プリムスの伝承歌-宝石と絆の戦記-
第9曲 侵食の伝承歌
翌日、僕たち三人はプレーズの街へと向かった。プレーズは拠点から南の場所に位置している。三日間の旅を終えてようやく辿り着いた。街並みは、淡い桃色や橙色の外壁に茶色の屋根の建物が多く、まるでおとぎ話に出てきそうな街だ。
僕とクラルスは
最初に訪れた星影団の拠点、セノパーズと同じく酒場が拠点のようだ。”準備中”と書かれている札が下がっているがルフトさんは構わず扉を開 けた。
「準備中って文字読めないのかい! まだ昼間だよ」
お店の中には、黒髪で両足に長い切れ目の入った妖艶な服の女性がいた。後ろを向いて酒瓶棚を整理している。こちらを見ていないので、僕たち をお客さんと勘違いしているようだ。
「……ベルナ、俺だ」
「ん……? なんだルフトじゃないか。お前がここに来るなんて珍しいな。新拠点はどうだい?」
「だいぶ整ってきたし、先日の戦いもベルナの耳に入っているだろ?」
「そうだな。こっちでも噂になっているよ。……で、後ろの二人は誰だい?」
ベルナさんはルフトさんの後ろにいる僕たちに目を向けた。クラルスと目を合わせ、頭に被っていた外套を脱いでベルナさんに会釈をする。
「今、星影団に身を寄せているお尋ね者の王子とその護衛だ」
「はじめまして。ウィンクリアです」
「クラルスです。よろしくお願いします」
ベルナさんに挨拶をすると酒瓶棚の整理をしていた手を止めて、僕たちの前まで歩いてきた。僕とクラルスのことをまじまじと見ている。
「噂の王子殿下と護衛ね。私はこの街で星影団の諜報員をしているベルナだ」
彼女は僕の顎に手をかけると顔を上に向かされて漆黒の瞳と目が合った。彼女から少し香水の香りがする。王都にいた時、貴族の女性たちがきつ い香りの香水をつけていたので少し苦手だ。女性に触れられるのは慣れていないので、どういう反応をしていいのか戸惑ってしてしまう。
「あ……あの……」
「こんな片田舎なんで王族を見る機会はないが、ずいぶん可愛らしい顔をしているね」
不意に身体が後ろに引かれ、ベルナさんの手が離れる。振り返るとクラルスが眉をひそめていた。クラルスは僕が不用 意に他人に触れられることを嫌っているようだ。
「何も捕って食べやしないよ色男。それともあんたの相手を私がしてあげようか?」
「止めておけ、普通じゃいられなくなるぞ」
「け……結構です」
三人が何を言っているのか分からないけどクラルスは少し頬を染めていた。ベルナさんに酒瓶棚近くの長机前に座るよう促された。彼女は透明の 細長い硝子の容器を三つ出して茶色の液体が注ぐ。僕は未成年なのでさすがにお酒ではないだろう。
「紅茶だから安心しな。さすがに未成年にお酒は出さない」
「……いただきます」
一口飲むと爽やかな紅茶の味と果実の香りがした。美味しいとベルナさんに伝えると満足そうに微笑み、酒瓶棚の整理の再会をした。ルフトさん はベルナさんの背中に語りかける。
「リュエから情報聞いて来いと言われたんだが、何かベルナの所に情報入っているか?」
「リュエールがあんたを寄越すとか諜報員が足りないわけじゃないだろう」
「二人の街見学のお守りみたいなものさ。情報収集はそのついでだ」
ベルナさんは酒瓶棚の整理の手は止めずにそのまま話し始めた。
プレーズの街にも僕が母上たちを手に掛けたという通知は掲示されているそうだ。王国兵は掲示板に張り紙をして以来この街には来ていないらし い。王国兵がこの街にいないということなので安堵した。
ミステイル国内の情報で、密偵や暗殺など非合法な依頼を請け負っている地下組織の動きが活発化しているらしい。
何でも僕を捕まえるために何者かから依頼があったらしい。組織構成員の何名かがルナーエ国に出入りしているそうだ。
ランシリカで僕を捕まえようとしていた男たちは、ミステイルの地下組織の者に頼まれたのかもしれない。
「王子殿下を生きたまま捉えれば賞金で三億もらえるらしい。死体に金は払わないってさ」
「そうなのですね……」
「星影団に身を寄せているなら迂闊に近づいたりしないだろうさ」
ガルツとミステイル国の地下組織は繋がっているに違いない。僕が邪魔な存在なら暗殺を仕掛けてくるはずだ。生かしたまま捉えろという指示 は、僕に月石が宿っていると分かっていなければしないだろう。
セラはとっくに調べられているだろうし、母上に宿っていなく宝石室にも安置していないとなれば、必然的に僕に宿っていると考える。ガルツは そこまでして月石を求めているのはなぜなのだろうか。ただ力を手にしたいだけとは思えない。
ルフトさんは紅茶を飲み干すと席を立った。
「……日が落ちる前にこいつらに街の案内をしてくる」
「はいよ。今日は泊まりか?」
「あぁ。世話になる」
「それと、あまり関係ない話しだが最近露店市場に盗人が出るらしい。何店かやられている」
ベルナさんはもし盗人に遭ったら捕まえて欲しいそうだ。長に突き出してとルフトさんにお願いをしていた。ルフトさんに促され、僕とクラルス は外套を被り、酒場を後にする。酒場の裏まで移動すると、辺りを確認してからルフトさんは話し始めた。
「……ガルツは、十中八九お前に月石宿っていると思っているな」
「……多分そうだと思います」
ルフトさんはベルナさんに月石のことを聞かせないように気を遣って移動してくれたようだ。僕は月石の宿る左手を見つめる。宝石一つでこんな ことになるとは思ってもいなかった。
「ここまでしてくるとは余程、月石が欲しいのですね」
「そりゃ
大昔、
「さて……。リュエからプレーズの街を案内するように頼まれているからな。日が落ちる前にさっさと行くぞ」
ルフトさんは一通り街を案内してくれるらしい。僕たちは太陽が西に傾き始めた街中へ歩いて行く。頭まで外套を被っていると逆に 怪しまれるので、取るように言われたが大丈夫だろうか。
「ここは王都から遠い田舎街だ。お前たちの顔を知っている奴は貴族くらいだろう。服は隠しておけよ」
僕は最近まで王都から出たことはなかったので、服や顔を見られただけでは露見しないと思う。クラルスは
星永騎士の外衣は魔法糸という特殊なものを使っているらしい。少しだけだが魔法に耐性があり、斬撃で破れにくいそうだ。軽い鎧のようなもの と以前クラルスが教えてくれた。
露店が並ぶ市場まで歩いていると何やらそちらの方が騒がしい。催しものでもしているのだろうか。
不意に月石が宿っている左手に違和感を覚えた。左手が疼く感じがして、胸騒ぎがする。
「盗人だ!」
誰かの叫ぶ声が聞こえると共に走る足音が近づいて来る。丁度角から外套を被った人が現れ、僕を突き飛ばして去って行く。倒れそうになったと ころでクラルスが支えてくれた。
「リア様、大丈夫ですか!?」
「……うん。大丈夫だよ」
外套を被った人に突き飛ばされた時、違和感を感じた。手で押されたはずなのだが、ごつごつして異常に硬い。足下を見ると小さな紫色の破片が いくつか落ちていたので拾い上げる。
「これは……何だろう」
「硝子の破片ではないですね……」
盗人が落としてしまったものなのだろうか。僕は落ちていた残りの破片を集めて袋に詰めた。もし大切なものだったら本人に返してあげたい。
少しすると何人かの大人たちが姿を現した。どうやら先ほどの人が盗人らしく追って来たようだ。皆顔には怒りの色を露わにして眉をつり上げて いる。
「逃げ足だけは早い奴め!」
逃げた方を見るともう盗人の姿はいなくなっており、いつのまにか左手に感じた違和感と胸騒ぎは退いている。ルフトさんが追いかけて来た大人 たちに事情を聞くと、二ヶ月前程から食料ばかり狙う盗人が現れたそうだ。
