場の入り口の端でリュエールさんとスレウドさんは僕た ちを待っていた。

「お待たせしてすみません」
「大丈夫よ。情報が聞けてよかったけど……」

 そこでリュエールさんは言葉を止めると、眉がつり上がった。

「あのおっさんリアのこと知らないくせに好き勝手言ってて本当腹が立つわ! 顔面に買った蜜柑をめり込ませてやりたかったわよ!」

 リュエールさんは蜜柑の入っている袋に力を入れて今にも破いてしまいそうな勢いだ。それを見てスレウドさんは苦笑している。

「知らないことを好き勝手言うのが人間だよ。あんなこと思っているのは一部の人間だ。気にすんな」
 
 スレウドさんは大きな手で乱暴に僕の頭を撫でた。みんな僕に気を使ってくれて素直に嬉しい。
 コーネット卿の屋敷の場所も分かったので、これからどうするのか話し合うことになった。リュエールさんから先程買った蜜柑を手渡される。
 端に置いてある長椅子に座り、蜜柑をむいて一房頬張る。柑橘類の爽やかな香りと、甘酸っぱい味が口の中に広がった。旅の疲れも忘れてしまい そうなくらい美味しかった。
 リュエールさんも売っていた男性は気に入らないが蜜柑は美味しいと絶賛している。スレウドさんは豪快に蜜柑を頬張ってリュエールさんに問い かける。

「リュエール。これからどうするんだ?」
「そうね。コーネット卿は、もしかしたら掲示板の内容に疑問を持っていて動いていないのかもしれないわ。事情を説明すれば協力してもらえるか もね」

 僕もそうであって欲しいと思う。コーネット卿は今の僕のことをどう思っているのか分からない。もし会えたら僕があの日の夜に見たことを話し てみよう。
 不意にクラルスが僕とリュエールさんの前に立った。

「どうしたのクラルス……?」

 僕が首を傾げて彼を見ると口の前で人差し指を立ている。ちらりとクラルスが目配せをした方を見ると、街中から露店市場の方に数名のミステイ ル王国兵が歩いて来ていた。正体が露見しないようにクラルスは僕の目隠しになってくれたようだ。
 僕は目を合わせないように顔を伏せる。ここまで来たのに見つかるわけにはいかない。
 王国兵はクラルスの後ろを通り過ぎると、露店市場の人混みに姿を消した。僕は胸を撫で下ろし、短いため息を吐く。

「王国兵がうろついているな……」
「よく堂々と歩いているわね。何しに来たのかしら……」
「あっちは王女をに傀儡(かいらい)し てやりたい放題だな」

 セラは今どうしているのだろうか。ガルツの手の届くところにいるので不安だ。早くセラを助け出して抱きしめてあげたい。
 リュエールさんはおまけでもらった柚子を腰に付けていた鞄にしまった。
 王国兵が周りにいないことを確認して、僕たちはコーネット卿の屋敷の方へ足を運ぶ。

 リュエールさんとスレウドさんの後を歩き、コーネット卿の屋敷前までやってきた。外壁に囲まれ、手入れされた庭に立派な門が大貴族であると いうことを表している。
 僕たちは門をくぐり、リュエールさんが玄関の扉を叩くと執事らしき初老の男性が現れた。

「何用ですか?」
「突然お伺いして申し訳ありません。ヴァレンス・コーネット卿とお話がしたいのですがお取り次できますか?」
「旦那様はただいま外出しております」

 コーネット卿はあいにく不在のようだ。いつ帰ってくるのか分からないらしい。また日を改めようとした時、後ろから声をかけられる。

「……客人かね?」

 金色の短髪に髭を蓄えた風格のある中年の男性。ヴァレンス・コーネット卿だ。僕たちは会釈をしてリュエールさんが言葉を紡ぐ。

「はじめまして。私、星影(せいえい)団 を率いる団長のリュエールと申します。この度、折り入って話がありまし て……」
「星影団……」

 星影団の名を聞いてコーネット卿は眉を寄せた。星影団は貴族の間では悪い噂が流れているため、良く思われていないだろう。リュエールさんは 周りを確認した後、僕に目配せをした。頭に被っている外套の布を取るとコーネット卿は目を見張る。

「お久しぶりですコーネット卿。突然お伺いして、申し訳ありません」
「お……王子殿下!? ……ここは目立ちますので中で話をお伺いしましょう」

 コーネット卿に客室へ案内された。僕とリュエールさんは席に着き、スレウドさんとクラルスは僕たちの後ろに立つ。

「王子殿下。ろくにおもてなしをできずに、申し訳ありません」

 コーネット卿は僕たちの話を聞いてくれるらしい。騎士を呼ばれて捕縛するということはなさそうだ。申し訳なさそうな顔をしながらコーネット 卿は席に着いた。

「いえ、お気持ちだけ頂きます。今日はお願いがありまして訪ねました」
「お願いとは……」

 コーネット卿は不安そうな顔をしている。貴族に悪い噂が立っている星影団の団長と両親殺しを流布されている僕が来たのでは、自然にそうなっ てしまうだろう。リュエールさんに視線を向けると頷いて言葉を引き継いだ。

「私たちはミステイル王国の第二王子ガルツに乗っ取られた王都と、幽閉されているセラスフィーナ王女殿下をお救いするために挙兵しました」
「先日ユーディアの廃村付近で戦いがあり、王国軍を退いたことは私の耳にも入っています」

 星影団の拠点でありクラルスの故郷は、以前ユーディアという名前だった。どうやら先日の僕たちの戦いは噂になっているようだ。リュエールさ んは言葉を続ける。

「策を巡らせ、何とか退けましたが、兵力にも限界があります。ルナーエ国をミステイル王国の侵略から守るために、コーネット卿のお力を借りら れないでしょうか?」

 コーネット卿は突然の僕たちのお願いに困惑している。コーネット卿の立場からすれば、反乱分子から協力を要請されていることと同じだ。あま りいい返事は期待できないかもしれない。

「……申し訳ありませんが、お力になることはできません」
「本当に、王子殿下が陛下たちを手に掛けたと思っているのですか?」

 リュエールさんは声色を下げて、コーネット卿に言葉を投げかける。コーネット卿は厳しい表情をしたまま口を開いた。

「私も……何が真実か分かりかねます」
「では……」
「……さきほど兵舎で議会中に王都からの使者が来まして、書面を渡されました。セラスフィーナ王女殿下から反乱分子掃討のためにランシリカ全 騎士の招集命令です」

 露店市場ですれ違った王国兵が書面を渡しに来たのだろうか。セラからの書面といえども裏ではガルツが糸を引いていることは明らかだ。
 
「コーネット卿。あの騒動以来王都に行かれました? セラと直接会えたのでしたら様子を教えて頂きたいです」
「騒動を聞いた後、すぐに王都へ向かいましたが……。城には何人たりとも入れるなと王女殿下のご命令があったらしく、お会いすることは叶いま せんでした」

 コーネット卿さえセラに会えないとなると、城はミステイル王国兵で仕切られているのだろう。ルシオラの安否が分からないが、セラの心の支え になっていてくれていると信じている。
 セラに早く会いたい救いたいという気持ちばかりが募っていく。隣からの視線に気がつき、そちらを向くとリュエールさんが心配そうな顔で僕を 見ていた。
 コーネット卿は短いため息を吐いてから、言葉を紡いだ。

「星影団は我が国を守るため奮起しているのでしょうが、私の立場からすると王女殿下と同盟国に対する反乱分子でしかありません」
「皆、ガルツに騙されています。このままですとルナーエ国はミステイル王国の属国になってしまいます」
「証拠はあるのですか?」
「……それは……」

 証拠はないので口先だけで言ってもコーネット卿は信じてくれないだろう。しかし、コーネット卿に懐いていたセラが彼までも面会を拒むのはお かしいと分かっているはずだ。僕が押し黙っているとリュエールさんが声を上げる。

「証拠がなければ信じてはいけないのですか?」
「あなたはまだお若いですな。少なからず上に立つ者として分かるはずです。私やあなたの一声で、下の者すべての命運を分けることを……」

 星影団に協力をすれば、ランシリカの街全体が反乱分子としてガルツから攻撃を受けるかもしれない。確証のないことで、ランシリカの人々を危 険に晒すような行動はできないだろう。

「私は挙兵をしたことに後悔はしていません。あなたほどの方なら、このままではルナーエ国がどうなってしまうか分かると思います。この国を愛 した陛下や騎士団長様への忠誠心はどうされたのですか?」

 僕は二人のやりとりをただ見ていることしかできない。

「そうです。私の忠誠心は女王陛下と騎士団長様にあります。失礼ですが王子殿下にはございませんし、このお話はランシリカの民の命に関わるこ とです。そう易々と受け入れるわけにはいきません」
「コーネット卿……」
「酷いことを言いますが、次期女王である王女殿下は幸い無事です。王位継承権の無い王子殿下がどうなろうと知ったことではありません」

 優しいコーネット卿にそんなことを言われるとは思わなかった。希望の光が潰えたような気がする。僕が今していることは無意味なのだろうか、 ただ人々を苦しめているだけなのだろうか、そう思ってしまう。
 僕が俯いていると、僕の上から言葉が落ちてくる。

「……コーネット様。私たちを退けるための偽りの言葉だとしても、それは聞き捨てなりません」

 クラルスの声色で怒っていることがすぐに分かった。普段のクラルスなら立場が上の人に対して意見はしないのだが、僕のことになると見境がな くなる。
 僕に優しかったコーネット卿からの言葉なのでクラルスは憤りを感じたのかもしれない。
 
「クラルス……」
「お前が私に意見するとはな……。クラルス、お前も若いが地位のある騎士だ。分かるだろう。私の立場と現状を……」

 コーネット卿は、僕の後ろに立っているクラルスに厳しい眼差しを向けている。

「えぇ、ご理解できます。コーネット様のお立場と、どれだけ人情溢れる方でランシリカの民を愛しておられることも……。他の貴族とは違いリア 様を気にかけて下さっていたことも……」

 クラルスは一呼吸をおいて言葉を紡いだ。

「リア様はコーネット様ならと信じて訪ねました。それですのに……先程の言葉はあまりにも冷酷です」

 二人のやりとりに口を挟めず、静寂が訪れる。コーネット卿何かを考えてた後、椅子から立ち上がった。

「……日も暮れてきました。宿を用意しますのでお引き取り下さい。そしてこの街には二度と近づかぬようお願いします。これが私のできる最大限 の配慮です」

 コーネット卿は僕たちに目を合わせず部屋を後にした。静まりかえったの部屋の中でリュエールさんのため息が聞こえる。
 突然訪ねて、僕たちの話を信じろと言われてもできないだろう。それに国中に通達されている用紙には、次期女王であるセラの直筆の署名があ る。僕が濡れ衣という確証がなければ彼は動かないだろう。

「リア……。嫌な思いさせてしまったわね」

 リュエールさんは申し訳なさそうな顔をしていた。色々言われることは慣れているはずだが、僕に優しくしてくれていたコーネット卿に言われた ので気持ちは落ち込んでいた。スレウドさんは気にするなと声をかけてくれた。クラルスは眉を下げて僕を見ている。

「リア様……。余計なことを口にしてしまい、申し訳ありません」
「ううん。僕のためにしてくれたことだよね……。ありがとう、クラルス」

 彼に笑顔を向けると表情が少し和らいだ気がした。
 しばらくすると執事の人が入室し、宿の手配ができたと教えてくれた。執事に連れられ、玄関の広間まで来ると二階へ続く階段から声が聞こえ た。

「あー! やっぱり星永騎士だ!」

 僕たち四人は声のした方を向くと七、八歳くらいの金髪の少年が二階からこちらを見ている。少年は目を輝かせて階段を勢いよく降りてきた。
 クラルスの羽織っている外衣は星永騎士のみに支給されているものだ。遠目でもすぐに分かったのだろう。執事の人は戸惑っていると、少年に少 し遅れてコーネット卿が姿を現す。

「部屋にいなさいと言ったでしょう!」

 コーネット卿のご子息なのだろう。クラルスの前まで来ると「本物だ!」と跳ねてはしゃいでいた。クラルスは少々困った顔をしている。騎士に 憧れる少年も多く、その中でも星永騎士は特に注目されているのでしかたない。コーネット卿は早足で僕たちの前までやってきた。

「うちの愚息が申し訳ない」
「いえ、元気なご子息ですね」

 クラルスは少年に微笑む。少年は隣にいた僕のことをじっと見つめている。どうしたのかと首を傾げると、声を上げた。

「もしかして王子様?」
「えっ……」
「ねぇ! 王子様でしょ! 僕、見たことあるもん!」

 少年は何度か王都に来たことがあり、遠目で僕のことを見かけてコーネット卿に教えてもらっていたらしい。
 僕が両親を手に掛けたと流布されていることは、幼い子には認知されていないようだ。そのためコーネット卿はご子息 の前では、僕たちを無下には扱えないのだろう。コーネット卿に話を合わせてやり過ごそうと思う。

「すごい! 王子様と星永騎士がいる! 何で!?」
「リエル! きちんと挨拶なさい!」

 コーネット卿にぴしゃりと言われ、少年は僕とクラルスの見据えて姿勢を正した。

「はじめまして! リエル・コーネットです!」
 
 元気のいい挨拶が微笑ましく思う。僕とクラルスは顔を見合わせて微笑み、それぞれ挨拶をする。

「はじめまして。ルナーエ国第一王子、ウィンクリア・ルナーエです」
「王子殿下専属護衛、星永騎士クラルスです」

 僕たちの挨拶を聞いてまたはしゃいでいると、リュエールさんたちに視線が移り、怪訝な顔をしている。

「お姉さんとおじさんも王子様の護衛?」
「おじ……さん……」

 スレウドさんはおじさんと言われて落ち込んでいた。僕からすればスレウドさんはお兄さんなのだが、幼い子から見るとおじさんなのだろう。リ エルの言葉を聞いていたリュエールさんはくすくす笑っている。