手口は狡猾らしく盗まれても気づかないことも多々あるらしい。大人たちは悔しそうに露店市場へと帰って行った。
「食料ばかり狙うだなんて……食べ物に困っているのかな……」
「盗人と聞くと、お金になりそうなものを狙いそうですけど」
「何を盗もうが盗人には変わりない」
ルナーエ国は多少貧富差があるけれど貧民街は存在していない。それともスクラミンのように、僕が知らないだけで街の情勢が変わっているのか もしれない。
王都以外の情勢は、母上と父上が貴族と謁見の時に一緒に聞いていた。他に授業に来る先生の話や自分で文献を見て知ることしかできていない。
スクラミンの視察の時、自分の目で見て事実を知る大切さを知った。今プレーズの街は食べ物に困窮するほど困っているのだろうか。
「ルフトさん……。プレーズの街は食べ物に困っているのですか?」
「田舎街だが困窮しているほどじゃない」
「そうですか……」
プレーズの街自体、困窮しているわけではなさそうで胸を撫で下ろす。ルフトさんに促され、露店市場の方へ歩き出した。
森と山が近いプレーズの街は山菜や果実が露店に多く並んでいる。露店の一つに真っ赤な小さい林檎がたくさん積み上げられていた。王都の露店 市場に売っている林檎より小さくて赤い。見たことがない品種だったので思わず足を止める。
「今朝採れたての林檎だよ! 一個八〇レピだ!」
露店の体格の良い男性は白い歯を見せて僕に笑いかけた。拠点から出る前にリュエールさんからお小遣いとして二千レピをもっていたことを思い 出した。僕はお金が入っている袋を取り出す。
ふと、さっきの盗人は八〇レピも出せなく盗まなければならないほどお金に困っているのかと思うと、やるせない気持ちになる。
「……すみません。四個ください」
「まいど! 今日もたくさん採れたから一個おまけだ!」
男性に代金を支払うと紙袋に五個の林檎を詰めて僕に差し出した。
「ありがとうございます。毎日こんなにたくさん採れるのですか?」
「こんなに採れるようになったのは最近だよ。前まで魔獣のせいで、なかなか山に収穫しに行けなくてね。値段も今の三倍はしたぞ」
男性の話によると山には魔獣というものが徘徊しているらしい。週に何度か王都に護衛要請を出して山に入り、果実や山菜を収穫していたそう だ。
今は魔獣の出没頻度が減っており、王都に護衛要請をしなくても山に入れるくらいになってきているらしい。
「魔獣は減ったといえども出るには変わりないからな。お前さんたちも気を付けな」
男性に会釈して僕たちは歩き出す。さきほど買った林檎を袋から取り出し、クラルスとルフトさんへ手渡す。ルフトさんは怪訝な顔をして僕を見 ていた。
「何でたくさん買っているんだと思ったら、俺たちの分か」
「林檎、苦手でした?」
「いや……。プレーズ産の林檎はお前たち初めてか」
「見たことがなかったです」
ルフトさんは先導して歩いていってしまったので僕とクラルスは慌てて追いかける。さきほど買った林檎をかじると酸味と甘みが程良くみずみず しい。王都の露店市場にも地方の物産が並んでいるがプレーズ産の林檎は見たことがなかった。
男性の話からすると魔獣が山に出ると言っていたので、今まで収穫数が少なく王都の露店市場に出回らなかったのだろう。
「クラルス。魔獣って野獣とはまた違うの?」
「そうですね。魔獣は野獣と違って魔法を使えるのですよ」
「魔法を……?」
魔獣は何らかのかたちで、野獣が宝石の小さな欠片を体内に取り込んでしまい、変異した獣らしい。絶対数は少ないが人間も捕食対象だそうだ。
「特に魔力の強い人間を捕食したがるので、宝石を宿していると狙われやすいらしいですよ」
クラルスの言葉に僕は思わず左手を押さえた。宝石は魔法が使える便利なものだけど、魔獣に狙われやすいという危険性が高くなる。
「プレーズ近くの山は山菜や果物が豊富だからな。魔獣も野獣も餌を求めて来るんだ」
「でも減っているのでしたら良かったですね」
魔獣は野獣よりも凶暴らしい。王都から護衛要請で行った騎士たちは怪我をして帰って来る人も少なくはないそうだ。少し危険な任務なため星永 騎士も同行したりするらしい。
話しをしながらルフトさんに街の施設を一通り教えてもらう。街自体大きいものではないが宝石店や宿屋など必要最低限の施設はあるようだ。
街の人たちを見ていると掲示板を気にする様子はなく悠々自適に暮らしている。ここでは王都での出来事にはあまり関心がないようだ。
プレーズを統治している貴族の屋敷は酒場の真東にあるらしい。さすがに見つかると厄介なので近づかなかった。
日も傾き始めたので酒場へと戻り、ベルナさんに買った林檎を手渡す。
「私にかい? 王子殿下は優しいね。ルフトもリュエールに気使ってやりなよ」
「余計なお世話だ」
ルフトさんはばつが悪そうな顔をしてベルナさんを睨んでいた。ベルナさんは後で林檎の紅茶を作ってくれるそうだ。プレーズ産の林檎は紅茶と 相性がいいらしい。
林檎を調理場に置くとベルナさんは僕たちが泊まる部屋に案内してくれた。
初めて訪れた星影団の拠点のセノパーズは地下の隠し部屋になっていた。ここは酒場の裏手にある普通の 部屋のようだ。普段は諜報員がたまに寝泊まりする程度であまり使われていないらしい。他の諜報員が来るのかわからないのでいつも寝台は綺麗に 整えてあるそうだ。僕は近場の寝台に腰を下ろして一息吐く。
「ベルナから情報ももらったし、明日にはここを発つぞ」
「……あのもう一日だけいてもいいですか?」
「何か気になったところでもあったのか?」
僕は拾った紫の破片を盗人返してあげたいと思う。それに左手の違和感と胸騒ぎも気になっていた。
「……さっきの盗人のことが気になって……」
「盗人を捕まえるのか? お人好しだな。俺たちがしなくてもいいだろう」
「捕まえたいとかじゃないんです」
盗人が近くにいた時、左手に違和感と胸騒ぎがしたことを説明すると、ルフトさんは腕を組んで考えている。
「……お前もだったか。俺もあいつには何か感じた。護衛は何か感じたか?」
「私の気のせいではなかったのですね。私も左手に違和感を感じていました」
宝石を宿した僕たちは盗人に何かの違和感を感じている。余計に盗人のことが気になってしまう。ルフトさんに頼み込んであと一日だけ滞在を許 してくれた。僕のわがままで申し訳ないけど、もう一度盗人に会って違和感の正体を確かめたい。
次の日、ルフトさんは盗人を探す気はないらしく別行動をすることになった。僕とクラルスは露店市場へと足を運ぶ。もしまた盗みをするなら露 店市場に来るだろう。今は左手に違和感を感じない。そもそも盗人はまた今日も来るとは限らないけど待ってみようと思う。
僕は市場で売られているパンを一つと、昨日林檎を買ったお店に行き林檎を二個購入した。クラルスは怪訝な顔をして僕のことを見ている。
「リア様。食事の量が少なかったですか?」
「ううん。昨日の人きっとお腹が空いていると思うから会ったら渡そうかと思って」
「……そうでしたか。リア様はお優しいですね」
僕はパンと林檎が入った袋を抱え、しばらく露店市場を歩く。特に左手に違和感も感じることなく時間だけが過ぎていった。これ以上僕のわがま までプレーズに滞在できないので、今日会えなかったら諦めるしかない。
歩くのも疲れて露店市場の端に置いてある長椅子に座り待っていたが、一向に盗人は現れなかった。
夕刻が近くなってくる頃、左手に少しの違和感を感じた。僕とクラルスは同時に視線を合わせる。