 リエルは将来、星永騎士と将校のどちらも目指していると教えてくれた。星永騎士は戦闘に長けている騎士たちで、将校は剣術より戦略や指揮に 長けている騎士が就く地位だ。その両方を担っている人は、歴代でも数名しかいない。目標が高いことは良いことだ。
 リエルの胸にはお手製の将校の証である勲章がつけられている。コーネット卿の真似をして自作したのだろう。

「リエルが騎士になるのを楽しみにしているね」
「リエル君ならきっとなれますよ」

 リエルは嬉しいのか、コーネット卿の周りをくるくる回っていた。僕はリエルと同じ目線になるように腰を落とす。

「リエル。今日は僕たちはお忍びで来たんだ。僕たちが来たことは内緒にできる?」
「うん! 王子様との約束守るよ!」

 もし僕たちがコーネット卿の屋敷に来たことが露見してしまったら、コーネット卿の立場が悪くなってしまう。念のためリエルに口止めをした。

「ではコーネット卿。僕たちはこれで失礼します」
「はい……。王子殿下、申し訳ありません……」

 執事の人に宿への地図をもらい、僕たちはコーネット卿の屋敷を後にした。夕刻の街は朱色に染まり、僕たちの影が引き伸ばされる。

「さて、宿に行って休みましょうか」
「リュエール。用意した宿とか怪しくないか?」

 スレウドさんは不安を口にする。クラルスも同じことを思っていたのか指定された宿には行かない方が良いと言っていた。しかし、リュエールさ んは構わず宿の方へ歩き出す。
 二人はコーネット卿を疑っているのは無理もない。騎士を呼んで逃げ場のない宿の部屋にいるときに捕まえようとしているのではと思っているの だろう。協力してもらえなかったのでそう思ってしまうことはしかたない。

 僕も少し不安はあるが、コーネット卿がわざわざ準備をしてくれたので無下にはできない。
 この街にも星影団の拠点があるらしいのだが、そちらには出向かないそうだ。リュエールさんの後を追 い、僕たちは宿に入る。

 二階建ての食堂と併設されている宿だ。受付にコーネット卿の名前を言うと部屋の鍵を渡してくれた。部屋の番号を確認すると二階の一番奥の部 屋になる。
 クラルスは安全を確認するために鍵を開けて先に入室した。一通り確認をすると僕たちは呼ばれ、部屋の中へ入る。四台の清潔感のある寝台と、 少し大きめの机に四つの椅子がある部屋だ。
 リュエールさんは椅子に座り。僕は近場の寝台へ腰を下ろした。

「明日もう一度コーネット卿のところへ行きましょうか」
「また行くのか? あのおっさん取り合う気なさそうだぞ」

 寝台に寝転がったスレウドさんは、あまり乗り気ではない。

「リアのことを本気で疑っているなら、玄関で会った時に騎士たちを呼ばれてもおかしくはなかったわ。王都の状況に疑問をもっているかもしれな いわね。少し粘ってみましょう」
「あの……リュエールさん。……もう帰りませんか?」
「えっ……。リア、どうしたの?」

 リュエールさんは僕に怪訝な顔を向ける。
 確かにコーネット卿を味方にできれば星影団の戦力強化になる。しかし、ランシリカの人々を戦火に巻き 込むのと同じだ。コーネット卿が星影団に協力をしたことが分かれば、ガルツはランシリカを攻撃する可能性がある。
 ランシリカの人々の平和を奪ってしまうことに罪悪感が湧き上がっていた。

「ランシリカの人たちを戦いに巻き込みたくないです……。何か他の方法考えませんか……」
「……ここで交渉が上手くいかなかった場合、コーネット卿と戦場で対峙する可能性が高いわ。リア……あなたはコーネット卿に剣を向けられる の?」
「……それは……」

 リュエールさんへの返事に詰まってしまう。僕は甘い考えなのは分かっている。
 僕たちがコーネット卿への交渉が失敗すれば、コーネット卿は王都へ招集され、星影団を掃討するために騎士を率いて来るだろう。
 兵力差もあり、コーネット卿の的確な指揮で星影団は壊滅してしまうかもしれない。この交渉は星影団の皆の命がかかっている。
 何を選択すればいいのか、どの選択が正しいのか分からない。

 母上、父上ならどういう選択をしたのだろうか。今まで女王陛下として騎士団長として人々の命がかかった選択は何回もしてきただろう。
 今その役目は生き残った王族として僕とセラが背負う。その重圧に押しつぶされそうで胸が苦しい。僕は真剣な眼差しを向けているリュエールさ んから目を背けた。
 急に彼女は立ち上がり扉の方に視線を移した。どうしたのかと思っていると厳しい表情になる。

「クラルス、外に怪しい人とかいない? 確認して!」

 窓際にいたクラルスは、窓から一通り外を眺めるとリュエールさんに向き合った。

「いえ、誰もいません。どうかしましたか?」
「窓から逃げるわよ」
「えっ!?」
「いいから早く!」

 リュエールさんの言葉に驚いたがクラルスは窓を開けて、僕たちは外へと脱出する。急いで人気の無い裏路地に身を隠した。
 僕たちがいた宿の部屋を見ていると、十名ほどの男性たちが部屋になだれ込んでくる。

「……リュエール。やっぱり罠じゃねぇかよ」
「いえ、あの男たちミステイル王国兵でもランシリカの騎士でもないわ。……傭兵かしら」

 男性たちは、僕たちがいないことを確認すると部屋から出て行った。あの部屋に入ったことは露見している。僕たちが逃げたと思い、今度は街中 を探すだろう。早くなっている心臓の鼓動を落ち着かせようと僕は深呼吸をした。

「リュエールさん、よく分かりましたね」

 クラルスは警戒していたが、遠くから足音が聞こえるまで気がつかなかったらしい。僕もリュエールさんに言われるまでは人の気配を感じられな かった。

「ちょっとした罠を宿の入り口に張っていたのよ」

 彼女によるとシトリンの魔法で、部屋から宿の入り口まで見えない電気の線を床に張って、足音を関知していたらしい。魔法にも色々使い方があ るのだと感心した。

 これからスレウドさんはこの街の星影団の拠点に向かうそうだ。僕たちは拠点とは反対の路地へ行き、街を一周してから拠点に向かう。万が一つ けられるなら十中八九僕たちの方だろう。
 スレウドさんと一旦別れ、リュエールさんはあまり人気の無い路地を歩く。夜の色が落ち始めている街を歩いていると、後ろから行き交う人々と は別の気配がする。

「……つけられていますね」
「うん。……何人かな」
「間違えても振り向いちゃ駄目よ。気取られないようにね」

 明らかに僕たちを追う足音がする。人数は把握できないが、複数人につけられていた。リュエールさんは何度か同じ路地を歩いている。何か考え があるのだろうか。

「この先を右に曲がったら、左に路地があるわ。走るわよ」

 右に曲がった瞬間、リュエールさんに先に行くよう背中を押された。僕とクラルスは戸惑ったが先に走り出す。それと同時に追ってきている足音 も走り出した。リュエールさんに言われたとおり、左に曲がるがその先は行き止まりだった。

「リュエールさん! 行き止まりですよ!」

 まだ追っ手は来ていないので、慌てて僕たちは引き返えそうとする。後から路地に入って来たリュエールさんは木箱の上にあった水瓶に腕を当て てしまった。水瓶は木箱から落ちて、大きな割れる音と辺りに水が撒き散らされる。
 その音を聞きつけて、武器を携えた男たち十人が撒き散らされた水を踏みながらなだれ込んで来た。クラルスは僕とリュエールさんを庇うように 前に出る。

「お前たちお尋ね者の王子と護衛だろう。王都で王女様がお待ちですよ」
「……あなたたちには指一本触れさせませんよ」

 クラルスが剣に手を掛けると、リュエールさんは彼を制止して前に出た。何をするつもりなのだろうか。

「あなたたち誰の差し金?」
「俺たちがそれを答えると思うかい、お嬢さん」
「……そう……ならいいわ」

 リュエールさんは男たちに近寄っていく。一番先頭にいた男が剣を振るうがリュエールさんは体勢を低くして避ける。それとと同時に、左手を石 畳につけると激しい雷撃と閃光が走った。男たちは悲鳴を上げて石畳の上に次々と倒れていく。

「騒ぎになる前に移動するわよ」

 リュエールさんに促され、倒れている男たちの上を飛び越えて裏路地から脱出した。しばらく走りまた人気の無い路地へ身を潜める。

「振り切れたみたいね」
「リュエールさん。怪我はないですか?」
「大丈夫よ。あのまま追って来られたら、いつまでも拠点に戻れないし、ああするしかなかったわ」

 リュエールさんが同じ路地を回っていたのは、男たちをおびき寄せるための場所を見定めていたようだ。水瓶に腕をぶつけたのもわざとらしい。 通電をよくするために男たちの足下を、水瓶を割って濡らしたと教えてくれた。
 先ほどの男たちは”王女様が待っている”と言っていた。ガルツの差し金なのだろうか。
 辺りを確認した後、リュエールさんはこの街の拠点へと歩き出した。すっかり日が落ちており、辺りは家から溢れ出ている光だけになっている。 街の入り口付近の民家前に行くとスレウドさんが立っていた。

「リュエール。ずいぶん遅かったが大丈夫か?」
「案の定追っ手が来ていたから寝かしつけていたわ」

 スレウドさんは苦笑いしている。リュエールさんたちに促され、僕たちは民家へと足を運ぶと一組の老夫婦が出迎えてくれた。

「リュエちゃん大変だったね」
「お爺さん、お婆さんお久しぶりです。今日はお世話になります」

 この人たちも星影団の団員なのだろうか。老夫婦は僕たちに視線を移したので、僕とクラルスは会釈をす る。

「あなたが王子様ですか。よくご無事で……」
「突然お邪魔して申し訳ありません」
「王子様を拝見するのは初めてですが、陛下によく似ていらっしゃいますね。ゆっくり休んでください」
「ありがとうございます」

 老夫婦は星影団の団員ではないらしく、厚意で星影団に地下の部屋を貸しているそうだ。さすがに民家の地下が星影団の拠点になっているとは思 わないだろう。
 リュエールさんは鞄から露店市場でおまけでもらった柚子を老夫婦に差し出した。結局コーネット卿の差し入れとして出す機会はなかった。

 彼女に案内されて、廊下の突き当たりにある地下への階段を降りて行く。普段は荷物などを置いて階段は隠しているそうだ。
 階段を降りると、広めの部屋に六台の寝台があった。無造作に木箱や簡易的な机が置いてある。僕たちはそれぞれ寝台に腰を下ろした。

「リュエールさん魔法使いましたけど魔力大丈夫ですか?」

 クラルスが倒れて以来、魔力を気にしてしまう。あまりにも僕は心配そうな顔をしていたのか、リュエールさんはくすくすと笑っている。

「あのくらい大丈夫よ。それに私の宝石は原石欠片(オプティア)な の、その気になれば三日くらい付与(エンチャント)し ていられるわ」

 リュエールさんもクラルスと同じ宝石の階級のようだ。彼女は短いため息を吐いて話し始める。
 
「さて……。逃げることですっかり話が切れてしまったけど、明日はコーネット卿のところに行くわよ」
「……そう……ですか……」

 団長であるリュエールさんの意見なので僕はそれに従うしかない。街の人々を巻き込んでしまうということを考えてしまって気持ちが沈む。

「リア。勘違いしないでね。私たちも好きで戦争に巻き込むわけじゃないわ。もし明日コーネット卿との交渉が決裂したら(い さぎよ)く退く。 それでいいかしら?」
「……わかりました」

 明日僕はコーネット卿に何と言えばいいのだろうか。星影団としては協力して欲しい。コーネット卿のことを思うと身を退きたい。思いが交錯す る中、寝台に横たわり、そのまま眠りについた。

 次の日、僕たちは老夫婦に挨拶を済ませて、拠点を後にした。コーネット卿の屋敷へ向かい門を潜ろうとした時、足先に何かが当たった。拾い上 げるとそれは将校の勲章だ。本物ではない手作り感がある。それは昨日見覚えがあった。

「……これは……リエルが持っていた勲章」

 落としてしまったのだろうか。勲章を持ち、コーネット卿の屋敷の扉をリュエールさんが叩いた。微かに話し声がするのだが、一向に扉が開かれ る気配がない。もう一度強めにリュエールさんが扉を叩くと、執事の人が顔を出した。