「……リア様」
「うん。どこかにいるかも」
僕とクラルスは盗人を捜すため露店市場を歩く。盗みをする前に接触をしたい。左手の違和感を頼りに歩くと、少し露店市場から離れた裏路地に 人がいた。外套を被り、姿勢を低くして露店市場の方を見ている。
違和感も強くなっているのできっとあの人だろう。僕たちが近づいていることに気がついていないが声をかけてみた。
「あの……突然すみません」
僕が声をかけると盗人は驚いて振り返り、僕を見上げた。それと同時に頭に被っていた外套の布が取れる。藍から
「……何だお前たち……」
「君って昨日の盗み……」
そこまで言うと少年は慌てて立ち上がり、僕の口を手で押さえる。
「お前の目的は何だよ。俺を捕まえに来たのか?」
「私たちはあなたを捕まえに来たわけではありませんよ」
口を塞がれている僕の代わりにクラルスが応えてくれた。少年はクラルスに疑いの眼差しを向けていたが少しの沈黙の後、僕を睨みながら少年は 口を開く。
「……お前、騒ぐなよ」
少年の言葉に僕は頷くと手を離してくれた。ここは露店市場が近く彼はお店の人には見られたくないと思うので街の裏路地へと移動する。彼は ずっと僕たちを警戒していることが雰囲気で伝わってきた。僕たちは階段に腰を下ろし、彼に食べ物が入った袋を手渡す。
「……なんだよこれ」
「君がお腹空いていると思って……」
「お前に同情される筋合いはねぇよ」
その時、彼のお腹が盛大に鳴り、あまりにも大きな音に僕は目を丸くした。彼は顔を真っ赤にして袋をぐしゃぐしゃに握っている。僕とクラルス は顔を見合わせて苦笑した。確かに見知らぬ人に食べ物を渡されたら警戒してしまうだろう。
彼は舌打ちをして乱暴に袋を開けると林檎にかじりついた。余程お腹が空いていたのだろうか、またたく間にパンと林檎は彼のお腹に収まった。 食べ終わった頃を見計らって昨日拾った紫の破片を彼の前に差し出す。
「昨日、君とぶつかった時に拾ったんだ。大切なものじゃないかな?」
彼の掌に乗せると表情は曇る。返した破片は放り投げられ、弧を描いて階段下に落ちていく。
「こんなのに価値なんてない」
綺麗なものだったが、彼には必要ないもののようだ。破片が落ちた階段下を睨み付けている。彼に何か悪いことをしてしまったような気がした。
「ねぇ……君。名前は?」
「俺に聞く前に、自分から名乗るのが礼儀だろう」
「そうだね。僕は……リアです」
彼も掲示板を見ている可能性があるので、さすがに正式な名前は言えなかった。
「俺はシンだ。後ろの奴は?」
「私はリア様の護衛ですのでお気になさらずに」
「リア……様? お前貴族か?」
「そ……そんなところかな」
シンは疑いの目を向けていたが適当に誤魔化した。彼はなぜプレーズの街で盗みをしているのだろうか。シンくらいの年齢だったら働き口はある と思う。
「シンはどうして盗みをしているの? 働こうと思えばできると思うけど……」
「何でお前に言わなきゃいけないんだよ。何不自由なく暮らしているお坊ちゃんには関係ない」
シンは持っていた袋を石畳の上に投げ捨てたので、僕は拾い上げる。
「ごみは捨てちゃだめだよ」
シンは太ももに頬杖をついて視線を逸らした。不意に外套から覗いた外衣が軍服のように見える。資料で見たことがある気がするけど思い出せな い。
クラルスの方を見るとシンを見て眉を潜めている。不思議に思い、僕は首を傾げた。
「その外衣。ミステイル王国の少年兵のものですね」
外套の間から見えている外衣はミステイル王国のものらしい。クラルスの言葉を聞いてシンの表情が強張る。ミステイル王国出身のシンは、なぜ ルナーエ国に来ているのだろうか。昨日ベルナさんが話していた地下組織の者なのではないのかと警戒をしてしまう。
「……だったら何だよ」
「シンは……どうしてルナーエ国に?」
「……お前に話す理由なんてない」
彼は立ち上がると階段を足早に降りていく。彼の名前を呼んで呼び止めたが僕を睨み付けていた。
「食い物をくれたことには感謝するが、もう俺に関わるな」
シンは身を翻して走り去ってしまった。シンの威圧的な態度に僕は追うこともできず、ただ彼が走り去っていく姿を呆然と立ち尽くして見てい た。彼が座っていた場所にはまた紫色の破片が落ちている。左手の違和感は彼が遠のくと同時に消えていった。
クラルスに日が落ちるので拠点へ戻ろうと促される。だいぶ長い時間外出してしまった。
なぜシンはミステイル王国出身なのにプレーズの街にいるのだろうか。地下組織の構成員というわけでもなさそうだし、ガルツが率いてきた王国 兵でもなさそうだ。彼のことは疑問符だらけだった。
拠点の部屋に戻り、寝台に腰を下ろす。
「クラルス。シンはどうしてプレーズの街に来て盗みなんてしているんだろう。何か理由があるのかな?」
「分かりかねますが、リア様に害を加える者ではなさそうでしたね」
酒場が開店したのか少しずつお客さんの話し声が聞こえてくる。僕は疲れていたのか寝台に横になると、そのまま眠ってしまった。
僕が目を覚ますと部屋は暗くなっており、窓から月明かりが差し込んでいた。酒場からの声は聞こえず、既に閉店した後のようだ。寝起きで頭が 呆けているなか寝返りを打つ。隣の寝台に上体を起こして小さな灯りを頼りに本を読んでいるクラルスと目が合った。ルフトさんは既に寝ているの かクラルスは声を潜めて話す。
「リア様、お目覚めになられました?」
「うん……。いつのまにか寝ていたよ」
「最近、遠征することが多いのでお疲れでしたね。酒場にリア様分の夕食の作り置きがしてあります。召し上がりますか?」
夕飯を食べ損ねてしまった僕の為にベルナさんが用意してくれたそうだ。僕が頷くとクラルスに案内されて酒場へ行く。室内は少しお酒の残り香 がして月明かりだけが照らしていた。
クラルスは灯りを一カ所だけ点けて僕は近くの席に座り、ベルナさんが作ってくれた魚と野菜の煮込みを頂く。魚の旨味と野菜の甘みが口の中に 広がり冷めていたが美味しかった。
結局左手の違和感や胸騒ぎの原因は何なのかは分からなかった。シンはまた明日も食べ物を求めて盗みをしてしまうのだろうか。シンの事情や食 べ物を盗まなければならない状況が心配だった。
夕食も済ませて部屋に戻ろうとした時、外から酒場の壁に何かがぶつかる音がした。それと同時に左手に違和感を感じる。僕とクラルスは顔を見 合わせて急いで酒場の入り口の扉を開け、辺りを見回す。建物の陰から人の手が見えた。駆け寄ると外套を羽織った人が倒れている。 外套からのぞく藍から浅葱の色彩に染まった髪に見覚えがあった。
「し……シン!? どうしたの!?」
彼は苦しそうにうめき声を上げている。声を掛けて揺すってみたが反応はない。外傷はないので何者かに襲われたわけではなさそうだ。
「クラルス! とりあえず部屋に運んであげよう」
「か……かしこまりました」
クラルスはシンを背負おうと彼の左手に触れた時、一瞬驚いた表情をしていた。問いかける間もなく酒場の中へ移動する。僕たちが寝ている部屋 まで連れていくと、騒がしさにルフトさんが目覚めた。上体を起こし、気怠そうにしている。
「……何だ騒がしいな」
「ルフトさんすみません。外で人が倒れていて……」
「はあ……。俺らは医者じゃないぞ」
「苦しんでいる人を僕は見捨てられません」
ルフトさんはあくびをして、少し寝癖のついた髪を搔く。ルフトさんを起こしてしまって申し訳ないけど、こんなに苦しそうにしているシンを 放っておくことはできない。