「あぁ……あなた方は……。今、旦那様は取り込み中ですお引き取り下さい」
「……では、これをリエルに渡して下さい。門の前に落ちてました」

 手作りの勲章を執事の人に差し出すと、執事の人は顔を歪めた。僕は首を傾げ、執事の人を見つめると重苦しく口を開いた。

「やはりリエル坊ちゃんは本当に……」
「あの……何かあったのですか?」

 執事の人が口籠もっていると、コーネット卿が玄関前に姿を現した。

「王子殿下なぜこちらに!? そこですと目立ちますので中へお入り下さい」

 コーネット卿に促され、玄関先の広間へ移動する。彼はずいぶん慌てた様子だった。一体何があったのだろうか。

「コーネット卿。何があったのですか?」

 少しコーネット卿は話そうか迷っている様子だったが、僕たちに一枚の紙を差し出した。

「玄関に差し込んでありました……」

 ――息子は預かっている。かくまっている王子を日が沈んだ後、拘束して東の森の小屋まで連れて来い。指示に従わない場合、息子の命は無い。 ――
 
 明らかに脅迫状だ。そしてリエルは人質として誘拐されてしまった。手作りの勲章は、その時に落ちてしまったものなのだろう。

「幼いリエル君を誘拐とは、なんて悪辣(あくらつ)な……」

 クラルスは眉を寄せている。リエルを誘拐した犯人は、どこかで僕たちがコーネット卿の屋敷に出入りしている所を見ていたのだろう。もしかし たら犯人は昨日僕たちをつけていた男たちかもしれない。

「コーネット卿。こんな事になってしまい、申し訳ありません」
「いえ、王子殿下が謝る必要はございません」

 僕たちが訪れなければリエルはこんな事に巻き込まれずに済んだ。コーネット卿とリエルに申し訳なく思う。コーネット卿のためにも何としても リエルを無事救出したい。

「リュエールさん。リエルを救出しましょう。僕たちは無関係ではありません」
「そうね。コーネット卿。お手伝い致します」
「しかし……どうすればリエルを……」

 リエルを救出するためには、誘拐犯の指示に従うしかないだろう。
 東の森の小屋は以前狩人の休憩所として使われていたそうだ。一部屋しかない平屋らしい。現在は使われておらず、しばらく誰も近づいていない そうだ。
 もし昨日僕たちをつけていた人たちの犯行なら、人数も多いだろう。隙をついてリエルだけを救出することは難しい。

「犯人たちの指示に従った方がいいと思います」
「リエルが無事解放されたら、私たちでどうにかします。コーネット卿は立場が悪くなるといけませんので、私たちに脅されてかくまっていたこと にして下さい」
「しかしそれでは王子殿下が……」

 コーネット卿は僕の心配をしてくれて優しい人なのだと再確認した。それより僕は犯人たちがリエルに危害を加えないかが心配でならない。クラ ルスは不服そうな顔をしているが何も言わなかった。

「どうにかするって、リアが捕まったら助けるのは俺たちだぞ。簡単に言ってくれるなぁ……」

 スレウドさんは苦笑いをしている。もしガルツと繋がっている人たちなら、僕を生かして王都まで連れて行くはずだ。その場で殺されはしないだ ろう。

「リア。犯人たちが貴方を本物の王子って認識してくれるかしら? 偽物だと疑われない?」
「……そうですね……」

 僕は腰に下げている護身用の短剣を引き出し、皆の前に出す。この短剣は護身用として十歳の時に父上がくれたものだ。剣身の(つ ば) 近くに王家の刻 印が施されている。万が一疑われた場合、短剣を出してもらえば身分証代わりになるだろう。

「この短剣は王族では僕しか持っていません。疑われたらこれを見せて下さい」
「……かしこまりました」

 リエルが無事保護された後、裏口からスレウドさん正面からクラルスとリュエールさんが頃合いを見計らって突撃することになった。
 太陽も西に傾き始めたので、僕たちは東の森の小屋へいく準備を始める。クラルスがあまりにも心配そうな顔をしていたので安心させるように彼 に微笑む。

「クラルス。そんな顔しないで」
「……護衛としてリア様を危険に晒したくはないのですが、リア様のご意志でしたら反対しません」

 クラルスの気持ちは痛いほど分かるが、僕の意思を尊重してくれて有り難く思う。
 日没を迎え、僕たちは東の森を目指し、歩き始める。

 舗装されていない林道を進むと開けた場所に小屋が建っていた。窓からは灯火の灯りが漏れている。小屋の中には何人かの男が見えたがリエルの 姿は確認できない。小屋の前には見張りの男が二人立っていた。
 僕は捕縛されたふりをするために後ろで手を縛られる。リュエールさんたちと別れ、僕とコーネット卿は小屋に近づく。

「ん、王子を捕縛したのか?」
「あぁ……、約束は守った。息子を返してくれないか」
「中へ入れ」

 男たちに小突かれてコーネット卿と僕は小屋の中へ押し込まれる。中には七人の男たちが乱雑に座っていた。リエルは一番奥の窓際に寝かされて おり、全く動かない。睡眠薬でも飲まされているのだろうか。
 男たちの顔を一通り見ると見覚えがある。昨日僕たちを追っていた集団のようだ。一人の男が僕たちの前に歩いてきた。

「お前、本当に王子か? 偽者じゃないだろうな?」

 僕を疑っているようだ。コーネット卿は僕の腰にある短剣を抜いて男性に渡した。

「王子殿下のみ所持している短剣です。王家の刻印があります」

 男はまじまじと短剣を見ている。一通り確認して満足したのか手下の男に指示し、リエルは乱暴に抱きかかえられるとコーネット卿に突き返され た。

「……リエルは無事なんでしょうね」
「薬を飲んで寝ているだけだ」

 リエルに外傷はなく無事コーネット卿に渡されて安堵した。男は短剣を僕の頬に当てる。怖がるとでも思っているのだろうか。もう何度も刃を向 けられていたので、恐怖心というものは薄れてしまっているようだ。男は短剣で僕の顎を持ち上げる。

「少しは抵抗したり怖がったらどうだ?」

 僕は表情を変えずに男を見据える。僕の態度が気に入らなかったのか、短剣の柄で頬を殴られ、その勢いで床に倒れた。

「……っぐ……」

 口の中に血の味が広がり、殴られた頬がずきずきと痛む。殴られた衝撃で口内を切ってしまったようだ。僕が起き上がる前に男は長く垂らしてい る横髪を引っ張り上げた。

「女王陛下たちを殺して、今度は王女に刃向かうとかどんな神経してんだお前は?」
「おいおい、殺すなよ」

 コーネット卿は顔を歪めて唇を噛み締めながら僕を見ている。僕を庇うようなことを言えば何をされるか分からない。

「三人連れがいただろう。どこへいった?」
「知り……ません。どこかへ……行きました」
「仲間に見捨てられたか。哀れだな」

 男は乱暴に僕の髪を放すとコーネット卿に近づいて短剣を向ける。

「お前は用無しだ。さっさと出て行け」

 その時、裏口で激しい物音がした。数秒遅れでスレウドさんが扉を蹴破り、侵入する。同時に正面の入り口から悲鳴が聞こえた後リュエールさん とクラルスが現れた。コーネット卿は乱闘に巻き込まれないように、リエルを抱えて部屋の隅へと移動する。
 短剣を持っている男は僕を人質にしようと走ってきた。僕に手を伸ばしたのを見計らって、ふくらはぎに蹴りを一発入れる。男は不安定な体勢 だったため倒れ、短剣を手から離した。

「リア様!」

 クラルスは急いで僕の元へ駆け寄って来て縄を解いてくれた。僕が落ちている短剣を拾い上げると、一人の男性が剣を携えて襲いかかってきた。 クラルスが行く手を阻み、男性は当て身をされ、倒れる。
 経験の差なのだろうか、瞬く間に三人は当て身を使い、男たちは床へ倒されていく。
 僕に蹴りを入られた男は、床に放置してある長剣を手に取り立ち上がろうとした。クラルスが男に近づき、こめかみに蹴りを入れ、男は悶絶し た。クラルスは倒れている男の胸ぐらを掴む。

「貴様! リア様を傷つけて、ただで済むと思うな!」
「クラルス……。止めて」

 クラルスは僕が殴られたところを窓の外から見ていたらしい。殺気立っているクラルスを制止すると乱暴に男を離した。男は急所に蹴りを入れら れたため立ち上がれないようだ。クラルスは床に伏している男に冷たい視線を向けている。
 室内を見回し、誰一人血を流していなく安堵する。

 リエルは今眠っているが起きていた場合、リエルの目の前で血を見せることになってしまう。それと首謀者を聞き出すため、当て身を使うように リュエールさんから指示があった。
 スレウドさんが表で倒れている男たちを小屋の中へ押し込む。

「コーネット卿。リエルは無事ですか?」
「えぇ……怪我もありません」

 リエルはまだコーネット卿の腕の中で眠っていた。スレウドさんとクラルスは男たちから武器を取り上げ、全員を縄で縛る。リュエールさんはた め息を吐いた後、男たちに問いかけた。

「……あなたたち傭兵よね? 買った人を教えてもらっていい?」
「知らねぇよ」

 リュエールさんは脅すように持っていた剣に付与(エンチャント)し た。電気を帯びた剣を見て男たちは顔色を変え る。

「名前も知らねぇんだ! 王子を捕縛すれば金をやるって! それで前金をもらって、残りの金は王子と交換だって言われた!」
「……ガルツの指示じゃない?」
「ち……違う! 依頼してきた奴は中年の男だ!」

 ガルツの差し金ではないそうだ。裏で僕に賞金を賭けているのだろうか。表沙汰ではないが傭兵にお金をちらつかせてまで僕を捕縛したいらし い。

「そう……。じゃあ、あなたたち二つ守れるなら命は取らないであげるわ」

 リュエールさんは男たちに僕たちの前に二度と現れないこと、ランシリカには足を踏み入れないことを約束させた。男たちはリュエールさんと僕 を恨めしそうな顔をして見ている。

「……お前らが戦争なんて起こすから悪いんだ。お前らの勝手で俺たち一般市民を巻き込むな! 王子が処刑されれば、この国は平和になるんだ よ!」

 男たちがそう思っていても仕方ない。人々にとって僕は両親殺しとして流布されおり、僕が戦争を起こしたことは間違いない。

「……信じてもらえないと思いますが、父上と母上を手に掛けたのはガルツです。妹のセラは王都に幽閉され、傀儡にされています」
 「信じると思っているのか!」

 案の定、男たちが文句を言い放つが僕は言葉を続ける。

「僕も……最初は戦争を起こすくらいなら、命を差し出すつもりでした。それで皆が平和に過ごせるならと……。でも、目先の平和に囚われてはい けないと考え直しました」
「あなたたち私たちが好きで挙兵したと思っているの?」

 リュエールさんの言葉に男たちは押し黙る。

「僕が見てきたことが僕の真実です。母上たちが守ってきた国を守るために僕は戦います」
「……リア。もういいわ。ここには用済みだから行きましょう」

 リュエールさんは男たちに縄を切る用の短剣を一つ投げて、僕たちは小屋を後にした。念のためコーネット卿とリエルが襲われないように、僕た ちはコーネット卿の屋敷まで付き添った。リエルは屋敷に着くまでに目覚めなかったが大丈夫なのだろうか。

 コーネット卿は僕たちを客室に通し待つように言われる。その間にリュエールさんは救急箱を借りて僕の手当を始めた。

「この程度で済んで良かったわ。大丈夫?」
「はい。大丈夫です。リュエールさん手当ありがとうございます」
「よくあの時、捕まらなかったわね」

 あの時とは、男が僕を人質に捕ろうとしてたことだろう。僕が捕まってしまったら皆に迷惑が掛かってしまうためそれだけは阻止したかった。

「そういやクラルスが足蹴りするなんで思わなかったぞ」
「騎士だからと言って、剣だけ振り回すことが能ではないですよ」

 普段、クラルスは体術を使わないのだけど、相当怒っていたのだと思う。他愛もない話をしていると、コーネット卿が客室に現れた。

「コーネット卿。リエルは大丈夫ですか?」
「特に外傷も無く問題ありません。直に目を覚ますでしょう」

 街の医者を呼んでリエルを見てもらったらしく、薬を飲まされた以外何もなかったようだ。リエルが無事で胸を撫で下ろす。コーネット卿は神妙 な顔つきで席に着いた。

「この度は息子を救って下さり、ありがとうございました」
「いえ……元はといえば、私たちが突然お邪魔してしまったことが発端でしたし……」

 リュエールさんは申し訳なさそうに謝罪し、それにならって僕たちも頭を下げる。コーネット卿は「顔をお上げ下さい」と慌てていた。

「王子殿下お聞かせ下さい。民に恨まれてまでなぜ戦うことを選んだのですか?」
「……ルナーエ国の未来のためです。確かに僕が捕まって無実の汚名を被り、処刑されれば事態は収まるでしょう。しかしセラが一人になった時、 ミステイル王国が何をしてくるのか、コーネット卿なら解ると思います」

 僕は一呼吸を置いて思っていることを言葉にした。

「……コーネット卿が母上と父上から信頼されており、僕もコーネット卿に協力してもらえれば心強いと思っていました。しかし、それはランシリ カの人々の平和を奪うことになってしまうと認識して……僕は今、どうすればいいのかと迷っています……」
「リア……」

 リュエールさんは僕を見て困った表情をしていた。余計なことを言っているとは分かっている。それでも今の気持ちをコーネット卿に知って欲し かった。コーネット卿は僕の言葉を聞いて考えを巡らせているようだ。

「今でも私には何が真実なのか考えあぐねいております。ミステイル王国のガルツ王子殿下が城に滞在していることも、王女殿下にお会いできない のも不可解でなりません」

 コーネット卿は実際王都に出向いたので、城で起きていることに疑問を持ったのだろう。コーネット卿はこれからどう行動するのだろうか。

「私は王子殿下のすべてを信じることはできません。真意を知るための協力ということはどうでしょうか。もし王子殿下が通知書の通り陛下たちを 手に掛けたと分かれば、私は王子殿下の命を奪います」
「……それでも構いません」
「そのためにはこちらの条件をいくつか呑んでもらいます」