部屋の灯りを点けてシンを空いている寝台に寝かせる。クラルスが外套を脱がすと僕たちは言葉を失った。
彼の左手が紫色の結晶で覆われており、肩くらいまで結晶化している。ルフトさんもシンの側に寄って腕を見ると目を見張った。
「これは……侵食症か……」
「侵食症……ですか?」
侵食症とは宿主と宝石の相性が合わない時に発症するらしい。相性は宝石を宿さないと分からないそうだ。身体が侵食される前なら宝石を外せば 症状は治まる。
合わない宝石は宿す時や魔法を使う度に痛みが伴う。長時間宿した状態が続き、症状が進むと宿した左手から宝石に身体が侵食され、死に至る。 侵食症を恐れて宝石を宿したがらない人もいると教えてくれた。
もしかして左手の違和感や胸騒ぎは侵食症という宝石の異常を察知していたのかもしれない。
ルフトさんはシンを見て険しい顔をする。
「……何か助ける方法はないのですか?」
「侵食症は医者や治癒魔法で治せるものじゃない。結晶化前ならどうにかなったが、これは侵食症の五段階目に近い状態だ……」
シンは僕たちの声に目を開け、琥珀色の瞳と目が合った。今は痛みが引いたのか苦悶の表情はしていない。彼の前髪は汗で張り付いており、浅い 呼吸を繰り返している。
「……ここは……」
シンは上体を起こそうとしたので背中を支える。彼が動く度に侵食されている左手から結晶の破片が床や寝台に落ちた。僕が露店市場で拾った破 片は侵食症に犯されているシンの左腕から落ちたもののようだ。
「シン……大丈夫……? まだ起きない方が……」
「……俺に触るな」
シンは僕を睨み付けて弱々しく手を押しのけた。突然人に囲まれて警戒しているのだろう。動くと痛みが走るのか左腕を押さえている。どうして 彼はこんな状態になるまで合わない宝石を宿していたのだろうか。
「……シン。どうして侵食症に……」
「……お前に教える必要はないだろう……」
シンはなかなか事情を話してくれない。不意にルフトさんが乱暴にシンの左腕を掴んだ。シンは顔を歪めて結晶の破片が床に落ちる。
「お前、露店市場で盗人をしていた奴か」
「……そうだよ。牢屋にでもぶちこむか?」
「止めてください!」
僕は無理矢理ルフトさんの手をシンから引き剥がした。確かにシンがプレーズの露店市場でした行為は許されるものではない。それでも僕は、い ま苦しんでいるシンを
「シンにはきっと理由があるんです!」
「お前……何で……」
僕はシンを庇うように二人の間に入った。ルフトさんが苛ついている雰囲気が伝わってくる。クラルスがため息を吐いてシンに言葉を投げかけ た。
「……これも何かの縁です。少しくらい事情を話してもいいのではないですか?」
クラルスの言葉にシンは少しの沈黙の後ようやく重い口を開いた。
「……俺はミステイル王国の元少年兵だ」
シンは少しずつルナーエ国に来た経緯を話してくれた。ある日、宝石の研究機関からアメジストが適合する確率があると通達され、研究機関に幽 閉されてしまったそうだ。
何人かの少年兵も研究機関に連れて来られ、無理矢理アメジストを宿された。シンを含め、全員適合することはなく侵食症になってしまったらし い。
侵食症になってからも実験台にされていたそうだ。シンは半年前に宝石の研究機関から脱走して、ルナーエ国まで亡命してきたらしい。
「……食い物を買う金さえなくて、プレーズの街で盗人をしていたわけか……」
「こんな腕の状態じゃ気味悪がって雇ってくれるところなんでなかったしな……」
シンは最初から盗みをしようという気は無く、異国の地でも生きようとしていた。
「毎日腕の苦痛に耐え続けるくらいなら、自殺して楽になりたいって思ったさ。でも……死ぬのは怖いし、少しでも何か可能性があるならと思って 今もこうして盗みまでして生きている」
シンは寝台から立ち上がり、ふらついた足取りで扉の方へ歩いて行く。
「シン……?」
「面倒かけたな。何度も言うがもう俺に関わるなよ。無様に宝石に喰われていく様を見たいなら別だけどな」
シンは部屋から出て行こうとするが、扉の前で激しく咳き込んだ。彼は胸を押さえてその場に座り込んだ。僕は急いでシンの側へ駆け寄り、背中 を摩った。シンの咳は一向に止まず、咳と荒い呼吸を繰り返している。
「シン……。今日はここで休んだ方が……」
無視しているのか聞こえていないのかシンは返事をしなかった。咳が止んだと同時にシンの身体が傾き、その場に倒れる。彼を抱き起こすが意識 を失っているようだ。
クラルスがシンを抱きかかえて寝台へ寝かせる。シンは苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。
ルフトさんとクラルスはシンの様子を見て眉をひそめている。
「……ミステイル王国の宝石研究機関か。アメジストの魔法は確か肉体や精神に干渉するものだったな」
「アメジストの適合者を探して魔法で兵士たちを操ろうとしていたかもしれませんね。痛覚や恐怖心を除いて、指示通りに動く
ルフトさんはため息を吐いて語り始めた。
シンが宿しているアメジストはダイヤモンドと同じく適合者が少ないらしい。クラルスの言っていたとおり、ミステイル王国は傀儡の兵士を作ろ うとしているのかもしれない。
宝石を研究している国は北の大国であるフィンエンド国が先進国で、研究の成果を各国に公表している。ミステイル王国も独自に研究機関を設け て宝石の研究をしているようだ。
シンの話を聞くかぎり非人道的な行為がされているのは明らかだ。フィンエンド国も裏ではそういうことをしているという噂があるらしい。
彼のことは明日宝石師の人に見てもらうことになった。ルフトさんは無駄だと言っていたが宝石を外せる可能性があるなら外してあげたい。
既に真夜中を過ぎている。僕たちは身体を休めるために眠りについた。
太陽の日差しで目を覚ますと、「おはようございます」とクラルスの声が降ってきた。シンはどうしたのだろうと思い、彼が寝ていた寝台を見 る。そこに姿はなく紫色の破片がいくつか残っているだけだった。
「おはようクラルス。……シンはどうしたの?」
「明け方、物音に気がついて追ったのですが彼は姿を眩ましてしまいました」
「そうなんだね……」
あの身体で大丈夫なのだろうか。シンのことが心配だった。ルフトさんは先に酒場へ行き、朝食を食べているらしい。僕もクラルスに促されて、 酒場へ顔を出すと綺麗に身支度を整えたベルナさんがいた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「はい。おかげさまで……。夕食の作り置きありがとうございました。美味しかったです」
ベルナさんは少し離れた部屋で寝ていたのだが、昨日の深夜に起きたことに気がついていないようだ。
ルフトさんの向かい側に座る。ベルナさんは僕が先日買ってきた林檎で紅茶を淹れてくれた。硝子の容器の中に薄い輪切りの林檎が浮いており、 甘い香りがする。
僕が夜中に起こしてしまったためルフトさんは紅茶をすすりながら気怠そうにしていた。ベルナさんは僕に朝食を出すと、夕方の開店に向けて準 備を始める。
「ルフトさん。……今日はもう帰りますか?」
「本当は昨日で帰るつもりだったからな。まだ何かあるのか?」
「あの……シンが心配で……」
シンの名前を聞くとルフトさんは持っていた硝子の容器を乱暴に置いて、僕を睨み付けた。
「お前、お人好しも大概にしろ。昨日も言ったがお前がどうこうできる問題じゃない。それにあいつは助からない」
「でも……まだ何かあるかもしれません」