 全面的にというわけではないが、実質コーネット卿は協力してくれるようだ。
 コーネット卿が提示した条件は三つ。星影団に協力するかしないかは騎士個人の意思に任せること、協力する騎士は星影団の拠点 に滞在させること、ランシリカの街が危機になったら必ず助けることだった。

 リュエールさんはコーネット卿の条件を呑み。星影団との協力が約束された。
 ランシリカの騎士たちを星影団の拠点に移動させるということは、ランシリカの守りが手薄になってしまう。それでいいのだろうか。

「コーネット卿。ランシリカを守るための騎士はどうされるのですか?」

 僕が問うと、リュエールさんは何か分かったようで言葉を紡いだ。

「なるほど。むしろ手薄にしたほうがいいのですね」
「……さすが星影団の団長と言うべきでしょうか」

 戦力である騎士が滞在していないランシリカの街を襲えばただの虐殺行為となる。ルナーエ国に武力行使をせず、内部から浸食しようとしている ガルツは自分の信頼を落とすような行為はしない。そう考えてコーネット卿の作戦のようだ。

 将校であるコーネット卿はさすがだと思った。先日の招集の命はコーネット卿がどうにかするそうだ。
 協力をすると約束してもらえたが、合流するのに時間が必要であるということも僕たちに念を押された。ランシリカの街全体に関わることだ。し なければならないことがたくさんあるのだろう。

 夜も更けてきたので、僕たちはコーネット卿に促され、宿に泊まることになった。スレウドさんはまた襲われないか心配していたが、あの男たち はもう襲ってこないだろう。
 宿に着くとそれぞれ夕食を済ませて眠りについた。


 深夜、物音で僕は目が覚めた。起き上がるとリュエールさんの姿が寝台にない。どこかへ行っているのだろうか。
 スレウドさんとクラルスを起こさないように、僕は部屋を出る。廊下には人気がなく、外にでも出てしまったのだろうか。一階まで降りて、宿の 外へ出る。すぐ近くの石畳の階段に、毛布を羽織ってリュエールさんは月を見つめていた。

「リュエールさん……?」
「あ……。リア、起こしちゃった?」
「……いえ」

 外の空気はひんやりとして肌寒い。リュエールさんは片手で毛布を広げて隣に座るように言われたが、気恥ずかしくて遠慮する。

「風邪引いちゃうわよ」
「だ……大丈夫です……」

 そうは言ったものの、手を引かれて無理矢理座らされると、肩に毛布を掛けられた。密着するかたちになってしまい、リュエールさんの体温が伝 わってくる。恥ずかしくなり顔が熱くなるのが分かった。

「顔赤くして可愛いわね」
「か……からかわないで下さい」

 気取られて余計恥ずかしくなる。リュエールさんは無意識なのか解いてある僕の髪を手ぐしで梳いた。大切な物を扱うかのように長い細い指で何 度も梳かれる。
 恥ずかしいが嫌ではなかったので拒むことはせず、リュエールさんのされるがままに大人しくしていた。

「……ごめんなさい。リアの髪が綺麗でつい触ってしまったわ」
「いえ……大丈夫です」

 リュエールさんは僕の髪から手を離すと、綺麗な菖蒲色の瞳が見つめた。綺麗な人だなと思う。

「本当はこんなことがなければ、リアとは一生交わることはなかったわね」
「そうかもしれませんね……」

 無意識に僕たちは夜空に浮かぶ月を見つめた。街にはほとんど灯りはなく月の光がいつもより強く感じた。不意にリュエールさんは僕の方に少し 頭を傾けると、僕の銀色の髪とリュエールさんの亜麻色の髪が交わる。

「リア。あなたがこの国の人々を守るなら、あなたは私が守るわ」
「リュエールさん……」

 僕を星影団に誘ってしまったことを悔いての言葉なのだろうか。ルフトさんも言っていたがリュエールさ んが気にすることでは無い。きっかけはリュエールさんかもしれないけれど僕が選び取って進んだ道だ。それに僕だってこの選択肢が正しいの分か らない。

「リュエールさんが、そう思ってくれているだけで嬉しいです」

 リュエールさんに微笑むと彼女は目を細めた。どうしてリュエールさんはここまで僕に良くしてくれるのだろうか。

「リュエールさん。あの……まだ出会ったばかりですけど、なぜ僕にここまでしてくれるのですか?」
「そうね……。私とリアが似ているからかしら?」

 僕とリュエールさんが似ているとはどういうことだろうか。僕は首を傾げるとリュエールさんはくすりと笑った。

「私ね。もとは街を統治していた貴族の娘だったの。他の貴族に税金を悪用しているって無実の罪で私以外粛正されてしまったわ。故郷を追われて 頼る人もいなくて、死んでしまいたいと思った。その時、手を差し伸べてくれたのがルフトとスレウドだったの」
「……そうだったのですね」
「リアのことは他人事とは思えなくて……。それに陛下に恩があるの」
「母上にですか?」

 ある日、リュエールさんは貴族が通報した騎士団に捕まり、極刑になるところだった。母上は星影団の動きと諜報力を知っていたらしい。捕縛さ れているリュエールさんを王都に呼び出し、内密に協力関係を持ちかけられたそうだ。

「最初は陛下のこと、悪の親玉だと思っていたわ。実際話を聞いて利害が一致したから、お互い協力関係を築こうって思ったの」
「貴族が管理しきれていないのは、母上も父上も悩んでいました」
「今の陛下と騎士団長様のせいでないのは分かっているわ。少しずつ蝕まれていったのよ」

 母上の代から急に貴族が悪事をしだしたわけではない。権力を持ったことにより少しずつ変わってしまった。いまさら絶対女王制に戻すこともで きない。どうにかしようと母上たちは長年悩んでいた。
 リュエールさんは凜とした表情になり、僕を見つめる。

「……リア。私は、何があろうともこの戦いに勝つつもりよ。陛下たちを手に掛けたガルツを許せないわ。私たちのやっていることは生易しいもの ではないけれど、私はどんなことがあっても前に進む覚悟よ」
「僕も……。少しでもリュエールさんの助けになればと思います」

 僕の言葉にリュエールさんは微笑む。彼女は愛国心だけで動いているのではなく母上に恩があった。母上と父上のためにリュエールさんが挙兵を してくれてありがたく思う。
 不意に僕の手に彼女の手が触れた。夜の空気に当てられて冷えてしまっていたのか、リュエールさんの手が温かく感じる。

「リアの手冷たいわね……。もう部屋に戻ったら?」
「リュエールさんはどうしますか……?」
「私はもう少しだけいるわ」

 リュエールさんに促されて僕は宿の部屋へと戻り、寝台に横になる。リュエールさんの覚悟を聞いて自分も考えさせられる。僕は色々な選択に 迷っている。もし僕が選んだことが間違いだったら、皆を苦しめることになったらと思うと怖くなる。
 僕にはまだ覚悟が足りないのかもしれない。そう思ってしまう。僕は自分自身を信じて選択を選び取ることはできるのだろうか。
 そんな思いを巡らせながら再び眠りについた。


 次の日。僕たちはランシリカを後にし、拠点へと帰るため馬を走らせた。拠点に帰った後は、ルフトさんから何か情報が入っていないかを確認し て、次にどう行動するのか決めるそうだ。

「リア。頬、大丈夫?」
「はい。昨日よりだいぶ腫れは引きました」

 リュエールさんが心配そうに僕を見ていた。そんなに酷い怪我ではないので二、三日もすれば治るだろう。
 魔法で治す癖がついてしまうと良くないので、よほど酷い怪我以外は使わない方がいいと教えてくれた。

「魔法使って治せばいいだろう?」
「そういうわけには……」

 そこまで言った時、スレウドさん以外が硬直した。リュエールさんとクラルスは治癒系の魔法は使えない。四人の中で使えるのは僕だけだ。スレ ウドさんは僕に月石が宿っていることを知っている。

「スレウドさん。あなたいつ知ったのですか?」
「許せ。あれは不可抗力だ」

 クラルスも彼の言葉を理解してスレウドさんに問い詰めた。スレウドさんはばつが悪そうな顔をする。
 クラルスが倒れた日の夜。リュエールさんとルフトさんが部屋に来た際、たまたま部屋の前を通りかかったらし。その時話を聞いてしまったよう だ。
 リュエールさんは月石のことは他言しないようにと、スレウドさんにきつく言い聞かせた。

 二日間の陸路の旅を終えて拠点に戻る。太陽は西に傾きつつあった。拠点の修繕作業は八割ほど進んでいるようだ。先日の戦いで軽傷だった兵士 たちは回復して、作業についている。
 ルフトさんはリュエールさんを見ると柔らかい笑みを浮かべた。いつもは凜とした表情をしているのだが、リュエールさんに見せる顔は少し違 う。

「ただいまルフト」
「リュエ。戻ったか。そっちはどうだ?」
「上手くコーネット卿と交渉できたわ。準備ができ次第、合流するそうよ。ルフトの方は何か変わったことあった?」
「諜報からは特に連絡はないな。修繕作業もだいぶ進んだから、そろそろ公会堂で雑魚寝じゃなくていいと思うぞ」

 これからリュエールさんとルフトさんで修繕された家に団員を割り振るそうだ。
 スレウドさんは気怠そうに公会堂の端に寝転び、眠りについた。僕とクラルスは、公会堂の外の階段に腰を下ろす。

「クラルスご苦労様。野営だとあまり眠れてないよね?」
「ご心配には及びませんよ」

 クラルスとスレウドさんは野営をしている時、野獣に襲われないように、交代で見張りをしていてくれていた。あまり眠れていないと思うが、そ ういう表情はクラルスは見せないようにしている。
 拠点に心地よい風が吹き抜け、僕たちの髪を揺らす。

「コーネット様と交渉が上手くいって一安心ですね」
「うん。初めはどうなるかと思ったけどね」

 ランシリカでは色々な出来事があった。リエルを誘拐した男たちが言っていた戦争を起こす切っ掛けを作った僕への糾弾。自分が考えて選び取っ たガルツへと反旗。本当に僕はこれでよかったのだろうか。

「……クラルス。僕、今でも思うんだ。戦争を始める切っ掛けを作ってしまって……本当にこの選択で良かったのかなと……」
「……私にも分かりません。ただ……私たちは未来を奪われないように戦っているのは確かです」

 人は変化を嫌い、現状維持をしたいと思うことが大半。自己保身をしたいのは自然なことだ。いくら未来の為とはいえ、不確定なことに身を投げ るという人は極僅かだ。コーネット卿は僕たちに協力してくれたが、国中に流布されている僕への両親殺しの濡れ衣は、なかなか拭えないだろう。
 
 まだ修繕作業をしている星影団の団員を眺めていると、リュエールさんたちが姿を現した。どうやら修繕 が終わっている家を団員たちに割り振りするようだ。
 団員が次々と呼ばれて、家に案内されている。修繕された家は、寝室と簡単な机と椅子がある居間の二部屋の平屋に改造されていた。最後に僕と クラルスが呼ばれてリュエールさんの元へ歩いて行く。案内された家は、元々クラルスの家だった場所だ。

 リュエールさんはクラルスがこの村出身のことは知らないはずなので、たまたま割り振られたのだろう。気を遣ってくれているのか、この家は僕 とクラルスだけが使用することになっていた。
 僕は玄関の扉へ手をかけて開ける。以前見た時とは違い、壁や床板は綺麗になっていた。簡易的な椅子と机、奥の部屋には寝台が四台置いてあ る。僕は部屋に入るが、クラルスは躊躇っているのか玄関前で足を止めていた。複雑な表情をして部屋の中を見ている。
 もうクラルスが幼い頃記憶していた家ではなくなっているけれど、今日からここが僕たちの家だ。僕はクラルスの方を振り向いて微笑む。

「……クラルス。……おかえり」

 僕の言葉にクラルスも優しく微笑んでくれた。

「えぇ……。ただいま戻りました」

 クラルスの言葉は今はもういない両親へ向けたものなのだろうか。とても優しい声色だった。クラルスはゆっくり歩みを進め、部屋の中へと足を 運んだ。

 拠点の修繕作業も大詰めになっているある日、僕とクラルスはリュエールさんに呼び出された。

「二人とも作業中悪いわね。ちょっとお使い頼まれてくれるかしら?」
「はい。分かりました」

 リュエールさんのお使いは、プレーズという街にある星影団の拠点に行き、諜報員から情報をもらってくることだそうだ。今回はリュエールさん とスレウドさんは情報の整理のため拠点に残り、ルフトさん、クラルスと一緒に行くことになる。一緒に呼び出されたルフトさんはあまり乗り気で はなく嫌そうな顔をしていた。

「リュエ……。そんなの諜報の奴らに……」

 そこまでルフトさんが言うと、リュエールさんはルフトさんの手を掴んで電気を走らせる。ルフトさんは痛みで黙り込んでしまった。

「リアたちはプレーズに行ったことある?」
「いえ……。王都にいた時は、スクラミンに視察に行っただけです」
「なるほどね。いろいろ街を知るのもお勉強よ。拠点の場所はルフトが知っているから頼んだわ」

 リュエールさんは僕たちに見聞を広げるために配慮してくれたみたいだ。機会を与えてくれてありがたく思う。僕は何もなければ国中の街に視察 に行ったのだろう。
 明日から早速プレーズの街へ向かうことになった。


2020/03/08 up
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