「あいつと同じ奴が百人いたらお前は全員に同じ情けをかけるのか? できないだろう。お前が星影団に身 を寄せていることを忘れるな。俺の指示に従え」
僕は何も言い返すことができなかった。僕のわがままなのは分かっているが苦しんでいるシンの姿を見てしまったので何かしてあげたい。
「ルフトさん。何もそんな言い方はないでしょう」
「お前も王子に甘いんだよ。ここはお前たちのいた王都じゃない。何でもわがままが通ると思うな」
僕が俯いているとベルナさんが少し大きめの手持ち篭を机の上に置いた。
「まったく何朝からカリカリしているんだいルフト。気分転換に森にある果実酒用の果物を採ってきてくれ」
「はぁ? 何で俺が……」
「最近、魔獣は減ったとはいえ森には出るのさ。女一人で行かせるつもりかい?」
ベルナさんが話しかけてくれたので張り詰めていた空気が少し和らいだ気がする。
果実酒用の果物は露店市場ではあまり出回らないらしく、森に採りにいかなければいけないそうだ。どうやら拒否権はないようだ。
朝食を食べ終えたルフトさんは一人で行こうとした。ベルナさんにお世話になったので僕も一緒に行きたいと願い出る。もしかしたらどこかでシ ンに会えるかもしれないと少し期待をしていた。
僕たち三人は近場の森へ歩いて行く。目的の果実はだいぶ森の奥の方にあるそうだ。見本としてもらった果実は紫色の楕円の形をしており、少し 甘酸っぱい匂いがした。
林道が森の奥まで延びており、道に沿って進んでいく。昼間だが森の木々で薄暗く湿った空気が辺りを包み込んでいる。
「だいぶ森の奥まで来ましたね」
「もう少しのはずだが……」
しばらく歩くと林道の先に少し拓けた場所が目の前に広がった。薄暗い森の中にそこだけ太陽の日が差し込んでいる幻想的な光景。中央には陽の 光を浴びている何本かの木と紫色の楕円の果実が見えた。
「あっ……ベルナさんの言っていた果実ですね」
「さっさと採って帰るか」
僕が木に近づこうとした時、突風が吹き、木々が騒ぎ出す。足を止め、空を見上げるとクラルスが制止する。
「……リア様お待ち下さい。何か気配が……」
後ろを振り返ると森の茂みから狼型の野獣が一匹飛び出してきた。僕たちが剣を構えようとした時、木の上から外套を被 った人が降りて野獣に剣を突き立てた。野獣は短い断末魔を上げて絶命する。
唖然としていると、その人は頭に被っていた外套を外した。藍から浅葱の色彩に染まった髪に見覚えがある。
「……何だ。お前らか……」
その正体はシンだった。シンは野獣に突き立てた剣を乱暴に抜き、舌打ちをした。
「シン……! 身体大丈夫なの? 心配したよ」
「心配される筋合いはない……」
シンは相変わらずの態度だ。彼はため息を吐いて髪を乱暴に搔いている。
シンが倒した野獣を見るとスクラミンで見た野獣とは異なり、黒い毛並みをしていた。野獣からは少し熱源のようなものを感じる。実際温かいわ けではないが不思議な感覚。これが魔力なのだろうか。魔獣の体内に魔力の供給源である宝石があるのだろう。
「……こいつは魔獣か……」
ルフトさんは、息絶えている野獣を見て怪訝な顔をしている。
「……そうだ。この辺りはやたら多い。魔獣が住処にしている」
「随分この辺りに詳しいのですね」
クラルスの言葉を聞いてシンはばつが悪そうな顔をした。なぜシンはこんな森の奥にいるのだろうか。魔獣がいると分かっているなら、明るいと はいえ森には近づかないはずだ。
「助けてくれてありがとう。何でシンはこんな所に?」
「……それは……」
僕が問うとシンは押し黙る。何か言えないような理由なのだろうか。僕は首を傾げてシンを見つめる。クラルスは何か合点がいったような顔をし て言葉を紡いだ。
「もしかして……。最近魔獣が減っているというのはあなたが狩っていたのですか?」
「なるほどな。食べ物を盗んでいる罪滅ぼしってところか?」
クラルスとルフトさんに言われ、シンは返す言葉が無く口を
「……俺だって好きで盗みをやっているわけじゃない。良心の呵責もある。金がない俺にはこういうことしかできないからな……」
シンは気持ちを吐露しながら剣を収めた。彼の様子を見ると昨晩とは違い、今は咳も出ていなく痛みもなさそうだ。
アメジストは闇を司る宝石なので、陽が出ているうちは左手に痛みはないらしい。今も動く度にシンの左腕からは侵食している結晶の破片が落ち ている。
「……お前らに、盗みをしなければ生きられない状況とじわじわ迫ってくる死の恐怖が分かるかよ……」
「……シン……」
不意に気配を感じ、僕たちは一斉に同じ方を向く。仲間の血の臭いに誘われたのか十数匹の魔獣がうなり声を上げて集まって来ている。僕たちは 剣を抜き構えた。
「リア様たちは下がっていてください」
「……でも……」
「このくらいお子様の手を借りなくても大丈夫だ。大人しく見てな」
クラルスとルフトさんは襲ってくる魔獣を次々に倒していく。二人の剣術は鮮やかで動きに無駄がない。的確に急所へ斬撃を入れていく。
僕たちに襲いかかろうとしている魔獣たちは、優先的にクラルスが倒してくれていた。僕は体力があまりないシンの側に寄り添う。二人から少し 離れ、念のため魔獣が襲ってこないか警戒をしていた。
「俺が手伝うまでもないな……」
シンは目を伏せ、ため息を吐いた。気怠そうに木に寄りかかる。ろくに食事も取れていないシンには動くだけでも辛いだろう。
後方にいる魔獣が大きく口を開けると人の頭くらいの火球が口の中から生成される。火球はクラルスとルフトさんを襲った。
気がついた二人は間一髪で火球を避ける。火球は僕たちの近くの木に着弾をして、中央から折れた。
「本当に魔法使うんだね」
「魔法を使われると厄介だから一撃で倒す必要があるんだが……。いつもと違って魔獣の数が異常だ。何でだ……」
シンは眉をひそめる。魔獣は出ても一、二匹でこんなに群れでは出ないらしい。
先日クラルスが言っていた”魔力の強い人間を捕食したがる”という言葉を思い出した。もしかして宝石を宿している僕たち三人の魔力につられ て集まってきてしまったのかもしれない。
魔獣の数も減ってきた時、一匹の魔獣が遠吠えを上げ、森に響き渡る。
遠吠えに応えたかのように森が震え、どこからか地響きが聞こえてくる。辺りを見回した時、森の中から巨大な三つ首の魔獣が姿を現す。
プレーズにある家屋くらいの大きさで魔獣の親なのだろうか。人間なんて丸呑みしてしまうほどの大きな口からは、低いうなり声が発せられてい る。
魔獣は近くにいる僕たちを見ると迷うことなく走ってきて大きく前足を振りかぶる。
「リア様!!」
クラルスの悲痛な声が響く。身体の大きさに似合わず素早い動きで避けることができない。突然目の前が真っ暗になり、僕の身体は弾き飛ばされ る。
目を開けて起き上がると身体は強打したが僕は目立った怪我はしなかった。代わりに背中に傷を負ったシンが傍らに倒れている。シンが僕を庇っ てくれたのだと理解した。
「シン!? どうして!?」
シンの背中には魔獣が付けた深い掻き傷があり、大量の血が流れ出ている。うめき声を上げながらかすれた声で僕に逃げろと投げかけた。
クラルスとルフトさんが三つ首の魔獣に斬りかかるが、咆哮の衝撃波で吹き飛ばされる。
「ルフトさん! クラルス!」
ルフトさんは吹き飛ばされたと同時に雷撃を放った。魔獣に命中したがあまり効いていないようだ。
魔獣と目が合い、身体がこちらを向く。僕は近くに落ちていたシンのものであろう長剣を拾い上げ構えた。それと同時に中央の頭が口を大きく開 けると、巨大な火球が作りだされる。
僕は剣に集中して
巨大な火球が僕に向けて撃ち出される。剣を火球めがけて振り下ろすと、剣に当たった火球は弾き返され、中央の頭に直撃した。
怯んだ隙にルフトさんとクラルスが両端の首を切り落とした。魔獣の巨大な身体が傾き倒れる。
それを見ていた魔獣の残党は森の奥へと消えていく。完全に魔獣の気配が消えて僕たちは安堵のため息を吐いた。
僕は剣を投げ出してシンの元に駆け寄る。
「……シン!」
ルフトさんとクラルスも僕たちの所に駆け寄ってきた。
「リア様! お怪我はありませんか?」
「僕は大丈夫。それよりシンが僕を庇って……」
シンはまだ息はあったけど出血が酷い。このままでは死んでしまう。シンは薄目を開けて傍らに座っている僕を見上げた。
「……そんな顔するな……。どのみち俺は遅かれ早かれ死ぬからな……」
「シン……なんで僕を庇ったの? 庇わなければシンは……」
シンはこんな怪我をしなかった。彼は僕のことを嫌っていたのではないのだろうか。
「少しはお前に恩義があるしな……。それに……知らない国に亡命してきて、初めて他人に優しくされて嬉しかった」
「シン……」
シンは僕に冷たい態度をしていたけど、本当は義理堅くて心優しい少年。僕はそんな彼を失いたくない。僕はシンを抱き起こし、侵食されている 左手を両手で握る。
「……僕が……シンを助ける……」
月石の治癒魔法を使うのはクラルス以来だ。僕は月石にシンを助けて欲しいと強く念じる。
僕とシンを青白い優しい光が包み込んで僕の左手からは帯状の光がいくつも発せられた。
魔獣に荒らされた草花に光の帯が触れると生命力を取り戻し、火球で折られた木からは新芽が芽吹いた。不思議な光景に目を奪われる。
硝子が割れたような音がすると、シンの左腕を覆っていた紫の結晶が腕から徐々に剥がれ落ちた。
「……これは……」
ルフトさんもクラルスも驚いた様子で僕たちを見ていた。
僕の左手から光が止むと掌に違和感がある。シンの手を離すと僕の手には綺麗なアメジストが収まっていた。シンの左手には刻印はなく宝石を取 り除き、侵食症から解放することができたようだ。
僕自身こんなことになるとは思わず驚いた。シンは起き上がり、左手を確認している。彼の背中の傷も治っているようだ。
「……俺は……侵食症から解放されたのか……」
「そうみたいだね……。よかった……」
僕は安堵してため息を吐いた瞬間、眩暈がして身体が傾く。側にいたクラルスがすぐに僕を支えてくれた。身体に力が入らず自分の足で立つこと もできそうにない。
「リア様!?」
「……ごめんクラルス。身体に力が入らなくて……」
クラルスは僕を抱き上げ、心配そうな顔をして見ていた。意識はあるのに身体だけ力が入らず不思議な脱力感。ルフトさんは眉を寄せて僕とシン を見ていた。
「一度に大量の魔力を消費したから身体に負担がかかったんだろう。しかし……侵食症を治すとは……」
治癒魔法も効かないと聞いていたので侵食症が治るとは思わなかった。
また魔獣が襲ってきたら厄介なのでルフトさんは頼まれた果実を急いで採った。僕たちは足早に林道を戻る。シンは魔獣に襲われないように僕た ちと一緒についてきてくれた。
「……森の外まで一緒にいく。いつ魔獣に襲われるか分からないからな」
「えぇ。お願いします」
森を抜けた頃、身体が熱く呼吸が苦しい。クラルスが息苦しくしている僕に気がついて足を止めた。
「リア様。大丈夫ですか!?」
「ん……平気だよ……」
心配させないように無理に笑ってみせる。シンが近づき、僕の額に手を当てた。彼の手がひんやりとしていて気持ちいい。
「……だいぶ熱があるな。急いで戻った方がいい」
シンに促され、僕たちは急いで酒場へと戻った。シンも一緒についてきてくれたのだが、酒場に入ったので怪訝な顔をしていた。
シンには貴族と言っていたので、まさか酒場に入るとは思わなかっただろう。
高熱で意識が
「す……すみません……。ありがとうございます」
「礼はいいから、今はしっかり休みな」
シンは寝台に寝かされている僕を心配そうに見ている。
「シン……。僕のわがままなんだけど治るまで待っていてくれるかな。少しお話したいから」
「……分かった。約束する」
僕はシンの言葉を聞くと彼に微笑み、そのまま眠るように意識を手放した。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。目を開けると窓から月が見えた。酒場からの声も聞こえず夜中なのだろう。熱は引いたようで身体は少し 怠いが動けないわけではなさそうだ。
クラルスは僕の寝台の端にうつ伏せになって寝ていた。ずっと僕の看病をしていてくれて疲れてしまったのだろう。ルフトさんとシンは規則正し い寝息をたてていた。
隣の寝台にある毛布をクラルスに掛けた。彼らを起こさないように僕はそっと部屋から抜け出す。薄暗い廊下を歩き、裏口から外に出る。
外の空気がひんやりとして気持ちが良い。裏口の近くにある長椅子に座り、夜空を見つめる。なんとなく月が見たくなり外まで来てしまった。月 の光を感じていると少し身体が軽くなる気がする。月石を宿しているせいなのか求めたくなってしまうのだろうか。
不意に裏口の扉が開くとシンが顔を出した。
「……ごめん起こしちゃった?」
「いや。お前が出て行く姿が見えたから……」
シンは僕の隣に腰を下ろす。約束を守って僕が治るまでいてくれて安心した。シンを見ると服装が変わっている。魔獣から僕を庇った時、服が破 れてしまった。ベルナさんが星影団の団員が置いていった古着で見繕ってくれたそうだ。
「……お前が宿している宝石。回復系のサファイアじゃないだろう」
僕は話そうか迷った。月石の魔法を使ったところは見られてしまっているので正直に話す。僕はシンの前に左手を出した。相変わらず月の光を受 けると爪は淡い光を放っている。
「……うん。これは月石なんだ」
「月石ってルナーエ国の象徴の宝石だろう。あとお前、貴族じゃないな」
「嘘吐いてごめん。改めて自己紹介するね。僕はルナーエ国第一王子ウィンクリア・ルナーエです」
「……王子って……あの掲示板に書いてあったお尋ね者のか?」
シンの言葉に胸が痛む。僕が手に掛けたのではないけれど人々はそれが真実だと思っている。
「……なぁ。お前……何で両親殺したんだ?」
「……あまりいい話しじゃないよ……。それでも聞く?」
シンに問うと頷いた。シンにとっては母国であるミステイル王国の王子が僕の両親を手に掛けたので、いい話ではないだろう。信じてもらえるか 分からないけど僕が見た真実をシンに話す。
ガルツが城を襲い、父上と母上を手に掛け、僕とクラルスだけ城から逃げ出したこと。双子の妹のセラが城に幽閉され、傀儡にされていること。 リュエールさんに誘われ、今は星影団に身を寄せていること。そして、ガルツが月石を狙っており、僕を捕まえようとしていること。
思い返すだけで胸が締め付けられる。シンは真剣な表情で僕の言葉を聞いていた。
「……これが僕が見た真実だよ……」
「……そうか。ガルツ王子は元々きな臭い。顔と外面はいいから女には人気だったな……」
ミステイル王国は、生活に困窮していることはなかったけど徴兵が酷かったらしい。まだ入りたての少年兵でも戦争にかり出されることもあるら しい。シンも一度だけ戦争に行ったことがあるそうだ。
ルナーエ国では余程の有事ではないかぎり少年騎士は出兵させないことになっている。
五年前、ミステイル王国の第一王子が急死した。ガルツは王位継承権欲しさに自身の兄である第一王子を手に掛けたのではないかと噂になってい たそうだ。
その後ガルツが軍事政権を任されてから徴兵が厳しくなったらしい。同時に、宝石の研究機関を設立して国を挙げて宝石の研究を始めたそうだ。
「ガルツ王子にとっては俺なんて実験ネズミと一緒だろうな」
実験で人を使い、命を弄ぶガルツに怒りを覚える。ガルツの近くにセラがいると考えるだけで心配でならなかった。
無理矢理宝石を宿す技術をミステイル王国が会得しているのならセラが危険かもしれない。太陽石と月石は代々女王が宿してきた宝石だ。次期女 王であるセラを実験台にして無理矢理宿そうと考えているかもしれない。手遅れになる前に早く助け出したい。
不意に視線に気がついた。シンを見ると心配そうな表情で僕を見ていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫。ちょっと考え込んでたよ」
彼に無理矢理笑顔をみせる。不意に彼の左手が目に入った。紫色の結晶に覆われていたが今は何事もないようだ。
「……左手はもう大丈夫?」
「あぁ。痛みもない。その……なんだ……あ……ありがとう」
照れくさそうにシンは感謝の言葉を述べる。僕はシンに微笑んで言葉を返した。
「……どういたしまして」
シンは僕が寝ている間のことを話してくれた。
彼はルフトさんにお願いをして露店市場で盗人をしていたことを長に謝罪しに行ったそうだ。ルフトさんはシンの事情を長に説明てくれたらし い。長は魔獣の討伐をしていてくれたことと、素直に謝罪してくれたことに免じて許してくれたそうだ。
「そうなんだ。よかったねシン。それでシンはこれからどうするの?」
シンのこれからが少し気になった。自国には戻れないだろうから、ルナーエ国に居座るのか他の国にいくのだろうか。
「あの茶髪のルフトって人に頼んで、星影団に入ることにした」
「えっ!? どうして!?」
僕が考えてもいなかった回答だったので面食らってしまった。
「お前が俺のこと、助けてくれただろう。だからお前に尽くすことが礼儀ってものだ」
「で……でも、シンがわざわざ危険なことに身を投げなくてもいいんだよ。シンには普通に生活してもらいたい」
僕の為に戦争という危険なことにまた身を投げなくてもいい。せっかく助かった命なのだから一般市民として生活して欲しいと思った。
「俺が決めたことだからお前が気にすることはない。それに俺には帰る場所も待っている人もいないしな」
シンの父親はシンが幼い頃に戦死しており、母親は病を患っていた。
薬代のために給金がいい軍に入っていたが、母親は二年前に亡くなったらしい。宝石の研究機関を脱走したシンは今更母国に戻れないそうだ。何 度も説得したがシンの意思は堅く、首を縦に振ってはくれなかった。
「でも……」
「お前そんなに俺のこと嫌か?」
「ち……違うよ……」
「ならいいだろ。それにガルツ王子が同盟を破ってそんなことしているのなら、同じ国の人間として止めてやりたい」
シンに見返りを求めて助けたわけではない。彼のガルツを止めたいと聞いて僕はこれ以上反対することはできなかった。
「シンがそう言うなら……。改めてよろしくね」
僕はシンの前に握手を求めるように手を差し出すと握り返してくれた。
「よろしくな。……リア」
彼は柔らかい笑顔を見せてくれた。少し前まではきつい表情をしていたのだが、これが本当のシンの顔なのだろう。
「……そういえば王子だったな。呼び捨ては失礼か?」
「リアでいいよ。僕の護衛はクラルスで、ルフトさんは星影団の副団長だよ」
軽く二人を紹介した時、騒がしい足音が聞こえてくると裏口からクラルスが飛び出してきた。僕とシンは目を丸くしているとクラルスは僕の姿を 見て安堵の表情をした。
「リア様どちらに行かれたかと……。お体は大丈夫ですか?」
「もう大丈夫みたい。クラルスずっと看病していてくれたんだよね。ありがとう」
「私は当然のことをしたまでですが、シンくんが甲斐甲斐しくリア様の看病なさってましたよ」
シンの方を向くと顔を真っ赤にしていた。彼が僕の看病をしてくれて嬉しい。やはりシンは根が優しい人だ。
「う……うるせぇ、言うなよ! あと”くん”付けるな!」
シンは一通り叫ぶと「寝る」と捨て台詞を吐いて、室内へ戻っていった。クラルスと目を合わせて微笑む。
「クラルス。シンが星影団に入るって聞いた?」
「えぇ。最終判断はリュエールさんに任せるそうです。ルフトさんは反対していましたが、ベルナさんが説得して渋々ですね」
シンは今敵対しているミステイル王国出身。ルフトさんが疑うのも無理はない。ルフトさんが疑り深いのは、すべてリュエールさんを守るためな のだろう。
そろそろ風も冷たくなってきたので僕たちは部屋に戻り、眠りについた。
次の日、僕の体調も良くなったので拠点へと帰還する。ベルナさんは酒場の準備の手を止めて僕たちを入り口で見送ってくれた。
「ベルナさん。色々お世話になりました」
「元気になってよかったよ。また遊びにおいで」
ベルナさんは優しい笑顔を僕に見せてくれた。数日しかいられなかったけど、プレーズのでシンとベルナさんに会えて良かった。シンの前までベ ルナさんは歩くと額を小突く。
「もう盗人なんてするんじゃないよ。星影団の一員になるんだから腹が減ったなら酒場へ来な」
「言われなくてももうしない。いつ来るか分からないけど、そん時は世話になる」
シンはぐしゃぐしゃに髪を撫でられ、思い切り背中を叩かれた。痛かったのか前屈みになっている。
「じゃあリュエールによろしくね。それとルフト……」
ベルナさんは側に来るように手招きをして、ルフトさんに耳打ちをすると彼は顔が赤くなった。僕とクラルスは目を合わせ、首を傾げる。何を言 われたのだろうか。
「ベルナには関係ないだろう!」
「相変わらずだな。早くしないとリュエールが……」
「頼むから黙ってくれ。今それどころじゃないんだよ」
ルフトさんはベルナさんの言葉を遮るように声を上げると歩いていた街の人の何人かこちらの方に顔を向ける。あまり目立つと正体が露見しそう なのでルフトさんの方を向いて口の前に人差し指を立てた。気がついてくれてルフトさんは口を噤む。
「色男。ルフトみたくなるんじゃないよ」
「……は……はあ……」
クラルスに言葉が投げかけられたが当人たち以外話の内容が分からない。ルフトさんは挨拶もそこそこに早歩きで酒場から立ち去ってしまった。
「あ……あの。ルフトさんに何を言ったのですか?」
「大人の話さ。分かるようになったらお姉さんと話ししよう」
ベルナさんが”大人の話”というと意味深長で、これ以上追求してはいけない気がした。取り残された僕たちは、ベルナさんに会釈をして急いで ルフトさんの後を追う。
プレーズの街に来たときの馬は三頭なのでシンが加わった今、数が足りない。そこで僕とクラルスが相乗りすることになった。前に乗るように促 されたが邪魔ではないだろうか。
「僕が後ろの方がいいと思うんだけど」
「いえ。リア様が前の方がすぐお守りできますし、背後から襲われないようにですよ」
クラルスはいつも僕のことを考えてくれて有り難く思う。言われたとおり前に乗り、プレーズから出発をする。僕たちのやりとりを見ていたシン は怪訝な顔をしていた。
「なぁクラルス。護衛って身を挺して守るとかそういうものなのか?」
「リア様をお守りすることが最低条件です。敵を排除し、自分も生き残りずっと守り抜くことが護衛としての努めだと思います」
「護衛って捨て駒かと思っていたけど違うんだな」
「国によって扱いは違うと思いますけどね。私の考えですよ」
五年もの間ずっとそういう信念でクラルスが僕のことを守ってきてくれていた。僕の護衛がクラルスで本当によかったと思う。僕は振り返り、ク ラルスに微笑む。
「クラルスに守られて僕は果報者だね」
「り……リア様! そんなもったいないお言葉、恐縮です!」
落馬する勢いで慌てふためいていたので思わず笑ってしまう。拠点への帰路はシンが増えたことにより、いつもより賑やかだった。
「星影団の団長ってどんな人なんだ? 名前からして女?」
「うん。リュエールさんは女性だよ。すごく気さくでいい人なんだ」
ルナーエ国では貴族の代表や長など重要な役職に女性が就くことはあまり珍しくはない。他国は男性の方が多いらしくミステイル王国ではほとん ど男性だそうだ。
シンは女性が星影団の団長と聞いてどんな人だろうと思いを巡らせている。
「猛者を引っ張っている女だろう。厳つい格好で鞭持ってそうだな」
「お前、リュエの前でそれを言ってみろ。雷落とされるぞ」
「おー怖いね」
シンはからからと笑っている。比喩表現ではなく文字通り雷を落とされると思う。
三日間の帰路を経て、拠点に戻って来た頃には空に星々が瞬き始めていた。
家の修繕作業は終わっており、星影団の皆は焚き火を囲みながら武器の整理やぞれぞれ与えられた家屋で 休んでいた。僕たちはリュエールさんに会うために公会堂へ向かう。公会堂に入ると、ちょうどリュエールさんが自室に戻ろうとしているところ だった。
彼女は僕たちに気がついて小走りで駆け寄って来てくれた。
「みんなおかえり! プレーズはどうだった?」
「とても有意義な旅でした。ありがとうございます」
リュエールさんは僕たちに微笑むと、早々シンに気がついて声をかけた。
「……後ろの彼は?」
シンはリュエールさんと目が合うと驚いた表情をして僕を小突いて耳に顔を寄せた。
「リア。あの人が団長か?」
「うん。リュエールさんだよ」
「……すごい美人だな。本当にそうなのか?」
シンが想像していたリュエールさんと、目の前のリュエールさんが違っていたようで戸惑っている。
ルフトさんはシンが星影団に入りたい経緯を話す。彼女は頷きながら話を聞いていた。
「なるほどね。シン、一つ質問あるけどいいかしら?」
「……何だ」
リュエールさんは真面目な表情になり、シンに問いかける。
「私たち星影団はあなたの母国のミステイル王国と戦っているわ。もしかしたら戦争であなたの仲間と対峙するかもしれない。それでも戦え る?」
リュエールさんはシンの覚悟を知りたかったのだろう。シンはどう答えるのだろうか。答えによっては星影団に入れないかもしれない。
シンを見守っていると、少し考えてからリュエールさんの問いに答えた。
「……正直分からない。仲間だった奴を目の前にして、非情になって殺せるのか。でももし、あんたやリアが危険なことになったら絶対に守る。俺 は中途半端な気持ちで志願したわけじゃない」
シンの言葉に僕たちは静まりかえると、リュエールさんはにこりと微笑んだ。
「簡単に殺せますとか言ったら疑っていたわ。ミステイル王国の偵察でもなさそうだし、歓迎するわシン。ようこそ星影団へ。私は団長のリュエー ルよ」
リュエールさんからの言葉を聞いて僕は安堵した。シンも胸を撫で下ろしている。
「リュエ。簡単に信用していいのか?」
「ルフトは疑り深いわね。私がいいと言ったらいいのよ」
リュエールさんはルフトさんのおでこを人差し指で突いた。リュエールさんに認められて今日からシンは星影団の一員だ。彼の部屋割りは寝台が 空いている僕たちのところに割り振られた。旅の疲れもあり早速家屋へ移動する。
村が星影団の拠点となっているのでシンは物珍しそうに辺りを見回していた。いつのまにか食堂と浴場も作られており、本当に一つの村のように なっている。家族で拠点に引っ越しをして来た人たちもいるらしい。
「シンよかったね。リュエールさんに認められて」
「それより俺はあんな美人だと思わなくて驚いた……。よく猛者どもを引っ張っているよな」
僕も初めて会った時、女性が団長だと思わなく驚いた。
他愛もない話をしながら部屋に到着すると。シンは寝室へ行き、寝台に飛び込んだ。空気をたっぷり含んだ布団に顔を埋めて幸せそうにしてい る。
「まともに寝台で寝るの久々だな。ずっと野宿だったからありがたい……」
「今日はゆっくり休んでね」
僕も自分の寝台へと腰を下ろすと、シンが寝転んだまま僕を見ていた。
「……リア。魔法って便利か?」
「どうだろう。僕とクラルスは元素の属性魔法とは違うから日常生活で使うことはないかな」
「クラルスも宝石宿しているのか?」
「うん。ダイヤモンドだよ」
宝石を宿している人は星影団の中でもほんの一握りだ。日常で使っている人はほとんど見たことはない。火属性のルビーは野営の時の火起こしに 便利そうだと少し思ったことはあった。シンは魔法に興味があるのだろうか。
「シンは魔法使ったことないの?」
「アメジストは宿していたけど、侵食症になったから使わなかったな」
シンは自分が宿していたアメジストを取り出す。月の光でアメジストが輝いているように見えた。こんな小さな宝石が人に影響を与えていたのは 不思議だ。
ルフトさんによるとアメジストは魔法用としては売れないが、装飾品として価値はあるらしい。
「クラルス。ルナーエ国って魔法兵とかいるのか?」
「私たちの国は保有していません。同じ宝石でも宿した人によって技術や能力の差が生まれますからね。大国でしたら育成機関を設けて最低限同じ 水準にすることはできるかもしれません」
「ただ単に使える奴の寄せ集めってわけじゃないんだな」
以前、魔法は潜在能力や精神状態にも左右されると教えてもらった。戦争や有事に使えるように育てることは費用も人材もかかる。そのため大国 以外魔法兵を保有していない。ミステイル王国は独自の宝石研究機関を設けていたので、研究の他に魔法兵も作りたかったのだろうか。
「ねぇ……シン……?」
シンに呼びかけるが返事をしなかった。顔を覗き込むと疲れていたのか宝石を手にしたまま寝てしまったようだ。ついさっきまで話していたのに あまりにも早い寝付きで僕とクラルスは顔を見合わせて苦笑した。
「シンはやっと安心して眠れるのでしょう」
「うん。おやすみシン……」
僕たちも早いが旅の疲れもあるので寝床につくことにした。クラルスはいつも野営の時は見張りをしてくれているのでだいぶ疲れていると思う。
「クラルス。手出して」
「……はい……?」
素直に出されたクラルスの手を握り、少しだけ治癒魔法を使う。クラルスは何をされているのか分かったらしく慌てて僕の手を押さえた。
「り……リア様。私は大丈夫ですから。それにまた倒れてしまったら……」
「大丈夫だよ。シンの時は制御できなかったけど、今はできているから」
「しかし……」
「少しだけだから……お願い」
「……はい。かしこまりました」
クラルスが折れて僕は治癒魔法を再び使う。制御できない時があるけど僕は月石のことを知るためにも、魔法には慣れなければいけないと思っ た。
僕の掌から青白い光がこぼれ落ちる。シンの時は帯状の光だった。きっと強力な治癒魔法だったのだろう。僕はクラルスの手を離して彼を見つめ る。
「……少し疲れは取れたかな?」
「えぇ。十分ですよ。今日はよく眠れそうです」
「よかった」
僕はクラルスにいつも守られてばかりなので、少しでも彼にお返しができればいいと思った。クラルスに促され、寝台に横たわり眠りについた。
2020/03/08 up